21「罵倒の正義と、正義の罠」※追加
翌日、土曜日。
【田中家・配信部屋】
朝10時。アルバイトも休みなので普段なら寝ている時間だけど、今日は重要なビデオ会議があった。
画面には『文部科学省 児童生徒課』という堅い肩書きの女性が映っている。
「え?私が『いじめ撲滅キャンペーン』のイメージキャラクターですか?」
思わず聞き返してしまった。
——相手はかなり公共的な組織だ。
しかも、いじめ撲滅キャンペーンのイメージキャラクターって、普通もっと清純派のタレントとかがやるやつでしょ?
隣でゆいも困惑している。
「あの、うちのYUICAは毒舌キャラでして……『しねブタ』とか言っちゃうんですけど」
担当者の女性——確か春木さん——が優しく微笑んだ。
「存じています。だからこそ、お願いしたいんです」
「だからこそ?」
「実は、複数の学校長から推薦があったんです」
春木さんが資料を画面共有する。
『高山中学校 校長 推薦文』
『上町中学校 教頭 推薦文』
『山王中学校 生徒指導主任 推薦文』
——え、なにこれ。10校以上ある。
「みさなんおっしゃってるのが、YUICAさんのある配信での対応でした」
春木さんが続ける。
「中学生のいじめ相談に対するYUICAさんの回答。あれは教育者として、いえ、大人として深く考えさせられました」
「私の人生相談の回答が……?」
ゆいと顔を見合わせる。
「特に『様子見って何を見るの?』という問いかけ。正直、教師としてわたしも胸に刺さりました」
春木さんの表情が真剣になる。
「私たち教育行政も、現場の先生も、『様子を見ましょう』で問題を先送りしてきた部分があります」
「あ、あの日のあれか……」
——思い出した。中学生が、学校での虐めについて相談してきたやつだ。
ゆいも思い出したようで、小さく呟く。
「あの回、切り抜き500万再生いったやつですね……」
「はい。そして何より、相談した生徒さんが実際に親御さんに相談して、今は別の学校で元気に過ごしているという報告も受けています」
「え、あの子、元気なんですね!」
「ええ。『YUICAさんのおかげで勇気が出た』と」
胸が熱くなった。
——あの時の配信、あの子は確かに必死だった。
【回想・配信画面】
スパチャが流れてきた。
『中2男子です。クラスでいじめられてます。学校に行くのが怖いです。しにたいって思う日もあります。どうしたらいいですか』
私は画面を見つめたまま、10秒間何も言えなかった。
——この子の気持ち、痛いほど分かる。
「……おい、ブタども。今から大事な話するから、茶化すやつはBANするよ」
コメント欄が真剣モードに切り替わる。
『お嬢、マジモード』
『はい、静聴します』
「中2君、よく相談してくれた。君は勇気があるね」
——私も中学時代、同じ悩みがあったけど、結局誰にも相談できなかった。
「まず聞くけど、大人に相談した?」
『質問者:先生に言ったけど「様子を見ましょう」って言われました』
「様子見……ね」
怒りが込み上げてきた。
「リスナーにも教師がいるかもしれない。だからこそちょっとキツめに言うけどさ」
「『様子見』って、何を見るの?」
「子供が壊れるまで見るの?不登校になるまで見るの?」
コメント欄も反応する。
『それな』
『様子見=放置』
『先生も忙しいんだよ……』
「違う、先生を責めてるんじゃない」
私は深呼吸した。感情的になりすぎてはいけない。
「システムの問題を指摘してるの」
「いじめって『子供同士のトラブル』じゃない。これは『暴行』『恐喝』『名誉毀損』」
「大人の世界なら犯罪なのに、学校だと『いじめ』って言葉で軽くなる」
『質問者:でも親にも心配かけたくないし……』
「おい、ちょっと待て」
私の声が自然とキツくなった。
——この子、昔の私と同じこと言ってる。
「あのさ、親って何のためにいると思う?」
「子供が困った時に頼られるためにいるんだよ」
「心配かけたくない?逆だよ。心配させろ」
「親にとって一番辛いのは、子供が一人で苦しんでることを後で知ることだから」
コメント欄が静かになった。
私は続けた。正直に。
「私の母親、私がいじめられてたこと、3年後に知ったんだ」
「泣いてた。『なんで言ってくれなかったの』って」
「『助けたかった』って」
——あの時の母の顔、今でも忘れられない。
『質問者:でも、親に言ったら大げさになりそうで……』
「大げさでいいんだよ!」
思わず声が大きくなった。
「むしろ大げさにしろ!」
「学校が動かないなら教育委員会。それでもダメなら警察」
「『たかがいじめ』じゃない。あんたの人生がかかってる」
ブタどもも真剣に反応してくれている。
『これ、俺も親に言えなかった』
『大げさにしていいんだよな……』
『そうだよ、大きな問題なんだから』
『録音して教育委員会に送るとか』
私は画面に向かって、まっすぐ話しかけた。
「でもね、一番大事なこと言う」
「いじめられてるあんたは、何も悪くない」
「『いじめられる側にも原因が』って言う奴いるけど、それ違う」
「原因と責任は別なんだよ」
「あんたが変わってても、大人しくても、それはあんたの個性」
「それをいじめる理由にする奴が100%悪い」
『質問者:でも、みんなに嫌われてるし、無視されてるから……』
——あの頃の私も、同じこと思ってた。
「『みんな』って誰?」
「クラスの30人?学年の100人?」
「世界に80億人いるんだよ」
「その中のたった30人に嫌われたからって、あんたの価値は何も変わらない!」
