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37「見えない世界のリズム」


【田中家・リビング】


 朝5時。まだ暗い部屋で、私は天井を見つめていた。


 ——昨夜のことが、悪夢のように頭を巡る。


 スナック韻での「リズムキープ会話」。

 あれは地獄だった。


『ビール一杯、冷えたやつ頼む/今日も仕事で疲れたから飲む』


 タトゥーだらけの男性が、完璧な韻とリズムで注文していた。


 私はどうだったか?


『あ、あの……ウーロン茶を……ください……』


 ——最悪だった。幼稚園児の発表会以下。


 しかもあの後、常連たちの雑談を聞いて、さらに絶望した。

 

『今日の仕事マジきつかった/上司がうざくて殺したかった』

『分かる、俺も同じ気持ち/でもここで発散、これが日々』

『ストレス溜まったらマイク握る/言葉で殴れば気分上がる』

 

 普通の会話が、全部ラップ。しかも即興で韻を踏みながら。

 

 ——あの人たち、日常会話でMCバトルしてるようなもんじゃん。

 そして最も恐ろしい事実。

 MC婆が言った言葉が頭から離れない。

 

『あいつらは所詮アマチュア。本物のMCはこんなもんじゃない』

 

 ——え?あれでアマチュア?

 

 私が3週間後に戦う相手は、あの常連たちより遥かに上。

 テクニックだけなら全員がCODAMAレベルらしい。

 

 ソファーのクッションに頭を埋めた。

 

「なんで出るなんて言っちゃったんだろう……」

 

 偽物と言われて、カッとなって。

 ゆいを守りたくて、意地を張って。

 

 ——でも、もう後には引けない。


 スマホを見ると、通知が999+。

 YouTubeもXも、私のMCバトル参戦で盛り上がっている。

 

偽物(フェイク)とか言われて許せん』 

『YUICA姐さん、絶対勝って!』

『ブタども総動員で応援する』

『MCバトルの現地チケット、もう完売らしいぞ』

『ペイパービューチケット今回10倍の売り上げだとさ』

『おまえらが買ってんだろ』

 

 ——完売?ペイパービュー?

 みんな私の恥を見に来るの?


 そして、送られてきたメールを見て、血の気が引いた。


『MCバトル大会実行委員会より』


 ——何これ。


『YUICA様の参戦、心より歓迎いたします。2000席の現地チケットは発売3分で完売。5000席のペイパービューも即完売。

 追加1万席も瞬殺でした。現在10万席のペイパービューを準備中です』


 ——10万席?


『Vtuber仕様の特設ブース、LEDビジョン、モーションキャプチャー設備も準備しております』


 ——そんな大掛かりな……。

 そういえば先日セイラからDMが入ってた。

 

『裏の準備はアタシに任せろ』

『マスターズで技術サポートするから心配はいらん』

『おまえはしっかり客寄せパンダしとけ』

 

 ——ああなるほど、準備が良すぎるのはセイラの仕業か。

 

 その時、スマホにDMの通知。 

 再びセイラからのメッセージ。

 

『モーション技術チームも、配信チームも最高のメンバー揃えた』

『あとはパンダが本当の実力を見せるだけだ』

 

 私は複雑な気持ちになった。

 

 ——ありがたい。でも……。

 

「余計なことを……」

 

 思わずつぶやいた。


「これじゃますます色物扱いじゃない」

 

 大掛かりな演出、最新技術、スポンサード。

 全部が「Vtuberは特別扱い」という印象を強めてしまう。

 

 MCバトルファンからしたら、さらに反感を買うだけ。

 

『MCバトル史上最高の観客動員数になる見込みです』

 

 実行委員会からの最後の一文で、現実を突きつけられた。

 

 ——現状の私の役割は最高の客寄せパンダ。つまり色物。

 ——セイラの善意が、逆に私を追い込んでる。

 

 でも、セイラからのDMはまだ続いていた。

 

『技術に頼るなよ』

『最後は、おまえの言葉だけが勝負だから』

 

 ——分かってるじゃん。

 私は苦笑した。

 

 10万人の前で、最新技術に囲まれた偽物(フェイク)スター。

 でも結局は、マイク一本で戦わなければならない。


 ——やっぱ最低限の技術は習得しなきゃ。


 


 そうこしていると、ゆいが起きてきた。

 

「お姉ちゃん、起きてる?朝練の時間だよ」

 

