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55「彼女はギターで会話する」

 配信画面には、青髪の長身美女アバター

 ——シオンが映っている。


 でも、その動きは完全に止まっていた。


『ギター始めて何年ですか!』

『俺もバンドやってます』

『落ち着いたら話してよ』

『ゆっくりで良いよ』

『最初は誰でも緊張するよ』


 優しいリスナーたちのコメントで溢れている。

 そして同接数も跳ね上がり続けている。


 でも——シオンは、それを見ることすらできない。


 目は虚ろで、体は石のように固まっている。


「あ……ああ……あの」


 呼吸が、浅い。


 私が握る彼女の手が少し冷たくなって、震えている。


「シオン、大丈夫。深呼吸して」


「む……無理……」


 そのとき——シオンの視線が、ふと横に向いた。


 そこには、壁に立てかけられた白と青のレスポールカスタム。


 彼女のギター。

 シオンの唇が、小さく動いた。


「……ギター」


「え?」


「ギター……持っていい?」


 か細い声。でも、それは確かに——意思を持った声だった。


「ギター持ったら……落ち着くかも」


 私とセイラは、顔を見合わせた。


 そして——セイラが頷く。


「……ああ、持てよ」


 シオンが立ち上がり、ゆっくりとギターに近づく。


 その小さな手が、ネックに触れた瞬間——

 空気が、変わった。


 彼女がギターを抱える。

 重み。木の温もり。弦の感触。


 そして——


 シオンの呼吸が、整い始めた。


 ゆっくりと、深く。震えが、少しずつ収まっていく。


「……あ」


 小さな声。


「……落ち着く」


 彼女が椅子に座り、ギターを構える。

 その姿勢は——先ほどまでとは、まったく違っていた。


 背筋が伸び、目に光が戻っている。


「……ギター持ったら、少し大丈夫になった」


 コメント欄が反応する。


『ギターが心の支えなんだ』

『わかる、楽器やってる人ならわかる』

『相棒だもんね』

『表情変わった!』


 シオンが、初めてカメラを見た。

 そして——小さな声で、でもはっきりと言った。


「この子は……うちの、唯一の友達やった」


 ギターのボディを、優しく撫でる。


「ずっと一人で……誰とも……喋れなくて」


「でも、この子だけは……うちの言いたいこと、全部わかってくれた」


 その声には、温かさがあった。


「だから……」


 ポロン、と一度、弦を弾く。

 透き通った音が、スタジオに響く。


「……」


 コメント欄が、温かいメッセージで埋まる。


『今ギターが返事した?』

『ギターの声が伝わる』

『なんか泣ける』

『これは良い配信になる予感』


 セイラが——ニヤリと笑った。


「なあ、シオン」


「……はい?」


「おまえ、ギターなら何でも表現できるんだろ?」


「え……まあ、そう……だけど」


「じゃあ、試してみろよ」


 セイラが画面を指差す。


「リスナーの質問に、ギターで答えてみろ」


「え……?」


「うまく言葉が出ないなら、音で語ればいい。それがおまえの言葉なんだろ?」


 シオンの目が、大きく開いた。


「で……でも」


「大丈夫だよ、シオン」


 私が笑顔で言う。


「あなたのギターなら、きっとみんなに伝わる」


 シオンは、ギターを見つめた。


 そして——小さく頷いた。


「……やってみる」


 私は画面に向かって呼びかけた。


「みんな!シオンは口下手だけど、ギターなら何でも語れる天才なんだ!」


 セイラも続ける。


「だから質問してみろ!シオンがギターで答えてやる!」


 コメント欄が、一瞬静まった。


 そして——


『マジで!?』

『ギターで会話!?』

『前代未聞すぎるwww』

『面白そう!』

