第6話
「紅林さん、ちょっといいかしら」
放課後の図書室。本棚の間から美咲先輩が顔を覗かせた。彼女の手には一冊の古いノートが握られていた。
「これ、文芸部の秘密のノートよ」美咲先輩は座席に隣り合って、静かに語りかけた。「部員だけが読める、匿名の作品集」
私は興味を持って、差し出されたノートを受け取った。開くと、様々な筆跡で書かれた詩や短編小説が並んでいる。そして一番最初のページには「藤見」のペンネームで書かれた短い詩が載っていた。
「これは…」
「そう、あの『藤見』の作品よ」美咲先輩の目が優しく輝いた。「匿名だからこそ書ける本音があるの。試してみない?」
「私にも…書けますか?」
「もちろん」彼女はメガネを直しながら微笑んだ。「何か書きたいことはない?言葉にしたいけれど、誰にも言えないような…」
その言葉が、私の心の奥に眠っていた何かを揺り動かした。書きたいことがある。でも、自分でもはっきりとは分かっていないような、もやもやとした感情。
その日から、私は「二つの月」という題名で短編小説を書き始めた。内容は、空に二つの月が浮かぶ不思議な世界の物語。一つは明るく温かな光を放ち、もう一つは淡く儚い青白い光を宿している。主人公の少女は、どちらの月の光に導かれるべきか悩み続ける…。
書きながら、私自身も気づかないうちに、その物語は自分の心の内を映し出していた。親友への忠誠と、自分の中に芽生えつつある新しい感情の間で揺れ動く自分自身を。