22「歪んだ正義と大炎上」※追加
【翌朝・月曜日】
時刻は朝の6時。
鳴り止まないスマートフォンの通知音とバイブで叩き起こされた。
「うーん……なんなのよ、この通知の嵐」
恐る恐るスマートフォンを確認すると、画面が真っ赤になっていた。
——ツイッター、じゃなくてXか。
YUICAアカウントへの通知が999+になってる。
タイムラインを開いた瞬間、私の血の気が引いた。
『#YUICA偽善者』『#税金でVtuber』『#Vtuberに子育てさせるな』
全てトレンド入りしている。しかも1位、2位、3位を独占。
「うわああああああ……」
思わず布団をかぶった。現実逃避したい。でも、逃げてもスマートフォンの通知は止まらない。
「お姉ちゃん?大丈夫?」
ゆいが心配そうに部屋を覗き込む。
「ゆい……これ、見て」
震える手でスマートフォンを差し出す。
ゆいの顔が青ざめた。
「うわ……これは酷い」
リビングに移動して、二人でスマートフォンとノートパソコンを使って状況を確認した。
画面には、週刊誌の記事がネットニュースで拡散されている様子が映し出されていた。
『【衝撃】文科省採用のVtuber「YUICA」過去の暴言が発覚』
『「しね、ブタ」「気持ち悪い」子供の教育を任せて大丈夫?』
『税金で雇われたVtuberの正体は"罵倒系"だった』
——全部、文脈を完全に無視した悪意ある切り抜きだ。
「これ……記事書いた人、絶対に私の配信見てないでしょ」
私は頭を抱えた。
「『しね、ブタ』の部分だけ抜き出して、リスナーへの愛情表現だってことは一切書いてない」
「しかも『気持ち悪い』も、理不尽なセクハラに対して言った言葉なのに……」
「ゆい、今日はアルバイト休むよ……」
「うん、そうして。何が起こるかわかんないからね」
——午後
ゆいがノートパソコンでワイドショーの切り抜き動画を確認している。
「うわ……テレビで報道されてる」
画面には、平日朝のワイドショーの映像が。
コメンテーターの中年男性が憤慨している。
『教育というものは、もっと真面目であるべきなんです!』
『現場の教師の方々の努力が、こんな形で嘲笑されているんですよ!』
『子供たちに、暴言を吐く人をお手本にしろと?正気の沙汰とは思えません』
——お手本って……私、そんなこと一言も言ってないんだけど。
別のコメンテーターも続ける。
『そもそも、バーチャルキャラクターに教育を任せるという発想が間違っています』
『血の通った人間同士の交流こそが、教育の基本のはずです』
私は画面を見つめながら、だんだん腹が立ってきた。
「この人たち、私の配信見たことあるの?」
「あの中学生の、いじめの相談が、どれだけ真剣な悩みだか知ってるの?」
ゆいが心配そうに私を見る。
「お姉ちゃん、落ち着いて」
「でも……」
その時、ゆいのスマートフォンが鳴った。
文科省の春木さんからだった。ゆいがスピーカーモードにする。
「はい、田中です」
『おはようございます。春木です』
声が申し訳なさそうだった。
『実は……昨夜から苦情が相次いでおりまして』
「苦情、ですか」
『はい。特に保護者の方々から、キャンペーンへの参加を見直すべきだという声が……』
それを聞いて私の心臓が重くなった。
『それで、いくつかの自治体の教育委員会が、キャンペーンへの参加を取りやめるという連絡が入っております』
「そうですか……」
——やっぱり、こうなるのか。
『YUICA様には何の落ち度もありません。私たちの調査不足で、このような事態になってしまい、本当に申し訳ありません』
「いえ、こちらこそ……気を使わせてしまって」
『状況が落ち着くまで、少しお時間をいただければと思います』
要するに、しばらくキャンペーン活動を停止するということだった。
「わかりました」
電話を切って、ゆいはソファに沈み込んだ。
「予想通りだね……いくつかの自治体が参加を取りやめるって」
「お姉ちゃん、今回は辞退した方がいいかもねぇ」
「身を引くってこと?こっちは何も悪くないのに?」
「この炎上、時間が経てば沈静化する。今は下手に反応しない方がいいよ」
ゆいの提案は理にかなっていた。でも、私はどうしても納得できなかった。
「でも、逃げたらあの子に顔向けできない」
「あの子?」
「いじめの相談をしてくれた中学生よ」
私は立ち上がって、窓の外を見つめた。
「あの子が勇気を出して相談してくれたから、他の子たちも救われるかもしれなかったのに」
「お姉ちゃん……」
その時、私のスマートフォンに通知が来た。
XのYUICA宛の書き込みだった。
送信者は『中2の男子』。
——まさか、あの時の子?
