52「明かされる嘘と天才の正体」
【渋谷・神南 午後2時】
二日後——
私とセイラは、渋谷駅のハチ公前改札を抜けた先の、人混みから少し離れた待ち合わせスペースで落ち合った。
お互い、深めのマスクとサングラス。
それに加えて私は帽子を被り、セイラはパーカーのフードを深く被っている。
Vtuberにとって、リアルでの顔バレは致命的だ。
小さく会釈を交わすと、私たちは人通りの少ない道を選んで松濤方面へと歩き出した。
「よく連絡取れたね」
セイラが小声で言う。
「アタシもShadow Guitarには目をつけてて、結構前からマスターズを通してアプローチしてたんだけど、全く反応なかったんだわ」
「そうなの?」
「うん。音楽業界に強いエージェントも使ってコンタクト取ろうとしてたんだけど、全員スルーされてた」
「じゃあやっぱり、私の……YUICAのファンだから反応したってことなのかな」
「そうだろうね。だったら案外すぐに話がまとまるんじゃないか?」
「それが……色々条件もあってね」
私は少し声を落とす。
「大きなところでは、 ギターソロ演奏は絶対にできないって言ってて」
「ソロなしのギタリスト?そんなのありえるのか?普通は逆の条件だろ」
セイラが眉をひそめる。
「理由は教えてくれなかったんだけど、そこだけは譲れないって」
「……それは厄介だな。ソロパートはギタリストの見せ場なのに」
セイラは少し考え込むような表情をしたあと、顔を上げた。
「まあ、説得する方法は後で考えるとして……他にも問題があるんだろ?」
「……うん」
私は頷く。
「怒らないで欲しいんだけど。その子……あなたのことが苦手らしくて」
「え?アタシが?会ったこともないのに?」
セイラは目を丸くする。
「けっこう人から好かれやすいタイプだと思ってたんだけどなぁ」
「……たぶん、その印象が逆効果なんだよ」
私は言葉を選びながら説明する。
「……明るくて自信に満ちてて、完璧に見える人って、陰キャからすると眩しすぎて怖いんだ」
「つまり陽キャだからか……でもキャラがそうなだけで、こう見えて結構根暗なんだけどな、アタシ」
「……まあね。でもVtuberのセイラしか知らない人には分かりづらいかもね」
セイラはしばらく黙っていたが、やがて小さくため息をついた。
「つまり、まあ。アタシはなるべく控えめにしといて、お前に任せとけばいいんだろ?」
「うん、まあそんな感じかな」
私は少し申し訳なさそうに笑う。
「たぶん、会えば誤解って分かると思うんだけどね」
「……分かった」
セイラは頷く。
「お前を信じるよ」
◆
渋谷の喧騒を抜けると、松濤の静かな住宅街へと入っていく。
都内きっての高級住宅街だけあって、どの家も高い壁に囲まれている。外部からの視線を完全に遮断し、プライバシーを守るような作り。
渋谷駅から歩いてこれる距離に、こんな別世界があるとは——
閑静で、人が少なくて、歩いているだけで少し背筋が伸びるような空気感。
ここに住むのは、大成功した芸能人や大実業家ばかりだというのも、うなづける。
やがて、指定されたアドレスに辿り着く。
「おい……」
セイラが小さく呟く。
「本当にここか?」
「……うん」
目の前には、5メートル以上はある高い白壁と、セキュリティの行き届いた重厚な門が聳え立っている。
表札には——『KAZAMA』
松濤の豪邸……風間……。
私は一瞬、その苗字に既視感を覚えた。
どこかで聞いたことがある気がする。でも、思い出せない。
インターフォンを押す。
すると——小さく、か弱い声が聞こえてきた。
『あ……いま、開けます』
ウィーンという電子音とともに、大きな門が自動でゆっくりと開いていく。
『奥にある扉から……入ってください。鍵は、開いてますので』
私たちは顔を見合わせ、敷地内へと足を踏み入れた。
通路を歩きながら、私は周囲を観察する。
築年数はそれなりに経っていそうだが、手入れは完璧に行き届いている。
庭木の剪定も、石畳の清掃も、すべてが隅々まで管理されている。明らかに裕福な家だ。
—— 一体、Shadow Guitarは、風間志音とは何者なんだろう。
大きな玄関のドアに手をかけ、ゆっくりと開ける。
「おじゃまします」
私たちが声をかけると、奥の廊下から——
小柄な少女が、現れた。
——え?
