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36「リズムに乗れない36歳」※改稿


【都内某所・オフィスビル】


「諸葛亮もビートに乗せて/天下統一のフロウで攻めて/赤壁の戦い、これぞまさにMCバトル!」


 会議室で山之内部長が突然立ち上がり、リズムを取り始めた。



「部長、企画会議中ですよ……」


「これが私の/新しい提案スタイル/三国志で学ぶ/ビジネス戦略!」


 ——私のせいで、山之内部長が壊れた。


「田中さんはYUICAに密着してちょうだい!いよいよ時代が動くわよ。Yo! 」



 昨夜のMCバトル参戦表明から、会社だけでなく、ネットも大騒ぎになっていた。

 

『ブタども総動員で応援行くぞ!』

『偽物とか言った奴ら全員泣かせてやれ』


 ブタどもまで異様に燃えている。

 

 でも当の本人である私は——



 

【田中家・リビング】


 ソファに沈み込んで、天井を見つめていた。


「どうしよう、ゆい」


 ——勢いで大会に出るって宣言したけど、私ラップなんて一度もやったことない。


「お姉ちゃん、お茶入れたよ」


 ゆいがマグカップを置いて、ノートパソコンを開いた。画面にはびっしりとメモが表示されている。


「昨日から徹夜でMCバトルについて調べたの」


「徹夜?」


「だって3週間しかないんだよ?基礎から叩き込まないと」


 ゆいが眼鏡をかける。いつものプロデューサーモードだ。


「まず、ラップの基本から説明するね」


「う、うん」


「ラップで一番重要なのは『韻』。日本語だと『押韻』って言うんだけど」


 ゆいがホワイトボードを取り出した。


 ——いつの間に買ったの、それ。


「例えば『最高』と『再考』。語尾の音が『あ・い・こう』で揃ってるでしょ?」


「あ、なるほど」


「他にも『人生』と『神聖』、『現実』と『幻日』みたいに。母音を合わせるのが基本」


 ゆいがマーカーで次々と書いていく。


「MCバトルでは、この韻を踏みながら、相手をディスるの」


「ディスるって、悪口?」


「まあそうだけど、ただの悪口じゃダメ。ウィットに富んでて、観客を笑わせたり感心させたりしないと」


「そして『パンチライン』。決め台詞みたいなもの。これで観客を沸かせる」


 ——ウィット?パンチライン?私にそんなセンスあるわけない。


「そんな洒落たこと人生でやったことないよぉ……」

 

「お姉ちゃん、自分で気づいてないでしょ」


 ゆいが真剣な顔になった。


「え?」


「お姉ちゃんの言葉のセンス、異常だよ。頭の回転も返しの速さも」


「そうなの……できてるの?」


「コールセンターと配信で1000人以上相手にしてきたでしょ?人生相談だって、瞬時に的確な言葉選んでる」

「あれを普通と思ったらだめだよ。即興とウィットに関しても、あの艦長と互角以上ってすごいことなんだよ?」

 

 ゆいがノートパソコンの画面を見せる。YUICAの配信の切り抜きだった。


「『死ぬ気で生きろ、ブタ』『逃げるなら前に逃げろ』『人生なんて全部茶番、だから全力で演じろ』」


「それは……」


「全部お姉ちゃんの即興でしょ?しかも韻踏んでるし、ウィットに富んでる」


 ——言われてみれば、確かに韻を踏んでる。無意識だったけど。


「たぶん天性の才能だと思う。だからフロウやリズムキープを習得できれば、けっこういい線いくと思うんだ」


「だから大丈夫。お姉ちゃんならできる」


 

 ゆいが立ち上がった。


 

「とりあえず、実践してみようよ!」


 安物のBluetoothスピーカーを取り出して、ビートを流し始める。


「まずリズムにのって♪」

「YoYo。ほらこれ言うだけでそれっぽいから♪」

「まずお姉ちゃんが私をディスって、それを交互にやろう」

「いったん感覚だけでやろう」


「え、いきなり?」


「YoYo。習うより慣れろ!はい、バトルスタート!」


 ビートが部屋に響く。


 ——どうしよう、何も思いつかない。


【美咲・1バース目】


「えーっと……Yo…Yo…

 ゆいは毎日うるさい……騒音?