『じゃあ質問します!』


 最初の質問が流れる。


『シオン、ギターは楽しい?』


 シオンは、少し考えた。


 そして——指が動いた。


 ♪タラララ~ン♪ピロリロリ~♪


 跳ねるような、明るい、弾むような音。


 まるで小鳥がさえずるような、軽やかなメロディ。


 一瞬の沈黙の後——


『楽しそうな音!!』

『めっちゃ伝わる!』


 シオンの顔が、少しだけ明るくなった。


『いまの気分はどう?』


 ♪タ、タ、タ、ファァァァンと震える低音。


『緊張してるんだ!』

『おお分かる!これ天才だろ!』

『ギターで会話成立してるwww』


「……伝わった?」


『伝わった!!!』

『完璧に伝わった!』


 次の質問。


『どれくらい緊張してるの?』


 シオンは、苦笑いしながらギターを弾いた。


 ♪ビリビリビリ……ブルブルブル……♪


 震える音。不安定な音程。わざと乱れたビブラート。


『ガチガチで緊張してる音www』

『うわ表現力やばい』

『これ言葉より伝わるかも』

『音楽家ってすげぇ』


「めっちゃ……緊張し、てます……」


 シオンが辿々し、小さく呟く。

 その素直さに、コメントが温かくなる。


『てえてえ……』

『……かわいい』

『これは応援したくなる』

『頑張れシオン!』


 質問が次々と来る。


『好きな食べ物は?』


 シオンが少し考えて——


 ♪ポロロン~リロリン♪


 甘く、華やかなトレモロ奏法。

 ふわふわとした、優しい音色。


『甘いもの!?』

『スイーツ女子か!』

『わかりやすいwww』


「……ケーキが好き」


 小さな声で答える。


『ギターでそこまで伝わるんだ!』

『シオンも少しずつ喋れてる!』

『成長を見守る配信』


 そして——ある質問が来た。


『YUICAのこと、どう思ってる?』


 シオンの動きが、止まった。

 彼女は、ゆっくりと私を見た。


 そして——真剣な表情で、ギターを構えた。


 静かに、一音から始まる。


 ♪ポロン……


 それは、とても優しい音だった。

 だんだんと音が重なっていく。


 高音で希望を。中音で温かさを。低音で深い感謝を。

 アルペジオが美しく絡み合い、一つの物語を紡ぐ。


 それは——


 暗闇の中で光を見つけた人の、喜び。

 誰かに手を差し伸べられた時の、安堵。

 そして、その人を信じたいという、強い想い。


 30秒の即興演奏。


 最後は、力強く、でも優しいコードで締めくくられた。


 沈黙。


 コメント欄が、止まっていた。


 そして——


『……泣いた』

『これ、尊敬と感謝と憧れ全部入ってる』

『不思議だ、言葉より伝わる』

『リスペクトを感じる、芸術だ……』

『シオン、表現力の天才だろ……』


 私は——涙を拭いた。


「シオン……ありがとう」


 シオンは、真っ赤になって俯く。


「……恥ずかしい」


 その小さな声に、コメントが爆発する。


『かわいい!!!』

『ギャップ萌え』

『もう推し確定です』


 セイラが、満足そうに頷く。


「いいじゃねえか。これがおまえのスタイルだ」


 そして——リスナーからの、大きな挑戦が来た。


『じゃあさ、FAKE-3の意気込みをギターで表現して!』


 シオンが、画面を見る。


「……え、むずいかも」


 でも——彼女は、挑戦することにした。


「でも、うん、やって……みる」


 深呼吸。

 そして——弦を弾いた。


 最初は、小さな音。


 ♪ポロ……ポロ……


 弱々しい、不確かな音。今の自分。

 それが、だんだんと大きくなっていく。


 ♪ポロロロ……ロロロ……


 成長。前進。そして——壁にぶつかる。


 ♪ギュイイイイン!


 激しい歪み。困難。でも——それを乗り越える。


 ♪ダダダダダン!ジャジャジャーン!