身長は、150センチあるかないか。華奢で年齢は10代後半から20代前半に見える。
ミディアムヘアの黒髪。内側だけ、青色のメッシュが入っている。
顔立ちは整っていて、美形だ。なにより肌が驚くほど白くて、その可憐な容姿を引き立てている。
でも——正直、ちょっと地雷系女子の雰囲気もある。
かなり緊張しているようで、少し震えているようにも見える。
——もしかして、シオンの妹さんだろうか?
「あの、YUICAといいます」
私は丁寧にお辞儀をする。
「こちらは……友人のセイラです」
セイラも丁寧にお辞儀する。
私たちを見て、少女は一瞬驚いたような顔を見せた後、慌てて深々とお辞儀した。
「は、はい。は、はじめまして」
か細い声。そして、顔を上げられない。完全に下を向いている。
「あの、今日はシオンさんとお会いする約束をしていまして」
私は優しく声をかける。
「いらっしゃいますか?」
「あ、あの、えっと……」
少女は視線を泳がせている。何かを言いたいけれど、言葉が出ないような。
「突然で緊張しますよね」
隣でセイラが優しく微笑みかける。
「ゆっくりで大丈夫ですよ」
「い、いえ、あの……」
少女は何度も口を開いては閉じ、そして——
「あ、うちが……わた、わたしが」
小さく、震える声。
「シオン、です」
「「……え?」」
私とセイラの声が、重なった。
◆
広々としたリビングのソファに並んで座り、私たちは天井の高い空間を見渡していた。
シオンは紅茶を淹れに行っている。
その間、私たちは無言で周囲を観察する。
高級そうな家具。壁には絵画。
そして、奥の壁には——
エレキギター。
黒いレスポールカスタムが、ガラスケースに飾られている。
セイラが小声で言った。
「動画と全然雰囲気が違ったな……」
「うん」
私も同じように小声で答える。
「私も、ちょっと驚いた」
身長も、見た目の年齢も、動画で見た影とはまるで違っていた。
——だから嘘をついているって言ってたのか。
「あとあの子っていうか、この家……たぶん」
セイラが言葉を切る。
「超有名人の家だ」
「え?そうなの?」
「誰でも知ってるだろ」
セイラは壁のギターを見つめる。
「伝説のロックバンド、Zxy'sのギタリスト……風間和志」
——え?
その名前を聞いた瞬間、私の中で何かが繋がった。
十年以上前——音楽シーンを席巻した伝説の二人組ユニット、Zxy's。
そのギタリストが風間和志。
音楽にあまり興味がなかった私でも、さすがに知っている。おそらく日本人ならほぼ全員知ってる。
しかも彼の死は当時、ニュースで何度も報道されていた。
ライブ中のギターソロ演奏中に急性心筋梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人となったからだ——
若干38歳での急死。
その衝撃は、今でも音楽史の伝説となって語り継がれている。
風間和志。風間……志音……。
まさか——
「あの子、風間和志の……」
私が呟いた時、セイラがくいっと顎で合図した。
その先——壁のガラスケースに飾られたギター。
「あのレスポールカスタム、世界に一本しかない風間和志の専用モデルだよ」
セイラは確信に満ちた口調で言う。
「間違いない。ここは風間和志の自宅で、あの子は——」
その時、シオンがトレイを持って現れた。
紅茶の香りが、部屋に広がる。
「お、お待たせしました」
シオンは震える手でカップを私たちの前に置く。
そして——私たちの視線が壁のギターに向いていることに気づき、小さく頷いた。
「はい……これが、うちの秘密の、ひとつです」
私は慎重に言葉を選ぶ。
「シオンは……風間和志さんの?」
「……娘、です」
シオンは俯いたまま答える。
「お父さんは……十年前にステージで、うちが見てる前で……亡くなりました」
そして、小さく続ける。
「ご存じだと思うんですけど……ギターソロを弾き終えた直後に……倒れて」
リビングに、重い沈黙が降りた。
「……そうか。あの現場に、居たんだね」
私は静かに言う。
シオンは小さく頷く。
「ギターは、小さなころから父に教わってて……いまも、ずっと続けてるんです」
——この子、日本が世界に誇るギタリストに幼少期から習い、ずっと練習し続けてきたんだ。そしてそのDNAも受け継いでる。そりゃ上手いわけだよ。
「なんで、それを隠してきたの?誇らしいことなのに」
「だって……お父さんの娘だって……バレたくなくて」
シオンの声が、さらに小さくなる。
「どうして?」
セイラが優しく尋ねる。
「娘だからって……比べられたり、期待されるの、怖くて」
