41「一回戦〜革命の狼煙」※イラストあり
【ライブハウスCYPHER・メインフロア 午後8時】
重低音が会場を揺らす。
ブーンバップのビート。90年代ニューヨークを思わせる、重厚で乾いた音。
2000人の観客が埋め尽くすフロア。その熱気と敵意が、ブースの中にいる私まで伝わってくる。
半透明パネル越しに見える景色。
客席最前列には、タトゥーだらけの男たち。腕組みをして、私を睨みつけている。
「ヘーイ!YUICA!ビビってんだろ?」
「偽物のくせに、泣いて帰れよ!」
すると、司会にスポットライトが当たる。
「お待たせしました!一回戦、次のバトルは……」
「MCバトル大会史上初!……Vtuber界から初参戦!」
「YUICA!」
同時に、YUICAの姿が舞台に表示される。
透過スクリーンとリアル3Dの効果で、まるで会場からはそこにYUICAが実在しているように見える。
瞬間——会場の空気が変わった。
「YUICA様ーーーー!カワイイ!」
「くそVtuber!帰れよ!」
「いいぞ!色物!」
「Boooooooooo!」
その後ろには、スマホを構えた若者たち。
そして会場の後方には、数少ないYUICAのファン、ブタどもらしき男女様々な集団がピンク色のサイリウムを振っている。
中にはブタ鼻を顔に装備している人もいて気合いが入っている。
でも——圧倒的に少数派だ。
「そしてYUICAの初戦の相手は……」
司会の声が響く。
私の心臓が、ドクンと跳ねた。
「王道を歩く漢!MCクラッシュ!」
ステージの袖から、一人の男が姿を現した。
黒いパーカーにバンダナ。ゴールドのチェーン。筋骨隆々の体。いかにもヒップホップという出で立ち。
爆発的な歓声。会場が揺れる。
「待ってました!」
「クラッシュ!クラッシュ!クラッシュ!」
「クラッシュ最高!」
「Vtuverをぶちのめせ!」
彼がゆっくりとステージ中央に歩み出ると、照明が彼を照らす。
会場の歓声が、さらに大きくなる。
「8年間、地下のバトルシーンで名を馳せた男!渋谷、新宿、横浜——関東のストリートを制した通算戦績82勝17敗!王道ラッパー!もちろん今年の優勝候補だ!」
クラッシュが片手を挙げる。
それだけで、会場が一体となって沸く。
——この男、確実にMCバトルの"主役"だ。
クラッシュがマイクを手に取り、低い声で呟いた。
「……Vtuberか。ハッ、面白ぇじゃねぇか」
その声には、明らかな侮蔑が混じっている。
「8年やってきて、色んな奴と戦ったけどよ……ペラペラの絵が相手ってのは初めてだ」
彼が会場を見渡す。
「どうせ台本読むだけの茶番だろ?ま、客寄せパンダってやつだな。さっさと終わらせて、次行くか」
クラッシュの目には、余裕があった。
いや——余裕どころか、完全に勝利を確信している。
観客席の一人が叫ぶ。
「クラッシュ!一瞬で潰してやれ!」
「おう、任せろ」
クラッシュが親指を立てる。 会場がさらに盛り上がる。
配信のコメント欄にも、期待の声が溢れている。
『クラッシュ82勝って化け物じゃん』
『初戦から最強が出てきた』
『こりゃYUICA終わったな』
『一方的な虐殺になる予感』
『運営w忖度無しかよw』
『でもYUICAなら何かやりそう?』
私はモニタ越しに、MCクラッシュ向かい合った。
ものすごい気迫。絶対仕留めてやると言わんばかりの狩る側の目をしている。
——模擬戦とは明らかに違う殺気に、私は完全に怯えていた。
アバターに伝わらないように、足の震えを抑えるのに必死だった。
爆発的な歓声とブーイングの嵐。
容赦ない罵声が、ブースの壁を貫いて私の耳に突き刺さる。
マイクを握る私の手が震える。指先にも、まったく力が入らない。
——やばい。ここにきて頭が真っ白になっていく。
【同時刻・スナック韻】
店内の大型モニターには、ライブ配信の映像が映し出されていた。
