42「選ばれなかった死神」
【ライブハウスCYPHER・メインステージ】
二回戦。
対戦相手は、MC ライム談士——強面ラッパー。
クラッシュのような勢いはないが、容赦ないディスと経験値で相手を追い込むスタイル。
私は一回戦の疲労が残る体でマイクを握りしめ互角のバトルを展開。
ついに最期の3バース目に入っていた。
【YUICA 3バース目】
「ババア、独女、三流、偽物、色モン、全部持ってけよ。
私に残ったのは、このマイクと、130万のブタだけだ。
でもそれで足りんだよ。
いや、それ“だけ”があったから——
私は今日、ここで立ってる。
震えてでも、“あんたに届く言葉”を持ってきた。
……だから喰らえよ、この一行。
『私は失敗作——でもそれを韻で愛せる人間だ』
お前の完璧なラインなんかより、
この不完全な私の“真実”のほうが、重いんだよ!!」
【ライム談士 ラストバース】
ビートが続くなか、彼は沈黙し続ける。
そして突然、ライム談士が頭を掻きながらマイクを下げた。
「……やられた。お前の勝ちだ」
判定が出るまでもなく、ライム談士が負けを認める。
観客、静かに立ち上がる——そして総立ちの歓声になった。
「うおおおお!!」
「自分で全部言いやがった!!」
「あの談士折れた?!」
「おいおい、エミネムかよ!!」
「これはやべぇ!」
『完璧な自虐返し』
『ディスが全部無効化された』
『お嬢様天才か』
『すげえ、もうマグレじゃね』
『底辺の星やで』
【ライブハウスCYPHER・YUICAブース】
二回戦も勝利した私は——まだ、震えていた。
透明パネルの向こう、会場はまだ興奮の渦の中にあった。
「YUICA!YUICA!」
その声が、ブースの壁を貫いて届く。
やがてステージのYUICAが消え、二回戦が終了した。
「お姉ちゃん!!!」
ゆいが飛び込んできて、私に抱きつく。
「すごかった!本当に、すごかった!!」
ゆいの声が震えている。
「自虐で相手の武器を封じた戦略……完璧だった!会場全体が沸いてたよ!配信のコメントも爆発してる!」
私はゆいを抱きしめ返した。
そして——ようやく、涙が溢れた。
「ゆい……私……やれたよ」
「うん、知ってる。やっぱりお姉ちゃんは最高だよ」
姉妹で、しばらく抱き合っていた。
外からは、まだ歓声が聞こえている。
私は婆さんのマイクを見つめた。
黒と銀の、重い相棒。
「婆さん……見ててくれましたか?」
マイクは、何も答えない。
でも——確かに、この重みが私を支えてくれた。
ゆいがスマホを取り出す。
「お姉ちゃん、見て!Xのトレンド!」
画面には——
「#YUICA革命」
トレンド1位。
私の名前が、日本中に拡散されている。
『まさか二回戦も勝つとは』
『ちょっとエミネムっぽかった』
『これは本物だわ』
『Vtuberの概念が変わった』
『お嬢様、マジで泣いた』
『ブタども大勝利』
でも——アンチの声も混じっている。
『二回戦は相性が良かっただけだ』
『次で化けの皮が剥がれる』
『所詮は色物じゃん』
『あんま調子乗んな』
まだまだ賛否両論がある。
それでも——確実に、私を認める声は増えている。
「また一歩、夢に近づいたね……」
私は呆然とスマホを見つめた。
「そうだよ……YUICAの革命は本物だよ」
ゆいが嬉しそうに笑う。
この大会には16人が出場している。
二回戦突破でベスト4に入った事になる。
つまり次は準決勝。頂点に立つまでには、あと2人のプロに勝たなければならない。
——クラッシュには油断があった。
二回戦のライム談士は、強烈なディスで相手を追い込むのが得意なラッパー。だからこそ私が得意なエミネムスタイルが完全にハマった。
でも手の内を晒した以上、もう油断を衝く戦法も、弱さを先に見せる戦略も使えない。
ここからは、私の100%で戦ってようやく互角にやり合える勝負になる。
だからこそ私は、婆のマイクを見つめ、気を引き締めた。
【スナック韻】
店内は、祝福の熱気に包まれていた。
「よっしゃああああ!!」
カズがグラスを掲げる。
