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第3話 神道寺との出会い

 アベ社長を見舞ってから、しばらく経った。


 社長は無事に退院し、表向きは元気そうにしていたが、取り巻く状況は、むしろ悪化していた。

 金を巻き上げた連中は、味をしめたのか、さらに社長を追い詰めようとしていた。


 まず、共通の知人たちにネガティブキャンペーンを開始。

「あの人は信用できない」「俺たちも被害を受けた」、そんな嘘を流され、社長の周囲の人間が一人、また一人と離れていった。


 次に、執拗なつきまとい。

 社長の行動範囲を探るように、あちこちに顔を出しては、何か強請れる材料がないかと物色するような行動を繰り返していた。


 極めつけは、郵便物の盗難。

 仕事の重要書類すら持ち去られる事態になり、社長は一時期、郵便局の窓口で直接受け取るしかなくなった。


 何か、助けになれたらいいのだが。

 私にできることは限られていた。

 せいぜい、電話で話を聞くくらいだ。


 そんなある日。

 社長から連絡があった。


「クロちゃん、ちょっとネフェルって会社の仕事紹介するよ。うちとも付き合い長い会社だし、信頼してる」


 ネフェル。多角経営の企業で、飲食、運送、イベント関連まで幅広くやっている会社らしい。

 俺が任されたのは、会社が保有する巨大倉庫の整理と清掃だった。


 当日、指定された現場に到着し、受付で名前を書いて倉庫の前に向かう。

 見上げるほどの巨大なスチール製のシャッターの前で、しばらく立ち尽くしていると、古びたトラックジャケットを羽織った男が、音もなく現れた。


「クロカワ・コウジか?」


 いきなりフルネームで呼ばれ、やや面食らう。だが、すぐに態勢を立て直す。

 場数は踏んでいる。こういう“強そうな奴”にも、慣れてきた。


「はい、黒川航次です」


「この倉庫と会社全体のセキュリティを担当してる神道寺カンドウジだ」


 男は、丸坊主に潰れた耳、格闘技経験者に特有の外見をしていた。

 顔つきに派手さはないが、無駄な力が抜けていて、逆に怖い。

 自衛官時代にいた、とある長身の二等陸曹の顔が頭をよぎった。

 あの人も、いつも笑っていたが、その背後に妙な“血の匂い”があった。


 神道寺は、それより低身長だが、同じ系統の“静かな怖さ”をまとっていた。


「今日は倉庫整理と清掃を頼む。他にも作業が出てくるかもしれん。分からんことがあったら、すぐ聞け」


「了解です」


 午前中は倉庫内の掃除と物品の整理。

 自衛隊時代に似た作業も多かったが、違うのは人手の少なさと、指示の曖昧さ。

 その分、判断力と身体のリソースが削られる。


「休憩だ」


 神道寺の一声で、昼休みに入る。


 休憩室で湯気の立つカップを手にした彼が、ふと口を開いた。


「阿部社長とは長い付き合いなのか?」


「…四年くらいですかね」


 社長との縁は、自衛隊在職中、ある先輩に飲み屋で引き合わされたのが始まりだった。

 その先輩は、退職と同時にあちこちから借金を踏み倒して消えたが、唯一、感謝しているのは、社長を紹介してくれたことだった。


「長いな。あのお人好し、元気か?」


 元気ではない。でも、簡単に「大変です」とは言いたくなかったので、俺は曖昧に笑った。


 午後。再び倉庫作業に戻ろうとした時、外で怒鳴り声が上がった。


「クソ、どこだ…!」


 倉庫前に停めてあった乗用車。その周囲で、明らかに動揺した男が中をひっくり返している。


「どうした、ヒウラ?」


 神道寺が近づく。


「あ、神道寺さん……実は……」


 ヒウラという社員は、ネフェルが経営する飲食店の集金に行った帰り、十万円を紛失したらしい。

 コンビニに立ち寄った数分間の間に、同行していた派遣スタッフの男が何かやったのではないか、というのがヒウラの見立てだった。


「車内も探したけど、見つかりません」


 神道寺は二人を一旦引き離し、俺の方へと近づいてきた。


「黒川、お前はどう思う?」


「……あの派遣スタッフが持ち出して、どこかに隠した可能性が高いかと」


「だよな。で、どこに隠したと思う?」


 俺は車内をざっと見回した。灰皿、ドリンクホルダー、サンバイザー、グローブボックス……どれも既に探した形跡がある。


「……手帳とか、本とかに挟んだ、とか……?」


 そう言いかけて、自分でも予想してなかったことを口にしていた。


「もしかしたら、缶の中とか……?」


「上出来だ」


 神道寺は淡々とそう言うと、ドリンクホルダーに刺さった缶コーヒーを取り出し、逆さに振った。


 ぴちゃぴちゃと液体が地面にこぼれ、最後に“コロリ”という音。


 缶の口から、濡れた紙幣の端が覗いていた。


「…あったぞ!」


 神道寺の声に、派遣スタッフの男が逃げようとする。

 それをヒウラが掴んで、背後から見事な足払いを決め、地面に押さえつけた。


「ケガさせるなよ」


「すいません、反射的に…」


男は観念したように、うなだれた。


