11「地獄の罵倒1000本ノック(前編)」※追加
私は自分の配信を見返しながら、不安で胃が痛くなっていた。
「相手は日本一のVtuber……『人生相談』が私の得意分野とはいえ経験値で圧倒的差があるよね」
艦長と言い合ってる画面の中の自分は確かに饒舌だけど、それは自分のリスナーに守られた、自分のチャンネルでの配信という安全圏での話だ。
しかもこの時はまだ、相手が誰なのか知らない。
次の対戦場所は、相手のチャンネルだ。
ファンの数では圧倒されているし、知名度も違いすぎて完全アウェイの空気のなかで戦う可能性すらある。
そんなプレッシャーの中で、艦長のような歴戦の猛者と渡り合えるんだろうか。
「お姉ちゃん」
ゆいが振り返る。その表情は、なぜかニヤリと不敵だった。
「やっぱり不安?」
「そりゃそうだよ……」
「だよね。だからとっておきの特訓を用意したよ」
——ゆいのこの表情、何か企んでるときの顔だ……
「20日間で艦長に勝つにはね。お姉ちゃんの唯一の武器、人生相談のレベルアップしかないんだよ」
「人生相談の修行をするってこと?」
「その名も『地獄の罵倒1000本ノック計画』!」
ゆいが得意げに胸を張る。
「じゃあさっそく行こう!」
——なんだその計画。不安しかないんだけど。
◇
【1時間後・都内某所】
「え?ここ……コールセンター?」
私は薄汚れた雑居ビルの看板を見上げながら、全身に嫌な予感が走った。
『クライシス・コールセンター 時給5000円!即日勤務可!』
「お姉ちゃん、まずはここで面接受けてもらいたいんだ」
「面接って……まさかバイト休んだのに、ここで働けってこと?」
「うん、短期バイト。1週間だけ」
私は全力で拒否した。
「無理無理無理!私、クレーム対応なんて絶対無理だよ!人と話すのも苦手なのに!」
「大丈夫、これがとっておきの艦長対策になるから」
ゆいのゴリ押し切りで、気がついたら私は薄暗い面接室にいた。
「あ、田中さんですね。妹さんから聞いてますよ」
面接官の中年男性は、なぜか死んだ魚のような目をしていた。
「あの、私、電話対応の経験が……」
「経験?ああ、関係ありませんよ」
男性が乾いた笑いを浮かべる。
「ここは業界でも『修羅場コールセンター』と呼ばれる特殊部署です。大手企業の炎上案件専門処理部門ですから」
——なにその……炎上案件専門って。
「AI判定で『人間には対応不可能』と分類された案件のみが回されてきます。平均勤務時間は3時間。1日持てば奇跡。1週間持てば伝説ですね」
「え……AI判定で不可能なのにやるんですか?」
「だから時給5000円なんです。自分を人間と思えば負けです。それでもやりますか?」
——時給5000円……1週間で35万円……
間違いなくブラックだこれ。
でも、でも日本一に勝つためには手段を選んでる場合じゃない。
ぬるい修行なんて意味がない。
悟空だって、死にかけるまで修行してたじゃないか。
「わ、わかりました。や、やります!」
焦りが私の判断を狂わせた。
【翌日朝・研修室】
「皆さん、おはようございます♪」
研修担当の女性が、満面の笑みで手を振った。30代前半、清楚なスーツ姿で、まるでCAのような上品な立ち振る舞い。
でも、その笑顔が仮面のように一瞬も崩れないのが不気味だった。
「私、鬼塚静香と申します♪ 今日から皆さんの地獄への案内人を務めさせていただきます♪」
研修室には私を含め15人程度の新人が座っていた。
全員、どこか諦めたような表情をしている。
「まず最初に確認ですが、遺書は書いてきましたか? 」
「あは♪冗談ですよ♪ でも実際、書いてる方もいらっしゃいますけどね♪」
——この人、っていうかこの会社大丈夫か?
