18-ⅲ)器(うつわ)〜身の程
一方、ローゼンのテントへは訪問者があった。
『将軍』ことバハラームが祝い酒を持って訪れたのだ。彼が手にしているのは昼間の大宴会では出さずに取っておいた大事な酒だ。
だが、テントの前まで来て、サクが居てはマズイと思い、引き返そうとしたところへ、たまたまテントから出て来たローゼンに呼び止められる。
「おや? 将軍」
「せっかくなので、とっておきの物をと、思いましてな」
将軍が高級な白ワインのボトルを見せた。
ローゼンと将軍は星空の下、ベンチで酒を酌み交わすうちに、ブランとその嫁たちの話題になった。将軍は彼らの態度にまだご立腹だった。
「ブランも嫁も、どいつもこいつも、なっとらん!」
「将軍、夜ですよ? もう少し、お静かに」
ローゼンが人差し指を口元に当てて注意する。すぐ後ろのテントの中では仕事の疲れから ぐっすりと眠っているルークがいるし、隣のテントではサクとレイが眠っている。他も昼間の宴会やら、仕事やらで皆、寝静まっており、夜の警備の担当が見回りをする程度だ。
「これは失敬、失敬」
将軍は頭をかいて謝ると、話をレイとサクの兄妹の事に変える。
「しかし、あれですな、形だけを取り繕った挨拶は誰にでも出来るが、心から敬意を持って挨拶できる者はそうはおらん」
グラスを置き、腕組みしてうなずく将軍にローゼンも同感する。
「サクもレイもその美しい所作以上に、人柄が出ていますからね」
「うむ。態度と中身があそこまで一致する人間は珍しい。実に、誠実だ。某はあの兄妹の挨拶を見て、ローゼン様と初めてお会いした時の事を思い出しましたぞ」
「え?」
「王宮でシェリー殿下と隠れん坊をなさっていた ──」
と、聞いて、ローゼンは目を丸くして言う。
「それ、俺が七つの頃ですよ? 挨拶だって、まだ、まともに出来ないような子供でしたよ」
そして、二人は思い出話に花を咲かせた。
ローゼン、7歳。武術の稽古を始めたり、何かと環境の変化が大きい頃だった。
ある時、弟ルーク(5歳)や従兄弟のブラン(6歳)と共に、父や伯父に連れられて中部の王宮に上がったローゼンは同い年の王子の遊び相手をさせられた。
隠れん坊でローゼンが鬼の役になった。
「もうい〜いかぁい !?」
と、一つの大きな柱に向いて、目を閉じていたローゼンが何度か声をかける。「まぁだだよ!」という返事が何度かあった後、ようやく
「もういぃいよー!」「もういぃいよぉ!」
の返事が来た。王子やブランの声に混じって、一番幼いルークの声も広い王宮内に響く。
「よーし!」
張り切って腕まくりしたローゼンが広い王宮の中を探し回っていると、うっかり、帯刀した兵士のオジサンにぶつかった。
「あっ!」
手で顔を押さえて「痛ててて…」と言うと、
「坊や。大丈夫か」
「ご、ごめんなさい」
一度、兵士の顔を見上げた後、ローゼンは素直に謝り、
「ところで、なんで、坊やがこんな所にいる?」
「シェリーたちと かくれんぼしてるんだ」
「シェリー?」
「うん!」
その名を聞いて、思わず鸚鵡返しに言ってしまった兵士は
『第六王子のシェリオール殿下の事か』
と、思う。
元気良く返事をしたローゼンだったが、すぐに困り顔になり、
「でも、なかなか見つからなくて……。みんな、どこへ行ったんだろう?」
と、廊下をキョロキョロと見回す。彼の言う『シェリー』こと『シェリオール王子』とは、後に、ローゼンとのチェスの最中に西の領主に
「第五か第六だったか、継承順位が三位に上がった王子などは盆暗だというし」
と、言われた王子の事である。そして、シェリーはローゼンたちの従兄弟でもある。
ローゼンの様子から彼の事を
『ああ! 王子の遊び相手か』
と、察した兵士は膝を折って身を低くし、小さいローゼンの肩を持つと、
「坊や。ここは子供が遊ぶような所ではない。あそこの廊下を真っ直ぐ行けば、王子たちの住まいへ戻れる」
と、指を差して教えた。
「うん。おじさん、どうもありがと……」
