51「影のからの人生相談」
【田中家・美咲の部屋 午後10時】
配信が終わった。
今日の人生相談は「自分を出せない人へ」というテーマだった。いつもより多くのコメントが寄せられ、ブタどもが熱心に反応してくれた。
そして——リスナーの中に、あのアカウントがあった。
Shadow Guitar。
彼女は最初からずっと内容を聴いていた。
そして配信終了と同時に、私は彼女のアカウントをプライベートチャンネルへ招待する。
画面には、まだ誰もいない。ただ、静かに待つ。
1分。2分。3分——
ピロン。
チャット欄に表示される名前:『Shadow Guitar』
私は、心臓が跳ねるのを感じた。
来た。
「こんばんは、Shadow Guitarさん。昨日はDMありがとうございました」
私は画面に向かって話しかける。でも、返事はない。
ただ、チャット欄に文字が現れた。
『こんばんは』
たった五文字。でも、その五文字に何か重さがある。
「今日は人生相談したいって言ってくれたよね?だからいつものYUICAの口調で話すね」
「さて、どんなことでも聞くから、話してくれる?」
また、長い沈黙。
30秒。1分。そして、文字が一つずつ現れる。
『私は嘘つきです』
——え?
「嘘つき……?」
『はい。影で演奏してるけれど、本当の自分を隠して、みんなを騙してるんです』
『ギター以外何も取り柄ない。ギターでしか、誰とも喋れない小心者です』
文字が、次々と流れてくる。まるで堰を切ったように。
『でもYUICAは違う。弱い自分もぜんぶ曝け出して、本音をぶつけてる。すごいです』
「ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」
『お世辞じゃ無いです!MCバトルも全部みてました。心の底から感動しました。あんなに批判されても逃げずに戦って、最後に勝った』
『YUICAはすごいです。本当に尊敬してます』
『どうすれば、あなたのように生きられますか?嘘つきをやめられますか?』
——素直に。正直に生きたい。
——もう嘘つきたくない。
ああ。この人も、私と同じなんだ。
ずっと嘘をついてきた人。ずっと隠れてきた人。
「ねえShadow Guitarさん」
私は静かに言う。
「あなたの奏でる音は、嘘じゃないでしょう?」
『もちろん、自分で弾いてます』
「なら、あなたは嘘つきじゃないよ。それは嘘じゃない。影は……心の防御だよ」
『心の防御?』
チャット欄に文字が現れる。
「私も36年間、偽りの笑顔に隠れてた。本音を言えなかった。でもそれも嘘じゃない。生きるための手段だった」
『だけどYUICAは、叩かれても本音を言えてる。私はまだ、影の中に隠れてる卑怯者です』
「じゃあ聞くけど、なんで今、私に相談してるの?」
長い沈黙。
そして——
『変わりたいから』
「そうでしょ?嘘つきで卑怯な人は、変わりたいなんて思わない。あなたは変わりたいと思ってる。その時点で、もう一歩踏み出してる」
『でも、無理です。ギター以外はぜんぶ嘘だから』
「あの音が出せるだけでできるだけで十分すごいよ」
『違います。ギターしかできないんです。人と話せない。外にも出られない。友達もいない』
『——救えない陰キャで、ダメ人間です』
私は、少し強めに言う。
「それ、誰が決めたの?ダメ人間って、誰が決めたの?あなた?それとも、誰か他の人?」
沈黙。
『昔、人前でギターを弾いたことがあって、そのとき笑われました』
少しの沈黙。
『それから、顔も声も、出せなくなりました』
「Shadow Guitarさん、その人たちは、あなたの音楽を聴いてた?」
『聴いてました』
「どんな反応だった?」
『最初は、すごいって言ってくれました。でも、見た目のことを誰かが揶揄ったあとは、みんな笑いはじめて』
彼女の心の痛みを感じた私は、少し間を置いて応えた。
「あなたの音楽は、 ギターは、人を感動させる力がある。それを笑ったのは、音楽が分からない人たち。音楽を理解する人は、あなたを絶対に笑わない。今、45万人があなたのチャンネル登録してる。その45万人は、あなたの音を愛してる。それは本当でしょう」
『でも、影だから。本当の私を知ったら、がっかりするかも。笑うかもしれない』
「私もそう思ってた。怖かった。36歳の独女で、恋愛経験ゼロで、陰キャで。こんな自分を知ったら、みんながっかりするって。離れていくって」
私は深呼吸をする。
「でも違った。本音を言ったら、愛してくれた。完璧じゃない私を、もっと愛してくれた」
長い沈黙。
5分以上、返信がない。
——きつく言いすぎたかな。
そう思った時、文字が現れた。
『あの、通話で、声を出してもいいですか』
心臓が、跳ねる。
「もちろん!でも、無理しなくていいよ」
『変わりたいんです。だからYUICAと、自分の声で話したい』
「じゃあ、Discordの音声チャンネルに移動しようか。URLを送るね」
私はDiscordの招待リンクをチャット欄に貼る。
手が、震える。
——どんな声なんだろう。
動画の影から想像するに、大人っぽい。
落ち着いた声?30歳以上のベテランてみんな言ってたから——
もしかして、私と同じくらいの年齢かもしれない。
Discordの画面を開く。
そして——
ピロン。
音声チャンネルに、誰かが入ってきた。
表示される名前:『シオン』
——シオン?