恐る恐る開いてみると……
『YUICA♡様、僕です。覚えていますか?いじめのことで相談した中学生です』
『今、ネットでYUICA♡様のことがたくさん書かれてるのを見ました』
『僕は、YUICA♡様のおかげで親に相談できて、今は別の学校で楽しく過ごしています』
『YUICA♡様は僕の命を救ってくれました』
『どんなことを言われても、僕はYUICA♡様の味方です』
『本当にありがとうございました。ずっと応援してます』
涙が止まらなくなった。
「お姉ちゃん?」
ゆいが心配そうに覗き込む。
「あの子……元気でやってるって」
私はスマートフォンを見せた。ゆいも涙ぐんでいる。
「良かった……本当に良かった」
でも、喜びも束の間だった。
この書き込みに対するリプライを見て、私の怒りが爆発しそうになった。
『なりすまし乙』
『自作自演www』
『VTuberのファンって頭おかしい』
『こんなのに騙される奴がいるのかよ』
——この人たち、何なの?
人の真剣な気持ちを、なんでこんな風に踏みにじれるの?
「この子が嘘をついてるわけないでしょ」
私は椅子から飛びすように立ち上がった。
「お姉ちゃん、落ち着いてよ。いちいち反応しちゃだめだって」
ゆいが私の腕を掴む。
「そうじゃない!」
私はゆいを見下ろす。
「この子の気持ちを踏みにじってる奴らが許せないのよ!」
——あの子は、命がけで相談してくれた。
——そして、ちゃんと行動に移して、新しい学校で頑張ってる。
——それを『なりすまし』だなんて……
私は画面に向かって呟いた。
「……私は、誰のために、何のためにここに立ってるんだろう」
ゆいが静かに答える。
「お姉ちゃんは、困ってる人のために立ってるんだよ」
ゆいが私の手を握る。
「あの子のメッセージが証拠でしょ?」
「それに、お姉ちゃんの配信で救われた人は、あの子だけじゃない」
ゆいがスマートフォンを操作して、画面を見せてくれる。
そこには、私の配信の感想がたくさん投稿されていた。
『YUICAのおかげで転職する勇気が出た』
『毒舌だけど、本当に優しい人だと思う』
『人生相談、いつも参考になってます』
でも、同時に批判的なコメントも山ほどある。
『こんな人に教育任せるなんて』
『子供に悪影響』
『税金の無駄遣い』
——どっちが本当なんだろう。
私は混乱していた。
私の言葉は、人を救っているのか、それとも傷つけているのか。
「お姉ちゃん」
ゆいが真剣な表情で私を見つめる。
「答えは、お姉ちゃんの心の中にあるよ」
「心の中?」
「お姉ちゃんが配信を続けた理由、覚えてる?」
——配信を続けてる理由……
最初は偶然だった。妹のアカウントを間違って使っただけ。
でも、続けた理由は……
「人の役に立てたのが、嬉しかったから……」
「そう。そして実際に、役に立ってるでしょ」
ゆいが微笑む。
「批判する人たちは、お姉ちゃんのことを本当は知らない」
「中には面白がって、煽って遊んでるひともいる」
「でも、救われた人たちは、お姉ちゃんの本当の優しさを知ってる」
「どっちを信じる?」
私は深呼吸した。
——そうだ。
——私は、困ってる人のために配信してる。
——それは、最初から変わらない。
「わかった」
私は顔を上げた。
「でも逃げない」
「お姉ちゃん……」
「あの子が勇気を出してくれたのに、私が逃げるわけにはいかない」
私は決意を固めた。
——炎上しようが、批判されようが。
——私の言葉を必要としてくれる人がいる限り、戦い続ける。
