31「お姉ちゃん、日本一の友達に会いに行く」(改稿)
——ついにこの日が来た。
「ゆい!大変!どうしよう!何着ていけばいい!?」
土曜日の朝10時。セイラと会う約束の時間まであと3時間なのに、私は部屋中に服を散らかして大パニックになっていた。
「お姉ちゃん、落ち着いて」
「落ち着けるわけないでしょ!36年間で初めての友達との約束なんだよ!?」
クローゼットから引っ張り出した服を次々と床に投げながら叫ぶ。
「これは地味すぎる!これは若作りしすぎ!これは……太って見える!」
「大丈夫だよ、お姉ちゃん太ってないから」
「じゃあこっちの黒と、こっちの黒ならどっちが私の黒っぽい?」
「全部黒い服じゃん……」
ゆいが呆れた顔で散乱した服を見回す。確かに黒とグレーと紺しかない。
「ていうか、これってデートなのかな!?女同士の場合なんて言うの!?」
「ただのランチでしょ」
「プレゼントとか必要!?手土産!?何がいい!?」
「必要ないって」
「第一声なんて言えばいい!?『初めまして』?『お久しぶりです』?」
「『こんにちは』でいいじゃん」
ゆいがため息をつきながら、散らかった服を拾い始める。
「そもそも相手の顔知らないんだよ!?どうやってセイラだって判断すればいいの!?」
「向こうも同じでしょ。しかもあの艦長だよ?指示どおり従ってれば大丈夫だよ」
「もし見た目でガッカリされたらどうしよう……『え、こんなダサい人だったの』って思われたら……」
私は鏡の前に立って、自分の姿を見つめた。
寝癖のついた髪、すっぴんの顔、よれよれの部屋着。
「やっぱり無理だ……キャンセルしよう……」
「お姉ちゃん!」
ゆいが私の肩をがっしりと掴んだ。
「深呼吸して。はい、吸って〜、吐いて〜」
「すーはー、すーはー」
「よし。じゃあ、あたしがコーディネートしてあげる」
ゆいが私の服を物色し始める。
「この白いブラウスと、このネイビーのスカート。シンプルだけど清潔感があっていいよ」
「でも地味じゃない?」
「お姉ちゃんに派手な服は似合わないでしょ」
——そりゃそうだけど、はっきり言われると傷つく。
「ねえゆい、私の見た目ってどう思う?正直に」
「え?」
「36歳独女の売れ残り感、満載でしょ?」
「そんなことないってば」
「ゆいはいいよ!かわいいし、美人だし、私なんて……」
ゆいが私をじっと見つめる。
「お姉ちゃん、ちょっとこっち来て」
ゆいが私を洗面所の大きな鏡の前に連れて行く。
「隣に並んで」
鏡に映る姉妹の姿。
「ほら、よく見て。あたしたち、似てるでしょ?」
「え……うん。顔はさすがに姉妹っぽいね」
確かに、並んでみると顔の造形がよく似ている。目の形、鼻筋、口元のライン。
「つまり、私とお姉ちゃんの違いは身長とメイクくらいのものでしょ」
たしかに顔は似てるけど私は黒髪で長髪で身長164cm、ゆいは茶髪のミディアムヘアで159cm。
そもそもYUICAは、ゆいをモデルにしてる。
私とゆいが同時に現れたら、10人中9人は、ゆいを「中の人」って思うはず。
「だからだぁ。お姉ちゃんの性格が暗そうな感じを消せれば……大差ないって」
「それが難しいんだってば!こっちは36年間で負のオーラが成熟しちゃってんの!」
「何それ、負のオーラって」
ゆいが笑いながら私の髪を整える。
「お姉ちゃんに必要なのは気持ちだよ、自己肯定感。つまり自信!」
「自信なんて……あるわけないじゃん」
「大丈夫だって。艦長だって、中身はどんな見た目かわからないでしょ」
「それはそうだけど……」
ゆいが私の両頬を挟んで、ぐいっと口角を上げさせる。
「はい、笑顔!」
「いひゃい、いひゃいよ」
「背中もまっすぐ姿勢良く!猫背は印象悪いよ」
30分後、ゆいのメイクとコーディネートで準備完了。
「うん、いい感じ。清楚で知的な36歳って感じ出てきた」
「それ褒めてる?」
「褒めてるよ。全然大丈だから。じゃあ行ってらっしゃい!」
◇ ◇
私は、約束の20分前に渋谷駅で電車を降りた。
するとスマートフォンにDMが届く。
『渋谷のセントラルビル前で。着いたら連絡して』
指定された場所は、渋谷の中でも少し外れた静かなエリアだった。
『着きました』
すぐに返信が来る。
『一番奥の左から2番目のエレベーターに乗って。最上階に直行するから』
——次々と指示がくる。なんか映画みたいだ。
エレベーターが最上階に着くと、そこには黒い扉があった。
看板らしきものは一切なく、ただ小さく「éclair」という文字だけが刻まれている。
——これって会員制のレストラン?