 力強い音。決意。突破。

 そして——

 

 ♪キィィィィィン……


 天を突くような、高音。

 頂点。夢の実現。

 最後は、温かく包み込むようなコード。


 ♪ジャーーーーン……


 感謝。みんなへの想い。

 1分間の即興演奏。

 それは、完全な物語になっていた。


 コメント欄が、爆発した。


『鳥肌』

『プロでもこんなの即興で弾けない』

『これ……芸術作品だろ』

『Shadow Guitarの本気見た』

『登録してない奴おる?』

『今すぐ登録した』


 リアルタイムで、チャンネル登録者数が跳ね上がっていく。


 10万……25万……30万……


 —— すごい……YUICAのデビュー時よりも増加が早い。


 シオンが、画面を見て——目を見開いた。


「え……こんな……うち……で、いいの?」


 声が震えている。

 そして——ゆっくりとギターを構えた。

 今度は、言葉を添えて。


「……みんな、ありがとう」


 ♪ポロロン~~~♪


 心からの、感謝の音色。


『完璧』

『これが本物』

『この配信、伝説になる』

『シオン、ずっと応援する』



 ◆



 配信終了後。


 私たち三人は、しばらく沈黙していた。


 そして——セイラが口を開いた。


「……やるじゃねえか、クソガキ」


「うん……ババア……ありがとう」


 シオンが、小さく笑う。


「うち……少し、変われた気がする」


 私は、彼女の肩を抱いた。


「すごかったよ、シオン。あなたのギターは、本当に言葉なんだね」


「うん……うち、ギターがあれば、みんなと繋がれるって分かった」


 彼女が、ギターを見つめる。


「この子が……うちの声」


 セイラが立ち上がる。


「よし。じゃあ次は、本番に向けて練習だ」


「本番……そっか。うちらの本番は、フェスだ」

「でもあんなすごいフェスで……単独でソロパートが弾けないギタリストなんて」


「うちだけやないかな……期待外れで、笑われないかな」


 シオンの表情が、少しだけ不安そうになる。


「お前のソロはアタシが支えるって言ったろ。気にすんな」


「でも、それだとセイラに負担がかかりすぎるよ……」


「おい……日本一舐めんな。ガキひとりのお守りくらい。どってことない」


 シオンがセイラの顔をじっと見つめる。

 そして、小さく、覚悟を決めた目でうなづいた。


「今日できたことを思い出せ。そして明日はもっと成長してるはずだ」


 セイラが、シオンの頭をぽんぽんと叩く。


「おまえは、もう一人じゃないからな」


「……うん」


 私も頷く。


「三人で、やろう。J-ROCKに来る本物たちを、観客を……驚かせてやろう」


 そしてシオンが——初めて、大きな声で言った。


「うち、頑張るよ!……このギターにかけて」


 その声には、確かな決意があった。


 ギターという心の支えを得て。

 仲間という新しい繋がりを得て。


 シオンは——少しずつ、前に進み始めた。



  ◆



 

 ——その頃。都内某所。


 高級マンションの一室で、一人の男がPCの画面を見つめていた。

 

 年齢は50歳くらい。鋭い目つき。整った顔立ち。

 

 画面には——シオンの配信が映っている。

 ギターで会話する少女。

 温かいコメント欄。

 そして、跳ね上がり続ける登録者数。

 

「……くだらない」

 

 男が、吐き捨てるように呟いた。

 

「和志の血を……こんな、くだらないことに使うつもりか」

 

 画面の中で、シオンのアバターが笑っている。

 ギターを抱きしめて、嬉しそうに。

 

「Vtuberだと? バーチャルアイドルだと?」

 

 男の声が、低く唸る。

 

「なぜ本物の音楽を——目指そうとしない」

 

 男のブラウザを閉じるその指に、力が込められる。


 そして立ち上がる。

 壁には、古いポスターが飾られている。

 

 『Zyx’s THE LIVE』

 そこには、2人の男が写っていた。

 

 右に——風間和志。

 

 そして、その隣に——この男の若い頃の姿。

 

「安心しろ。こんなふざけた真似……俺がやめさせてやる」

 

 男が、スマートフォンを手に取った。

 画面には、連絡先リストが表示される。

 そして——ある名前にカーソルが合わせられる。

 

 男の目が、冷たく光った。

 

「志音……お前は、本物じゃなきゃいけないんだ」

 

 そして——通話ボタンを、押した。

 


(つづく)


 

──次回予告「水槽に映る二つの影」

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― 新着の感想 ―
更新お疲れ様です。 せっかくシオンちゃんが新しい門出を決めたのに、また不穏な輩がエントリーしましたなぁ…。根っ子にはお父さんの和志さんを好きな気持ちがあるんでしょうが、だからと言って自分の感情を他人…
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