45「継ぐ者たちの選択」
【YUICAバックヤード】
ノックの音がした。
ゆいがドアを開けると——ミスティが立っていた。
でも、あの冷たい表情はない。むしろ、少し照れたような——人間らしい顔をしていた。
「また……来ちゃったよ」
その一言が、すべてを物語っていた。
「ミスティ……」
「決勝の前に、どうしても話したいことがあって」
私は頷いて、バックヤードの椅子を勧めた。ゆいが静かに席を外す。
二人きりになった空間は、不思議と温かかった。
「ボクが、17歳の時だった——」
ミスティが婆のマイクを見つめながら話し始めた。
「今は……MCなんてやってるけど、最初はこんな世界とは無縁だったんだ」
そう言ってミスティが私の方を見つめる。
——あなたもそうなんでしょ。
その瞳は、そう語りかけているように見えた。
私は、静かにうなづいた。
ミスティは続ける。
「これ自慢ぽく聞こえるかもだけど、まったくそうじゃなくて……」
「ボクの家は、父も祖父も東大卒でさ……勉強なんて出来て当然って空気だった。そんな家だから——母も絵に描いたような厳格な教育ママだったよ」
前置きも含めて、ミスティの能力や性格からも、その過去には納得感があった。
だから私はそのまま、静かに聞くことにした。
「3歳からピアノ。4歳から英語。小学生で塾が3つ……中学受験、高校受験、すべて第一志望……それが当然。褒められもしない」
ミスティの声が、淡々としている。
私は静かに耳を傾けながら、心の奥にうっすらと広がる既視感に気づいていた。
——私も、似たような幼少期だったかもしれない。
本音や不安を優等生の仮面で隠しながら、挫折が怖くてひたすら何かを捨ててたあの頃。
学校で、いじめられていことすらも、親に言うことが出来なかった。
だからこそ、ミスティの言葉が、痛いくらい胸に刺さる。
「完璧なレールを走るのが私の役目。逸脱は決して許されない。まるで無言の圧力。無形の戒め」
「95点を取れば『なぜ100点じゃないの』。100点を取れば『次も』」
「……そっか。……大変だったんだね」
「まあね……そんなふうにボクは、家族の求める完璧な子供だった。なのに、褒められることは、一度もなかったよ」
沈黙が落ちる。
「でもね、今は理解してる。母も、そうやって育てられたんだろうって。無言のプレッシャーを背負い続けてたんだって」
「この家系では——そうならざるを得なかったんだってね」
ミスティが、小さく笑った。
「でも、ボクは少しずつ疑問を感じるようになっていた」
「まるで——完璧なレールを走るマシンに育てられているようで。ボクの心はどこにあるんだって」
「次第に、心の奥に反発のマグマを感じるようになった」
「『これは、本当にボクの望む人生なのか』って悩み始めた」
ミスティの拳が震える。
「でも——結局、表面上は……聞き分けの良い完璧なロボットを演じてたと思う」
「母の期待通りに動いて、父の理想通りに振る舞って、祖父の誇りになるように生きた」
「ボクの本心?感情……?そんなもの、邪魔だと思った。吐き出す場所すらなかったしね」
私は、胸が苦しくなる。
「高校2年の夏。模試で東大進学が適正って結果が出た日……母はほっとして喜んでた。でも父は『当然だ』と言った」
「でもね、その時のボクは——何も感じなかった。ただ事実として受け入れた」
「嬉しくもなく、感動もなかった。ただ——空っぽだった」
ミスティの声が、初めて震えた。
「その夜、部屋で一人、泣いた。でも、涙の理由すら分からなかった」
——沈黙。
「その時だよ、偶然YouTubeで婆を見つけたんだ」
ミスティの目に、光が宿る。
「『MC婆、伝説の一戦』っていうバトル動画」
「再生ボタンを押した瞬間——世界が変わった」
ミスティが、マイクを握りしめる。
「その時の婆は——ボロボロだった。婆とは思えないくらい韻も外してた。リズムも崩れてた。技術的には、出来は最低だったとおもう」
「でも——観客全員が泣いてたよ。逆にボクは涙が止まっていた」
「その時の婆のリリックの1小説を今も覚えてる」
「『完璧じゃなくていい』『不完全さこそが、美しい』」