 朝から晩まで……えっと……

 ……ごめん、全然できない」


 私は顔を真っ赤にして座り込んだ。


「もう一回!今度は韻を意識しないでいいから、リズムに乗って悪口言って!」


「悪口って言われても……」


「本音でいいよ、本音で!思いついた不満をぶつけるんだよ!」


 ビートが再び流れる。


【美咲・2回目】


「Yo…妹よ聞けよ、マジでうざいよ

 勝手に部屋に入ってくんなよ

 私のプライバシーないのかよ

 っていうか最近態度でかくない?」


「お!今のはリズム乗ってた!じゃあ私の番!」


【ゆい・返し】


「は?それ言う?36歳児が?

 いつも陰気くさい、自虐がヤバい

 彼氏いない歴イコール年齢が

 妹に説教?百年早い!」


 ——ひどい。事実だけど、ひどい。


【美咲・返し】


「待てよ、言い過ぎだろそれは

 あんただって彼氏いないだろ

 プロデューサー気取りのニートだろ

 人の心配してる場合かよ!」


【ゆい・返し】


「はぁ?私が彼氏できない理由

 全部あんたのせいだよマジで

 暗い顔して部屋にこもって

 そんな姉見て恋愛できるかよ!」


 ビートが止まる。


 沈黙。


「……最低だ」


 私は顔を覆った。


「下手くそ過ぎる。リズムもグチャグチャ、韻もほとんど踏めてない」


「まあでもお姉ちゃん、初めてにしては……」


「しかも、ゆいの本音で傷ついた。私のせいで彼氏できないって本気?」


「あ、いや、それは勢いで……何かディスんないと」


 ゆいがバツが悪そうに笑う。


「あ、ごめんごめん。ちょっと言いすぎたよ」


「……ほんとのこと言わなくていいいじゃん」

 

 私はうつむきながら言った。



「まあ慣れてよ。とりあえずそういうもんだから、MCバトルって」

 

 目線を逸らして惚けようとするゆい。

 私は、いじけるように膝を抱えた。


「やっぱ無理だよ。来月にMCバトルなんてぇ」

「しかもラップのプロと戦うなんて、私みたいな音痴で陰キャな36歳には不可能だよぉ……」


 

 ——そもそもカラオケすら行ったことないのに。人前で歌うなんてないわ。しかもラップて。


 

「大丈夫!」


 ゆいがあっけらかんと笑った。


「修行メニュー組み直せばいいだけ!まずは基礎体力つけないと」


「基礎体力?」


「リズム感とか、韻のストックとか。あとお姉ちゃんの場合、自信も必要」

 


 その時、ゆいのスマートフォンが震えた。


「あ、CODAMAさんからDM」


 画面を見せてもらう。


『先日はちょっと煽りすぎたね。正直ちょっと責任感じてる』

『だから俺の師匠を紹介する。今夜20:30に、新宿の「スナック韻」て店に行って』

『大丈夫。話はもう通してあるから』


「スナック?」


 ——MCバトルの師匠がスナックにいるって、どういうこと?




【午後8時過ぎ・新宿歌舞伎町裏通り】


 ネオンきらめく大通りから一本入った、薄暗い路地裏。


 古びた雑居ビルの地下に続く階段を降りていく。


「本当にここ?」


 色あせた看板に「スナック韻」と達筆で書かれている。


 重い扉を開けると——


 私は息を呑んだ。


 昭和レトロな内装のはずなのに、壁が異様だった。


 若い日本人女性が、筋骨隆々の黒人男性とステージで向かい合う写真。マイクを握りしめ、今にも言葉を放とうとする瞬間。


 その横に並ぶトロフィーの数々。


『NY MC Battle Championship 1998 - Winner』

『World Freestyle Session 2001 - Champion』

『Asia Pacific Rap Battle 2003 - Grand Prize』


 壁一面を埋め尽くす色紙とサイン。


『To MC-BA, Mad Respect from NYC - KRS-One』

『最高の師匠へ、感謝を込めて - CODAMA』

『婆ちゃん最強! - 鬼面』


 

