12「地獄の罵倒1000本ノック(後編)」※追加
「……はあ?」
私の声が、一オクターブ下がった。
『あ?何だその態度は?』
電話の向こうの男性が、一瞬怯んだような声になった。
でも、もう遅い。
私の中の何かが、完全に覚醒していた。
「お客様」
私の声が、氷のように冷たくなっていく。
「今、なんておっしゃいました?」
『は?何がだよ』
「あの世の両親が無念だって」
「私の両親を、笑いものにしたんですよね?」
『だから何だよ……』
相手の声が明らかに動揺している。
研修担当の鬼塚さんが、血相を変えて手を振っている。「やめて」「言い返しちゃダメ」という意味らしい。
でも、もう止まらない。
「お客様、ちょっとお聞きしますが」
「あなた、ご両親いらっしゃいます?」
『は?何でそんなこと……』
「生きてるんですよね?ご両親」
『当たり前だろ』
「そうですか」
私は深く息を吸った。
「だったら今すぐ、その大切なご両親に電話してください」
『は?』
「そして言ってください。『今、赤の他人の亡くなった両親を笑いものにしました』って」
『なんだそれ……』
「もし言えないなら、あなたは自分でも恥ずかしいことをしてるって自覚があるってことですよね?」
電話の向こうが沈黙した。
「お客様?」
『う……』
「それとも、私があなたのご両親に『息子がクソみたいな人格』って伝えても……平気なんですか?」
「あなたがやってることって、まさにそれなんですけど」
私の口調が、いつもの配信モードに変わっていた。
「ご注文から12時間で商品が届かないと怒って、担当者の人格否定して、亡くなった両親まで馬鹿にする」
「その姿をご両親が見たら、どう思われますかね?」
『……』
「『この子をどう育て間違えたんだろう』って、悲しまれるんじゃないですか?」
『うるせぇ!』
「あらあら、図星でした?」
長い沈黙の後、電話の向こうから小さな声が聞こえた。
『すまん……すまんかった……』
ガチャン。
電話が切れた。
研修室が静まり返っている。
私は受話器を置きながら、深呼吸した。
——あぁすっきりした。
「田中さん……」
鬼塚さんが震え声で言う。
「すごかったです……♪」
【3日後】
私は既にコールセンターの都市伝説になっていた。
最初の罵倒覚醒からは、ひたすら謝るメソッドを無視し、様々なクレーマーたちと真摯にぶつかり、向き合った。
理不尽な要求には論理的に反撃し、人格攻撃には冷静に対処した。
すると不思議なことが起こり始めた。
激昂していたクレーマーたちが、私との会話を重ねるうちに、だんだんと本音を漏らすようになったのだ。
「実は仕事でストレスが溜まっていて」
「家庭でうまくいかなくて」
「誰にも相談できなくて」——。
気がつくと、クレームの電話が人生相談に変わっていた。
そして今では、多くの人が「田中に話を聞いてもらいたい」と指名で電話をかけてくるようになっていた。
「田中さん、今日も指名電話です」
同僚が申し訳なさそうに言う。
「『田中じゃないと話にならん』って」
「はい、いつもの人ですね」
プルルル……
「はい、田中です」
『た、田中……』
電話の向こうの声は、なぜか弱々しい。
「お疲れ様です、常連さん」
『常連って……俺、そんなに電話してるか?』
「ええ、今日で7回目ですね」
『そんなに……』
私は苦笑いする。
「最初の頃は『てめえ』『クソ』連発でしたけど、だんだん丁寧になってきましたね」
『あのさ……田中』
「はい」
『俺、最近夜眠れないんだ……』
「あら、どうしました?」
『てめえに言われたこと、ずっと考えてて……』
『俺、本当に最低なこと言ってたんだな……』
私は受話器を握りしめた。
「そうですね、確かに最低でした」
『うっ』
「でも、それを認めて反省しているあなたは、人として大切なことができてますよ」
『……』
「完璧な人間なんていません。大切なのは、間違いに気づいた時にどうするかです」
『そうか……わかった。ありがとう、田中』
ガチャン。
——クレーム魔王が懐いちゃった……
【1週間後・最終日】
「田中さん、本当にありがとうございました」
スタッフ全員が並んで、深々と頭を下げた。
「あなたのおかげで、この職場が天国になりました」
「天国って……」
「今では『田中メソッド』って呼んで、みんなで研究してるんです」
——田中メソッド?
