13「鳳凰院セイラの孤独」※追加
セイラは、スマホに残った19日間のYUICAとのやりとりをじっとめいていた。
彼女の言葉には静けさの奥に、言葉にならない感情が渦を巻いている。
どこか、自分自身を押し込めて、それでもなお『YUICA』として前に進もうとしている──そんな文章だった。
──アタシも、そうだった。
いつの間にか、“鳳凰院セイラ”でいることが日常になっていた。
誰にも頼らず、誰にも本音を見せず、キャラクターとしての鎧をまとって立ち続ける。
完璧であることを望まれ、応えるたびに、本当の自分は少しずつ遠のいていった。
本当は、誰かと“素”で話したかった。
キャラでも、演出でもない、ただのアタシとして。
あの日、配信越しにYUICAを初めて見たとき。
彼女の放ったむき出しの言葉に、セイラの奥底が揺さぶられた。
気づいたら、ずっと画面の向こうに目が離せなくなっていた。
——セイラの回想
【20日前の午前10時 セイラの自宅マンション】
その日は、目覚ましもかけていないのに、スマートフォンの通知音で目が覚めた。
画面には既に47件の未読メッセージ。
『企業案件のスケジュール調整について(緊急)』
『新曲MVの修正依頼』
『雑誌インタビューの件で(至急返事求む)』
『炎上案件への声明草案、本日中に』
『コラボ企画の件で』
『ファンミーティングの準備について』
久々の完全オフ日のはずなのに。
「……たった1日くらい、誰にも必要とされない時間が欲しいって思うのは、甘えなのかな」
でも、手は自然とスマートフォンに伸びる。返事を書かないと、みんなに迷惑がかかる。
ひとつつずつ丁寧に返信していく。企業への営業的な文章、雑誌への威厳ある回答、ファンへの愛情溢れるメッセージ。
全てに「鳳凰院セイラ」としての完璧な対応を求められる。
一件ずつ返信していたら、もう昼になっていた。
【午後1時 銀河歌劇艦隊グループLINE】
プライベート用のスマートフォンが鳴り始めた。
『ルナ:艦長ー!恋愛相談があるのです!』
『アマネ:次回配信の企画、データ分析完了しました。確認お願いします』
『コハク:艦長〜!家族ともめちゃった〜助けて〜』
セイラは溜息をついた。
みんな、頼ってくれる。ありがたいことだ。
でも、アタシだって普通の人間なんだけどな。
「アタシの悩みは……誰に相談すればいいんだろううね」
リーダーだから。完璧じゃきゃ。
弱音を吐けば、みんながショックを受ける。
全部に的確な返事を書き終えた時、もう午後2時になっていた。
セイラは水槽の前に戻り、メダカたちを見つめた。
【午後3時 収録スタジオ(緊急呼び出し)】
「すみません艦長、急遽お呼びしてしまって」
マネージャーが申し訳なさそうに言う。
「オフ日なのに、申し訳ありません。大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。どうかした?」
「新曲の歌詞を修正していただきたくて……」
セイラは歌詞を受け取った。
『我こそは銀河の絶対者』
『全ての星々が我にひれ伏し』
『宇宙の果てまで響く我が声』
威厳に満ちた言葉が並んでいる。
「……こんな歌詞、本当に歌えるかな」
でも、これがファンの期待する「鳳凰院セイラ」だ。
収録ブースに入り、マイクの前に立つ。
「それでは、テイク1、お願いします」
音楽が流れ始める。
『我こそは銀河の絶対者〜♪』
歌いながら、セイラは思った。
——私の本当の歌声、もう誰も知らないんだろうな。
——「ただいま」って歌える歌があったらいいのに。
【午後20時過ぎ 帰宅】
収録を終えて家に帰ると、高級マンションの広いリビングがひっそりと静まり返っていた。
電気もつけずに玄関を入ると、リビングの奥で水槽の光だけがぼうっと灯っている。
まるで「おかえり」と言ってくれているみたいに。
この光景を見るたび、セイラの胸は締め付けられる。
物理的には何不自由のない生活。でも精神的には砂漠のような乾燥感。
セイラは電気をつけずに、そのまま水槽の前に座り込んだ。
暗闇の中で、メダカたちの泳ぐ姿だけが、温かい光に照らされている。
「今日もお疲れさま、みんな」
この瞬間だけが、セイラにとって唯一安らげる時間だった。
「今日はね『銀河の絶対者』って歌を歌ったよ」
メダカの銀河がゆっくりと近づいてくる。
「でも本当は……『おかえりなさい』って言われる歌が歌いたいんだ」
「『ただいま』って言える場所があるって歌」
セイラの声が少し震えた。
「でも、そんな弱音、言えないよね」
100センチ水槽の中で、色とりどりのメダカがゆったりと泳いでいる。
「今日も元気だね、銀河ちゃん」
一番大きな銀色のメダカに話しかける。
「星羅ちゃんは今日もちょっと太めだね。餌あげすぎかな」
ピンクがかった小さなメダカが水面近くを泳いでいる。
「月菜ちゃんは相変わらず元気いっぱい。天音ちゃんは今日もクールで」
最後に、一番小さな黄色いメダカを見つめる。
「小春ちゃんは、今日もマイペースだね」
セイラの表情が、配信の時とはまったく違って穏やかだった。
「みんなは私のことを『セイラ』って呼ぶ?それとも『艦長』?」