その時、再びゆいのスマートフォンが鳴った。
「もしもし」
『週刊春分の記者の田辺と申します。YUICAさんはいらっしゃいますか?』
「申し訳ございませんが、本人は外出しております」
『そうですか。それでは関係者の方としてお聞きしたいのですが』
ゆいの表情が険しくなった。
『今回の文科省との件について、YUICAさんはどのような経緯で児童教育に関わることになったのでしょうか?』
「それは正式な手続きを経て……」
『ただ、過去の配信を拝見しますと、かなり過激な発言が目立ちますが』
「過激って、どの部分のことでしょうか?」
『「死ね、ブタ」「気持ち悪い」といった暴言を、教育に携わる人間が発するのは問題では?』
ゆいの顔が真っ赤になった。
「ちょっと待ってください」
『はい』
「あなた、本当にYUICAの配信を最初から最後まで見たことがあるんですか?」
『それは……要点を抑えて取材しており』
「要点って何ですか?」
ゆいの声が低くなった。
「文脈を完全に無視して、言葉だけ切り取って『暴言』だと決めつけてるんじゃないですか?」
『いえ、そのようなことは……』
「YUICAがどういう気持ちでその言葉を使ったのか、前後の流れはどうだったのか、ちゃんと調べました?」
『記事の制作上、全てを詳細に検証するのは……』
「検証もしないで人を批判する記事を書くんですか?」
私はゆいの剣幕に驚いていた。普段温厚な妹が、こんなに怒ることなんて滅多にない。
「YUICAのリスナーとの関係性、相談者への真摯な対応、全部見ないで『暴言』って決めつけるのは、それこそ暴言じゃないですか?」
『しかし、客観的に見て……』
「客観的?」
ゆいが立ち上がった。
「客観的に見るなら、YUICAの配信で救われた人たちの声も聞いてください」
「いじめで苦しんでた中学生が、YUICAのアドバイスで親に相談できて、今は新しい学校で元気にやってるんです」
「その事実は記事に書かないんですか?」
『それは……確認が取れていないので』
「確認って、何の確認ですか?」
「YUICAを叩く材料は確認なしで記事にして、YUICAを肯定する材料は確認が必要って、それフェアじゃないですよね?」
私は感動していた。ゆいが、こんなに私のことを守ろうとしてくれるなんて。
『記者としては、様々な角度から……』
「様々な角度って言うなら、YUICAの人生相談でどれだけの人が救われたか、ちゃんと取材してから記事にしてください」
「一方的な批判記事を書くつもりなら、取材は受けられません」
ゆいは電話を切った。
「ゆい……」
「お姉ちゃん」
ゆいが振り返る。その目には涙が浮かんでいた。
「私、お姉ちゃんがどれだけ真剣に配信してるか知ってるから」
「毎回、相談者のことを本気で心配して、夜も眠れないこともあるって知ってるから」
「そんなお姉ちゃんを、見もしないで批判する人たちが許せない」
私は妹を抱きしめた。
「ありがとう、ゆい」
「当然だよ。私はお姉ちゃんの味方だから」
ゆいの言葉に、私の心が温かくなった。
「もう、我慢できない」
私は立ち上がった。
「ちゃんと話さなきゃ。私の本当の気持ちを」
ゆいが心配そうに見つめる。
「どうするつもり?」
「わからない。でも、黙ってるのはもう嫌だ」
私は窓の外を見つめながら、決意を新たにした。
——誰が何と言おうと。
——私は、私の信じる道を歩く。
そのためなら、どんな戦いでも受けて立つ。
(つづく)
——次回「燃やされる言葉、守りたい命」