カウンターには常連たちが並び、固唾を呑んで画面を見つめている。
タケさん、カズ、RIZE、SAKI、TAKESHI、JUN。そして中央に座るKEN。
「完全アウェイじゃねぇか……」
タケさんが呟く。
KENがグラスを置いて、静かに口を開いた。
「YUICAは典型的なスロースターターだ。しかも極度の緊張体質。初戦は、実力の半分……いや30%も出せればいい方だろう」
「それじゃ負けません?相手はあのMCクラッシュっすよ」
JUNが不安そうに言う。
「ああ、超王道のラッパーだ。テクニックで真っ向勝負すれば、確実にやられる」
KENが煙草に火をつける。
「だが——YUICAは、自分の弱さを、完全に理解している。それと——『強さ』もな」
KENの目が、画面の中のYUICAを捉える。
「そして——クラッシュは、YUICAの『強さ』を知らない。あいつを"Vtuber"としか見ていない。仕込みのネタ、用意された脚本で戦ってくると思っている。それが、致命的な誤算になる」
RIZEが大きく頷いた。
「たしかに。もしYUICAが仕込みで挑んでくるって思ってるなら、大怪我するね」
「ああ。あいつの即興力は、プロと比べても抜きん出ている」
KENが静かに微笑む。
「だから見てろ。ここから、革命が始まる」
【ライブハウスCYPHER・YUICAブース】
ステージ上の透過スクリーンにが映し出されるピンク髪の3DモデルYUICA ver2.0。
長くボリュームのあるピンクの髪。ヘソ出しの黒いクロップドジャケット。引き締まったウエストから伸びる脚にピンクのスキニーなパンツと黒いブーツという出立。
MCクラッシュと対面しつつも堂々としていて、どことなく不敵な笑顔を浮かべている様にも見える。
でも中身は——36歳、独身、人生を逃げ続けた隠キャ……田中美咲。
司会の叫ぶ。
「ルールは3バース制!先攻はMCクラッシュ!」
ビートが鳴る。
クラッシュがマイクを構える。
会場が静まり返る。
そして——バトルが始まった。
【1バース目:MCクラッシュ】
「バ美肉アバターがマイク持つとか、反則だろ。
中身スカスカの半熟卵、賞味期限切れの番組だろ?
デジタルの中でしか輝けねぇ奴がさ、
生のステージで俺と闘う?笑わせんな、今すぐ帰んな!」
会場が爆発する。
「フゥーーー!」
「言ってやった!」
クラッシュが畳みかける。
「36歳?ネットじゃ"神"、地上じゃ"おばさん"!
その落差に吐き気がすんな、ジェットコースターみてぇな惨状だな。
こっちは地に足つけたHipHop。
お前はスパチャに甘える仮想のストリーマー!」
完璧なリズムキープ。8年の実戦経験が滲み出るフロウ。
圧倒的だった。
司会が私を指す。
「さあYUICAのターン!」
私は——一瞬動けなかった。
頭の中が真っ白。練習したフレーズが、すべて飛んでいく。
——無理だ。やっぱり私には無理だ。
「Hey!YUICA 早く始めろ!」
「やっぱビビってんの」
「無理なんじゃね」
『ホンモノだってみせてやれ』
『信じてやるぜ あんたを』
『勝ち目のねえ戦いでもYUICAならやってくれる』
その時。婆さんのマイクが、手のひらに重さを伝えた。
この重み。このマイク。これは、婆さんの魂だ。
そうだ、私はひとりじゃない——ゆっくりと息を吸った。
【1バース目:YUICA】
ビートが鳴る。
でも——私の声は、リズムから半拍遅れた。
「……確かに私の体は半熟で、震えまくってるさ。
36歳、ラップ初心者、怖くてさ、毎晩吐いてた」
技術的には及第点以下。婆が聞いてたら呆れてる。
しかもリズムキープがいまいち。韻も浅い。
会場がざわつく。
「おいおい……ガチガチじゃん」
「やっぱ素人の限界」
「もう帰れよ、見苦しい」
でも——私は止まらなかった。
「けどな、"帰れ"ってセリフには返したい。
"このステージが私の居場所"って言える日が来たんだよ、やっとな!
