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親友と好きな人の間で  作者: Ray
交差する視線
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第3話

放課後、私は緊張した面持ちで文芸部の部室へと向かった。昨年は見学だけで終わってしまったけれど、今年は正式に入部するつもりだった。


「あら、紅林さん」


部室のドアを開けると、長い黒髪を後ろでまとめた美しい先輩が迎えてくれた。藤堂美咲先輩だ。彼女は文芸部の部長で、昨年の文化祭では素晴らしい小説を寄稿していた。


「こんにちは、藤堂先輩」私は丁寧に挨拶した。「今年こそ、正式に入部させてください」


美咲先輩は優しく微笑んだ。「もちろん歓迎するわ。あなたの書く文章、昨年の見学の時から楽しみにしていたの」


部室の中は、本に囲まれた静かな空間だった。窓から差し込む夕方の柔らかな光が、古い本の背表紙を照らしている。他にも数人の部員がいて、皆それぞれに読書や執筆に没頭していた。


「今年の文化祭では、私たち文芸部の冊子を作るの」美咲先輩は私を窓際の席に案内しながら説明した。「紅林さんにも、ぜひ作品を寄稿してほしいわ」


「私でも…大丈夫でしょうか」不安が言葉に滲んでしまった。


「もちろん」先輩はしっかりと私の目を見て言った。「あなたの感性なら、きっと素敵な作品が書けるはず」


その自信に満ちた言葉に、少し勇気をもらえた気がした。


「あ、そうだ。紅林さん、『藤見』って知ってる?」


「藤見…ですか?」


「ええ、匿名で小説を投稿しているある作家よ。私たちの部ではちょっとした話題なの」美咲先輩は本棚から一冊の文集を取り出した。「これに載っている作品なんだけど、読んでみて」


私は興味を持って本を受け取り、指定されたページを開いた。そこには「二つの月」という短編小説が載っていた。読み進めていくうちに、その文体と深い洞察力に引き込まれていった。主人公が二つの異なる選択の間で揺れ動く姿が、まるで自分の心を覗かれているかのように感じられた。


「素敵…」思わず声が漏れた。「こんな風に書けたら…」


美咲先輩は満足げに微笑んだ。「参考になるでしょう?匿名だからこそ書ける本音があるの。時には仮面をかぶることで、かえって自分の本当の顔が見えてくることもあるわ」


その言葉が心に残った。私も何か書いてみたい。でも自分には無理かもしれない…そんな不安と、それでも挑戦したいという気持ちが入り混じった。


「頑張ってみます」私は決意を込めて言った。


美咲先輩はメガネの奥の目が優しく笑っていた。「焦らなくていいのよ。言葉は急かさないと。ゆっくり自分のペースで見つければいい」


部活動の後、外は雨が降り始めていた。傘を忘れたことに気づき、しばらく校舎の入り口で雨宿りすることにした。


*どうしよう、結花と待ち合わせしてたのに…*


携帯を取り出し、メッセージを送ろうとした時、近くの古本屋から出てくる人影が目に入った。


亮太くんだった。


彼も傘を持っていないようで、雨脚を見上げている。私は躊躇した。声をかけるべきか。結花の好きな人だ。でも今は偶然出会っただけで…


その時、彼が私の方を見た。一瞬お互いに目が合い、彼が微かに頷いた。


「あの…」私が声をかけるのと同時に、彼も口を開きかけた。二人とも少し照れたように笑った。


「傘、忘れちゃったの?」亮太くんが静かな声で尋ねた。


「はい…」


「僕も」彼はシンプルに言った。「雨、強くなりそうだね」


確かに雨足は徐々に強まっていた。私はちらりと古本屋を見た。


「もう少し雨宿りしてからにしようか」亮太くんが提案した。「あそこの古本屋、すごくいい本があるんだ」


私は迷った。結花との約束もある。でも、この雨では動けない。それに…古本屋という共通の場所。


「実は私も、あの古本屋よく行くんです」自然と言葉が出た。


亮太くんの目が少し輝いた。「そうなんだ。どんな本が好き?」


「文学全般ですけど、特に…」


会話は思いのほか弾んだ。古本屋の中、私たちは本棚の間を歩きながら、好きな作家や作品について語り合った。亮太くんの読書量は予想以上で、彼の作品への深い考察に何度も驚かされた。