ミスティの目から、涙が溢れる。
「——生まれて初めて、心が動いた。救われた気がしたんだ」
「17年間、凍りついていた何かが、溶け始めた」
「ボクは、その動画を何百回も見た。そして——決めたんだ」
「MCを始めようって。完璧じゃない言葉で、自分を、そして誰かを救えるようになろうって」
「そして、三年間必死に修行して……二十歳になった時、スナック韻に出向いて、婆に弟子入りを志願したんだ……」
私は、ミスティの横顔を見つめていた。
「でも——笑えるでしょ。結局、ボクは婆に拒否されて、そのあとは……完璧を求めてしまった……死神って呼ばれる今に至った」
ミスティが自嘲的に笑う。
「韻も、リズムも、フロウも。すべてを完璧にして……勝ち続けたけど。……心は空っぽだったよ」
「17年間刷り込まれた『完璧主義』は、そう簡単には消えなかった。いや……これじゃ他責だよね……結局ボクは」
「婆の『心』を。優しさを理解できずに。反抗してたんだ……子供みたいに」
ミスティが私を見る。
「でも、YUICA……アンタが婆の意思を、そのマイクを継いだこと。今は納得してるんだ」
「そしてもう一度思い出させてくれた。完璧じゃない揺らぎや震えから出てくる言葉こそが、婆が言ってた『強さ』だったんだって」
「YUICA……。出来れば……いや、必ず勝って欲しい。婆の選択が正しかったって『証明』するために」
「少なくとも、ボクは救われたよ」
その時ミスティが、初めて本当に、心の底から笑った気がした。
「そのマイク——ちょっと触っていい?」
「え?……うん……いいよ」
ミスティがマイクに触れる。その手が、震えていた。
「婆は——ボクのヒーローだった。ずっと、ずっと」
「今も、これからもそれは、変わらない」
その時だった。ブースのドアが音を立てて勢いよく開き、ゆいが飛び込んできた。
「お姉ちゃん!大変!」
ブースに戻ってきたゆいの声は、震えていた。
「婆さんが……危篤だって」
その時、世界が止まった。
時計を見る。決勝まで——あと30分。
病院までは、会場からタクシーを飛ばせば15分の距離だ。
——今すぐ行けば、間に合う……かもしれない。
でも決勝までには確実に帰ってこれない。
私は立ち上がろうとして——動けなかった。
——今すぐ行けば、最後に婆に会える。
——「ありがとう」が言える
——でも
——決勝戦を棄権することになる。
——12万人が見ている
——婆が託したマイクは……受け継いだ火は病室じゃくて、ここにある。
——私は、どうすればいいの。何を選べば。
その時、ノックの音が響いた。
ゆいが扉を開けると——MC CODAMAが立っていた。
「……失礼」
MC CODAMA……婆を師匠と崇める言葉の魔術師、天才MC。
なにより、私をこの世界へ誘い込んだ張本人。
そして——『決勝の相手』だ。
彼が、なぜここに。
「決勝前に、直接会うのは気が引けたんだが……」
CODAMAが自身のマイクを握りしめる。
「婆が危篤だって聞いて、居ても立っても居られなくて来てしまった」
私は、CODAMAをバックヤードに招き入れた。
ライブ会場では遠かったから、この人と直接、田中美咲で対面するのは初めてだ。
「決勝戦……何があろうと、俺たちはここで戦うべきだ」
CODAMAの表情はいつになく真剣だった。
「でも、私は婆にきちんとお礼も言えてない。大恩人なのに……無視して戦えるわけない」
「俺も——俺にも大恩人なんだよ。……婆に命を救われた一人だからね」
CODAMAが眼鏡を外して、目を閉じる。
「8年前。俺は大手商社で働いてた」
「でもオタクで、陰気で、引っ込み思案で——思ってることを言えない人間だった」
私は、じっと聞く。その境遇が、あまりにも自分とそっくりで驚いていた。
「ある大型プロジェクトで、俺は危険な兆候に気づいてた」
「このまま進めたら、絶対に失敗する」
「でも——うまく伝えられるか不安で、上司に嫌われるんじゃないかって怖くて」
「結局——放置した」
CODAMAの拳が震える。
コダマの言葉の一つ一つが、どこか過去を引きずるように重く落ちる。