 私はソファーから重い体を起こした。


 「はい、これを付けて」

 

 ゆいが差し出したのは、ワイヤレスイヤホンと黒いアイマスクだった。


 ——昨夜のMC婆の言葉が蘇る。

 

 ◆


「明日から3週間。これで一日中ビートを聞け。歩く時も、飯食う時も、トイレでも」


 そう言ってニヤリと微笑む婆。

 ただし目は笑ってない。どうやら本気らしい。


「トイレでも!?」

 

「リズムは生活だ。心臓の鼓動と同期させろ」

 

 そしてMC婆が黒いアイマスクを取り出した。

 

「部屋で過ごす時間はこれで視覚を奪う。見えない状態でリズムキープしろ」

 

「え、見えないまま生活しろと?」

 

「ラップは耳と身体の芸術だ。目に頼るな」

 

 アイマスクをつけられ、真っ暗になった。

 ビートだけが聞こえる。

 

「さあ、自己紹介しろ。8小節」


 ——見えないと余計に緊張する。

 

「え、えーと……私はYUICA……36歳で……」

 

「リズム外れてる!やり直し!」

 

 その後30回はやり直した。汗だくになりながら、ようやく及第点をもらえた。


 

 ◆


  

「それじゃ、お姉ちゃん。昨日の復習から始めよう」

 

 私は、ゆいから手渡されたイヤフォンを装着する。

 同時に耳からビートが流れ込む。

 そしてアイマスクをかけ暗闇のなかでリズムに没頭する。

 


「もうはじめるの?」

 

「MC婆さんも言ってたでしょ。リズムは生活だって」

 

「まず、流れてるビートに合わせて歩いて」

 

 カチカチと規則正しい音。

 私は部屋を歩き回る。


「いて!」


 家具に足をぶつける。

 そりゃそうだ、見えないんだもん!

 

 ——なんなだろう、この罰ゲーム感。

 

「次は、歩きながら自己紹介」

「え、歩きながら?」

「リズムキープの基本だよ」

 

 私は歩きながら話し始める。

 

「私はYUICA 36歳 生まれた時から 陰キャで鈍臭い あ、リズム崩れた」

 

「もう一回」

 

 10回やっても、まともにできない。

 

 歩くと話す、この単純な2つが同時にできない。

 しかも目が見えないから、緊張して思考が回らない。

 

 ——私、運動神経も韻のセンスもなさすぎる。

 


 ◇ ◇

 

 その日から、地獄の1週間が始まった。



【MC婆の地獄訓練・初日】


 最初の日は悲惨だった。


 ガン!


「うぁ!痛っ!」


 歩くたびにテーブルにぶつかる。ソファーにぶつかる。壁にぶつかる。


 ——この家に、長年住んでるのに。見えないとこんなにもわかんないんだ。

 自分が、いかに視覚に頼って生きているかを実感した。

 


 ——2日目。

 階段が恐怖。


「怖い怖い怖い!」


 手すりにしがみつき、一段ずつ降りる。


 ——3日目。

 食事で味噌汁をこぼす。


「あちっ!」


「だから気をつけてって」


 ——4日目から変化が。

 

 体が勝手にリズムを刻み始めた。


 ドゥン、ドゥン、ドゥン、ドゥン。


 歩くのも、呼吸も、全てがビートと同期。


 ——5日目・仕事と配信。


 出版社ではアイマスクは外したが、イヤホンは付けたまま仕事をした。


「田中さん、なんか動きがリズミカルね」


 同僚に言われて気づく。ペンでリズムを取ってる。


「え?ええ、YUICAの気持ちを理解しようと思って」


 そう誤魔化した瞬間——


「……おお!田中さァン!」


 唐突に、山之内部長が身を乗り出してきた。

 

 スーツの袖をまくり、拳をグッと突き上げる。


「Yo Yo!私は山之内!ビジネス現場の将軍さ!

 美咲の鼓動はもはやビート!

 その心臓のKickが、未来を開くSnareになる!」


 ……部長。私より上手くないか?