コメント欄が少し明るくなる。
『80億分の30とか誤差さ』
『確率論キタ━━━(゜∀゜)━━━!!』
『お嬢の数学知識にいつも感心』
『よくそんな返し思いつくよな』
「学校ってさ、ものすごく狭い世界なんだよ」
「でも中学生には、それが世界のすべてに感じる」
——私もそうだった。あの教室が地獄の全てだと思ってた。
「だから言っとく。学校の外には、もっと、もっと広い世界が拡がってる」
「あんたを認めてくれる人も、必ずいる。絶対に居場所はある」
「まあ、私みたいに36歳になって、やっと見つけてもらった人もいるけどね」
ブタどもが温かい言葉をくれる。
『お嬢だけじゃない、俺たちがいる!』
『ブタども、みんな優しい』
『中2君、ここにいていいんだよ』
『俺たちはもう仲間だろ』
こういう時のブタどもって、ほんと頼りになる。
たぶん、彼らも人の痛みをよく知っているんだろう。
そうでなきゃ、こんな私を愛してくれるわけないからね。
私は深呼吸した。
最後に、どうしても伝えたいことがあるから。
「ねえ最後に、これだけは私と約束して」
「学校に行けない日があってもいい。休んでもいいし、逃げてもいい」
「でも、完全に引きこもるな」
「図書館でも、ゲーセンでも、どこでもいいから外に出ろ」
「そして、何かひとつ、好きなことを見つけろ」
「それが将来の武器になるから」
『質問者:ありがとうございます……なんか、少し楽になりました』
「楽になんかならなくていい」
私は本音で答えた。
「でも、明日も生きててね」
「そしていつか、『あの時死ななくてよかった』って思える日が来るから」
「もちろん約束はできない。でも、少なくとも、私がその証拠だよ」
——36歳、陰キャ、ダメ人間の私が、今ここで数万人に向かって話してる。
『やべえ、また目から汗が』
『これさっそく切り抜くわ』
『世界は広いぞ中学生』
『いろんな未来が待ってる』
『人生わかんないもんだぞ』
『たしかに。ブタと罵られて愉悦してるなんて思わなかったしな』
「質問者:はい!僕もブタで良かったです!」
「以上。次のスパチャ読むぞ、ブタども」
【現在・ビデオ会議は無事終了】
つまり、あの配信が複数名の学校長や文部科学省の担当者の目に留まり、「子供の視点に立った実践的なアドバイス」として評価されたらしい。
特に「様子見」への問題提起が、教育現場の対応指針見直しのきっかけになったとか。
——まさか私のいじめへの罵倒が、国の指針を変えるきっかけになるなんて。
私たちは快くオファーを受けることにした。
ゆいが契約関係の書類を確認した上で、正式にデジタル署名した。
さっそく教育委員会を通じて、保護者会やPTAなどに正式通達するそうだ。
私は会議が終わって、私はすぐにセイラにDMを送った。
『セイラ、相談があるんだけど』 既読がついて、すぐに返信が来た。
『どうしたの?寂しいから会いたいとかメンヘラ発動してんのか?』
『違うわよ。文科省からいじめ撲滅キャンペーンのイメージキャラクターのオファーをうけたんだけど』
少し間があった。
『それって……公的機関だよな?』
『そう。初めてだから、振る舞い方とか注意点とか聞こうと思って』
セイラからの返信が、いつもより慎重だった。
『YUICA、それ慎重に構えていたほうがいいぞ』
『え?やっぱ生活態度とか?』
『そうじゃない。公的な組織のイメージキャラクターになるってけっこう面倒なんだわ』
——面倒?なんかあんのかな。
『思わぬ組織や団体からの、批判の的になりやすいんだわ』
『批判?なんで?』
『「税金使って何やってんだ」とか「Vtuberなんかに任せるな」とかな』
セイラの言葉が続く。
『アタシも以前、自治体とのコラボの話があった。でも、名前が出る前に潰された』
『え……どうして?』
『Vtuberだからだよ。アタシらの社会的認知には、まだまだいろんな意見があるからな』
私は考え込んだ。
『でも、いじめで苦しんでる子の役に立てるなら……』
『それは素晴らしいことだと思う。でも覚悟は必要』
『覚悟?』
『何か問題が起きた時、全責任がおまえや採用した責任者らに向かうってこと』
セイラが伝えるメッセージが、妙に不穏だった。
『YUICAなら大丈夫だと思うけど。でもまあ気をつけといて』
『うん』
『登録者100万超えたろ?敵を作りやすい時期だから、慎重にな』
画面を見つめながら、私は少し不安になった。
——敵って、誰の?
◇ ◇
——翌日。
「お姉ちゃん、大変!」
「どうしたの?」
「Xでトレンド入りしてる」
ゆいのスマホを見せられて、私は凍りついた。
『#YUICA文科省癒着』
『#税金でVtuber』
『#偽善者YUICA』
——え、もう?まだ正式に発表されてないよね。
「こりゃ関係者の誰かがリークしたのかもね」
ゆいの顔が青ざめている。
「しかも、お姉ちゃんの過去の発言を掘り起こして……」
「前後無視して、切り抜かれてるね。これは悪質だわ」
画面には、私の過去の配信の切り抜きが。
『しね、ブタ!』
『気持ち悪い』
『生きてる価値ない』
たしかに全部、文脈を無視して悪意ある編集がされていた。
——これが、セイラの言ってた「敵」か。
そしてこの騒動は、ただのネットの炎上じゃすまなくなる。
(つづく)
子どもを守る言葉が、SNSの業火に晒される。
正しさは、なぜ燃やされるのか。
次回——社会の狂気と、YUICAの闘いが始まる。