「相手の矛盾を論理的に指摘して、最後は人の心に寄り添う」
「これで大抵のクレーマーは改心します♪」
「彼らはクレームを入れたいんじゃなくて、話を聞いて欲しいだけなのかもしれないですね……♪」
鬼塚さんが満面の笑みで続ける。
「お役に立てて良かったです」
「でも田中さんの技術、完全にコピーできないんですよね♪」
「どうしてですか?」
「『本当に相手のことを思ってる』のが伝わるから♪ 演技じゃできないんです♪」
「そ、そうですかね」
「田中さんて、『人生相談』とか普段からやられてたりするのかしら?……ねえ♪」
「いやいや、そんな面倒なことやってませんよ……あはは」
【帰宅後】
「お疲れさま、お姉ちゃん」
ゆいが笑顔で迎えてくれた。
「ゆい……地獄のクレーム対応、やり切ったよ……」
「おつかれ!だいぶ成長したでしょ?」
私は振り返ってみた。
確かに、1週間前だったら理不尽な相手に怒鳴られたら萎縮していただろう。
でも今は違う。
相手の言い分を冷静に分析して、矛盾を突いて、最終的には人として向き合える。
「まあ……少しは、自信がついたかも」
「でも、艦長の本当の実力はまだ見えてないよ」
ゆいが真剣な表情になる。
「あの人は、きっともっと高度な心理技術を持ってる。今回の特訓だけじゃ対応できない何かがある」
「……やっぱり、そうか」
「うん。でも大丈夫。お姉ちゃんには、まだ伸びしろがある」
ゆいが小さく笑う。
「残りの時間、まだやれることはあるよ」
私は頷いた。
「うん。やるよ。もっと進化したい」
拳を握りしめる。
「艦長に……がっかりされたくないから」
「お姉ちゃんの……そういうところが」
ゆいが少し目を細めて、何かを言いかけたけど、やめた。
「え?なんか言った?」
「なんでもない。さあ次は配信!」
◇
夜の配信では、いつもより頼もしく見えると言われた。
『なんか今日のお嬢様、声に“芯”があるブヒ』
『メンタルに防振機構ついた感じするブヒ』
「へぇ、よく見てるじゃない。ちょっと修行してきたのよ」
『修行……!?』
『お嬢様が!? 修行!?どこで!?誰と!?』
『修行って、どんな? 罵倒?瞑想?断食?』
「企業秘密。でもね、艦長との戦い……ちゃんと見てなさいね」
『こ、これは……お嬢様の“本気宣言”ブヒ!?』
『艦長にも勝つってこと!?』
『ああもう今から心拍数がバグってるブヒ……』
「ふふ、緊張してるのはこっちなんだけどね」
『ええええええええええ!かわいい不意打ちきたブヒ!!』
『その不安ごと抱きしめたいブヒ!』
『お嬢様の不安なら一人100グラムずつ引き取りますブヒ!』
「相変わらず気持ち悪いなぁ、あんたたちは……」
一拍置いて、私は少しだけ声を落とした。
「でも……ありがとね。ほんとに、支えになってる」
『ぎゃあああああ!』
『その声色反則ブヒ!』
『脳がとろけてチャーシューになるブヒ!』
「全員チャーシューになったら応援できないでしょ。しっかりしなさい」
『はいブヒ!ロースで待機しますブヒ!』
『脂身の分だけ声援に変えますブヒ!』
『焼かれても煮られても、ついていきますブヒ!』
「ふふ……ほんとバカばっかり。でも」
私は画面越しに、真っ直ぐに語りかけた。
「この変態の群れが、私の仲間ってのも……案外、悪くないわね」
『ウッウワアアアアアアアアア!』
『これが……告白ブヒ!?』
『来世ブタで良かったと今確信したブヒ!』
『仲間って言われた……墓に彫るブヒ』
「やめなさい。墓とか言うの早いから」
『じゃあ生きて応援しますブヒ!』
『艦長を屠る姿、目に焼き付けますブヒ!』
「ええ、任せなさい。ブタどもの期待背負って、見せてあげるから」
今夜の私は、少しだけ背筋が伸びていた。
配信後の深夜DM通知が鳴った。
送信者は——鳳凰院セイラ。
『二週間後が楽しみだな。ちゃんと準備してるか?地雷姫』
私は少し考えてから返信した。
『少しだけね。だから油断しない方がいいわよ、艦長』
すぐに返事が来た。
『いいね。こっちも楽しくなってきた。全力で迎え撃ってやるからな』
私はスマホを置いて、天井を見上げた。
この人は——強いだけじゃない。
勝って当然の立場なのに、こうして何度も連絡をくれる。
ちゃんと、こっちのことを見てる。
……たぶん、すごく優しい人だ。
でも少しだけ——自分と同じ匂いがする。
もしかしたら、この人もずっと孤独なのかもしれない。
だからこそ私は、全力で向き合いたいと思ってる
この人が、どんな風に戦うのか。
どんな風に生きているのか。
そして——どんなふうに笑うのか。
もっと知りたいと、素直に思っていた。
だからこの対決は、ただのバトルじゃない。
きっと、私たちが何者かを確かめるための対話だ。
私は静かに画面を閉じて、深く息を吸った。
◇ ◇ ◇
暗い部屋の中、水槽の灯りだけがぼんやりと揺れている。
ゆらめく青い光が、無数の影を壁に映していた。
その前で、一人の女がスマートフォンを見つめていた。
艦長——鳳凰院セイラ。
彼女はさっきYUICAから届いたばかりのメッセージを、何度も読み返していた。
やがて、小さく——ほんのわずかに、口元が緩む。
まるで、ふと風が通ったような微笑みだった。
次の瞬間、光がまた水面で揺れる。
影も、揺れた。
誰もいない静かな部屋に、ただ水槽の光と彼女の影だけが漂っている。
そしてただひとり、虚空を見つめていた。
——ようやく。
アタシを分かってくれる人に、会えるのかもしれない。
そう思った瞬間、自分でも驚くほどに——
胸の奥が、少しだけ、温かくなった。
でも。
この温かさに、今はまだ甘えてはいけない。
セイラは目を閉じ、深く息を吸う。
そのまま、微笑みを静かに閉じた。
次回———鳳凰院セイラの孤独