子供らしく手を振って「バイバイ」しかけて、急に思い出す。大口開けて「あっ!」と驚き、「いけない。父さんに怒られる」と つぶやくと、兵士に向き直り、言い直した。
「ありがとうございました」
今度は右手を胸に当てて軽く頭を下げて、大人のように丁寧な礼をする。しかし、その根っ子にあるのは先程の子供らしい仕草の時と変わらない、無邪気で素直な気持ちである。
「うむ。気を付けてな」
「はい!」
と、返事すると、結局、子供らしく手を振って去って行ったローゼンだった。
『やっぱり、まだまだ子供だな』
と、ローゼンを笑顔で見送った兵士は踵を返した。
『なんとも言えぬ愉快な子だったな』
ほんの少しの遣り取りだったが、ローゼンの明るい雰囲気に心が温かくなった彼の表情はまだ笑顔のままだ。
途中、廊下で声をかけられる。
「バハラーム!」
「はっ!」
成人したばかりの若い王子に敬礼する兵士。ローゼンと遭遇した兵士はただの一兵士ではない。彼は身分の高い武官であり、後のバハラーム将軍である。彼は当時、この王子に仕えていた。
「今から軍議が始まる。お前も来い」
「御意」
側仕えを数名従える王子が斜め後ろを歩くバハラームに訊ねる。
「先程、随分と楽しそうに笑っていたが、何かあったのか」
「はっ。迷子がおりましたので、道案内を」
「迷子?」
「シェリオール殿下の遊び相手だったようで」
「ふむ」
と、王子は一度 視線を上げた後、バハラームにいくつか訊ねる。
「一人か?」
「はい」
「どんな子だ?」
「黒髪でどちらかというと色の白い男児で、どこか憎めない子でしたな」
「ハハハ! そうか」
と、笑うと、王子が言う。
「それはローゼンだな」
「ご存じで」
「うむ。カラヤ家の従兄弟たちを呼ぶとは聞いていたが、その容姿と雰囲気ならローゼンで間違いない。ブランの奴は生意気だし、ルークは色黒だからな」
この王子もローゼンたちの従兄弟なのである。
「次に会う時は、ローゼンに弓矢を教えてやるかな?」
と、王子は楽しげに笑う。
「アステリオン殿下御自らでございますか」
バハラームは驚いた。
側仕えたちが
「弓の名手であらせられる殿下の腕前でござりますれば、上達も早うございましょう」
「果報者でございますなぁ」
などと、アステリオン王子にゴマをする中、バハラームはローゼンの事を思う。
『外戚とは言え、カラヤ家は王侯貴族ではない。しかも、他に従兄弟もある中、ご指名とは随分と気に入られたものだな』
ふと、無邪気に手を振るローゼンの姿を思い出し、
『いや……。そうやも知れぬ』
と、どこかで腑に落ちた。
目の前のアステリオン王子は一見、爽やかな風貌だが、ゴマをすられて少し得意げだ。前髪を指先で払ってカッコ付ける姿に、バハラームは不安を覚え、思わず、その眉間に皺を寄せていた。
ローゼンが戻ってみると、みんなプンプンと怒っていた。
「ローゼン! お前、どこ行ってたんだよ!」
「いつまでも探しに来ないから、もう、あきちゃったよ!」
「ごめん、ごめん。迷子になってて」
頭をかきながらブランやシェリーに謝るローゼン。
実はローゼン、王宮の王子たちの住まいから離れ、政務に関わる場所に迷い込んでいたのだ。
「お腹すいたぁ〜」
と、一番小さいルークがお腹をさするので、シェリーが言う。
「じゃあ、そろそろ母上にお願いして、おやつを出してもらおう」
「やったー!」と、みんなで喜んだ。
そんな思い出を懐かしむローゼンと将軍。
ふと、将軍の顔から笑顔が失せ、暗くうつむく。
「その年はアステリオン殿下が薨去なされた年でもありましたな」
「そうでしたね……」
ローゼン(7歳)も第三王子アステリオンの葬儀に参列し、その時にバハラームと再会している。
ローゼンのような10代に満たない幼い者たちは棺の中は見せてもらえなかったが、カラヤ家の従兄レオン(16歳)の大きく見開かれた眼や、ティグリス(11歳)の怯えて自らの二の腕の服をつかむ様子、アステリオン王子の同腹の弟で第五王子サジッタ(13歳)の体が怒りで小刻みに震えているのを見て、その死が尋常ではない事だけはローゼンにも分かった。
