13-ⅰ)吸引力〜惹かれ合うは似た者同士
カラヤ商店に戻った千騎の騎馬隊は人足兼警備として、それぞれ元の持ち場へ。西南の都からの物資を他の街々へ運ぶ為、部隊ごとに旅立った。
西南の都の店にはガナンが率いる「ガナン隊」と、別の隊がいくつか残った。
ハッサンの処遇については、これから決めるところである。主用の部屋に呼び、ローゼンがハッサンに訊ねる。部屋には弟ルークや番頭のトリンタニー、警備隊長のガナンもいる。
「5年前に独立したと言っていたが、西南の近衛兵になるまで、何やってたんだ?」
「よくぞッ、聞いてくれた。聞くも涙、語るも涙の顚末を とくとッ聞いてくれ!」
ハッサンの大袈裟な物言いに、うんざりしたようなローゼンたち。ハッサンはそれに構わず、当時の状況を思い浮かべながら話を始めた。
「最初はさ、旨くいってたんだ。用心棒の仕事とかも結構あったし、食うには困らなかった」
かつて、ハッサンは街道を行き交う商人や旅人の用心棒として雇われ、次々と盗賊を倒していた。
「ところがだ。だんだん、仕事が減っていったんだ。街道に盗賊が出る事が少なくなって、特にこの2、3年で激減してさ」
それを聞いた誰もが思った。
ルーク『それって、もしかして、兄さんのせいなんじゃ……』顔がわずかに引きつる。
ガナン『カラヤ隊が通るたんびに、街道を掃除してきたからな』上を見て鼻息つく。
トリンタニー『皮肉ですな』半眼で微動だにせず。
ローゼン「……………」沈黙し、苦笑。
ハッサン、カラヤ隊のせいで就職難に陥っていた。
「さすがに他の事を考えたんだが、武芸指南をやろうにも、なかなか弟子も集まらなくてさ」
ハッサンが街中で看板片手に誰からも相手にされず、虚しい風が吹き抜ける有り様を容易に想像できた面々。
「そんで、いよいよという時に、たまたま西南の兵の募集があって、合格。身元引受人はカラヤ家のカイト様だって言ったら、近衛兵にまでしてくれてさぁ。助かったよ」
「あなた、旦那様のお名前を出したのですか」
「図々しいな」
トリンタニーとガナンがハッサンを非難する。ふてぶてしそうに見えるガナンですら、図々しいと言う。
「しょうがないだろ。イグナス先生、旅暮らしで何処にいるか分かんねぇし、先生の名前じゃ知名度ねぇもん。それに西南からの問い合わせに旦那様も『相違無し』って返事してくれたみたいでさ」
どうやら、ローゼンとルークの父はハッサン本人である事を確認し、身元引受人になる事を同意したようだ。それを
『父さんの事だ。ハッサンの事を知っている使用人を寄越して確認させたんだろうな』
と、推測するローゼン。
「まぁ、父さんが許可したのなら、問題はない。信用できない者は相手にしないからな」
「そうだな」
ローゼンも、ルークもそこは問題にはしなかった。彼らの父は誰彼かまわず、なんでも引き受けるような人ではないようだ。
「でも、勿体無いな。近衛兵を辞めるなんてよ。給料良かったろ」
と、ガナン。ハッサン、玉葱頭をかいた。
「いや〜。でも、宮仕えはなんか窮屈でさぁ……」
「カネより自由か。なんだかんだ、お前もイグナスの弟子だな」
呆れたようにガナンが肩をすくめた。
「じゃあ、ひとまず、ガナンの隊に入れるか。それで様子を見よう」
ローゼンの決定にルークとトリンタニーはうなずき、ガナンも「分かった」と答える。
「よろしく頼むわ」
軽く右手を上げ、屈託なく「ニカッ」とハッサンは笑った。
翌日、ローゼンはサクを街歩きに誘いに来た。ローゼンはサクの前で片膝突き、
