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43「氷の刃と怒りの火」


【ライブハウスCYPHER・メインステージ】

 

『準決勝!MC Misty versus YUICA』


 透過スクリーンに映し出されるピンク髪のVtuber、YUICA。

 その対面に立つ、銀髪ショートのクール美女——MC Misty。

 

 ミスティの唇が、わずかに動いた。


 そして——


 ビートの一拍目。完璧なタイミングで、ミスティの声が響く。


「10年待った——これが、ボクの答えだ」


 その一言で、会場の空気が一変した。



 その瞬間、ミスティの脳裏に、過去の記憶がフラッシュバックしていた。 


 ——10年前。


 あの日のボクは、まだ笑えた。


 スナック韻のカウンターで、婆を待っていた。

 手には、自分の全てを詰め込んだバトル映像。


「婆さん」


 ボクは——緊張で声が震えていた。


「ボクを、正式な弟子にしてください」


 婆は映像を見た。20分間、一言も喋らずに。


 そして——


「上手いな」


 婆が言った。

 ボクの心臓が、跳ねた。


「でも、弟子にはしない」


 ——世界が、止まった。


「なぜ、ですか……ボクは婆さんの夢を継ぎたいんです!女でMCのトップに立ちたいんです」


「……お前のラップは、感情が強すぎる」


 婆が煙草に火をつける。


「だから……向いてない」


 わからなかった。


 何が足りないのか。何が間違っているのか。


「強さを求め過ぎるな。それがいつか——お前を孤独にする」


 それが——婆の最後の言葉。


 でもボクは諦めなかった——逆に、もっと強くなった。


 

 婆を見返すために。

 認めさせるために。


 

 だけど——婆が選んだのは——


 

 ミスティが目の前に映る、YUICAを見つめる。


 

 ——ふざけるな。



 2000人の観客。配信を見る12万人超の視聴者。そのすべての視線が、二人のMCに注がれている。


 

 そして今——


 ビートが変わった。


 重く、冷たく、まるで氷河を思わせる音。ドラムの一打一打が、観客の心臓を直接叩くような圧迫感。ベースラインは低く唸り、会場全体を支配する。



 私は婆さんのマイクを握りしめる。手のひらに、じっとりと汗が滲む。


 

【ミスティ1バース目・16小節】


 ビートに乗せて、ミスティのラップが始まる。


「10年前 婆に拒まれた あの日の"敗北"

 "向いてない"その一言で ボクの心は"閉口"

 それでも這い上がった 技術で"勝負"

 毎晩"練習" 韻踏んで フロウ変えて "猛勉強"」


「感情殺して ビートに乗った "冷徹"な"戦術"

 98勝9敗 この数字が示す ボクの"結実"

 でも婆さんは振り向かない ボクを"無視"

 なのにアンタが継ぐ? そのマイクを? "不服"」



 ——完璧だった。


 リズムキープは一切の乱れなし。まるでメトロノームのような正確さ。

 

「36歳Vtuber 配信で"人気"

 技術もキャリアもない ただ数字で"勝負"

 "弱さが武器"? その手はもう使えないぜ

 ボクが先に"封殺" 自虐は通用しねぇ これが"戦略"さ」


「MCバトルは"心理戦" "先制"の読み合い

 アンタの武器 先に潰した これが本物の"駆け引き"

 10年の"孤独" その"重圧" アンタにゃわからない

 ボクこそが"正統" それを今から証明する "本物"だ」

 

 すごい……。

 

 「敗北/閉口/勝負/猛勉強」——「ぼく/こう」の母音韻が会場に響き渡る。

 「冷徹/戦術/結実/無視/不服」——「つ/く」の内部韻が耳を捉える。


 韻の深さは最低3音節。母音の一致が美しく響く。

 

 そしてフロウは——同一バース内で既に4回も変化している。

 静かな語りから、徐々に熱を帯び、そして冷たく突き放し、最後は鋭く刺す。


 会場も、完璧な氷の嵐を見て、息を呑むように静まり返っている。


 これが、98勝9敗の実力。

 これが、「死神」と呼ばれる理由。


 凍りついた体に、一瞬で体温が戻ってきたかのように。

 沈黙していた観客の歓声が戻ってくる。

  

「うおおおおお!」

「ミスティ!」

「完璧すぎる……」

「多重韻やばい」

「YUICAの自虐を先に封じた!」


 配信のコメントも爆発する。


『技術が違いすぎる』

『これは戦略的だ』

『YUICAどうする?』

『武器を封じられた』

『いきなり勝負ありか』


【スナック韻】


 KENが、煙草を強く灰皿に押し付けた。


「……まずいな」


 その声は、誰にも聞こえないほど小さかった。


「いきなりYUICAの武器がひとつ折られた……自虐を封じられたら、技術で真っ向勝負になる」


 RIZEが唇を噛む。


「さすが死神……」

 

