33「素顔のままのふたりで」(修正)
(セイラの視点)
YUICAは、渋谷セントラルビルの前まで歩きながら、無言のまま深く考え込んでいた。
そんな彼女を気遣うように、セイラが静かに声をかける。
「タクシー、呼んであるから。近くまで送るよ」
「え、でも……」
「いいから、いいから。行きましょ」
二人はタクシーに乗り込んだ。
YUICAは車内でも黙ったまま、窓の外を見つめていた。
慌ただしい街並みが車窓に揺れ、流れるように看板が過ぎていく。
セイラは、隣に座る彼女の横顔にそっと目を向ける。
黙して語らぬ瞳には、迷いと決意が同時に宿っていた。
その静けさの奥に、言葉にならない感情が渦を巻いている。
どこか、自分自身を押し込めて、それでもなお前に進もうとしている──そんな顔だった。
——アタシも、そうだった。
完璧な「鳳凰院セイラ」として立ち続ける日々。
誰にも本音を見せられない孤独な夜。
メダカたちにだけ、弱音を吐いていた。
『おかえりなさい』って言われる歌が歌いたい。
『ただいま』って言える場所がほしい。
そんな時、偶然見つけたピンク髪のVTuber。
『しね、ブタ!』
画面越しに放たれるむき出しの言葉。
計算も演出もない、純粋な感情。
あの瞬間、アタシの奥底が揺さぶられた。
彼女が持っているもの——それは、アタシが失ったすべてだった。
自然な感情。素直な反応。忖度のない関係。
まるで裸みたいに、真っ直ぐで。
『アタシも……あんたに、相談したいくらいだよ』
気がつけば、そんな言葉が心の中で響いていた。
そして今、隣に座るこの人は——
「……セイラ、ありがとう」
その言葉が、突然、現実へとセイラを引き戻した。
「え?」
耳元で響いたその一言は、どこまでも穏やかで、まっすぐだった。
思考がふわりと車内へ戻ってくる。
「えっ……あ、ううん。この辺で降ろしてもらえれば……」
「あ、そっかそっか」
セイラはわずかに目を瞬かせ、咄嗟にそう返した。
いつも通りの声を装うけれど、頬の奥にほのかな熱が残っているのを自覚していた。
タクシーが停車した時、YUICAにセイラは思わず声が出る。
「……相談があったら、いつでもアタシを頼っていいんだよ?」
口にして、すぐに少しだけ後悔した。
それは"艦長"としての言葉だった。
また、どこか強がってしまった気がした。
でも、YUICAは優しく振り返ると、あたたかい声で答えた。
「ありがとう。でも、今度は私があなたの相談、聞くよ」
その言葉に、セイラは自然と目を細めた。
まるで、配信で見たあの夜と同じように。
真っ直ぐで、飾らない。だからこそ、響く。
「……YUICA」
「だってあなた、いつもなんか……寂しそうだから」
胸の奥に、また小さく棘が刺さる。
でも、その痛みは、どこか心地よかった。
「ちょ、登録者が増えなくて寂しいのは、あんたでしょうが!」
そう言って、セイラは少しだけ笑った。
YUICAもそれに合わせて、微笑む。
ドアが開き、風がタクシーの中に吹き込む。
YUICAが立ち上がるその瞬間、セイラはもう一度、言葉を紡いだ。
「あのさ……今度、アタシんち来ない?……見せたい子たちがいるんだ」
YUICAは驚いたように振り返り、すぐに優しくうなずいた。
「うん。絶対行くね」
「なあ……YUICA。……負けんなよ」
「そっちこそ」
タクシーが再び動き出す。
セイラは窓の外を見つめながら、人混みに消えていく彼女の背中を目で追った。
その姿が完全に見えなくなっても、目は自然とそこに残っていた。
そして、胸にそっと手を当てる。
「……やっぱすごいね、あんたは」
誰にも見せたことのない場所にあった想いが、ほんの少しだけ、あたたかくなっていた。