『ナディアおばさん……』
アステリオン王子の生みの親であるナディアなどは泣き疲れた後なのか、茫然自失としており、誰かの支えがないと立っていられない。
『陛下のおじさん……』
ファルシアス王国国王・フェニックスはその重い立場から感情を表に出さぬように努めてはいるが、我が子の死が悲しくないわけはない。時折、唇を嚙み締めている。
参列者の中の大人たちの囁きが聞こえる。
「15歳とは若過ぎる」
「成人したばかりと言うのに……」
「第三王子殿下には期待が大きかっただけに、陛下もさぞ、おつらかろうに……」
「アステリオン殿下は民衆からの人気もありましたからな」
「やはり、妬まれたのでは?」
当時、まだ子供だったローゼンは近しい人たちの悲しみや、大人の世界の恐ろしさを、ただ、単純に感じていた。
昔を思い出し、しんみりとする二人だったが、将軍が先に沈黙を破った。
「今だから申し上げるが、某はアステリオン殿下に、あまり良い印象がございませなんでな」
「ほぅ……」
ローゼンが将軍の横顔を見る。
将軍の眉間に皺が寄る。
「王族なので、当たり前と言えば、当たり前ではあるのですが、少々、気位の高いところが鼻に付くと申しましょうや」
「うん。同感ですね」
大人になったローゼンの受け止め方は昔とは違う。だからこそ、将軍の意見にうなずける。
ローゼンはグラスの中の酒を見つめて言う。
「あれがなければ、彼らは長生き出来たでしょうに」
「うむ……」深くうなずく将軍。
「あの後、サジッタ兄さんも死んだ。それも、15歳だった」
怒りからローゼンのグラスを握る手に力が入る。彼は非公式の場では従兄の王子らを「兄さん」と呼んでいる。
「病死と言われておりましたが……」
将軍の濁した言葉の後をローゼンが続ける。
「あの時も俺は棺の中を見せてはもらえなかったが、サジッタ兄さんの時は皮膚の色が悪かったと聞いている。たぶん、毒殺だな」
と、腕組みするローゼン。
「某もそのように思うのですが、証拠がなく……」
「王族のした事なら隠蔽されるでしょうね」
将軍の方を見るローゼンに、将軍がうなずいて言う。
「おそらく共犯者も多いでしょう」
「そもそも、兄さんたちは出過ぎたんだ。半分は商人の家の子なのに、出自の良い王妃や側室の王子たちを差し置いて目立ったりするから妬まれる」
ローゼンとしては血の繫がりがあるだけに、その死が余計に悲しく、その反動の為に、道化を演じられなかった彼らの愚かさに腹立たしくもなる。
彼は一旦「フーン……」と鼻息を吐いて怒りを治めると、
「今更、言っても仕方のない事ですがね」
と、ワイングラスに口を付ける。
その横顔を眺める将軍。
『殿下たちを反面教師にしたからこそ、今のローゼン様がある』
ローゼンが息を吐き、再びワインを口にするのを見た後、将軍は自分のワイングラスを見た。
『否、それらを反面教師にすると判断できるのが、この御方か』
それがローゼンという人物であると、合点がいった将軍は残りのワインを飲み干した。
「申し訳ありませぬ。せっかくの祝い酒が湿っぽい話に……」
「いや、気にしないで下さい。もし、兄さんたちが生きていたら、きっと、お忍びで結婚式に来てくれた事でしょうね」
詫びる将軍にローゼンは微笑んで返した。
腰を上げた将軍はローゼンと別れた。
ローゼンと飲み終えた帰り、ふと、空の瓶を下げた将軍は立ち止まり、天を仰いだ。心の中で叫ぶ。
『何故、ローゼン様が王族ではないのだ!』
その事が惜しまれてならない。しかし、星空が答えるはずもない。
『あの御方が王族ならば、器用に立ち回って生き残り、隙を衝いて目障りな政敵を倒せたであろう。それに、あの盆暗のシェリー殿下では…、どうにもならぬ……!』
下を向き、「はぁ……」と溜め息を吐く。
「現実とは旨くいかぬものだ」
独り言つと、将軍は首を横に振った。
『致し方無し。ローゼン様が王族でなくとも、心から仕えるべき主君を得た事こそ、我が幸いなり!』