「YUICA、マジでやりやがった!」
SAKIが涙を拭いながら叫ぶ。
「KENさんが教えた自虐スタイルが、見事にハマったわね」
RIZEとTAKESHIが抱き合っている。
「二度目の勝ちで、さすがにアンチも認めざるを得ないだろ」
タケさんが目頭を押さえる。
「婆さん……見てるか。あともう少しだ」
JUNが画面に向かって拳を突き上げる。
「次も頑張れYUICA!!」
しかしKENだけが、静かにグラスを置いた。
「……よくやった。でも——」
全員がKENを見る。
彼の表情は、複雑だった。
「……他の参加者にも手の内を見せたんだ。次はしっかり対策されるから厳しさが増す」
KENがモニターを指す。
「それにMCバトルは、対戦相手との相性も大きい……」
「ライム談士は、ある意味YUICAが得意なタイプだ」
「つまり……二回戦は運も良かった」
そして画面には、次の対戦表が表示されていた。
【三回戦“準決勝”対戦表】
MC Misty vs YUICA
KING ROW vs MC CODAMA
——MC Misty。
その名前を見た瞬間、店内の空気が凍りついた。
「……まさか」
RIZEが息を呑む。
「え……ミスティが……相手?」
SAKIの顔が青ざめる。
「やばい……な」
カズが呟く。
KENが煙草に火をつける。その手が、わずかに震えていた。
「ああ、YUICAには相性最悪の相手だ」
「KENさん、ミスティって……」
JUNが聞く。
「現時点で最強の女MC。別名……死神」
KENが静かに答える。
「同じ女ってだけでも不利なのに、技術も実績もクラッシュより格上だ」
全員が息を呑む。
「でもそれだけじゃない」
KENの目が、画面を見つめる。
「ミスティは……かつて、MC婆に弟子入りを志願してた」
——静寂。
「え……?この店の客だったってことすか?」
JUNが驚く。
「それだけじゃない……」
カズが複雑な表情になる。
「俺らは婆を師匠だって勝手に言ってるだけで、婆が弟子だと認めたわけじゃないんだよ」
KENがゆっくりとした口調で語る。
「ミスティは感情で相手を魅力する優秀なラッパーだった。……今のYUICAに少し似てた」
「そして……10年前、ミスティは婆に“正式”に弟子入りを志願したんだよ。後継者になりたいって言ってな」
KENが煙を吐き出す。
「それで……」JUNが恐る恐る尋ねる。
「婆はミスティの才能を認めていた。だけど……拒否したんだ」
沈黙が走る。
「それからミスティは変わった。婆に認められるために、徹底的に技術を磨いた。感情を殺し、合理性を追求した」
KENの声が重くなる。
「そして——『死神MC』が生まれた」
店内が、重苦しい沈黙に包まれる。
「でも……それって」
SAKIが言いかける。
「ああ……婆が弟子として認めたのは……」
「YUICAが……初めてなんだよ」
KENがタバコを灰皿に擦り付ける。
「おそらくミスティは、婆のマイクを継いだYUICAを……絶対に許せないだろう」
【聖マリア病院・婆の病室】
婆は、ベッドで天井を見つめていた。
小型モニターには、MCバトルの配信が映っている。
YUICAの勝利。
その瞬間を、婆は確かに見ていた。
「……よくやった」
婆が小さく笑う。
でも——その笑みは、すぐに消えた。
画面に映る、次の対戦表。
MC Misty vs YUICA。
「……なんてこった」
——神様、アンタはどこまで非情なんだ。
婆の顔が、苦痛に歪む。
婆が、ゆっくりと目を閉じた。
「……皮肉かよ。この子のことまで……背負わせる気かい」
婆が小さく笑う。その笑みは、痛々しかった。
「あたいが……拒んだ子……もうひとつの……後悔」
婆は天井を見つめる。その目には、複雑な想いが滲んでいた。
「あたいは……まだ恐かったんだ」
婆さんの声が震える。
「でもそれが……あの子をもっと歪ませたんだな」
長い沈黙。
「YUICAと……ミスティ……」
婆さんが呟く。
「選んだ子と……選べなかった子」
「どっちも……あたいの罪だ」