メダカたちは何も答えない。ただ静かに泳いでいるだけ。
「いいなあ……君たちは。何も応えなくても大丈夫だもんね」
餌を少しつまんで、水面に落とす。
メダカたちが集まってくる。
その時、セイラは机の上のタブレットに目をやった。
何気なくVtuberのトレンドを確認する癖がついている。
画面に表示されたのは、見慣れないピンク髪のアバターのVtuber。
『【しねブタ】YUICA♡リスナーを罵倒【爆笑】』
「……誰、この子?」
妙に気になっって、その動画を再生してみた。
『好きって言え?おまえのどこにそんな要素あんの?』
『はあ?気持ち悪い!』
画面から聞こえてきた声に、セイラは驚いた。
『しね、ブタ!』
「え……なにこの子、リスナーに向かって……」
興味本位で切り抜きを色々と見てみる。
「なるほど……この子、面白いね」
気がつくと、セイラはYUICAライブの配信に入り込んでいた。
そこでは、YUICAの人生相談が始まっていた。
真剣な相談に、忖度なしに、直球で話す彼女の回答には、計算も、演出も、何もなかった。
ただ純粋に怒っている。
そして、本気で励ましている。
「まるで裸だな……」
セイラの胸に、何か熱いものが込み上げてきた。
画面の中のYUICAは、セイラが失ったすべてを持っていた。
自然な感情。素直な反応。リスナーとの忖度なしの関係。
見ていて、胸が締め付けられた。
「アタシ、いつからこんな気持ち、忘れてしまったんだろうな」
YUICAの配信は、どんどんヒートアップしていく。
視聴者数も爆発的に増えている。
でも、その全てが自然体だった。
「ちょっと羨ましいかも……」
セイラは画面に向かって、小さくつぶやいた。
「アタシも……あんたに、相談したいくらいだよ」
気がつくと、セイラはキーボードに手を伸ばしていた。
スパチャ画面を開く。金額を入力する。1万円。
メッセージ欄で指が止まる。
——しまった、何を書こう?
威厳のある艦長として、格の違いを見せつけるべきか。
それとも……
指が勝手に動いた。
『後輩の罵倒系Vtuberが調子に乗ってて困ってます』
セイラは自分でも驚いた。
——なんで、こんなことを……
でも、送信ボタンを押してしまった。
画面の中のYUICA♡が反応する。
『えーっと……鳳凰院さん?この相談って私を煽ってるのかな?』
——ちがう、アタシは、あなたと。
その瞬間、セイラの中で何かが弾けた。
——あ。
——アタシ、この子と話がしたいんだ。
対等に。設定抜きで。
素の自分で。
『やぁ、ちっぽけな地球の民たち。今日もこの銀河の頂点から見下ろしてやろうか?』
でも、結局いつものキャラで返してしまう。
それしか、やり方を知らないから。
設定なんて全部取っ払って。
本当の声で、本当の言葉で。
この子と話してみたい。そう、思っただけなのに──
結局こうなってしまった。
プ・プ・プ♪
VIP指定しているコメントが届いた時になる通知音でセイラは我にかえる。
投稿者は「モブ兵士007」。
デビュー時から5年間ずっと応援してくれているヘビーリスナーからだった。
『今日も生きててくれてありがとう。何もしてない日も応援してるよ艦長』
セイラの目に涙が浮かんだ。
「そうだね。みんなが……アタシを支えてくれてる」
「5年間、ずっと」
でも、と思う。
「アタシは、みんなの期待に応え続けてるだけで……」
「本当のアタシを愛してもらったことって、あるのかな」
スマートフォンを閉じて、セイラは天井を見上げた。
「YUICA♡は、ありのままで愛されてる」
「羨ましいな……あいつ」
ふと部屋を見渡す。
夜間照明だけが灯った水槽で、メダカたちが静かに泳いでいる。
星羅が水面近くまで上がってくる。
まるで心配してくれているみたいだった。
水槽の中の自分の名前のメダカを見つめながら、セイラは続けた。
「あの子と戦えば……アタシも自由になれるかな」
「5年間作り続けた『鳳凰院セイラ』を脱ぎ捨てて……」
「素の自分で戦ってみたいんだよ」
メダカたちは静かに泳ぎ続けている。
セイラはそっと水槽に指を当てた。
「でも怖いんだ」
「もし素のアタシを見せて、みんながガッカリしたら……」
「420万人が離れていったら……」
星羅が指先に近づいてくる。
まるで「大丈夫」と言っているみたいだった。
「ありがとう、星羅ちゃん」
「あなただけは、どんなアタシでも受け入れてくれるよね」
その夜セイラは、水槽の前で眠り込んでしまっていた。
——朝、首が痛い。
でも、なぜか心は軽やかだった。
スマートフォンを見ると、またたくさんの通知。
でも今朝は、いつもより前向きな気持ちで返信できそうだった。
「おはよう、みんな」
メダカたちが朝の餌をねだるように水面に集まってくる。
「今日は大事な日だから、しっかり見守っててね」
餌を与えながら、セイラは決意を固めた。
そう今夜、YUICA♡と戦う。
「鳳凰院セイラとして……いや」
セイラは星羅を見つめた。
「今夜は、アタシも裸で戦ってみようとおもうんだ」
メダカたちが静かに泳ぎ続ける中、セイラは新しい1日を迎えた。
5年ぶりに、自分らしく戦える日を。
(つづく)