Shadow Guitarじゃない。これが、本名なのかな。
沈黙。
マイクの向こうから、かすかに息遣いが聞こえる。緊張してる。
私は、優しく声をかけた。
「シオンさん、聞こえてる?」
沈黙。
そして——小さな、か細い声が聞こえてきた。
『……こん、ばん、は』
——え?
想像と、全然違う。
大人っぽい声じゃない。落ち着いた声でもない。
高くて、幼くて、震えている——まるで、小動物みたいな声。
「あ、えっと……こんばんは、シオンさんがShadow Guitarだよね?」
私は動揺を隠しながら答える。
『そう、です。……す、すみません』
シオンの声が、さらに小さくなる。
『うちの、声……変、ですよね』
——若い。たぶん20歳前後。
「ううん、全然!ただ、ちょっと……意外だったから」
『……やっぱり』
声が、さらに萎む。
『うち……影で隠れてるの、理由があって』
「理由?」
『……でも、今は言えません』
「大丈夫。無理に聞かないよ」
『……ありがとう、ございます』
長い沈黙。
そして——
『あの……YUICAさん』
「うん?」
『うち……昨日のDM、心臓が止まるくらい嬉しくて』
「そうだったんだ。ありがとう!」
『慌てて返事したけど。よく考えたら……怖くて』
声が震える。
『でも……ギターは、好きやし。YUICAを尊敬してるから……チャンスやと思って』
——ちょくちょく関西弁が出ている。もしかして関西出身なのかな。
『Vtuberなら……人前でも、もしかしたら弾ける……かもって、思って』
「うん。アバターだからね。中の人は観客には見えないよ」
『ですよね……MCバトルのYUICAさん、見てたら……羨ましく、なって』
声がさらに震える。
『アバター越しでも……魂は見えてて、本当にカッコよくて……ずっと泣いてました』
『うちも……このひとみたいになりたいって、思って』
『……YUICAと一緒なら……うちにもできるかなって』
やっぱり関西弁が混ざる。緊張すると出るのかな。
「シオンさん」
『……はい』
「私、シオンさんの演奏動画見たんだけど」
『……はい』
「すごく、心に響いた。技術も完璧だし、音色も綺麗」
『……ほんまですか』
また関西弁。
「本当。でもね、一つだけ気になったことがあって」
シオンの息遣いが止まる。
「音が……寂しかった」
『……』
「すごく綺麗なんだけど、どこか孤独で。まるで……誰とも演奏したことがない人の音みたいで」
沈黙。そして——
『……その通り、です』
『うち……ずっと、一人でした』
声が震える。
『誰とも……演奏、したことない』
『友達も……おらんし』
完全に関西弁になった。
『外も……怖くて、出られへんし』
『人と……喋るの、怖いし』
『でも……』
声が、少しだけ大きくなる。
『YUICAさんとは……話したかった。話せて嬉しい。もっと話したいです』
『うち……YUICAさんの配信、ずっと見てて』
『勇気、もらってた』
『だから……』
深呼吸の音。
『だから……声、出そう思って。もっと、本当のうちを、曝け出そうって』
私は、涙が出そうになる。
「シオン、アナタすごいよ」
『ぜんぜん……すごくない、です』
私は婆のマイクを握る。
「シオン、私と一緒に、バンド組もう。一緒に戦おう!」
『……はい。嬉しいです。こんなうちでよければ!』
『でも——いくつか条件があるんです』
「条件?——もちろん全部聞くよ」
『……あの、まずですね』
『うち、ギターソロ……弾けません』
——ソロパートこそ、ギタリストの真骨頂じゃないの?
「……え?なんで?」
『ギターソロだけは……絶対、無理なんです。ここは譲れないです』
「理由、聞いてもいい?」
『……言えません。今は、言いたくないです』
——何か事情がありそう。ソロができないギタリストってかなり問題だけど今は触れないでおこう。
「分かった。じゃあソロはなしで……他には?」
『Vtuberの3Dアバターは、じつはYUICAに憧れてから……すでに作ってて。できればそれで出演したいんです」
『あ、クオリティは問題ないです!YUICAを見せて同じレベルで依頼して作ったので』
——まさかVtuberをやろうとしてたとか?