"仮想"で生きて、画面で泣いた。でもその涙は、嘘じゃないよ。
"地上"でも私は響かせたい声がある!
バーチャル?フェイク?それがどうした?
お前の"リアル"は殴るだけ、私の"リアル"は、生かすために叫ぶ声だ」
会場の空気が——少しだけ変わった。
最前列の一部が、腕組みを解く。
【2バース目:MCクラッシュ】
クラッシュが余裕の笑みを浮かべる。
「お前の言葉?悪くないな、でも全部"用意してきた"んだろ?」
会場が「おおっ」とどよめく。
「全部、用意されたセリフで演じてるだけ、だろ?
Vtuberってそういう商売、そういうネタだろ?
じゃあ聞かせろよ、お前の“即興”ってやつをさ
この場で“真っ白”でもラップできるか?
俺が投げるのは、“ジェットコースター”、人生の起伏
“半熟卵”、中身ドロドロ、覚悟が薄い
“ストリーマー”?課金の海で夢を売る芝居人
今ここで返せ。なあ、“本物”なんだろ?」
挑発だ。
明らかな、挑発。
「うわっ、来たぞ!」
「3ワードぶつけやがった」
配信カメラが切り替わる。
YUICAの表情がアップになり私の目が、一瞬だけ泳ぐ。
『これは無理か?』
『本当に、返したら本物』
会場が沸く。
「おもしれぇ!」
「返せるわけねぇ!」
【2バース目:YUICA】
私の番。
頭が——また真っ白になりかける。
でも——体が覚えてる。
8人とのバトル。そしてKENに叩き込まれたパターン。
相手の言葉を拾う。韻を探す。リズムに乗せる。
全部が——無意識に頭の中で繋がっていく。
そして、私の口が——勝手に動いた。
「"ジェットコースター"?上等だよ、この人生がそうだった。
"半熟"?そうさ、だから今、ここで焼かれて固まってく。
"ストリーマー"?画面越しでも届いた声がある。
お前の"リアル"より、私の"配信"の方が、誰かの心臓に刺さったんだよ!」
——即興で返した。
クラッシュの言葉を、すべて拾って返した。
会場が一瞬、静まり返る。
そして——爆発する。
「マジかよ!全部?」
「今の即興!?完璧じゃん」
「すげぇ……」
「YUICA!いいぞ!」
「これがフリーススタイル!」
『ほらな!フェイクじゃねえ!』
『さすが俺が惚れた女』
『お嬢……すげぇ』
クラッシュの表情が、わずかに変わる。
眉が、ほんの少しだけ動いた。
舞台で対面している私にはわかる——動揺してる。
【3バース目:MCクラッシュ】
クラッシュが、ゆっくりとマイクを構える。
その表情は——もう余裕の笑みではなかった。
本気だ。
「……いいフリースタイルだった。素直に言うぜ、アンタを舐めてた」
ビートが重くなる。
クラッシュのフロウが変わる。今までとは違う、圧倒的な重圧。
「震えながらでも立つってのは、認める。即興も、確かにできる。
だがな——俺のスタイルは曲げねぇ。王道を貫く、漢の宿命。
8年間、地下で磨いた技術と魂!お前のバースは心に響く、でもまだ甘ぇ!
