26「ブタPという名の天才」(改稿)
家に帰った私を待っていたのは、キッチンで夕食を作るゆいの後ろ姿だった。
いつものように「ただいま」と声を出そうとしたが、喉がつまって何も言えなかった。
私は玄関で靴を脱ぎながら、今日の出来事を思い返していた。
——どうやって説明しよう……
「ゆい……」
「お帰りなさい、お姉ちゃん。ん?どうしたん?」
ゆいが振り返って、いつもの笑顔を見せた。
でも、私はその笑顔を見ることができなかった。
「ゆい!ごめぇぇぇん!!」
ズザァァァァァ!
私はリビングの床にスライングで土下座した。
「え?」
ゆいが慌ててキッチンから出てくる。
「お姉ちゃん、今度は何したの?」
「本当にごめん……取り返しのつかないことを……」
「とりあえず立って。話を聞くから」
ゆいに支えられてソファに座り、私は今日の出来事を一から説明した。
山之内部長の暴走ぶり。期待されて気分が大きくなってたこと。そして私が咄嗟についてしまった嘘。
「……で、プロデューサーの名前を聞かれて、思わず『ブタP』って答えちゃったの……」
ゆいは黙って最後まで聞いていた。
しばらく沈黙が続いた後、ゆいが頭を抱えた。
「お姉ちゃん……名前をつけるにしても、ブタPはちょっとひどいでしょ」
「ごめん……ほんとぉにごめん……」
「困ったなぁ……」
——やっぱり怒ってる?……怒るよねそりゃ。
「まあブタどもから連想したのはわかるけどさぁ……そう呼ばれるのあたしなのよぉ」
その時だった。
ピロピロピロピロピロピロピロピロ!!!
YUICA♡用のスマートフォンから、けたたましい通知音が鳴り止まなくなった。
「え?何これ?」
私が慌ててスマートフォンを取ると、画面が通知で埋め尽くされていた。
「メンション通知、リプライ通知、フォロー通知……」
「どうしたの?」
ゆいが覗き込む。
私がXを開くと、タイムラインが異常な速度で流れていた。
そして、リプライされまくっている記事のタイトルが目に飛び込んできた。
『YUICA♡を仕掛けた謎の天才プロデューサー「ブタP」の正体とは?』
「え……もう記事になってる?」
ゆいが私のスマートフォンを覗き込む。
「『夕方までに記事を』って言ってたけど、本当に出してる……」
記事の内容を読むと、私が今日会議で話したことが、いかにも事実であるかのように書かれていた。
「『謎に包まれた天才プロデューサー、ブタP』『YUICA♡の快進撃を陰で支える影の立役者』……」
「うわあああああ」
私は頭を抱えた。
そして、YUICA♡のアカウントには次々とリプライが飛んできていた。
『@YUICA_heart ブタPって誰ですか!?』
『@YUICA_heart プロデューサーいたんですね!』
『@YUICA_heart ブタPさんとコラボしてください!』
『@YUICA_heart ブタP情報求む!』
通知が鳴り止まない。
リツイート数も凄まじい勢いで増え続けている。
「すごい勢い……これは想定以上だねぇ」
ゆいが呆然と画面を見つめている。
「あらぁ『#ブタP』トレンド入りしてる……」
「え?もうトレンド入り!?」
私の声が裏返った。
「どうしよう……どうしよう……」
パニックになる私の横で、ゆいは冷静にスマートフォンの画面をスクロールしていた。
「お姉ちゃん」
「何?」
「もう後戻りできないわこれ」
「え?」
ゆいが振り返る。その目つきが、いつもの戦略的なモードに切り替わっていた。
「これだけ注目されちゃったら、『嘘でした』なんて言えない」
「じゃあ、どうすれば……」
「やるしかないね」
「やるって……何を?」
「本気でブタPとして活動するの。あたしが」
「え?え?え?」
私は飛び上がった。
「お姉ちゃんが作ってしまった設定なら、もうそう演じるしかないでしょ?」
私のスマートフォンにメッセージが届いた。
田村さんからだった。
『田中さん、お疲れさんですぅ。記事の反響がえらいことになってもうて」
『山之内部長が明日にでも、ブタPさんのインタビュー動画撮影できへんかって息巻いてましてな」
『ダメ元で聞いてくれへんかな?そのブタPさんに』
「うわあああああ」
私は再び頭を抱えた。
でも、ゆいは意外にも落ち着いていた。
「お姉ちゃん、返事して。『調整します』って」
「でも……」
「大丈夫。あたしがなんとかするから」
ゆいの自信に満ちた表情を見て、私は少しだけ安心した。
しばらくして、ゆいの目つきが変わった。
「でも、ブタPって名前……」
「ひどいよねぇ……」
「確かにひどいけど、その分インパクトはあるよね。一瞬で広まっちゃったからねぇ」
ゆいがスマートフォンの画面を見せる。
そこには『#ブタP』のハッシュタグで無数のツイートが流れていた。
『ブタPって何者?』
『天才プロデューサーの予感』
『YUICA♡の裏にこんな人がいたのか』
「もしかしたら、これは戦略的にありかもしれない」
ゆいが不敵な笑顔をみせる。これ、何か企んでる時の顔だ。
「まさか……よからぬことを?」
「覚えやすくて、話題性もある。マーケティング的にはかなり……うん、よし、いけるなこれ」
そして、ゆいの目が突然輝いた。
「お姉ちゃん!」
「え?何?」
「こうなったら、早速、XにブタPのアカウント作るわ!」
「え!?」
私は再び飛び上がった。
「だ、だめだよ!もうこれ以上大事にしちゃ……」
「遅いよ。もうここまで注目されちゃったんだから、中途半端にやるより徹底的にやった方がいい」
ゆいが立ち上がって、いそいそとパソコンに向かう。
——もうこのノリノリっぷり、完全にゆいの悪い癖が出てるじゃん……
ゆいはこんな感じで勢いがつくともう止まらない。
「そんな不安な顔しないの!これは戦略よ、戦略」
ゆいがキーボードをカタカタと叩き始める。
「@ButaP_Official……よし、アカウント名確保完了」
——もう作ってる!え?今から公開する気?