 

 

 原稿チェックをしていると、文章のリズムが見えるようになった。


 ——文章もリズムなんだ。


 19時。自宅に戻って配信開始。


「はい、ブタども。今日も集まったね」


 アイマスクを外して、モニターを見る。

 でも、イヤホンのビートは止まらない。


『姐さん、なんかリズミカル』

『MCバトル特訓中?』

『10万人が見るらしいぞ』


「10万人とか言うな。プレッシャーで死ぬ。

 心臓バックビート、止まるわブタ」


(コメントが一斉に流れる)

 

『お、今の韻踏んだ?』

『バックビート/止まるわブタ、きれい』

『フリースタイルっぽい!』


「は?ただの愚痴だよ。

 でもお前らの顔面——韻より汚い」


『ぎゃははwww』

『ディスもラップ調になってる』

『ラップで殴られるのもイイ!』

『新しい癖に目覚めそう』


 気づけば私は、息を合わせるように言葉を刻んでいた。

 コメントに毒を返すたびに、自然とリズムが乗る。


「罵倒にリズムがある?……うるさいな。

 でも確かに、最近はビートに乗っかるみたいだな」


 でも、確かに変化を感じる。

 言葉が、ビートに乗って出てくるようになった。


【7日目・スナック韻へ】


 1週間が経過。

 アイマスクを付けたまま、ゆいに手を引かれて到着。


「お、来たな」


 MC婆の声。アイマスクを外す。


 ——眩しっ!


「どうだ、リズムは体に染み込んだか?」


「はい……たぶん」


 MC婆がマイクを渡してきた。


「自己紹介。16小節。韻を踏みながら」


 深呼吸。でも不思議と緊張しない。


「私はYUICA、Vtuberやってる

 36歳で、人生迷ってる

 彼氏いない、友達いない

 でも100万人が、私を見てる


 罵倒で泣かせる、それが仕事

 ブタどもと呼ぶけど、実は大事

 MCバトルに、挑戦決めた

 偽物じゃないって、証明するんだ」


 ——勝手に言葉が出てきた。


 MC婆が小さく頷いた。


「及第点だな。リズムは完璧だ」


 ゆいが興奮している。


「お姉ちゃん、すごい!」


 でもMC婆の表情が厳しくなった。


「だが、これじゃまだ話にならない」


「え?」


「お前は今、MCバトル界隈でどう見られてるか知ってるか?」


 MC婆がスマホを見せる。

 MCバトルファンのフォーラム。


『Vtuberが汚すな』

『色物はいらない』

『客寄せパンダ』

『どうせ1回戦負け』


 ——やっぱり。


「10万人が見に来る。でも9割は、お前が恥をかくのを期待してる」


 私の顔が青ざめた。


「だからこそ、本物になるしかない」


 婆が時計を見る。


「そろそろ来る頃だな」


「誰がですか?」


 扉が開いた。


 黑いパーカーにキャップ。異様な存在感。


 男がキャップを取る。


 ——まさか。


「KEN 4 RAW」


 私の心臓が止まりそうになった。


 私の心臓が止まりそうになった。

 MCバトルに出ることになってから、ラップの歴史徹底的に勉強した。

 なんでも座学から入るのが、私のルーティンなのだ。

 

 だからこそ、彼を知ってる。

 

 ——本物?日本語ラップのレジェンドがこんなところに?

 


「婆さんに頼まれてね。特別講師だ」


 

 KENが私を見つめる。思ったより優しそうな顔。でも、目が鋭い。


「YUICAさんだよね。動画見たよ。即興に関しては大したものだよ」


「あ、ありがとうございます」


「でも率直に言う。今のままじゃ一勝もできない」


 ——直球すぎる。


「でも、可能性はある」


 KENが続ける。


「君には『即興』と『怒り』がある。でもそれだけじゃない」

「怒りから罵倒しつつ、最後は共感へとつなげるフロウのうまさ」

「そこは他のMCにはない個性だと思う。だからそれをどう武器にするか」


 MC婆が口を開く。


「KENには昔、世話になってね。俺がニューヨークで戦ってた頃、こいつは既に日本のトップだった」


「婆さんの方が先輩だよ。俺が学んだのは婆さんからだ」


 二人の間に、戦友のような空気が流れる。


 するとKENがマイクを握った。

 

 それを見てMC婆が立ち上がった。


「じゃあ、第2段階の特訓だ」


「第2段階?」


「実戦形式。KENとバトルしろ」


 ——は?レジェンドと?


「今すぐですか?」


「今すぐだ」

 

 喉が渇く。膝が震える。

 

 だけどマイクが差し出される。


 ——次の瞬間、私は現実を知ることになる。

 

(つづく)

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