将軍は己が胸の内に強く言い聞かせ、胸元で強く拳を握り締めていた。しかしながら、その手はとても熱いものだった。
翌日も山麓の物流拠点に食糧や日用品などが運び込まれた。各地から寄せ集められた物資を別の店々へと運ぶのだ。しばらくはキャンプをおこなっているので、それに使用される物も含まれている。
しかし、この日はいつもと違い、カラヤ商店の商人や人足たちと共に、ガナンの女房とその子供たちも馬車に乗ってやって来た。
「若旦那様。家の亭主がいつもお世話になります」
ガナンに案内されて、子供たちと共にローゼンのテントを訪れたガナンの女房が挨拶した。子供たちも会釈する。成人している子から10歳に満たない子までが五人いて、そのうち女の子は一人しかいない。家族の傍らではガナンが照れ臭そうに頭をかいている。
ガナンの家族の挨拶を受けたローゼン。
「いやぁ、おかみさん。こちらこそ、ご亭主にはお世話になっています」
「それでですね、日頃のお礼に今日はサービスさせて頂きます」
と、ガナンの女房は申し出た。
ローゼンの祖父母のテントでは祖母リナと母カーラ、その女中らの女性陣が集まって、サクの採寸をしていた。サクの花嫁衣装を作る為である。
採寸を担当した女中がメモを見ながら言う。
「カラヤ裁縫店で採寸した時と変わってませんね」
春に、サクと元姉たちはローゼンの頼みで、カラヤ商店の系列店の新作を宣伝する為、それを身にまとって街を歩いた事がある。その時に採寸されており、そのメモがローゼンから渡されたのだ。
「そうなんですか。夏痩せする年もあるんですけど」
と、薄着のサク。
「それにしても、あんた、ウエストがくびれてていいね」
「ホント。スタイルいいわ〜」
カーラとリナが羨むが、
「そうですかぁ?」
と、首を傾げるサクには
『うち、胸も小さいし、どこがええんやろう?』
としか思えない。そして、
『いや。それより、ローゼン、本真に うちで良かったんやろうかぁ……』
今更だが、自分の魅力の無さに急に不安になる。
そこへ、テントのドアをノックする音が聞こえた。ローゼンである。
「ちょっといいかい?」
「衝立の奥は覗くんじゃないよ?」
と、衝立から顔を出す母カーラに強く念押しされる。
「わ、分かってるよ!」
母にキツく言い返すローゼンは衝立の向こうにいるサクが非常に気になってはいるが、そこはグッと我慢する。
「それより、どうしたの?」
祖母リナに用事について訊ねられて、
「それが、ガナンのおかみさんが来ててさ」
と、ローゼンが答えると、皆、キョトンとした顔になり、首を傾げたり、顔を見合わせたりした。
物流拠点の空き地で急遽 始まった散髪。花嫁衣装を作る為の採寸をされていたサクもそこへ呼ばれた。
人足たちの何人かはすでにカットされた後だった。地面に落ちている髪の毛を小さい子供たちが箒で掃き集めている。
「今日は半額サービスだよー!」
「次の方、どうぞー!」
「お代は、そこの缶にお願いします」
と、鋏を手にしているのはガナンの女房と、成人している二人の息子たちだ。三人とも理髪師なのだ。
ガナンの女房を見たリナとカーラが「あら〜。理髪師の……」「あっ。そっち」と、言う。
「若旦那様はどうします?」
と、ガナンの女房に訊かれたローゼン、
「あいにく、俺は切ったばかりだから、この子を頼むよ」
側に置かれた料金箱の缶に銀貨2枚を投げ入れた。
「どうぞ」と促されたサクは折り畳みの椅子に座り、散髪用の白い布を首元から巻かれる。
櫛で梳かれるサクの髪。その姿に見とれるローゼン。その横から声が飛ぶ。
「おい。その人は若奥様だ。その辺の野郎共みたいに雑にやるなよ?」
注文を付ける亭主のガナンに、
「あいよ! 任しときな」
と、威勢のいい返事をする女房。
『まだ、式、挙げとらんのに……』
生真面目なサクは内心で気にするが、ローゼンは
『ああ……! 「若奥様」か。いい響きだなぁ……』
と思いながら、ニコニコしている。まだ、ローゼンが当主ではないので、サクは若奥様と呼ばれるのだ。