「今日は遠慮なく、なんでも言ってくれ! 危険な事に巻き込んだお詫びだ。どんな願い事でも聞くよ」
と、言うが、サクが戸惑い、
「え? でも…、ローゼンが守ってくれたお蔭もあるしぃ、貸し借り無しでいいんじゃない?」
などと言うと、外野がうるさく言い始めた。踊り子姉妹、この日は仕事が休みだ。元々、西南の城に三泊する予定だったのが、サクの身の安全の為と、ローゼンの都合で一泊早く切り上げられたので、暇なのだ。
華夜「ダメよ、サク。ここは “おねだり” しなきゃ」
美夜「そうよ〜。この際だから、高い物にしな!」
輝夜「罪滅ぼし」
いつもなら外野を黙らせるローゼンだが、この時ばかりは「ほら!」と、外野を利用してサクを促す。が、あまり乗り気でないサク。
それを見た美夜が嬉しそうに
「サクが要らないんなら、あたしに指輪買ってよー」
と、ローゼンにおねだりするので、華夜や輝夜もそれに乗っかる。
「あら〜、わたしも新しい絹のドレスが欲しいわ〜」
「カグも新しい剣が欲しい」
「ハァッ!? お前らは領主からタンマリご褒美をもらってるだろうが!」
ローゼンの言うように、彼女たちの部屋には豪華なドレスや宝飾品が散らばっている。それらは西南の城での宴で舞い踊ったご褒美だ。
「お前らに これ以上、要るか!」
「えー、ケチぃー!!」と、三人。
「こんな強欲共に付き合ってると俺が散財する!」
立ち上がって踊り子の三人と言い合いになっていたローゼンが改めてサクの前に跪いて言う。
「サク。俺を助けると思って、ここは一つ、君が “おねだり” してくれ」
「う〜ん……。じゃあ、街歩きしながら、考えてみる……」
この日一日は全てサクの為に時間を費やしたローゼンだったが、費やしたお金はほとんどが普通の食事代で終わったので、帰りには不満をこぼした。
「もっと、ねだればいいのに。これじゃあ、いつもの街歩きと大して変わらない」
「そんな事ないよ。今日はこれを買ってもらったし」
サクはリボンの付いた布袋を抱えて言う。珍しく自分から “おねだり” をしたのだ。
サクがあまりに嬉しそうにプレゼント袋に ほおずりするので、
『まぁ、喜んでいるのなら、いいか』
と、納得し、ローゼンも笑顔になる。
いつものように宿の部屋の前まで送ってもらい、ローゼンと「また明日」と、笑顔で別れたサク。
部屋には姉たちがいた。三人とも、サクが出かける前とは違う服に替わっている。
「あら〜、お帰りぃ。わたしたち、今から飲みに行くところよ?」
と、華夜。これから晩ご飯に行くと言うので、サクは先に食べたと伝えた。
「わたしはローゼンと夕飯すませてきたから」
サクが抱えているプレゼント袋を見て、美夜が訊く。
「なに買ってもらったのよ?」
「えへへー」
と、笑って、サクがプレゼント袋を寝台の上に置いて、結んでいたリボンをほどき中身を出して見せた。
「可愛いでしょー!」
満面の笑みで突き出して見せたのは、垂れ耳うさぎのぬいぐるみだった。
「な、なに、それ……」
「だからぁ、ぬいぐるみ!」
呆れて指差す美夜に、サクが嬉しそうに答えた。
「だからじゃないわよ! 気が利かないわね! あたしたちのお土産になるような宝石とか服とか、なんで買ってもらわないのよ!」
と、怒る美夜に、
「やっぱり、サクね〜」
と、右頬に手を当てて呆れ笑いする華夜。輝夜は今更と思うのか、無言だ。
「だってぇ、欲しかったんだもん。それに、お姉ちゃんたちは ご褒美たくさんあるじゃない」
姉たちの言葉など意に介さず、サク、ぬいぐるみを抱き締め、ほおずりする。