「今日から皆さんには、日本全国の『最悪クレーム』を処理していただきます♪ お客様からの罵倒は『愛のムチ』だと思ってください♪」
「お客様からの電話には、絶対に『申し訳ございません』から始めてください♪ どんな理不尽な要求でも、『おっしゃる通りです』で返してください♪」
「絶対に、絶対に言い返してはいけません♪」
「そもそも真剣に聞く必要はありません。言葉の騒音だと思ってください♪」
「でないと……精神が持ちませんからね♪」
私は震えていた。この雰囲気、まるで戦場に向かう兵士の気分だ。
——ちょっと待て、これっておかしくない?
——ゆいが言ってた「人生相談の特訓」って、相談に乗る側の練習だよね?
——でもこれじゃ逆に私が罵倒される側じゃないか。
——まさか、ゆいのやつ……最初から私を騙してたのか?
「私も最初はここで泣きました♪ でも今では、どんな理不尽も笑顔で受け止められるんです♪ 人間って素晴らしいですよね♪ 慣れって怖いですよね♪」
鬼塚さんの狂気的な笑顔に、全員が青ざめた。
【実践開始】
プルルルル……
私の前の電話が鳴った。
「はい、クライシス・コールセンター、田中が承ります」
『おい!てめえの会社のふざけたサービス、なんとかしろ!』
開始3秒で怒鳴り声。心臓が止まりそうになる。
「申し訳ございません……どちらの件でしょうか……」
『昨日注文した商品が届かねえんだよ!どうしてくれるんだ!』
震える手でパソコンを操作する。注文履歴を見ると、昨日の深夜0時に注文されている。
「お客様、申し訳ございませんが、通常配送ですと2-3日お時間を……」
『2-3日?ふざけんな!今すぐ持って来い!』
『てめえが今すぐ走って持って来い!それが客への誠意だろうが!』
「あの……恐れ入りますが、物理的に……」
『物理的?関係ねえよ!気持ちの問題だろうが!』
意味が分からない。でも、研修で教わった通りに対応しなければ。
「申し訳ございません……申し訳ございません……」
『謝るだけか!行動しろよ!』
ガチャン!
電話が切れた。私は放心状態でその場に座っていた。
——きっつい。
でもあれ?これって配信でのアンチコメントと似てるかもな。
——気にしたら負けって意味ではすぐに忘れるのがコツかも。
【2時間後】
既に新人の中から5人が泣いて帰っていた。
プルルルル……
今度は女性の声だった。
『あのーすみません、この前注文した化粧品なんですけど』
穏やかな口調にホッとする。
「はい、ありがとうございます。どのような……」
『色が気に入らないので返品したいんです』
「承知いたしました。未開封でしたら……」
『ちょっと使っちゃったんですけど、大丈夫ですよね?』
「申し訳ございませんが、開封済みの商品は……」
『えー?それっておかしくないですか?』
『だって色が合わないのは、使ってみないと分からないじゃないですか』
「そ、そうですが、規約上……」
『規約?お客さんのことを考えたら規約なんて関係ないでしょう?』
『私、この商品のために貴重な時間を使ったんですよ?』
『時間の無駄にさせた責任、どう取ってくれるんですか?』
怒涛の理不尽に私の頭が混乱する。
まったく理屈が通っていない。でも言い返してはいけないんだよね。
「申し訳ございません……上司に確認いたします……」
——なんだこれ。
むしろアンチコメントの方が創意工夫があったな。
【4時間後】
隣の席の同期が、顔を真っ赤にして立ち上がった。
「無理です!もう無理です!」
彼女は受話器を投げ捨てて走って出て行った。
——みんな、思ったより早く諦めるんだな。
——もともと長女として育てられたからか、けっこう我慢体制はあるほうだ。
——長女ってろくでもないと思ってたけど、こういう時は役に立つのね。
私は自分の番号に集中した。また電話が鳴る。
『おい、さっきの件どうなってんだ』
これは最初にかけてきた男性だ。
「申し訳ございません、先ほどはお忙しい中……」