「この作家の描写は、まるで絵を見ているみたいだよね」亮太くんは一冊の本を手に取りながら言った。


「本当に。だから私、この作家の風景描写が大好きなんです」私は自然と笑顔になっていた。


時間がどれだけ経ったのか気づかないほど、私たちは本の話に没頭していた。ふと窓の外を見ると、もう日が暮れかけていた。


「あ…」私は慌ててスマホを確認した。結花からのメッセージが何件か入っていた。


「どうしたの?」亮太くんが心配そうに尋ねた。


「友達と約束してたのを…」


「そうか、ごめん。引き止めてしまって」彼は申し訳なさそうな表情を見せた。


「いえ、私も時間を忘れてしまって…」


雨はすっかり上がっていた。古本屋を出る時、亮太くんが一冊の本を手渡してくれた。


「もしよかったら、読んでみて。僕の好きな作家の伝記」


「ありがとう」私は嬉しさと驚きが混じった気持ちで本を受け取った。「必ず読みます」


別れ際、彼は少し照れたように言った。「また本の話をしましょう」


「はい、ぜひ」


帰り道、私は不思議な高揚感を感じていた。初めて交わした亮太くんとの会話が、こんなに楽しいものだとは思わなかった。でも同時に、結花への申し訳なさも胸に重くのしかかった。


翌朝、学校の中庭で結花に会うと、彼女は少し不満げな表情を見せた。


「昨日どうしたの?待ったのに」


「ごめん…」私は言葉を選びながら答えた。「雨が強くなって、ちょっと古本屋で雨宿りしてたら、時間を忘れちゃって」


「古本屋?」結花は首を傾げた。


私は一瞬迷った。全てを話すべきか。でも亮太くんのことを言うと、結花は必要以上に気にするかもしれない。それに単なる偶然の出会いだった。


「うん、新しい本を見つけて夢中になってた」と、私は省略して答えた。


結花はすぐに元気を取り戻し、「まったく、本の虫なんだから!」と笑った。「でもね、昨日ね、亮太くんのこと少し観察できたんだよ!」


「へえ、どんな感じ?」私は平静を装って尋ねた。


「美術室に行ったんだって。彼、絵を描くの好きみたい。それに、静かだけど、たまにクラスメイトと話すとき、すごく丁寧な話し方するの」


結花は嬉しそうに亮太くんの話を続けた。私は相槌を打ちながら、胸の内にある小さな違和感に気づいていた。全てを正直に話さなかったこと。それが小さなくさびのように心に引っかかっていた。


でも、それは友達を思う気持ちからだと自分に言い聞かせた。結花を不安にさせたくない。彼女の亮太くんへの気持ちを応援したい。そのためなら、少しの省略も仕方ないことだ。


「ねえ、陽菜」結花が突然真剣な表情になった。「私、本気で亮太くんのこと好きなんだ。だから、絶対に告白するまでがんばる」


「うん、応援してるよ」私はできるだけ明るく答えた。「結花なら、きっと大丈夫」


結花は満面の笑みを見せ、「ありがとう!だから陽菜も文芸部頑張ってね!」と言った。


私たちはそれからチャイムが鳴るまで他愛のない話をした。でも私の中では、小さな葛藤が生まれ始めていた。


*正直であることの難しさ。*


美咲先輩の言葉が頭をよぎった。「匿名だからこそ書ける本音がある」。私も自分の正直な気持ちを、言葉にできる場所が必要なのかもしれない。


校舎に入る前、私は一度だけ振り返り、海の方を見た。小学生の時に三人で約束した海辺。「本当のことを話そう」という約束。私はその約束を、どこまで守れるだろう。


そんな思いを抱きながら、私は新学期の教室へと足を進めた。

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