「本当は自分で買いたかったんだけどぉ、この間、カーミル王子に邪魔されて買えなかったんだよねー」
サクは寝台に腰掛けると、膝の上に置いた ぬいぐるみの頭をなでなでしてやる。
「やっと会えたねー、うさちゃん?」
ぬいぐるみに声をかけるという幼い事をするサクに、美夜は呆れ返る。
『こんな幼稚な子の、どこがいいんだか。ローゼンって、分ッかんないわー……。それにしても、サクにそっくりな鈍臭そうな うさぎね』
美夜の目にはサクとぬいぐるみがそのように映っていた。
ふと、側にある姿見に映る自分の姿を見た美夜。顔もスタイルも抜群な美貌がそこにある。
そして、もう一度、サクを見る。
『こんなガキっぽいの、どうせ、ローゼンも そのうち飽きるでしょ』
サクと鏡の自分を見比べて、優越感に浸って納得すると、
「じゃ、飲みに行くか!」
と、気を取り直した美夜。
「うむ」輝夜。
「戸締まり、ちゃんとしてね〜?」
華夜に言われたサクだが、ぬいぐるみの顔を姉たちに向け、二人羽織のように ぬいぐるみの手を動かして言う。
「大丈夫っ! そういうのは、わたしが一番しっかりしてるんだから」
幼稚な事をするわりに、姉たちへの返事は頼もしく、用心深い性格を覗かせるサク。
踊り子の姉たちとほとんど入れ違いで兄のレイが戻って来た。レイが隣の妹たちの部屋を訪れ、末の妹のサクの様子を見に来た。サクが鍵を開けて兄を通すと、今日の出来事を話す。
「今日、ローゼンがお詫びにって、これを買ってくれたんだー」
垂れ耳うさぎのぬいぐるみを持って来て、ソファーに座るサク。
対面に座ったレイが「良かったなぁ」と、笑顔で言ってやるが、ふと、サクがぬいぐるみを膝の上に乗せて抱っこしている様を見て、
『最近、どっかで見覚えある光景やな』
と、思う。すると、ローゼンがサクを膝の上に座らせて抱き締めている姿と重なって見えた。あれはマフディー王子の部屋でいた時の事だ。
『あいつ、サクヤと同じ趣味か……』
だが、しかし、目の前でぬいぐるみに「可愛いねー」と話しかけているサクの無邪気な笑顔を見て、レイは首を横に振る。
『いやいやいや。あいつのは、どう見ても、邪気だらけやろ。欲が無いわけあるかァ!』
レイ、サクとの間にあるテーブルの上の水差しを取り、グラスに注いで水をあおった。
『母さんはサクヤの相手は欲の無い綺麗な瞳ぇした人がええとか言いよったけど、やっぱり、違う。あいつは害虫や。駆除や!』
そう思い、グラスを「ドン!」と置くと、レイはサクに注意した。思わず訛る。
「サク。ローゼンになんかされそうになったら、絶対、叫べ! 叫んで誰かに助け求めるんやぞ」
「ん?」サク、一瞬、キョトンとした後、自信満々に訛りで言う。
「大丈夫じゃわ〜。お城で泊まっとった時も、なぁんもなかったしぃ」
垂れ耳うさぎのぬいぐるみに向けて
「ねー?」
と、首を傾けて同意を求めるような声をかける。戸締まりバッチリなサクだが、ローゼンには隙だらけだ。レイは引きつった笑顔で
「ホンマに大丈夫なんかァ〜?」
と、過去の実績が未来に対して、どこまで通用するか分からず、半信半疑で答えていた。
次の日も宿へ迎えに来たローゼンに、サクは ぬいぐるみの礼を言った。
「ローゼン。昨日はぬいぐるみ、ありがとう」
「いや。喜んでもらえて良かったよ」
ローゼンは笑顔で返すと、サクを連れてカラヤ商店へ向かった。道すがら、
「それにしても、あの『垂れ耳うさぎ』だけど、君にそっくりだな」
と、ぬいぐるみの事を言うローゼン。