隣に立つゆいの手が、私の袖をそっと握っていた。
彼女も、何かを感じているのだろう。
——この人の痛みは、私たちの過去とどこかで繋がっている。
「数ヶ月後、プロジェクトは大炎上。数億円の損失」
「全責任を俺が負わされた。降格処分」
「上司に怒鳴られた。『お前が早く言えば防げたのに』って」
「その通りだったから……なにも反論できなかった」
沈黙。
「もう、死ぬしかないって思った」
「首をくくれば、少しは同情されるんじゃないか」
「せめて、そうすれば、誰かに許されるんじゃないかって……もう限界だったよ」
私は、胸が苦しくなった。
「半分、酒に溺れて。もう死んでもいいやって気分で」
「何も考えずに——偶然、スナック韻に入った」
CODAMAが遠くを見る。
「そこで、見たんだ。婆と客のバトルを」
「婆は——叫んでた」
「マイクを持てば 無言は"死"だ
涙で濡らした韻こそ 本物の証
勝ち負けじゃねぇ "生き様"を刻め
魂が燃える限り 人は負けねぇ」
CODAMAが拳を握る。
「その瞬間——衝撃を受けたよ」
「こんなふうに言葉を武器にする方法があるんだって……痛みすら力に変えられるんだってね」
私はミスティの方をちらりと見る。
彼女もまた、CODAMAの言葉に、何か思い当たるものがあるようだった。
静かにうつむきながらも、握った拳には熱が宿っていた。
ここにいる私たちは、紛れもなく、MC婆の弟子なんだ。
そう……婆に救われた子供達。
「だから俺はその日、黙って死ぬんじゃなくて——言葉で生きる方法を『選んだ』んだ」
「俺はたしかに変わった。何度も、何度も、スナック韻に通って言葉を磨いた」
「自宅でも毎日、リズムキープしながら、ノートに何百冊も韻とリリックを綴った」
「それから、……会社でも、心にマイクを握ることで、思ったことを言えるようになった」
「婆は——俺の命の恩人だ……言いたいことも伝えたいことも、山ほどあるんだよ」
CODAMAが、私の持つ婆のマイクを見つめる。
「だから——あの人が俺に教えてくれたことを、俺は絶対に無駄にしない」
「たとえ、最期に会えなくても……あの人の炎を、ステージから消さない」
「それが——俺の『選んだ』道で——覚悟だから」
CODAMAが私を見る。
「YUICA。あんたも同じだろ?」
「36歳、独女、陰キャでVtuberで……偽物とよばれて生きてきた」
「言いたいことを言えなくて、ずっと自分を押し殺してきたんじゃないのか?」
「でも——」
「でも?——選んだんだろ?……そのマイクを継ぐことを」
CODAMAが私の目の前まで歩み寄る。
そして真剣な目で、私の持つ婆のマイクを握る。
「あんたが受け継いだ炎って——そんなもんだったのか?」
「覚悟は出来てたはずだろ——あの人から、それを受け取った瞬間から」
「マイクを持てば 無言は"死"だ 」
そう言うと、CODAMAは背を向けてブースのドアに手をかける。
「もちろん今から病院に行って、最期に『ありがとう』を言う。それも一つの選択だ」
「でも——舞台に立って、最後の景色をそのマイクに見せる。
「それが、本当の『ありがとう』じゃないのか?」
私は——答えられなかった。
わかってる、彼の言ってることは全部わかってるんだ。
わかってるけど——心が追いつかない。
「YUICA。最終的に君が何を選ぼうとも、俺はここで戦う。たとえ一人残っても、最後まで」
そう言うと、CODAMAは静かにドアを開けブースから出て行った。
沈黙。
その言葉が、胸に突き刺さる。
「YUICA……ボクが行くよ」
ミスティが私の前に立った。
「え?」
「ボクが婆に会いに行く。だからYUICAは残って、決勝を戦って欲しい」
ミスティが微笑む——それは初めて見る感じの笑顔だった。
「このマイクと頂点に立つのが、使命なんでしょ」
「だから——アンタの言葉は、ボクが婆に伝えてくる」
「婆の言葉は、YUICAが伝えてくれたって。そして救われたって」
私は——震えていた。
——これでいいの?
——婆に会わないまま?
——もう二度と会えないかもしれないのに?