  

【聖マリア病院・婆の病室】


 婆が、ベッドで身を起こそうとして、力なく倒れ込む。


「ミスティ……」


 その声は、痛みに満ちていた。

 婆の目から、涙が一筋流れる。



【YUICAブース】


 私は——マイクを握る手が、震えていた。


 恐怖じゃない。あの人の言葉が、痛かったから。


 10年。10年間、婆さんに認められるために戦ってきた人。その痛みが、ラップから伝わってくる。


 でも——


 私は深く息を吸った。


 技術では、明らかに負けている。でも——私には、ミスティにないものがある。


 婆さんのマイクが、手のひらに重さを伝える。


 私のラップが始まる。


【YUICA1バース目・16小節】


(深呼吸)


 そして——ビートの一拍目に合わせて、私は声を出した。


「Yeah 10年の技術 それは"本物" 認める "完璧"

 私には真似できない その"リズム" "フロウ" 全部が"的確"

 でも封じたのは私の"表面" ただの"戦術"

 本当の武器はこれから 見せる 私の"本質"」


「正統性? アンタが語るなら 私も"語録"

 婆さんが選んだ理由 技術じゃなくて "魂の角度"

 36年間の"孤独" 130万人に支えられた"軌跡"

 人の"痛み"がわかる それが後継者の"意義"」


 会場が、わずかにざわつく。

 ミスティの表情が——ほんの少しだけ、揺れた。


「Vtuberの皮? これが私の"戦場" 間違いない

 画面の向こうで毎日戦ってきた それが"リアル"

 アンタは10年 ステージで"孤独"に積み上げた

 私は36年 見えない世界で "負け"続けながら這い上がった」


「正統性ってのは 技術だけで測れるもんじゃない

 婆さんが見てたのは "魂の重さ" それが"真実"

 アンタの10年も本物 私の36年も"実績"

 ただ道が違った でも どっちも正統 それが"事実"さ」


 ——技術では勝てないけど、即興と感情でカバーできたはず。


「……おお」

「即興で陰も返してきた」

「正統性のテーマで対抗してる」

「でもまだミスティ優勢だったか」

「技術差はあったが感情はYUICAか」



【審査員席】


 審査員たちが、静かにカードを掲げる。


 審査員A「ミスティ。技術と戦略が上」


 審査員B「ミスティ。多重韻が見事だった」


 審査員C「迷ったが……ミスティ。でもYUICAも良かった」


 1バース目:ミスティ 3-0 YUICA


 これが準決勝ルールの怖さか——わずかな差でも、完全な敗北になるんだ。



「Yhaaaaaa!さすが死神だ!」

「いいぞ!そのまま地獄に送れ!」

「YUICAも良かったぞ!」

「どっちもすげえ!でもミスティが上だ」

「うぉぉぉぉ!レベルたけぇ!!」


 

 そして、コメント欄も荒れ始める。

 

『YUICAもうまく戦ってたのに』

『36年の重みは効いてたけど』

『YUICAが……ゼロはおかしいだろ?』

『でもまあ、そういうルールだからな』

『これはミスティに有利だな』

『このまま押し切られるか……』


【スナック韻】


 KENが、煙草に火をつける。


「負けは予想できたが、フルマークはまずいな」

 

 そんな空気を振り払うようにカズが拳を掲げる。

 

「大丈夫だ!YUICAなら最後でひっくり返せるさ」


「いや、それはむずかしい」KENが首を振る。


「1バース毎に審査員三人が評価する準決勝は……1、2バースで合計6点。3バースは3点+勝利加点2で合計5点、トータル11点を奪い合うバトルだ」

「つまり、6点以上リードされた時点で、ラストフルマークでも逆転は不可能ってことになる」 

 

 それを聞いたカズが額に汗を流す。


「ボクシングみたいだな……瞬間的な感情より、確実にポイントをとったほうが有利なのか」


「ってことは……ミスティは最悪の相手じゃねえか」


 RIZEが画面を見つめる。


「次のバースが勝負だね。フルマーク取られたら負けが確定だ」


 TAKESHIが呟く。


「ミスティは次で完全に潰しに来る。YUICAが耐えられるかどうか……」


 

【司会】


「それでは、2バース目!先攻はミスティ!」


 会場が、息を呑む。


 ミスティが——さらに鋭い目でYUICAを見据える。


 その目には、完全な確信がある。


【ミスティ2バース目・16小節】


 2バース目のビートが始まる。


 そして——


「"どっちも正統"? 甘いこと言うなよ "真面目"に

 正統ってのは"結果" "数字" "実績" それで"計測"

 98勝9敗 この戦績がボクの"証明"