婆が咳き込む。呼吸が、浅く速くなっている。
体力が、限界に近づいていた。
【ライブハウスCYPHER・バックステージ】
薄暗い廊下に、一人の女性が現れた。
銀髪のショートカット。白いレザージャケット。
シンプルな装いだが——その佇まいが、空気を凍らせる。
MC Misty。
彼女がゆっくりと歩く。
その一歩一歩が、まるで氷を踏むような音を立てる。
すれ違うスタッフが、思わず道を開ける。
——この人、怖い。
無意識に、そう感じさせる何かがあった。
ミスティが立ち止まる。
目の前には、大型モニター。
そこには、YUICAの勝利の瞬間のプレイバック映像が映し出されている。
話題のVtuber、ピンク髪のアバター。
あのMC婆が鍛えたと噂で聞いてる。
しかし彼女の神経を逆撫でるのは、その手に握られた、見覚えのあるマイク。
黒と銀の——
「なんで……婆さんのマイクをアンタが」
ミスティが呟く。
その声は、氷のように冷たく——
でも、その奥に何かが燃えている。
彼女の拳が、わずかに震えた。
「こんな偽物を、選んだの?このボクを無視して?」
ミスティの目に、複雑な感情が浮かぶ。
怒り。嫉妬。悲しみ。執着。
すべてが、混じり合っている。
「どうして……アンタなの」
その言葉は、誰にも聞こえない。
ミスティが画面を見つめる。
YUICAのアバター。その奥にいる、36歳の女性。
「ボクの方が、技術もセンスも、全部上なのに」
ミスティが静かに言う。
「完璧なのに……」
彼女の声が、わずかに震える。
「こんな感情だけのラップに、そのマイクを継がせるなんて……」
「これが、あなたの答えなの?……MC婆」
ミスティが目を閉じる。
——10年前のあの日。
婆に弟子入りを志願した日。
そして、拒絶された日。
『向いてない』
婆のその一言が、今でも胸に刺さっている。
ミスティが画面を見つめる。
「でもボクはアンタを認めない」
彼女の目が、鋭く光った。
【ライブハウスCYPHER・YUICAブース 午後9時25分】
私は、モニターに映る対戦表を見つめていた。
MC Misty vs YUICA。
その名前を見た瞬間、なぜか背筋に冷たいものが走った。
ゆいがタブレットを操作する。
画面に、ミスティの戦績が表示される。
98勝9敗。
クラッシュの82勝17敗を上回る数字。
「戦績だけじゃない」
ミスティの対戦動画を再生する。
そこには——隙のない完璧なMCバトルが映し出されていた。
リズムキープ、韻の深さ、フロウの変化。
すべてが、芸術的なレベル。
でも——
「なんか、冷たい……」
ゆいが呟く。
たしかにミスティのラップには、技術はあるが——温かみがない。
言われたく無い本質を突き刺す冷徹なディス。
相手のペースが崩れて自滅していく様子。
まるで、計算され尽くした機械のような完璧さがそこにあった。
「これが……次の相手か」
私の手が震える。
王道のクラッシュとは、明らかに質が違う。
その時、ドアがノックされた。
「はい」
ゆいが開ける。
そこには——
銀髪ショートの女性が立っていた。白いジャケット。シンプルな装い。
ミスティだ。
——その瞬間、私の体が凍りついた。
「……失礼」
静かな声。
ミスティが、ブースに入ってくる。
ゆいが思わず後ずさる。
ミスティと、私の目が合った。
——冷たい。まるで氷の刃のような視線。
でも——その目の奥に、何かが見えた。
悲しみ?怒り?それとも——
「それ」
ミスティが、私の手のマイクを指す。
「婆さんのマイク……本物、なのね」
私は——言葉が出なかった。
ただ、小さく頷く。
ミスティの表情が、わずかに歪んだ。
その瞬間——彼女の仮面が、少しだけ剥がれた気がした。
「婆さんが、後継者に選んだのが……」
「どうして、アンタなの?」
その言葉に、痛みが滲んでいた。
「……わかりません」
私は正直に答えた。
「でも……私は婆さんの夢を繋ぐって誓った。それだけは本当」
——沈黙。
そして、ミスティが小さく笑う。
「結局……感情で選んだってことか」
でもその笑みは、悲しかった。