"感情"じゃこのリングは奪えねぇ、"技術"こそがバトルの刃!」
完璧な王道ラップ。
会場が総立ちになる。
「クラッシュ!クラッシュ!」
これで終わりだ——誰もがそう思った。
【3バース目:YUICA】
でも——私は目を閉じた。
ゆいの顔が浮かぶ。セイラの「ぶちかませ」という言葉。
130万のブタども。婆さんの、後悔。
すべてが——一つになる。
目を開けた。震えが、少しだけ止まった。
「ありがとう、認めてくれて。
でも"甘ぇ"って言葉が、あたしを一番燃やすんだよ。
だって私は、誰よりも甘くて、弱くて、逃げてきた女だからさ」
ビートの裏拍。まだ完璧じゃない。でも——少しだけ乗れた。
「でもそれでも……このマイクは、震える手でも掴みたかった。
だってこれは、私が誰かになれる瞬間だから。
36年分の敗北?全部背負ってるよ。
だからこの一撃が、私の勝ち筋だ!」
会場が静まる。
そして——最後のパンチライン。即興に並ぶ私の武器。
ここだけは。ここだけは、完璧に決める。
婆さんのマイクが、熱を帯びる。
「"技術"が刃?それも正しい。でも私の"弱さ"は、声を重ねさせる力だよ。
震える即興も、詰まる言葉も、全部が今の私の武器。
私は革命、偶像の皮を剥いだ女神だ。
だってこの命は——ブタどもに生かされた命だから!!!」
——決まった。
会場が爆発する。
「うおおおおおお!!!」
「YUICA!YUICA!」
「マジかよ!」
「やべえぞコイツ!」
ブーイングが、歓声に変わっていく。
【判定】
審査員3名が、それぞれカードを上げる。
長い、長い沈黙。私の心臓が、破裂しそうに跳ねている。
審査員A「……YUICA。技術はまだ未完成。でも——心が技術を超えてたね」
会場の半分が歓声。
審査員B「クラッシュ。技術、安定感では終始クラッシュが上だった」
1対1。次で決まる。
審査員C「……正直、迷った。技術ならクラッシュ。でも——MCバトルは"誰の言葉が刺さるか"の勝負。最後に俺の心を揺らしたのは……YUICAだね」
——一瞬の、静寂。
そして。 会場が——爆発した。
「うおおおおおおおお!!!」
「YUICA!!!」
「マジかよ!!!」
「信じらんねぇ!!」
最前列にいたタトゥーの男たちが、立ち上がる。
さっきまで腕組みをしていた彼らが——私に向けて笑顔で拳を突き上げている。
「やりやがった!」
「Vtuberが王道を食った!」
「これは歴史的瞬間だ!」
会場後方のYUICAファンたちが、涙を流しながらサイリウムを振る。
「お嬢様ああああ!!」
「ブヒイイイイイ!!!」
「勝った!勝ったああああ!!」
会場が爆発する。
そして配信のコメント欄が、一瞬で埋め尽くされる。
『マジで勝った』
『嘘だろ……』
『クラッシュに勝つとか』
『#革命は始まった』
『涙が止まらん』
『これは伝説になる』
『ぜんぜん偽物じゃねえじゃん』
『あのパンチライン最高だったな』
『YUICA!YUICA!YUICA!』
『こりゃ認めざるを得ない』
『アンチだったけど……ごめん』
『最初から信じてた(嘘)』
『お嬢様ああああああ』
配信の同時視聴者数が、一気に跳ね上がる。 10万5000人。その全員が、今この瞬間を目撃している。
——勝った。勝った!……私が。
クラッシュが苦笑しながら、YUICAに手を差し出す。
「……負けたとは思ってねぇ。でもお前の即興、本物だった。魂も、届いたよ。でも次は潰すからな」
【YUICAブース】
私は震える指でマイク握り、観客に向けて掲げた。
技術は半分も出せなかった。言葉は詰まり、リズムは崩れ、完璧には程遠かった。
でも——勝った。
技術じゃない。魂で勝ったのだ。
透明パネルの向こう、会場の7割が立ち上がっている。
残りの3割は、まだ腕組みをしている。
それでいい。まだ始まったばかりだから。
——これは、まだ私の本当の力じゃない。
次はもっと強くなれる。次はもっと技術を出せる。次は——もっと。
私は婆さんのマイクを胸に抱いた。
革命は、確かに始まったのだ。
そして——これは、まだ始まりに過ぎない。
私はここに、勝ちに来たんだ。
【スナック韻】
KENが、静かにグラスを置いた。
「あいつ……まだ半分も実力出せてないのに。どこまで行く気だよ」
画面の中で、YUICAが震えながらマイクを掲げている。
その姿は——まるで生まれたての革命家のようだった。
「鬼門は突破できた、次が楽しみだな」
全員が頷いた。店内に、静かな興奮が満ちていた。
YUICAの革命は、確かに始まったが……
MCバトル大会も、まだ始まったばかりだ。
(つづく)
次回——「二回戦への階段〜覚醒の予兆」
YUICA ver 2.0 3D