「え?」
「ほら、ペットと同じだよ。『飼い主に似る』と よく言うけど、実際は、無意識に自分と似たようなものを選んでいるんじゃないかな」
「似てるぅ……?」
『垂れ耳うさぎ』の顔を思い出すサク。店頭に並べられた ぬいぐるみの『垂れ耳うさぎ』三羽の中から一羽を選ぶ時の事だ。
「そう言えばぁ、パッと見つけた時は親近感を覚えたんだよねー。それにぃひとつにしぼる時、顔を見て選んだかも。横に長過ぎずぅ、縦に長過ぎず、横顔も長過ぎず、ちょうどいい感じとゆうかぁ。目ぇもぉマジメで素直そうな雰囲気とか……」
サクは癖の無い顔が好きだった。それは奇しくもルークが西南の第五、第六王女とのお茶会で抱いた『サクはレイさん似の癖の無い顔立ち』という感想と合致していたが、その事はサクは知る由もない。
「やっぱり、顔も中身も君にそっくりだな」
と、ローゼンは爽やかに笑った。そんな彼も深めの彫りだがアクの無い端整な顔立ちだ。
カラヤ商店に着いた二人。
ローゼンは主用の部屋の扉を開けると、ストッパーで扉を止めた。彼は女性と部屋で二人きりになる場合は、いつも そうしている。相手に危害を加えない為と、自らも要らぬ疑いをかけられないようにする為であるが、ただし、サク相手に後者の心配は全くしていない。
サクを中へ通し、自分も入ると、デスクへ向かって歩きながら、言う。
「サク。今日は君に見せたい物がある」
「え…? 嘘ぉお !? わ、和の国の言葉……」
サクはローゼンが和の国の言葉、しかも、東訛りを流暢に喋ったので、驚いた。サクの口からは思わず、故郷の言葉 ── 和の国の西訛りの一種である田舎言葉が出る。西訛りはイントネーションの高低差が大きく、アクセントの場所も東とは まるで違う。
続けてローゼンは東訛りで喋る。
「レイから教わったんだ。央華の言葉はモーさんから教わって日常会話は出来るようになったから、今は和の国の言葉を勉強中だ」
「うわぁ、凄ぉいなぁ……。央華の人でも、こなに上手に発音できんのに〜。あ! そやけど、お兄ちゃん、東訛り教えてくれたんやなぁ」
「和の国は近年、東の勢力が強くなっているから、そっちの言葉がいいと、レイが言ってね。それに『お前は商人は商人でも、武装したゴツイ人足集団を率いる “武闘派商人” だから、西訛りは似合わない』と言われたよ」
と、ローゼンが苦笑いしたので、サクも
「そぉやな。西は貿易が盛んで商人多いけど、確かにローゼンの印象と違うかも」
と、笑った。ローゼン自身は爽やかな好青年に見えるが、彼の性格の一部や彼に従う連中のかなり血の気が多い事は否めない。
「サクも故郷の言葉になると、随分、雰囲気が変わるな」
「ふふ……。びっくりしたぁ?」
「うん」と、うなずくと、
「俺は君の事を、もっと知りたい……」
ローゼンが見つめるので、サクは恥ずかしさを感ずると共に、心に踏み込まれる怖さを無意識に感じて、思わず視線を逸らし、現地のファルシアスの言葉に戻した。
「そうだ! 最初の頃は華夜お姉ちゃんを想定してたんだけどぉ、いま思えば、美夜お姉ちゃんの方がいいかもぉ」
「ん?」
急に、なんの事かと思うローゼン。
「美夜お姉ちゃん、今はフリーだしぃ、色んな国の言葉を覚えるのも早いしぃ、踊り子の仕事だって、ギャラの交渉が巧いし。お商売してるローゼンにはピッタリな相手だと思うんだけどぉ……?」
縁談の事だった。両手を握り合わせて “お願いポーズ” をして、ローゼンを見るサクだったが、
「却下」
まるで、レイのような口振りで断られた。