「おい、ポンツク」


神道寺は男に言い放った。


「見逃してやる。とっとと帰れ」


 男は何も言わず、立ち去った。まだ陽は高かった。


 ヒウラは金を持って事務所に戻り、車両は洗車することになった。

 俺は神道寺と助手席に並んで座る。


「缶の中に金隠すなんて…」


「相手が考えることなんて、もう見えてんだよ。こっちも、ああいうのばっか相手にしてきたからな」


車が停まった。俺がドアを開けようとした時、神道寺が言った。


「黒川、腕を出せ」


「…はい?」


「いいから、腕出せ」


 右腕を差し出すと、彼は手首に指を当てた。

 脈を測っているらしい。


「…なるほど」


 それだけ言って、何事もなかったかのように車を降りていった。


 なるほど、とは何だったのだろうか。

 神道寺は、やはり奇妙な男だった。


 それからの日々は、神道寺と倉庫の整理をしたり、経営店舗の集金をしたり、会社がやっている出張型メンズエステのドライバーもやった。


 それからしばらく、俺は神道寺と組んで、ネフェルの雑務をこなす日々を送ることになった。


 やることは日によって違う。

 倉庫の在庫整理、飲食店の集金、備品の補充、出張メンズエステの送迎、物品の買い出し、忘れ物の回収――

 どれも特別な技能がいるわけじゃないが、段取りをミスると地味に怒られる種類の仕事だった。


 午前中は倉庫の掃除から始まる日が多かった。

 段ボールを開けて中身を仕分け、ラベルを貼り直す。

一見単純だけど、ラベルの内容と中身が食い違ってたり、同じ型番の備品でも微妙に仕様が違ったりして、確認作業が地味に面倒だった。


「黒川、これとこれ、どう違うと思う?」


「たぶん、こっちは20xx年製で、こっちは今年のっすね。ケーブルの口が違います」


「そのへん、先にまとめといて。次入ってくるやつに教えられるようにしとけ」


「了解です」


 神道寺は細かいことを言わないが、指示は一度しか出さない。

 「分からなかったら聞け」と言うが、実際は“聞くタイミング”を間違えると、空気がやや重くなる。


 かといって、理不尽にキレるタイプではない。

 ただ、余計な馴れ合いはしない。そういうスタンスだ。



 休憩時間になると、神道寺はコンビニのカップコーヒーを飲みながら、スマホを見ている。

 私は少し離れたベンチで弁当を食っていた。


「お前、飯はちゃんと食えよ。現場で倒れたら、一番めんどくさいのは俺だからな」


「はい、気をつけます」


「あと、夜中に食わないほうがいい。脂が内臓に残る」


「…そうなんですか?」


「胃がんやってる奴は、だいたい夜にカップ麺食ってたやつだ」


 そんな話を、割と淡々と話す。

 たぶん彼は、事実かどうかより経験として信じている。



 別の日は飲食店舗の集金だった。

 売上を封筒に入れて受け取り、銀行に預ける。

 封筒には金額が書いてあるが、神道寺は必ずその場で数え直す。

 そして毎回、車に戻ると同じように言う。


「金が合ってたら問題ない。足りてても、余ってても問題だ」


「…なるほど」


「盗られたと思わせる状況を作るのが一番危険なんだ。信頼されなくなる」


 神道寺の言葉は、マニュアルに載ってない“実感”の塊だった。どこか説教くさいが、嫌味にはならない。



 出張型メンズエステの送迎も、何度か担当した。

 店から指示された女の子を車で迎えに行き、客の家まで送る。

 時間通りに、事故なく、安全に、それが唯一のルール。


 神道寺はドライバーとしての基本を、最低限の言葉で伝えた。


「何しゃべってもいいけど、女の子が静かなら合わせろ。客の家ではエンジン切って待っとけ。あと、受け取った金は必ずその場で数えろ」


 正直、どれも言われなくても分かることだったが、ここでは“言わないと分からない人”がいるのだろう。


 神道寺は“仕事をこなす”というより、“トラブルの芽を潰す”ために動いているように見えた。



 一日の終わりに、荷降ろしの手伝いをした帰り、神道寺がぼそっと言った。


「黒川、お前は反応が遅くない。口も軽くない。まだ使える」


「ありがとうございます」


「でも、使える奴ってのは、長く使われるうちに摩耗して、どっかでパキッと折れる」


「…俺も、折れるでしょうか?」


「知らん。でも、折れたときに音が小さい奴は、だいたい誰にも気づかれないまま壊れてる」


 そのとき、車の窓の外に、夕陽がじんわりと落ちていくのが見えた。

 照明の入っていない建設中の建物の影が、地面をゆっくりと伸びていく。


 沈黙が続いたが、私はそれを心地よいと思った。


 会話をしなくても、仕事が回る。

そういう“間”を共有できる相手と働くのは、実はかなり楽だ。



 この生活が、どれくらい続くのかは分からない。

 でも、今のところは、悪くない。


 少なくとも、“人間として扱われている”感覚が、ここにはある。

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