「あ、プロフィール写真どうしよっかな?」
「お姉ちゃん、私の部屋からあのでかいサングラス持ってきて!」
「でかいサングラス?」
「机の上にある、勘違いした韓流ドラマの金持ちヒロインみたいなやつ」
——なんだその例えは。ていうかそんなものどうすんの……
私は言われるままに、ゆいの部屋からサングラスを持ってきた。
「これ?」
「そう、それそれ」
ゆいがサングラスを受け取って、鏡を見ながらかけた。
——え?
サングラスをかけたゆいは、なぜかすごくクールに見えた。普段の可愛らしい妹が、一瞬でミステリアスな美女に変身している。
「どう?」
「あ……かっこいい……」
「でしょぉ」
ゆいがスマートフォンを取り出して、自撮りモードにした。
「ちょっと、いきなり写真撮るの?」
「プロフィール画像用よ」
ゆいが角度を調整しながら、何枚も自撮りを撮っている。
「……この角度がいいかな……いや、こっちの方が神秘的……」
——この人、意外と自撮り慣れしてる?
「よし、これで決まり」
ゆいが写真を選んで、プロフィールにアップした。
私も画面を覗き込む。
「うわ……」
そこには、サングラス越しでも美人だとわかる写真が映っていた。ミステリアスなのに、どこか親しみやすさもある絶妙な一枚。
「さすが、ゆい、自分の魅せ方が上手い……」
「何それ」
「いや、サングラスで正体隠してるのに、美人なのがちゃんと伝わる写真にしてるでしょ」
「当然よ。話題性と神秘性を両立させないと」
ゆいが得意げに言う。
「プロフィール文も考えたの」
画面を見ると、こう書かれていた。
『YUICA♡の全てを知る裏番長。言葉を武器に、夢を現実にする者。#ブタP』
「うわぁ、なんかかっこいい……」
「でしょぉ?」
ゆいがエンターキーを押す。
「よし、アカウント開設完了!」
さすが生まれついての陽キャ。自己肯定感の高さゆえの自信。
——この行動力、見習いたいような、怖いような……
「で、最初のツイートは何にするの?」
「それは……」
ゆいが少し考えて、キーボードを叩き始めた。
『始まりの時。YUICA♡の新たな可能性を、共に見届けてください。 #ブタP #YUICA♡』
「うわ、もう投稿してる……」
投稿ボタンを押した瞬間、私たちのスマートフォンが一斉に通知を鳴らし始めた。
「え?もう反応が?」
「X、恐るべし……」
画面を見ると、すでにいくつものリプライがついている。
『ついに本物登場!』
『この写真、めっちゃかっこいい』
『ちょっとYUICAに似てない?』
『ブタPって美人プロデューサーなのか』
『この名前で美人てギャップ萌え』
『YUICA♡とのコラボ期待』
「うわあああああ……一瞬でバズった」
私は再び頭を抱えた。
こんな天才なのに、なんでゆいはVtuberでは失敗したんだろう?
「よし!これで最近落ちていたYUICA♡の注目度も再浮上よ」
ゆいは嬉しそうにコメントを眺めている。
「でも、これ以上騒ぎが大きくなったら、どうするの?」
「その時はその時。今は波に乗るのが一番でしょ」
ゆいの目がキラキラしていた。
——この人やっぱ私と頭の構造が違う。状況を完全に楽しんでる……
そして、私のスマートフォンがまた通知を鳴らした。
『速報:ブタP、公式Xアカウント開設!美人プロデューサーに注目集まる』
——もう速報って……どんだけ早いの、この業界……
「ゆい……私たち、もう後戻りできないよね?」
「後戻り?」
ゆいが振り返って、にっこりと笑った。
「前進あるのみでしょ?お姉ちゃん」
その笑顔を見て、私は観念した。
——もうこの件は、妹に任せるしかない……
通知音はまだ鳴り続けていた。
私たちの生活が、また大きく変わろうとしていた。
(つづく)
——次回「なぜだ?伸び悩むチャンネル登録者」