「それにしても、若奥様の髪は綺麗ですねぇ」
「そ…、そうですか?」
ガナンの女房の言う事を只のリップサービスだと分かっているものの、事実と違う事を言われていると思うと、つい、戸惑うサク。
しかし、ローゼンは
『サクは髪も綺麗だからなぁ……』
と、感じている。サク本人と他の人では認識に相当のズレがある事が多い。
ガナンの女房は櫛を腰に巻き付けたシザーケースに仕舞うと、今度はそこから鋏を取り出して、サクに訊ねる。
「今日はどうしましょうか」
「毛先を切り揃えて下さい」
「はい。かしこまりました」
慣れた手付きで、あっという間にカットが終わると、「若旦那様への日頃のお礼に、サービスで髪を結って差し上げましょうね?」と、ガナンの女房。
「うわぁー。綺麗、綺麗!」
髪をアップにして結ってもらったサクを見て、祖母のリナが喜ぶので、サクは照れ笑いしてしまう。
「若奥様はうなじが綺麗だったんで、アップにさせて頂きました」
「ありがとうございます」
サクがガナンの女房に礼を言っていると、ローゼンが謝礼に金貨一枚を缶に入れた。
「あっ! これはサービスですから、要りませんよ」
ガナンの女房は金貨を返そうとするが、
「せっかく、綺麗に結ってもらったんだ。受け取ってくれ」
ローゼンが押し返す。
「そうそう。もらってちょうだい」
と、大奥様のリナにまで言われるので、ガナンの女房も「そ、そうですか? では、ありがたく…」と引き下がる。
「ごめんね?」
無駄なお金を遣わせたと思って、サクがローゼンに謝るが、ローゼンは「ううん」と首を横に振って笑顔で答える。
「後でリボンを付けましょうか」
と、祖母のリナがサクに提案している傍らで、腕組みした母のカーラがサクを見た後、息子のローゼンを横目で見て言う。
「しかしまぁ、あんたにゃ勿体無いね。あちらのお父さん、可哀想に。泣くよ? きっと。可愛い娘を盗られたーって」
「母さんは誰の味方だよ。人を泥棒みたいに…。もう少し普通に息子の結婚を喜べよ」
ローゼンが母に文句を言っていると、いつの間にか他の家族たちも集まって来た。
「なに なに? 楽しそうだねー」
と、ルークが母と兄ローゼンの間に入って顔を出す。父カイト、祖父ローキも活気のある様子が気になり、見に来た。
「おっ! 散髪しよんか。俺もそろそろ床屋行って摘んでもらおうか思いよったんや」
と、サクの兄・レイも髪をカットしてもらう事に。
女中が持って来てくれたリボンを髪に付けてもらい、ますます お人形のようになるサク。
『生きてて良かった〜……』
見目麗しい乙女と結婚できる喜びを嚙み締めているローゼンを家族が面白がって、からかう。
カイト「これは……」わざとらしく絶句する。
ローキ「恨まれるなぁ、ローゼン」首を横に振る。
カーラ「でしょう?」おどけて肩をすくめる。
カイト「わたしが父親だったら、『娘はやらん』と相当ごねるな」腕組みする。
ローキ「いやいや、門前払いだろう?」手を左右に振る。
ローゼン「誰も俺の味方はいないのか」と、突っ込む。
『みんな、普段、こいな小芝居するん、好いとんかなぁ?』
それを不思議そうに眺めて思うサクに、リナが笑顔で説明するが、
「気にしないで? いつも、あんな感じだから」
物言いがサラッとクールな感じがするのは、アホな小芝居をする家族に対してである。
『あそこの家族は平和でいいなぁ〜』
と、思っているのは、ガナンの息子に髪をカットしてもらっているキルスだ。ローゼン一家のアホな小芝居が彼の耳にもバッチリと聞こえている。
彼はサクとロクサネを比較する。
『それに、サク様は美人なのに謙虚だが、ロクサネだったら、綺麗とかお世辞言われて調子こいて、「当然よ」とか言って高笑いしてそうだ』
しかし、ロクサネたちは庶民のヘアサロンには興味がないようで顔を見せていない。
その頃、ロクサネは自分専用のテントでくしゃみをしていた。
「夏風邪でございますか?」
形だけでも主人を案じる女中に、ロクサネが断言する。