「えー、ダメかぁ。ふーん……」
口を尖らせるサク。その可愛さと不条理な縁談に複雑な思いで、ローゼンは苦笑いすると、こう言った。
「俺は伴侶に語学も交渉力も求めていないよ」
「じゃあ、何がいいの?」
「そうだな……。求めるというより、伴侶には幸せであってほしいな」
「えー。そんなの、ローゼンが損だよー」
「そんな事はないよ。相手が幸せじゃないと、俺だって幸せな気分にはなれない。そういうものだよ」
「ホント、ローゼンは お人好しだなぁ。少しは相手に求めればいいのにぃ〜」
ついついローゼンを心配するサクだが、ローゼンは悪人に対しては容赦無い男であり、踊り子姉妹も宣伝に利用するような ちゃっかりさもある。本当に お人好しなのは自分の方であると、サクには自覚が無い。
ローゼンは「フーン……」と、鼻息ついて考えた後、
「じゃあ、あえて言うなら、『心の癒し』かな」
と、サクに対して微笑んだが、ローゼンにとっての『心のオアシス』である当のサクは「ふーん……」と声に出し、
『なんか、抽象的やなぁ』と思い、ローゼンが求めているのは自分の事だとは全く思わない。
「それより、サク。君には字を教えてほしい」
「わたしが?」
「うん。レイから文字を教わるなら、サクがいいと言われてね。モーさんもサクは字が上手だと褒めていたよ?」
「え? わたし、そうでもないと思うけど……」
「どうして」
「だってぇ、あんたの字は大した事ないねって、華夜お姉ちゃんから ゆわれてたぐらいだしぃ。人に教えるほどじゃないって、自分でも分かってるから」
「フーン……」と、鼻息ついて、顎を指でつまんで考えるローゼン。
『評価が随分と分かれるな。それに、俺はまだ羽根ペンで描いた文字しか見た事がないし。やはり、筆で書いた本来のサクの字を見てみない事には分からないな』
サクは絵の方が得意だという可能性もあるので、実物を見て判断するしかない。
「じゃあ、サク。ひとまず、君の書いた文字を見せてくれ。その上で判断するよ」
ローゼンはそう言うと、
「そこで、さっき見せたいと言ってたのは、これだ」
と、デスクの上の箱の蓋を開けた。中には硯と筆と墨、水滴が入っていた。硯箱だったのだ。デスクの引き出しからは文鎮と半紙が出された。
「これ……。高かったんじゃない?」
サク、硯の装飾を見て驚いた。安い実用品には普通、装飾など無いからだ。ファルシアスでは東洋の筆記具を目にする事はなかったので、それを手に入れるだけでも大変なのではと思えるのに、そんな高価な物が目の前にある。
「まぁ、そこそこ」
と、ローゼンは値段をハッキリと口にはしない。
『やっぱり、高そう……』
と、サクでも気付く。高価な物にちょっと気後れしていると、
「とりあえず、これを使って書いてくれ」
と、ローゼンに促される。
「久々の筆だから、少し練習させて?」
デスクの前に座ったサクは水滴で硯の上に一滴の水を垂らし、墨を磨る。また、一滴、二滴の水を追加して墨を磨る事を何度も繰り返すが、力を入れて磨っている様子ではない。出来た墨汁に細筆の先を浸けると、筆先の墨汁の量を調整するように硯の上で何度かなぜた後、紙の上に筆を走らせる。
サクはまず「永」という字をいくつか書いた。その後、下へ続けて、「一」「三」「山」「川」などの文字を書いていく。それらを見てローゼンは思い出し、驚く。
『初めて会った時に書いてもらった羽根ペンの文字と同じだ! あの時は文字の輪郭を描いていたが、筆で一息に書いても同じ形になるのか。サクの中では文字も絵も同じ物なのかもしれない』