「ボクに、何が足りなかったって言うの?」
それは私にではなく、婆に語りかけているように聞こえた。
重い、重い沈黙。
ミスティが、マイクに手を伸ばしかける——
でも、途中で止め、手を引く。
「次のステージで解らせる」
ミスティが背を向ける。
「YUICA……アンタを選んだのは間違いだったって、証明してみせる」
ドアが閉まる。
私は——震えていた。
恐怖じゃない。
あの人の、孤独が痛かった。
「お姉ちゃん……」
ゆいが心配そうに私を見る。
「大丈夫?」
「……わからない」
私は正直に答えた。
「でも……あの人、すごく悲しそうだった」
【スナック韻】
KENが、モニターを見つめたまま動かない。
「KENさん……」
タケさんが声をかける。
「YUICAは……勝てるんですか?」
長い沈黙。
「正直……わからない」
KENが答える。
「技術では、圧倒的にミスティが上だ」
「じゃあ……」
「でもな」
KENが煙草を消す。
「YUICAには、ミスティが失ったものがある」
「失ったもの?」
「人の心を繋ぐフロウ……」
KENが画面を見つめる。
「ミスティは完璧すぎる。正直隙がない」
「逆にYUICAは、不完全だ。だからこそ変化を起こせる」
「人の心を解き……動かせるんだ」
KENがグラスを掲げる。
「問題は……それがミスティに届くかどうかだ」
【ライブハウスCYPHER・YUICAブース 午後8時45分】
インカムから、司会の声が響く。
『まもなく二回戦を開始します。YUICAさん、準備をお願いします』
来た。
私は立ち上がった。婆さんのマイクを握る。
「お姉ちゃん」
ゆいが私の手を握る。
「怖い?」
「……うん」
正直に答えた。
「めちゃくちゃ怖い」
「でも」
私は、ゆいを見つめた。
「逃げない」
ゆいが微笑む。
「うん。信じてる」
私はマイクを胸に抱いた。
婆さんの魂。
この重みが、私を支えてくれる。
「行ってくるよ」
透明パネルの向こう、会場が見える。
観客が、私の名前を叫んでいる。
でも——その中に、不安の声も混じっている。
『さすがにミスティ相手は無理だろ』
『誰も死神には勝てない』
『でも……YUICAを信じたい』
『お嬢、頑張れ!勝ってくれ』
配信のコメントも、賛否両論。
私は深く息を吸った。
——わからない。
勝てるかどうか、わからない。
でも——
婆さんのマイクが、手のひらに重さを伝える。
この重み。この想い。それだけは、本物だ。
——間違ってたなんて言わせない。絶対に。
司会の声が響く。
『三回戦!準決勝!MC Misty vs YUICA!まもなく開始します!』
会場が、静まり返る。
嵐の前の——静けさ。
私は、マイクを握りしめた。
革命は、まだ続いている。
そして——この戦いが、これまでで最も厳しい試練になる事はもう分かっている。
【スナック韻】
全員が、画面に釘付けになっていた。
KENが、静かに呟いた。
「頼むぞ……YUICA。君なら……可能だ」
【聖マリア病院・婆の病室】
婆さんが、モニターを見つめている。
画面には、ステージに立つYUICAとミスティ。
選んだ子と、選べなかった子。
「……ごめんな」
婆が呟く。
その目から、涙が一筋——流れた。
「二人とも……ごめんな」
【ライブハウスCYPHER・メインステージ】
透過スクリーンに、YUICAのアバターが映し出される。
対面には——
ミスティが、マイクを構えている。
その目には、静かな怒りと——悲しみが宿っていた。
ビートが、鳴り始める。
重く、冷たいビート。
まるで氷の世界を思わせる音。
司会が叫ぶ。
「準決勝!先行はミスティ!」
——来る。
ミスティが、静かにマイクを構えた。
会場が、息を呑む。
そして——
ミスティの目が、私を射抜いた。
その瞬間、彼女の口が動く。
「10年待った——これが、ボクの答えだ」
ビートに乗せて、ミスティの声が響く。
冷たく、鋭く、容赦なく——
私は——マイクを握りしめた。
氷の嵐が——来る。
(つづく)
次回——「氷の刃と怒りの火」