恐る恐るドアを開けると、黒服のスタッフが現れた。
「お待ちしておりました、どうぞこちらへ」
——え?エスコート付きなの?セレブレティだわ。
奥の個室に通される。
重厚な扉を開けると、そこには上下黒い服を着た小柄な女性が座っていた。
——この美人がセイラ?
オレンジ色の髪を後ろ縛りにして黒縁メガネをかけている。
その奥の瞳は大きく澄んでいて、色白の肌に映える整った鼻筋がわかる。
実年齢は31歳って言ってたけど、見た目はどうみても20代だ。
「あ、あの、YUICAです」
「ああ、どうも。セイラです」
律儀にも一度椅子から立ち上がって会釈するセイラ。
身長はゆいと同じくらいだろうか。
テーブルを挟み、向かい合って座る。
改めて見ても、派手な感じはなく、とてもナチュラルな服装とメイク。
つまりセイラは飾る必要がないくらいの美貌の持ち主だった。
——Vtuberって、見た目に自信がないから隠してるわけじゃないんだ。
私は安易な考え方を一瞬で改めた。
「驚いた?」セイラが微笑む。
「あ、いえ、その……」
「みんな同じ反応するよ。『思ってたのと違う』って。けっこう地味に落ち着いてるでしょ」
「いや、その、すごく……綺麗だなって」
「あは。そっか、ありがと。YUICAもね」
セイラが少し首を傾げる。
「配信の印象通りね。知的な雰囲気だね」
「え?」
「なんていうか、ちゃんと『大人』って感じ」
——それって褒め言葉なのかな?
「あの、私、なんか地味じゃないですか?綺麗でもないし」
つい不安が口をついて出た。
「綺麗じゃない?あなたが?」
セイラが軽く笑う。
「ひとによってはそれ、嫌味になるかもよ」
「いやいや、そんなつもりじゃなくて」
するとセイラは私の顔をじっと見つめる。
「あぁなるほど、ブタPは妹ってことかな。顔が似てるもんね」
「いや、あ、うん、まあ。バレたらしかたないですね。ここだけの秘密で」
「もしかしてYUICAのモデルベースも妹のほう?」
「作ったのは妹なので、そうなのかも……」
それを聞いたセイラは、何かに納得したように何度か頷く。
「でも、あなたみたいな自然体な感じ、羨ましいよ。作り込まなくても品がある」
——え?品?私に?
「あとタメ口にしろとはいわないけど、お互い敬語はやめようよ。堅苦しいからさ」
セイラがメニューを渡しながら続ける。
「ここまでの経路、ちょっと面倒な案内でごめんね」
「なんか、ちょっと映画みたいだなって」
「あは。私たちは基本的に人が多い場所では待ち合わせしないんだ。声バレのリスクがあるからね」
「なるほど……」
「呼び名はキャラ名でいいよ。でも店員の前では名前を呼ばないほうがいいね」
そんなプロの心得を聞きながら、私は緊張していた。
セイラが声を落とす。
「Vの世界って、イメージが全てだから。でも実際会ってみると、みんな結構普通の人間なんだよ」
「だからYUICAみたいに自然体でいられる人の方が、長続きすると思うよ」
「他のメンバーも、みんなセイラみたいに美人だったりするの?」
「うーん、具体的には言えないんだけど。たとえばうちなんかは何千人ものオーディションで選ばれた子たちだからね」
「中には元アイドルだったり、歌手だったり、モデルだったりとか、ビジュアルが良いのが多いかもな」
——なるほど選りすぐりか。36歳喪女の方が普通じゃないんだ。
今更ながら、場違いな気がしてきた。
ランチが揃い、お互いに食事を開始した頃合いで、私は本題に切り込んだ。
「あの、今日の相談なんだけど……」
「100万人から登録者が伸びない。でしょ?」
単刀直入な物言いに、私は頷いた。
「正直に言うね。V界の市場規模を考えると、100万人ですら奇跡的な数字なのよ」
「え?そうなの?」
「マスターズ所属の人気ライバーでも、100万人到達には平均1年半かかる。YUICAの成長速度は異常なんだよ」
ここでセイラが真剣な表情になる。
「でも、次の200万を目指すなら……今のYUICAのままじゃ……まず無理だね」
その言葉が、静かに胸に突き刺さった。
「え!どうして……?」
セイラがアイスコーヒーを一口飲んで、まっすぐ私を見つめた。
「日本最大のうちですら、登録者数200万を超えるメンバーは数名しかいないんだよ」
「そしてそのメンバーは全員、YUICAに無い武器を持ってる……それが何か分かる?」
「わかる……いや、わかんない……」
セイラは膝に置いていたナプキンで、その小さな口を軽く拭く。
そして、姿勢を正した。
「つまりここから先は、相当な覚悟が必要よ」
「今までのYUICAとは比べ物にならないくらい過酷な世界」
私の背筋が凍った。
「それでも知りたい?」
セイラの瞳が、まるで私を試すように見つめている。
「アタシなら、YUICAを400万人のステージに連れて行ける。ただし——」
「ただし?」
「そのためには、200万人を突破する武器が必要」
「その……武器ってなんなの?」
セイラが不敵に笑った。
「続きを聞きたい?ここから先の地獄を見る覚悟があるなら……話すけど」
(つづく)