ローゼンの眼はサクの手や筆先の動きを見ている。東洋の筆記具を操るには
『独特の力加減が要るな』
と、すぐに気付いた。
『筆圧が繊細に変えられている。押したり、抜いたり、要所要所で変えられている。止める時も何パターンかあるな。筆先を返して止めたり、軽めに止めたり、縦の線になると力を抜いて止める場合もある』
サクが筆置きに筆を置いて、ローゼンの顔を見上げた。
「こんな感じだけど、どう……?」
訊かれたローゼンは「フーン」と、鼻息つき、サクの横で文字を眺める。
「うん。やっぱり、いい雰囲気だな」
と、サクが書いた字を評した。そして、記憶にあるレイやモーの字について話す。ローゼンは彼らが央華にいる間に書いた帳面や日記の筆文字を見せてもらっていた。
「レイやモーさんの字を見せてもらった事があるが、全然違うな。モーさんは央華の人だが、どう見ても書くのが不得手なタイプだから手本には向かない。レイの細い字は真面目さが感じられるが、刀のように鋭利で、俺の個性には合わない」
「ああ! なんか分かる。字に、お兄ちゃんの性格が出てるよね? 厳しい感じが」
と、言うサクと顔を見合わせて笑うローゼン。
「それに、モーさん以外にも央華の人の字は度々 目にするが、なかなか君のような字はなかったな」
「央華に知り合いがいるの?」
「取引先とかにね。今はまだ、取引の際は人に通訳や翻訳をしてもらっている」
ローゼンはサクの字を指差して言う。
「やっぱり、習うならサクの字の方がいいな。堂々としているし」
「えー。それって、男っぽい字って事ぉお?」
不本意げなサクにローゼンは「違うよ」と笑うと、詳細な感想を述べる。
「細筆で書いてるから、太くてゴツゴツとしてはいないが、なんて言うか、中性的だな。男が書いたと言われれば、そう見えるし、女が書いたと言われれば、そのようにも見える。言い換えるなら、『素直』とも言えるかな?」
「ふーん。でも、まぁ、自分でも男っぽい性格だなぁ、とは思ってたけど……」
後から言われた事がただの言い訳にしか聞こえないので、ちょっと すねてるサク。だが、どこから どう見ても可愛い娘にしか見えないのに、サク本人の自覚が随分と真逆なので、ローゼンは「え?」と意外そうな顔をした後、しゃがんでサクの瞳を見つめて言う。
「性格というのは、意外と目にも出るんだ。君の瞳は隠し事の無い清らかな瞳だ」
それはローゼンの経験からくるもののようだ。だが、自分の事を善人だと言われて、居た堪れなくなったサクは息を呑んだ後、膝の上で拳に力を込めて首を横に振り、強く否定する。
「……わたし、そんないい人間じゃない。嘘だってつく…。ずるい事だって考える!」
「サク……」
思い詰めやすい真面目なサクのことを憂えて、ローゼンは一瞬、悲しそうな瞳をした後、優しく微笑んだ。
「本当の嘘つきというのは、自分から そんな事は言わないよ」
「……………」
ローゼンの優しい微笑みに逆らえないサクは沈黙するしかなかった。彼のような人間には嘘は一切通用しないという気さえする。
「やっぱり、君は正直者だな。だからこそ、堂々とした字になるのかもしれないな」
そう言うと、ローゼンは改めて片膝突き、右手を胸に当てて挨拶した。
「じゃあ、今日から ご指導の程よろしくお願いします。先生?」
ニコニコと嬉しそうに微笑むローゼンであったが、
『うわぁ〜。責任重大……』
真面目なサクは思わず両ほほを手で押さえて、一方的にプレッシャーを感じるのだった。