シオンは俯いたまま続ける。
「お父さんは、伝説だから……うちがそれを、壊したくないから」
「だから……影に、隠れてたんです」
私は——ようやく理解した。
Shadow Guitarという名前の意味を。
彼女が、あの影の中で、どんな気持ちで演奏し続けてきたのかを。
「……もっと、見せたいものが、あります」
シオンは立ち上がる。
「地下の、スタジオに……案内します」
私たちも立ち上がり、シオンについていく。
◆
地下へと続く階段を降りていくと——
完全防音のスタジオが現れた。
広さは20畳ほどだろうか。防音パネルが貼られた部屋の一部の壁が白く塗られ、プロ仕様の照明機材が天井に設置されている。
そして、部屋の中央には——
白と青のレスポールカスタムが、スタンドに立てかけられていた。
「座って……見ていてください」
シオンは私たちを椅子に座らせると、部屋の隅に向かう。
「Shadow Guitarの正体を……見せます」
そして——棚から黒いブーツを取り出す。
それを履き始めた。
ブーツを履き終えると——シオンの身長が、一気に高くなった。
おそらく身長を、20センチ近く嵩上げするシークレットブーツだ。
さらに——胸元に何かを入れている。おそらくパッド。
体型が、見る見るうちに大人の女性のシルエットに変わっていく。
シオンは白と青のレスポールカスタムを手に取る。
そして——照明のスイッチを入れた。
強い逆光が、シオンの背後から放たれる。
白い壁に——長身の女性の黒いシルエットが浮かび上がった。
細いウエスト。大きな胸。長い足。
そこに現れたのは、スタイル抜群の大人の女性——
動画で見た、あのShadow Guitarの影そのものだった。
シオンがギターを構える。
そして——静かに言った。
「これが……うちの、本当の姿。嘘つきの……偽物ギタリスト」
彼女がピックを弦に当てた瞬間——
音が、鳴った。
それは、あの動画で聴いた、あの完璧な音色だった。
シオンが静かにギターを構えた。
彼女の指が動き、ピックを弦に触れた瞬間——空気が、変わった。
圧倒的な“音”。
低音は地を這い、高音は天を裂く。
それは、Zxy’sの代表曲—— 風真和志が最後に演奏し1000万枚以上を売り上げた、あの伝説の曲。
“蒼雷“。
ピッキング、ビブラート、スライド、タッピング——
どれをとっても精密機械のような精度で、それでいて感情が迸っていた。
その指は踊り、泣き、叫び、そして祈っていた。
すべてが、あのZxy’sのサウンドだった。
もはや——風間和志が蘇ったかのような、完璧な演奏だった。
「……すごい。これがシオンの本気なんだ」
私は息を呑み、セイラは涙を浮かべ、震える声で呟く。
「……やばい。アタシ、泣きそうだわ」
私たちはただ座ったまま、その音に飲み込まれていく。
そして——
その時が来た。
風間和志が、この世で奏でた——最後の音。
再現不可能と言われる“あの長尺ソロ”に差し掛かった、その瞬間だった。
シオンの指が、僅かに乱れた。
ピッチが狂い、リズムがずれる。
ビブラートが震え、音が滑る。
ギターの音が、叫び声のように歪み出した。
「シオン……?」
その足が、ガクガクと震え始める。
——音が、止まった。
ギターを抱いたまま、彼女の身体が崩れ落ちる。
そして——床に、へたり込んだ。
「シオン、大丈夫?!」
私たちは慌てて彼女のもとへ駆け寄った。
シオンはギターを抱きしめたまま、俯いて震えている。
「ご……ごめんなさい……」
その声は、かすれていた。
「うち……無理なんです……」
「本気でソロパートを弾くと……あの記憶が——」
その目に涙が滲んでいる。
「お父さんが……目の前で……倒れた時のことが、フラッシュバックして——」
「頭が、真っ白になって、足が震えて、手が動かなくなる……!」
彼女は、声を震わせて叫んだ。
「だから……うちは、ソロが弾けない——」
「欠陥ギタリストなんや!!」
沈黙が、スタジオに落ちる。
あの伝説の楽曲を、超絶難易度と言われる風真和志のギターを、誰よりも完璧に再現できる少女。
その才能が、ただ一つのトラウマによって——
止まったままなのだ。
私は彼女を見下ろす。
ギターを抱いたまま、うずくまるその背中。
——その姿に、かつての自分を見た気がした。
両親を失ったトラウマを抱えて、止まったままだった過去の私を。
本心を誰にも見せず、影に閉じ込めたあの日々を。
その時——セイラが、口を開いた。
「じゃあ——」
彼女の目が、鋭く光った。
「そのソロ、アタシが一緒に歌ってやるよ」
(つづく)
──次回「本当のセイラの歌声」