『分かってんならさっさとしろや!で、商品はいつ持って来るんだ?』
「申し訳ございませんが、配送は宅配業者が……」
『だから!てめえが持って来いって言ってんだろ!』
『客の言うことが聞けないのか!?』
あまりの横柄さにイラっとした。
でも必死に我慢した。言い返してはいけないのだ。
「申し訳ございません……申し訳ございません……」
——これが配信なら、すでに罵倒しているところだ。
『謝るだけかよ!てめえみたいな使えない女、クビにしろ!』
『無能!社会のゴミ!クズ!生きてる価値ねぇよ!』
——私にはその言葉がけっこう胸に突き刺さる。
ちゃんとした人間に育つようにと、私の両親は、優しくも厳しくもあった。
でも二人が亡くなった後の私の13年間は、もしかして社会のクズだったかもしれない。
——二人の期待に、応えることが出来てるのかな。
うん。だからこそ耐えなければ。
これは修行なのだ。
スーパーYUICAを覚醒して金髪の戦士になるんだ。
「申し訳ございません……」
【6時間後】
ついに私だけが残っていた。
他の新人は全員、泣きながら帰っていた。
研修担当の鬼塚さんが心配そうに声をかけてくる。
「田中さん、大丈夫ですか? 無理しなくても……♪」
「大丈夫です……頑張ります……」
——艦長のマシンガン罵倒に比べたら。
——36年間鬱憤に耐えた私はこんなことでは挫けない。
——諦めたら、そこで試合終了だよ。
このセリフを実感する日が来るとは、私も成長したものだ。
プルルルル……
また電話が鳴る。今度は低い男性の声だった。
『おい、さっき注文キャンセルしたのに、まだ処理されてねえじゃねえか』
——またこいつか。
クレーム魔王と名付けよう。このRPGで最大の敵かもしれない。
「申し訳ございません、確認いたします……」
画面を見ると、30分前にキャンセル処理は完了している。
「お客様、こちらの画面ではキャンセル処理は完了しておりますが……」
『嘘つくんじゃねえよ!まだメール来てねえぞ!』
「システムの関係で、メールには少しお時間が……」
『システムの関係?知らねえよそんなもん!』
『てめえの会社のシステムがクソなのは、俺には関係ねえ!』
『今すぐメール送れ!手動でも何でもして送れ!』
無茶苦茶だ。でも我慢しなければ。
「申し訳ございません……システム担当に確認いたします……」
『システム担当?てめえがやれよ!』
『てめえは何のためにそこにいるんだ!飾りか!?』
『俺の大切な時間を無駄にしやがって!』
『てめえみたいな無能な女は、家でごはん作ってりゃいいんだよ!』
——家でごはん……作れだと?
何かが頭の中でピキッと音を立てた。
『どうせてめえ、結婚もできない負け犬だろ?』
『そんな女に大事な仕事任せてる会社がバカなんだよ!』
『てめえみたいな女は生きてる意味ねえから、さっさと辞めちまえ!』
——生きてる意味ない……じゃあお前はどうなんだ?
また何かが頭の中で音を立てた。
『おい!聞いてんのか!返事しろよ!』
『ブスで無能で役立たずのくせに、偉そうにしやがって!』
『てめえの親の顔が見てえわ!どうせ間抜けな顔してんだろう!』
——親の顔だと……おまえに何がわかるんだ。
「それは無理です。私の両親は……すでに他界してますので」
電話の向こうが一瞬静まり返った。
『はあ?……それが、なんだよ』
少し動揺したような声になったが、すぐに元の攻撃的なトーンに戻る。
『じ、じゃあ、あの世で泣いてるだろうぜ!』
『てめえみたいな出来損ないの娘を世に残して、さぞかし無念だろうよ!』
『あははははは!』
ピキピキピキ……ガシャン。
その瞬間、私の中で何かが完全に壊れた音がした。
いまこいつ、両親を……笑いものにしたのか?
必死に私とゆいを育ててくれた、大切な両親を。
「……はあ?」
私の声が、一オクターブ下がった。
『あ?何だその態度は?』
電話の向こうの男性が、一瞬怯んだような声になった。
でも、もう遅い。
私の中の何かが、完全に覚醒していた。
(後編へつづく)