時間もないし、今から作るよりもいいか。
「うん!それもOK」
『よかった……うちヒップホップも弾けますし。あとはYUICAさんがボーカルって条件なら大丈夫です』
——そういえば……セイラもいることを伝えてなかった。
「あ……それなんだけど私はラッパー、ボーカルは鳳凰院セイラ。そして、ギタリストがシオンさん。三人でバンドを結成するんだよ」
沈黙。長い、長い沈黙。
そして——
『え……それは無理、です』
「どうして?」
『うち……YUICAさんは大好きですけど、あの艦長って人は無理です。怖い』
「いや、セイラはすごく良い人だよ!私の親友だし——」
『わかってます。でも——あんなになんでも成功してるひとに、うちの気持ちなんて』
シオンの声が大きくなる。
『ああいう強い人って、人の痛みを知らないですよね……だから怖いんです』
『また……傷つけられるんじゃないかって』
「シオン。それは違う」
『え……』
震える声。
「セイラは強くなんて無い。あの人は、私以上に繊細で、孤独で——必死に生きてる」
『そう……なんですか……』
——シオンがここまで人を怖がるのには何かがある。でも、今は聞けない。
「ねえシオン。私からもお願いがある」
私は、声のトーンを落とし、優しく語りかける。
『はい』
「私と一緒に、もう一人のメンバー、鳳凰院セイラにも会ってほしいんだ」
シオンの呼吸が、止まる。
『……セイラさん、にも?直接ですか?』
「うん。三人でバンドを組むんだから、結局顔を合わすことになる。最終判断は会ってから決めて欲しい」
『でも……』
「変わりたいんでしょ?それは本当なんだよね」
長い沈黙。
そして——
『……正直に、言っても、いいですか』
「もちろん」
『うち……YUICAさんは、大好きです。今すぐにでも会いたい』
「ありがとう」
『でも……鳳凰院セイラは、嫌いです』
——え?
「……嫌い?」
『はい』
はっきりとした口調。
『あの人……うちと真逆やから』
「真逆?」
『華やかで、明るくて、自信に満ちてて』
『うちみたいな陰キャとは……合わへんと思う。たぶん』
「シオン……」
『それに……あの人、実際にうちをみたら、笑うと思う』
『影に隠れた臆病者の嘘つきやって……』
声が震えている。
私は、深呼吸する。
「シオン、ひとつ聞いていい?」
『……はい』
「さっき、YUICAみたいになりたいって言ってくれたよね?」
『……はい』
「じゃあ、聞くけど——私がどうやって今の私になれたと思う?」
『……え?』
「私も、最初は全部怖かった。配信も、セイラのことも、MCバトルも、全部」
『……』
「でも、乗り越えることができた。なぜだか分かる?」
『……なんで、ですか』
「その怖さと、向き合ったからだよ」
シオンの息遣いが、止まる。
「そうやって、少しずつ変われた」
『……』
「シオンが、私みたいになりたいなら」
「セイラと会わないと。怖くても、苦手でも」
「恐怖と向き合わないと——変われないよ」
長い、長い沈黙。
30秒。1分。2分——
そして——
『……わかり、ました』
「え?」
『会います……鳳凰院セイラさんにも』
震える声。
『でも……外ではなく。うちの家に来てもらえますか?』
「え?自宅に?」
『YUICAさんに……その、本当のうちを、見てもらいたいです』
「本当の……?」
『はい』
深呼吸の音。
『うち……YUICAさんの前なら、隠れるの、やめます』
『だから……二人で一緒に、会いに来てほしいです』
私の心臓が、激しく打つ。
『そこで……全部、話します』
「シオン……わかった」
『……ありがとう、ございます』
そして、シオンがチャット欄に住所を貼る。
私は、その住所を見て——息を呑んだ。
名前は、風真志音。
渋谷区松濤——。
——松濤?
東京屈指の高級住宅街。芸能人や実業家が住むエリア。
『あの……YUICAさん?』
「あ、ごめん。大丈夫、セイラと相談してスケジュールを調整するね!」
『……はい』
『じゃあ……連絡、待ってます』
「うん。会えるのを楽しみにしてる」
『……うち、も』
Discordの接続が切れる音。
私は画面を見つめたまま——呟いた。
私は住所をもう一度見る。
「松濤……か」
——あの子、いったい何者なんだろう。
風真志音……。
Shadow Guitar 45万人登録のギタリスト。
でもギターソロが弾けず、影に隠れる臆病な人物。
年齢はかなり若いのに、松濤に住んでいる。
そして——
何かを隠している、人を恐れている。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
ゆいが部屋に入ってきた。
「うん。でも……」
「でも?」
「きっと、この子も——」
私は婆のマイクを握りしめる。
「大事な何かを、失ったんだと思う」
——Shadow Guitar……シオン。
新しい仲間になるかもしれない人に、私たちは直接会いに行く。
彼女は、どんな顔をしているんだろう。
どんな部屋で、どんな想いでギターを弾いているんだろう。
それは——会えば、分かる。全て。
私は、セイラに連絡をとった。
『天才ギタリストを見つけた。一緒に会いに行こう』
(つづく)
──次回「シオンに隠された真実」




