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第10話 僕が就職できた理由(ワケ)

 ネフェルの仕事を離れてから、私はまた就職活動に戻った。だが、現実は甘くなかった。


 面接を受けても不採用、書類すら通らないことも多かった。焦りの中で、青木が持ってくる怪しい儲け話に手を出し、暗号資産や海外不動産に預金を溶かしていった。


 当然、部屋を二つ借りて暮らすなど続くはずもなく、高価な部屋はすぐに引き払い、手元に残ったのはわずかな現金と、失った自信だけだった。

 貯金が百万円を切った頃、青木が紹介した「クローズドな格闘イベント」に選手として出場することになった。

 勝ちはしたが、鼻と前歯を折った。賞金は治療費に消えた。鏡に映る自分の顔が、なんとも虚しかった。


 その頃、サトミは私のもとを去った。

 いつかの夜、ヨガを教えてくれたあの声が、遠くに感じた。

 もしヨガで自分を律する習慣がなければ、きっと私は立ち直れなかったと思う。


 その後、かろうじて採用された会社は、俗に言う「ブラック企業」いや、むしろ“無理ゲー企業”とでも言うべき過酷な職場だった。

 罰金、休日出勤、公開叱責が日常で、手取りは十三万円。家にはほとんど帰れず、生き延びるのがやっとだった。

 半年ほど踏ん張ったが、違法行為の強要が重なり、限界を感じて退職した。最後の給料は六万円。

 けれど、辞められたことが何より嬉しかった。


 久しぶりに馴染みのワンルームに戻った夜、泥のように眠った。

 目が覚めた時、私はようやく考える余裕を得た。


 自分は、これからどう生きるのか、と。


 法務教官になろう。そう思った。

 海外の子どもたちとの出会いや、青木のような存在と関わった経験を経て、教育という営みの価値を、あらためて痛感していた。


 再起への行動は早かった。

 かつて自衛官時代に読み漁った自己啓発書やハウツー本を引っ張り出し、自分に合った習慣を試し、取捨選択を繰り返した。

 少ない預金で試験講座を受け、解説動画を自作してYouTubeに非公開アップロードし、移動中に繰り返し視聴した。

 ストレージも節約できたし、何より覚悟が深まった。


 面接対策では、同じ講座の仲間と協力し、自分をどう見せるかを徹底的に研究した。

 緊張で頭が真っ白になることもあった。だからこそ、誰よりも練習した。


 試験当日、バターコーヒーに入れたMCTオイルのせいで腹を下し、脳内では処刑用BGMが鳴り響いていた。

 それでも、ギリギリまで見ていた参考書の問題がたまたま出題される幸運もあった。

 筆記は何とか突破し、面接も無事乗り切った。帰りのドアを間違えて笑われたが、今となってはいい思い出だ。

 結果は補欠合格。最低限の基準は超えられたということだろう。私にしては、上出来だ。


 気づけば、ネフェルを去ってから随分と時が経っていた。


 阿部社長は今も商売で忙しく、時折“美味しい話”があると声をかけてくれる。

 青木は音信不通になった。噂では、何かやらかしてタイに高跳びしたらしい。

 イチムラは毎日SNSに自撮りを投稿し続けている。

 神道寺には、街中の公園で偶然再会した。ベンチに座り、孫娘とブランコを眺めていた。


「お孫さんですか?」と尋ねた時、彼の瞳が、今まで見たことのない穏やかな色を帯びた。

 あの神道寺にも、そんな顔をする瞬間があるのだと、妙に胸が熱くなった。


 姉は元気な男の子を出産し、実家に戻ってきていた。赤ん坊の泣き声に囲まれる日々は、賑やかで不思議と落ち着いた。

 弟は海外に渡り、向こうで順調にやっているようだ。


 サトミは、同じ職場の男性と結婚したらしい。SNSの投稿で知った。

 きっと、あのときの私では幸せにできなかったのだろう。それも、もう遠い過去だ。


 そして私は、補欠から繰り上がって法務教官に採用され、いまは少年院で働いている。

 人と真正面から向き合うこの仕事が、自分には合っていると感じる。

 かつては、自分の存在意義すら見えなかった。けれど今は、目の前の誰かのために立つ自分がいる。


 昔の仲間とは疎遠になったが、それも自然なことだと思う。

 プライベートでは、同僚たちとの時間が増えた。長く続けていけそうな、そんな予感がある。


 数少ない旧友のひとり、マサシは今、北海道で妻と娘と暮らしている。

 盆や正月には、住んでいる場所の写真を送り合う。次に休みが取れたら、彼に会いに行こうと思っている。


 人生は、やり直せる。


 あの頃の私が信じられなかったその言葉を、今の私は、少年たちに何度でも伝えることができる。


 


 終劇

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