第26話
海岸沿いの道を歩く結花。濡れた髪から水滴が肩に落ち、服はまだ雨の跡をとどめている。顔には疲労が見えるが、その表情には奇妙な解放感も浮かんでいた。
前方から歩いてくる人影に気づき、結花は足を止めた。健太先輩だった。
「結花?」健太先輩は驚いたように彼女の姿を見た。「何があったんだ?ずぶぬれじゃないか」
結花は言葉に詰まった。どう説明すればいいのか分からなかった。
健太先輩は黙って自分のジャージの上着を脱ぎ、結花の肩にかけた。
「太一から連絡があったんだ」彼は静かに言った。「心配して探してた」
「そう…」結花はジャージの温かさに身を包みながら呟いた。
健太先輩は何も聞かずに、ただ結花の横を歩き始めた。二人は静かに海沿いの道を進んだ。
「何も聞かないの?」結花が不思議そうに尋ねた。
「話したくなったら聞く」健太先輩はシンプルに答えた。「それまでは黙って歩くだけでいい」
その言葉に、結花の中で何かが和らいだ。押し付けるでもなく、見捨てるでもなく、ただそこにいてくれる存在。
「陽菜と話してきたの」結花は少しずつ話し始めた。「亮太くんのことについて」
健太先輩は黙って聞いていた。批判することなく、ただ彼女の言葉を受け止めている。
「私ね、本当は分かってたのかも」結花は夕暮れの海を見ながら続けた。「陽菜の気持ちも、そして…私自身の気持ちの変化も」
「変化?」健太先輩がようやく口を開いた。
「うん」結花は少し照れたように微笑んだ。「亮太くんへの気持ちが、本当の恋じゃなかったのかもしれないって」
暗くなり始めた空に、最初の星が輝き始めていた。二人はしばらく黙って歩き続けた。
「自分の本当の気持ちに正直になることが大事だよ」健太先輩が穏やかに言った。「それが一番難しいことだとしてもね」
その言葉に、結花は立ち止まった。健太先輩を見上げる。日が落ちかけた空の下、彼の横顔はいつもと違って見えた。いつも側にいるのに、今まで気づかなかった何か。
「健太先輩…」結花は初めて気づいたように彼を見つめた。
「何?」健太先輩も立ち止まり、結花を見た。
「ありがとう」結花は心からの笑顔を見せた。「いつもそばにいてくれて」
健太先輩は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに優しい笑顔を返した。「当たり前だろ」
二人はまた歩き始めた。健太先輩がそっと結花の頭に手を置き、濡れた髪を軽く撫でる。
「次の大会、一緒に勝とう」彼は前を向いたまま言った。
結花は頷き、心の中で小さな変化に気づいていた。亮太くんを追いかけることに夢中になっている間も、ずっとそばで見守ってくれていた人。それは、憧れとは違う、もっと確かで温かな存在だった。
夕闇が深まる中、二人の影は少しずつ一つになっていくように見えた。海からの風は冷たかったが、結花の心はじんわりと温かくなっていた。