——その時、婆と交わした言葉が蘇る。
「偽物なんて言葉……実力でぶっ潰してやれ」
マイクを握りしめる。
「……ミスティ。婆をよろしく」
「うん、任せて。十年分の愚痴も聞いてもらうから。簡単に逝かせないから」
「婆に——伝えて。私の覚悟を」
涙が溢れる。でも、声は震えない。
ミスティが頷く。
「うん。でも……もう伝わってるよ」
そして、走り去った。
「ゆい。決勝戦の準備をしよう」
「うん」
「私が、必ず、CODAMAを倒す。そしてその先の景色を——」
私は再び婆のマイクを握る。
「——見せてあげるんだ」
再び会場に歓声が戻ってくる。
配信画面も12万人のメッセージで騒がしくなる。
——婆さん。ありがとう。
私は弱いから、結局、後悔するかもしれない。
でも、もう迷わない。
これが、私の選択。
これが、あなたの炎を——継ぐということ。
【MCバトル・決勝戦のステージ】
決勝開始1分前。
——ミスティは間に合ったのかな。
——婆は、どうなったのだろう。
今、ゆいに聞けば分かるかもしれない。
でも——もうゆいの方は見ない。
——今、どんな結果を知っても、
何かが、崩れてしまう。
婆を意識しないようにと、婆のマイクを握る手に力を込める。
——なんて矛盾した行動。
——でも婆さん。もし、まだそこにいるなら。
——見ていてください。
——あなたが信じて託した、私の炎を。
司会の声が響く。
「さあ、お待たせしました!
決勝戦!MC CODAMA —— VS —— YUICA!!」
今までで一番大きな歓声がステージに響き渡る。
ライトが交差し、重低音がフロアを揺らす。
スクリーンにはコメントが爆発していた。
『YUICA、見せてくれ!』
『陰キャとオタクの対決かよ!』
『偽物なんかじゃない、本物を証明しろ』
私は——再びマイクを握りしめる。
その瞬間、CODAMAと目が合った。
戦いの舞台に立つ者の瞳だった。
でも、その奥に、どこか哀しみのようなものが見えた。
「YUICA——君がここに立つって、俺は信じてたよ。ライブで会ったあの日から」
彼が口を開く。
「最後はそのマイクと言葉で、俺を——止めてみせろ」
「言っとくけど俺は……師匠に何度も勝ってる」
——あんた、今そこで、それ言う?
婆さんよりも、自分が上だとでも言いたいの?
「つまり俺のライムは、MC婆よりも——君よりも遥かに強いってことだ」
——その言葉に、私は息を呑んだ。
婆さんより強いって……どの口が言ってんのよ。
その言葉……放ったからには、兄弟子であろうと容赦しない。
私の120%で——ぶちかます。
照明が落ち、マイクのLEDが、静かに赤く染まる。
ステージは、静寂に包まれる。
そして——
最初の8小節を刻む、ビートが鳴り始めた。
決勝戦、開幕。
(つづく)
——次回「言葉の魔術師をねじ伏せろ」
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ミスティの「十年分の愚痴も聞いてもらうから」
このセリフ、気に入ってます。
44話は「選択」の話でした。
どちらを選んでも後悔する。
でも、選ばなければならない。
美咲が婆に会いに行かず、ステージを選んだ理由。
それは「継ぐ」ということの本当の意味。
さて、次回はついに決勝戦です。
ここまでの展開で、
「え、Vtuber小説でMCバトル?」
「人生相談どこ行った?」
「ついていけない…」
そう思った方、正直でいてください(笑)
ボクも書きながら「これ、大丈夫か?」って
メタ視点では何度も思いましたから。
実は企画段階で書評AIに相談したら
「98%の確率で失敗する。絶対反対」
「順調に読者が増えてるのにやる理由がない」
「リスクに成果が釣り合わない」
って全力で止められました。
でも——
YUICAが「偽物」と呼ばれても戦うように、
ボクも「前例がない」からこそ挑みたかった。
そして三章を描くためにどうしても必要だった。
ラップと人生相談。
MCバトルと存在証明。
この融合は、正直、地獄でした(笑)
韻を踏みながら哲学を語る。
ビートに乗せながら感動を生む。
それを文字でやる。マゾか。
何度書き直したか分かりません。
でも、ここまでついてきてくれた皆様のおかげで、
諦めずに書き続けられました。
次回、全てをぶちかます。
決勝戦のラップバトル。
CODAMAとYUICAの全力魂のぶつかり合い。
本物のラッパーが読んでも唸る、本気のバトルを。
脳みそが焼き切れても、書ききります。
革命は、まだ終わらない。