「いいえ。これはきっと、どこかで、わたしの美貌を噂しているのよ」
女中は『そんな馬鹿な』と本心では思っているが、そんな事は間違っても口には出せない。
「さ…、さようでございますね」
と、言っておかなければ、えらい目に遭わされるのが目に見えている。
今も髪を切り揃えてもらいながら、腹の底でキルスが
『あいつなんて、大して美人でもないのにな』
と、ロクサネの事をこき下ろす度に、ロクサネがくしゃみをしている事をキルスが知る由もない。
ルークも髪を切ってもらい、今度はレイの番になる。
ガナンの女房が櫛で梳きながら、レイの髪質や生え癖をチェックしていると、
「あれ、まぁ……」
と、言われる。
「どうかしましたか」と、レイが訊ねると、
「いえね、若奥様みたいに綺麗なうなじだなと、思って。形もそっくり」
と、ガナンの女房が言うので、サクも周りにいた人たちもレイのうなじを「見せて、見せて」「どれどれ」と、見に来る。
「わたしのもこんな感じ?」
自分の後ろ姿は自分では見られないので、サクがリナらに訊く。
「そうね。そっくり。M字の形ね」
サクとレイのうなじを見比べて、リナが答える。
「やっぱり、兄妹だね」というルークの言葉に、
「あっ! そうだったんですか」
と、レイとサクが兄妹だと知るガナンの女房。
カーラが顎をつまんで感心するように言う。
「しかし、あれだね、男なのに勿体無いねぇ。これで女に生まれて細い首してたら、絶世の美女がもう一人増えちゃうよ」
『あー、言っちゃったか』という目で母カーラを見るローゼン。ルークもレイ本人が女顔を気にしているのを知っているので、母にそれとなく注意しようとする。
「あの、母さん…。そういう事は言わない方が……」
「男らしく見える髪型でお願いします!」
「ムッ!」とするレイだったが、ガナンの女房に断られる。
「お客さんには悪いけど、今の状態で切り揃える程度にさせてもらいます」
「え……?」
意外に思うレイは申し訳なさそうな顔をするガナンの女房に
「お客さんみたいな顔の人はそうそういませんから。普通はいくら女の人みたいに綺麗な顔だって言っても、所詮、男の顔ですから武骨な感じが出てるものですけど、お客さんの場合は繊細な顔立ちだから、髪をもっと短くしたら、かえって繊細な面が際立ち過ぎるかもしれません」
と、説得されてしまった。
「そ、そうですか……」
落ち込む兄レイをサクが励ます。
「お兄ちゃん、ドンマイ。仕方ないよ」
「じゃあ、お任せします……」
結局、折れたレイだった。
ヒカルは金髪の染め直しを頼み、カヲルはこれまでどおり銀髪に染め直すか、元の黒髪に戻すかで、しばらく悩んでいる。隣ではレイのカットが終わったところだ。
「う~ん…。どうしようかな~……」
「お前、さっさと決めてやれよ。後がつかえてんだろ?」
カヲルが迷っていると、ヒカルに催促される。カヲルの背後では鋏を持って待つガナンの息子が苦笑いしているし、散髪を希望する者の列も出来ている。
そうこうしている間にカラヤ一族の他の親戚たちの到着の知らせがローゼンたちの耳にも届く。
「それじゃあ、おかみさん。無理せずに適当なところで切り上げて構いませんからね」
「はい、ありがとうございます。若旦那様」
ローゼンはガナンの家族に気遣いの言葉をかけると、自分の家族と共に親戚たちの元へ向かった。
後から集まった親戚というのは、カラヤ一族の各代表者たちである。当主のカイトのテントにローゼンやブランの家族も集まるが、ブランの嫁たちは呼ばれていない。
ローゼンに紹介されて、サクとレイも親戚たちに挨拶する。親戚たちの態度は至って穏やかだが、この中には数ヶ月前に番頭のトリンタニーに
「ローゼンが跡を継がないとは どういう事だ !?」
「悪い女に誑かされていると聞いたぞ!」
「女に骨抜きにされて大金を貢いでいるとか」
「とにかく、とんでもない悪女で、真面目なローゼンを色気で誑し込んでるそうだな」
「跡を継ぎたくないというのも、その女のせいだと聞いたぞ」
「そんな女とはさっさと別れさせろ!」