 古いターンテーブル、年季の入ったマイク、海外アーティストのレコードジャケット。


 ——ここ、ただのスナックじゃない。


 カウンターは8席。奥にはカラオケセットがあるが、なぜかDJブースも併設されている。


「いらっしゃい」


 カウンターの奥から、小柄なおばちゃんが現れた。


 白髪混じりの髪を後ろで束ね、黒いエプロンをつけている。一見すると普通のスナックのママだが、その眼光は鋭い。


「あんたがYUICAかい」


「は、はい」


「ふーん、36歳ねぇ」


 おばちゃんが私をじろじろと見る。


「経験なし、彼氏なし、自信なし。でもMCバトルに出るんだって?」


 ——全部バレてる。


「無謀だねぇ」


 おばちゃんはグラスを磨きながら続ける。


「でも、嫌いじゃないよ。無謀な挑戦」

「あんたの映像は見たよ。まあ、言葉選びのセンスはいい」

「リリックに関しちゃ、たぶん直ぐにものにできると思う」

「まあ韻は、貯める、慣れるしかないね」


 突然、おばちゃんがマイクを手に取った。

 タバコの煙がゆらめくカラオケスナック、その空気が一変する。


「……あんたに足りないのは“フロウ”だろ」

「韻を踏むだけじゃダメ、リズムを身体に刻むんだ」


「で、でもそれが一番苦手でして……」


「じゃあ、ちょっと聞いててごらん」


 カラオケのリモコンが押される。

 流れてきたのは演歌じゃない。重厚なブーンバップ、ドラムが地鳴りのように響く。


 MC婆は目を閉じ、足で四拍子を刻む。

 ゆっくりとスナップを鳴らし、そして吐き出した。



「Yo, check it out 耳を澄ましな

古びたレコード ビートが騒がしさ

マイクひとつで 街を動かした

カラダで覚えた 魂の流し方」


「ニューヨークの裏路地 空に叫んでた

ステージのライトが 夢を照らしてた

ジャージとスニーカー 時代を跨いだ

リリックで刻んだ 過去も語りだす」


「YUICA、…よく来たな

ここはビートが途切れた者も、また始める場所さ」


「あたいが誰とか もうどうでもいい

ビートが鳴りゃ 魂が踊り出すシーン

YUICAよ、火を灯す準備いい?

韻を踏むたび また時代が巡り来るぜ、FREE」



  ——すごい。



「YUICA、マイクはただの道具じゃねぇ

音に乗る鼓動 それがHIPHOPの名札なふだだぜ」



 韻は完璧、そして何より 言葉がリズムに完全に乗っている。

 フロウが生き物みたいにうねって、部屋の空気そのものを揺さぶる。


 私と同じくゆいも、口をぽかんと開けて立ち尽くしていた。


「……これが“本物のリズム”だよ。MC婆って呼びな」


「MC……婆?」


「本名は婆崎玲子。元ラッパー、今はこの店のママ。

 昔はアメリカで武者修行もしてきた。

 まあ、向こうの黒人の姉ちゃん達に散々しごかれたけどね」


 婆はカウンターに肘をつき、ウイスキーの氷を回しながら言う。


「3週間で、あんたを一人前にしてやる」


「で、でも私、リズム感ゼロで……」


「リズムなんて後からついてくる。

 大事なのは“吐き出す勇気”だ。

 ビートに言葉を乗せるんじゃない。

 ビートと一緒に呼吸するんだよ」


 婆の目が鋭く光る。

 その眼差しは、スナックのママでも、ただの“おばちゃん”でもなかった。

 世界に挑んだMCの、それだった。


「大事なのは、魂を言葉に乗せること。あんた、それはできてるんだろ?」


「……」


「CODAMAから聞いたよ。罵倒で人を感動させて泣かせるVtuberだって」


 MC婆が時計を見る。


「あと10分で営業開始だ」


「営業?」


「ああ。うちの店には特別ルールがある」


 扉が開き、タトゥーだらけの男が入ってきた。


「よぉ婆ちゃん、今日もやるぜ」


 続いて、スーツ姿のサラリーマン、パーカーを深く被った若者、OL風の女性。


 皆、慣れた様子でカウンターに座る。


 10時の鐘が鳴った。


 突然、店内に軽快なビートが流れ始めた。


 MC婆が宣言した。


「営業開始。今から全員、リズムキープで会話だ」


 客たちが一斉にリズムに乗り始めた。


「ビール一杯、冷えたやつ頼む

 今日も仕事で疲れたから飲む」


「焼酎ロック、濃いめで作って

 明日も戦う英気を養って」


 ——全員、ラップで注文してる。


 OLの女性まで韻を踏んでいる。


「カシスオレンジ、甘めでお願い

 今日も上司にいじめられたい」


 私は震えた。


 ここは、ラッパーたちの聖地。


 そして私は3週間後、この人たちと同じ土俵に立たなければならないのだ。


(つづく)

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