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第7話 船上パーティー

 帰国した頃には、強い夏の日差しもすっかり和らぎ、過ごしやすい季節になっていた。


 ネフェルの事務所に到着すると、私は海外訓練での射撃や格闘技術をまとめた報告書を神道寺に手渡した。


「おう、どうだった海外旅行は?」


 神道寺は報告書に目を落としながら、軽い調子で尋ねた。


「想像してたよりも観光はできませんでしたね。次回はもう少しゆっくりしたいです」

「まあ、そんな時間があればな」


 妙に引っかかる言い方をされたので、私は単刀直入に尋ね返した。


「何かあるんですか?」

「仕事が山積みでな、お前にも手伝ってもらうことになりそうだ」

「俺にできることなら、喜んで」


 神道寺は報告書を鞄にしまい込むと、封筒を取り出した。


「ほら、今回の給料だ」


 封筒は妙に薄く、労力に見合っているのか疑問だった。


「まあ、こんな封筒じゃ実感湧かないだろうが、銀行口座を確認してみろ」


 言われるままにスマホを取り出し、銀行アプリを開いた私は、その数字を見て息を呑んだ。当初約束されていた額を遥かに超え、昨年の年収に匹敵するほどの金額が振り込まれていたからだ。


「これ、間違いじゃないんですか?」


 以前別の組織で多く振り込まれて返金した経験があったため、念のため確認した。


「間違いじゃねえよ。ボーナスだ。スタッフからの評判も良かったし、イチムラさんが奮発してくれたんだ」


 私は感心するしかなかった。世の中、あるところには金があるものらしい。


「なんだか杜子春になった気分ですよ」


 私の言葉を神道寺は鼻で笑った。


「お前には大金かもしれんが、百万や二百万程度で人生は簡単に変わりゃしねえよ」


 確かに杜子春も、大金を手にしたところで気が大きくなっただけだった。


「まあ、いきなり大金を手にして戸惑いますけどね」

「とりあえずスーツと革靴くらい新調しろ。前に着てた奴はもう限界だろ」


 言われてみれば、就職活動がうまくいかなかった原因の一つは、消耗しきったスーツや革靴にもあったのだろう。大学の入学祝いに父から買ってもらったもので、もう限界を超えていた。


「神道寺さんは稼いだ金を何に使ってるんですか?」

「老後の貯蓄さ。家を買うのに退職金を使っちまったからな」


私から見れば十分老人だと思うが、それでもなお働き続け貯蓄しなければならないとは、厳しい現実である。


礼を言って神道寺と別れた後、自分のアパートに戻り、シャワーを浴びて泥のように眠った。


 十時間以上眠っただろうか。目覚めて軽い運動を終えると、時計はもう正午近くだった。やるべきことが特になかったので、昨日の神道寺の言葉通り、スーツと革靴を揃えることにした。


 服には詳しくないので、アベ社長が以前教えてくれたように青山で黒のウールスーツを買った。上下セットで二万五千円ほどだった。革靴はリーガル製の黒いストレートチップを三万円ほどで購入した。ワイシャツやネクタイなども揃えると合計八万円ほどの出費になったが、口座の残高が多いので心の負担は軽い。


 その晩は久しぶりに少し高級な和食店で夕食を楽しんだ。帰宅後、古い革靴を箱にしまい、新しい革靴を玄関に並べた。新調したスーツは懸垂用の器具にかけておいた。


 興奮を抑えるため、テアニン入りの飲み物を飲んで落ち着きを取り戻した。


 スマホを見ると神道寺から新しい仕事について打ち合わせがあるとのメッセージが入っていた。他の派遣仕事はキャンセルし、ネフェルの仕事に集中することにした。


 翌日、再び事務所に出向くと、神道寺が待ち構えていた。


「おう、スーツと革靴は準備できたか?」


 神道寺はいつものぶっきらぼうな口調で確認してきた。


「はい、無難なものを揃えました」

「特別高級じゃなくていい。次は二週間後にセキュリティの仕事が入ってる。経験はあるか?」


「警衛勤務なら自衛官時代に少し。ただ、民間の警護業務は初めてですね」


「まあ、本格的な警護ってわけじゃねえが、俺が注意点だけ指示してやる」


 神道寺は頭を掻きながら私を見た。


「それより外部の人間が来るから見た目を整えろ」

「見た目ですか?」

「鏡を見ろ」


 事務所にはイチムラの趣味なのか、立派な全身鏡があった。覗き込むと、そこには無精髭を生やし、髪が乱れた男の姿があった。


「なるほど」


 神道寺は鼻で笑った。


「髪は整えるとして、身体も絞っておけ」


 余計なお世話と思ったが、確かにだらしのない外見では仕事にならないのも事実だ。


「で、どこでの仕事なんですか?」

「イチムラさんの船上パーティーの警護だ」


 神道寺はやや呆れたような口調だった。イチムラは派手な性格で、メディアへの露出も多いらしい。なるほど、あの男らしいと思った。


 その日から、仕事の日まで入念に準備を進めた。髪はサイドを刈り上げ、髭はきれいに整えた。神道寺から基本的な警護の講習を受け、独自にシミュレーションを重ねた。身体作りにも励み、ランニングや懸垂、腕立て伏せを日課に取り入れた。食生活も整え、体調は万全に仕上がった。


 仕事当日、イチムラのクルーザーはレクサス製の豪華な船だった。警護スタッフは私と神道寺の二人だけである。船が沖へ出ると、岸の夜景が美しく広がった。


 しばらくするとイチムラがデッキに出てきた。


「お疲れ様、前回の海外仕事は助かったよ」


「こちらこそ、ボーナスまで頂いて恐縮です」


 イチムラは微笑んで続けた。


「黒川くん、今何歳だっけ?」

「28歳です」

「そうか、俺も君くらいの頃は金がなくてね。大した稼ぎもないくせに派手な暮らしをして借金を作ったもんだ」


 意外にもイチムラにも苦労した時代があったようだ。


「お金がない理由は?」

「車や服、付き合う女にも金を使い過ぎてね。でも、それが今の成功につながってると思うんだ」


 私は頷いた。


「君は将来どうしたい?」

「いい車に乗って、高い服を着て、美味いものを食べたいですね」


 率直に答えると、イチムラは笑った。


「そうだよな。僕も自分のしたいことを自由にやりたい。そのための場所を作ろうと思ってるんだ」


 イチムラには何か野望があるようだった。


 突然、夜の静けさを破って異音が響いた。視線を向けると黒いドローンが船を旋回している。


「なんだ?」


 その時、ドローンから閃光が走り、銃声が響いた。


「ドローンが発砲してきた!」


 無線で神道寺に連絡すると、すぐに彼がミニミ軽機関銃を抱えて駆けつけた。


「これで撃ち落とせ。俺は操舵をする」


 戸惑う暇もなく銃を構え、船尾に移動して射撃体勢を取った。最初の射撃は外れたが、次の攻撃に備えて姿勢を整え直す。


 再びドローンが接近すると、私は銃の狙いを定め、一気に弾を放った。数発が命中し、ドローンは火花を散らして海へ墜落した。


「撃ち落としました!」


 報告すると神道寺が船の速度を落とした。


「騒がしかったな」


 銃を片付ける私に、船室から出てきたイチムラが声を掛けた。


「客には余興だと言っておいたよ。マシンガンの音はすごいね」


 無邪気に笑うイチムラの背後には、次の港で待機しているプロの警護チームの姿が見えていた。

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