「どうしても別れたくないと言うのなら、その女を殺してしまえ!」
などと詰め寄り、トリンタニーに説得され、サク本人を見て納得して帰った者もいたが、その事をサクとレイは知らない。
「当主である父さんの他に、今回集まった六つの家の家長に次期当主を決める権限があるんだ」
サクにこの決め事の権限はないが、家族となった彼女にルークが説明する。
「俺たち家族や伯父の家族は当主一家のうちに入るから権限はないんだけど、当主が意思決定する為の助言はできるよ?」
「ふ~ん」
と、サクがルークの話を他人事のように聞いていると、いきなりローゼンに
「サクも『この人だけは嫌だ』と思うのがいれば、父さんに意見を言ってもいいんだ」
大それた話を言われて、「えっ!?」と驚き、
「わ、わたしは新参者なので、まだ よく分からないから、見てるだけにします……」
と、尻すぼみな声で返答した。
「ハハハ。遠慮はするな。六名の代表者たちも皆の意見をまとめて、ここへ来てるんだから」
笑うローゼンに「うん…」とは返事したものの、サクに度胸はない。だが、
『まぁ、サクの事だから、商売については分からずとも、ブランにだけは反対だろう』
ブランをさりげなく一瞥するローゼンにもそれぐらいの察しは付いている。
親戚たちとの挨拶を終えて、それぞれに当主のテントから出て行く。
ローゼンとルーク、サクとレイが自分たちのテントの前まで来ると、
「事件です! 若旦那」
と、ローゼンの前に駆け付けた人足がいた。
「どうした?」
「そ、それが……」
と、ローゼンに返事しようとする人足が振り返る先にいたのは、短髪のガッシリした体格の男だ。彼は頭をかきながら、こう言った。
「いや。なんかさぁ、散髪したぐらいで、みんなメチャクチャ驚くんだよぉ~」
その声でサクもレイもルークも彼の正体に気付く。
「は、ははははは…」
と、短髪の男を人差し指で差しながら吃るルークの声の後に、ローゼン以外は皆でその名を叫んだ。
「ハッサン !?」
ハッサン、目元が隠れる鬱陶しい前髪の玉葱頭がなくなり、野性的な男前にイメチェンどころか、激変していた。
「もう、人足連中、みんな大騒ぎなんで」
と、わざわざ報告に来た人足が言うには、
「ウッ…、嘘だろう !? あの玉葱頭がッ……!」
「ずっと、俺の方が男前だと思ってたのに……」
「ハッサンに負けたァ~!」
背後で落雷でもしているのかと思われるほどに戦慄したり、この世の終わりだと言うように頭を抱えたり、ガクゥーッと膝と手を突いて うなだれたりして、心が打ちひしがれる人足たちが多いとか。
「── とまぁ、泣き崩れる奴が続出でして……」
それを聞いて「へー」とつぶやくローゼンは内心で呆れる。
『あいつら、自分の方が人よりイケてると思ってたのか。身の程知らずだなぁ』
ツンツンと毛先が立つ、男らしい短いヘアスタイルが似合うハッサンに
『う、羨ましい……』
と、思うのはレイだ。
「しかし、まぁ、サッパリしたね。ハッサン」
と、感想を言うルークに、ハッサンが顎を触りながら自らの懐事情を話す。
「まあ、元々カネもなかったし、ずっと自分で切ってたからな」
「そうだったんだー」
と反応するサクの
「でも、凄いねー。自分で切ってたなんて」
驚く所は人とはズレている。容姿より自分で出来る所に驚く。
「……若旦那はさっきから反応、薄いですね」
と、報告に来た人足としては驚きの反応を期待していただけに拍子抜けだ。そんな彼にローゼンは肩をすくめて答えた。
「いや、だってさぁ。ハッサンがお喋りな事に変わりはないだろう」
「はぁ」と、人足がぼやけた返事をする。
幼い頃の初恋で人の見てくれに惑わされた経験のあるローゼンは、そんな彼を見下すでもなく、流し目で見た後、言い換えた。
「人の中身までは、そう簡単には変わらないものさ」
そう言うローゼンの視線の先には、ハッサンを囲んで談笑するサクやレイ、ルークがいる。陽気で無邪気な四人の姿を見るローゼンの微笑みは温かく優しいものだった。