 アンタの130万人? それは"人気" 実力じゃねぇ "迷信"」


「"36年戦った"? 配信で"媚び"売ってただろ

 "おはブヒ"だの何だの ブタに囲まれて "依存"

 それが戦い? 笑わせんな ただの"営業" "演技"

 本物の戦場はここ 血を流す場所 わかってんのか "本気"」


「アンタは選ばれて 安心してんだろ "正直"

 "婆さんが選んだから正しい" そう"盲信"

 でもな 婆さんも人間 間違えることもある "当然"

 アンタを選んだこと それが最大の"判断" "ミス"さ」


「見えてるぜ アンタの中の"迷い" 全部 "不安"

 "本当に私でいいのか" 毎晩問いかけてる "葛藤"

 そうだよ アンタじゃダメなんだ 薄々気づいてる "真相"

 技術もない キャリアもない 36歳が何ができる? "幻想"」


 ——これも完璧すぎた。


 韻の精度、フロウの変化、心理攻撃の的確さ。すべてが非の打ち所がない。


 「真面目/計測/証明/迷信」——「い/ん」の母音韻が鋭く刺さる。

 「媚び/依存/営業/演技/本気」——「き/ん」の内部韻が畳みかける。

 「迷い/不安/葛藤/真相/幻想」——心理攻撃の音響連鎖が私の心を抉る。

 

 直後、会場が、爆発する。


「完璧すぎる.……!」

「これは…もう……」

「心理を完全に読んでる!」

「YUICAの弱点を全部突いてる!」

「勝負あったな」


 配信のコメントが、埋め尽くされる。


『これは無理だろ』

『完璧すぎる』

『YUICAどうする……』

『技術も心理攻撃も完璧』

『もう勝てないだろ』

『お嬢様……』

『頑張れ……でも厳しい』



 ミスティの技術は完璧だ。

 でも——私にはその完璧なリリックの裏に、別の感情が聞こえた。

 

(ボクは……ずっと、ここで待ってたんだよ。婆さんが、見てくれるのを)

 

 そんな、彼女の悲しみの本音が。

 

 

【聖マリア病院・婆の病室】


 婆が、モニターを見つめている。


 その目には、複雑な想いが浮かんでいる。


「ミスティ……お前の技術は……本物だ」


 婆が小さく笑う。


「でも……お前、まだ気づいてない」


 婆の声が、震える。


「あたいがYUICAを……選んだ理由(わけ)を」



【YUICAブース】


 私は——震えていた。


 その通りだ。


 私は毎晩、迷っている。「本当に私でいいのか」って。

 技術もない。キャリアもない。36歳で何ができる?


 ミスティの言葉が——すべて、真実だから。


 痛い。痛すぎる。


 会場の空気が、完全にミスティに傾いている。


 配信のコメントも、諦めの色が濃くなっている。


『お嬢様...頑張った』

『でも無理だ』

『技術が違いすぎる』

『これは...仕方ない』


 私は、婆さんのマイクを見つめる。

 このマイクを、継ぐ資格が——本当に、私にあるのか?


 その時——


「お姉ちゃん」


 ゆいの声が、インカムから響く。


 優しく、でも確かに。


「その迷いや不安こそが、お姉ちゃんの強さなんだよ」


 ——え?


 私の目に、涙が滲む。


「完璧じゃないから、人が近づける」

「不完全だから、温かい」

「そうだ……それが——私の武器」


 私は——


 マイクを、握りしめた。


 私は不完全だ。でも——


 会場が、私の番を待っている。

 観客の視線。配信の12万人。


 ほとんどが「もうYUICAは負ける」と思っているかもしれない。


 でも——”ブタども”

 私の価値を信じてる人たちがいる。


 まだ私には、彼女に……ミスティに伝えたいことがある。


 あなたの痛みが——見えるから。


 私は深く、息を吸った。


 婆さんのマイクが、手のひらに熱を伝える。


 画面が暗転する。


 ミスティの完璧なラップの残響が、まだ耳に残っている。

 

 ビートが、鳴り始める。


 私の番だ。会場が、静まり返る。


 どうせ負ける?技術に差がある?相手は死神?


 でも——私は諦めない。


 何も伝えられないまま、負けたくない!


 私は、マイクを口元に近づけた。


「——このまま終わると思うな!ミスティ!」

 

「革命ってのは——絶望から生まれるんだよ」



(つづく)

 


 次回——「絶望から、革命は始まる」



 

リリックを確かめるためにつくった音源です。

人間の本物のラッパーには遠く及びませんし、理想どおりにはいかないのですが、MCバトルの様子が少し想像できるのではないかと思います。



【準決勝】氷の嵐【MC Misty]

https://youtu.be/o7csgDbkMYc


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