12-ⅳ)標的〜イグナスの愛弟子
ローゼン、レイ、華夜、美夜、輝夜、ヒカル、カヲルの7名は西南の近衛隊の中でも選りすぐりの者たちと素手の体術で手合わせする事になった。
レイたちを巻き込んだのは
『これだけ手練ぞろいなら、俺の印象も少しは薄まるだろう』
というローゼンの思惑もある。つまりは、
『あんまり目立つと色々とやりにくくなるし、何より “武闘派商人” などという物騒なイメージを、この際に払拭したい』
という理由だ。
サクとモーは当然、観戦者だが、サクの警護が要る。
「どうすんだよ、サク」と、耳打ちしてくるレイに、
「心配ない。ルークに任せる。こいつも『イグナスの弟子』だ。その辺の奴より、よほど頼りになる」
と、答えたローゼン、ルークに指示すると、こうも言った。
「それに、ここに集まっているのはマフディー派だ。しかも、近衛隊長はその筆頭だ」
マフディー王子の傍らには侍従の他に近衛隊長の姿も見受けられた。ルークやサク、モーは そのすぐ近くにいる。
訓練場では踊り子の三人と天堂兄弟が選りすぐりの近衛兵らと混じって軽く体を慣らしている。ローゼンとレイも訓練場の端で肩慣らしを始めた。
軽く拳や脚で打ち合いながら話すローゼンとレイ。
「西南はまだ内部分裂してんのか」と、レイ。
「元々は王の派閥と、カーミル派、マフディー派の三つに割れていた。カーミルの後ろ盾は母親の実家である公爵家なんだが、王と争って失脚。力を失ったカーミル派は王の派閥に入った。一方のマフディー派は目立った動きをしていないが、俺に王位に即いてほしくないから、利害が一致してるんで、俺と手を組んでいる」
「ほう」
「ただ、問題は当のマフディーだ」
ローゼンの蹴りがレイに躱される。
「ルークから聞いた。遠慮がちなんだって?」
「だから、今回は発破をかけようかな」
ローゼンの拳をレイの掌が受けた。
ローゼンたちが肩慣らしの最中、侍女連れの第五王女と第六王女がサクに近付いて来た。ルークは警戒をする。
「ところで、あなた、ご身分は?」
第五王女から思ってもみない質問をされて、サクは「え?」と、言い、即答できないでいると、第六王女がサクの鈍さを罵る。
「身分は何かと訊いているのよ。バカなの? あなた」
さすがに、温厚なルークでも頭に来たので、言い返そうとしたが、先にマフディー王子が叱責した。
「ナビーラ、ワヒーダ、客人に無礼だぞ!」
「マフディー様。別に無礼を働いているわけではありませんことよォ?」
「そうですわ。ただの質問ですわァ〜」
第五王女ナビーラと第六王女ワヒーダが あからさまに嫌味な口調で口答えをする。マフディー王子を「お兄様」と呼ばないあたり、マフディーとは腹違いのようであり、仲も悪いと見える。
『なに…、この王子様、年下に舐められとる』
それはサクにも分かった。それだけに
『西部のエミネ姫、大丈夫かな……。ちゃんと、この王子様で守れるんかな? 結婚したら、エミネ姫がこの意地悪いお姫様たちに いじめられるかも……』
マフディーと婚約中の西部の第一王女エミネが心配になり、表情を曇らせる。
マフディー王子が腹違いの妹たちにムッとしていると、黒髪の少女が侍女を伴いやって来た。
「身分、身分とウルサイこと! あなた方が恋い慕うローゼン様だって、王族ではなくてよ」
少女はご自慢の艶やかな黒髪を手でサラッと払う。それに対し、ナビーラとワヒーダは「生意気ね!」「ウルサイのはどっちよ!」と言い返す。互いの侍女同士も目から火花を散らし始めた。
「ライラー、お前も来たのか」
「だってぇ〜、わたくしもローゼン様を見たいものぉ〜」
などと、『頭痛の種が増えた』という顔で額を手で押さえるマフディー王子と、喧嘩っ早くてミーハーな黒髪の少女が話している間に、ルークがサクとモーに教えてくれる。
「彼女は第七王女のライラー。マフディー王子とは同腹の妹だ」
ライラー姫はサクの前に来て、興味津々で訊く。
「で、あなたがローゼン様の恋人?」
「え? あ、はぁ……」
偽物の恋人なので、ハッキリと返事がしにくいサク。
「あら、わたくしと変わらないくらいね」
ライラー姫と同じくらいの身長のサク。
「ローゼン様が確か今年25でしょ? 11、一回り近く離れてる?」
ライラー姫の言葉をルークが訂正する。
「いえ。彼女は今年16ですから、兄とは9つ違いです」
「嘘っ!? わたくしより上 !?」
第七王女ライラー(14歳)、まだ成長期の彼女は成長が止まっているサクに驚いた。
「ご、ごめんなさい。年上の方に失礼な態度を取って」
と、謝るライラー姫に、サクは気まずげに両手を振って『気にしないで』の意を示す。
「い、いえ、いえ。わたし、紛らわしいのでぇ〜」
ナビーラとワヒーダは「成人前のライラーと同じ身長だなんてお子ちゃまね」と、ひそひそと意地悪く笑った。
モーが央華の言葉でサクに言う。
「あんな者は心の身分が低いから、聞き流せばいい」
「うん。ありがとう、モーさん」
ルークはナビーラとワヒーダにますます嫌悪感を抱く。
『性格悪いなぁ。あんなのが夜這いに来てたのか。サクがいて、本当に助かったな』
そして、兄の無事を心から安堵していた。
肩慣らしを終えて、ローゼンたち7人と選りすぐりの近衛兵ら50人が対峙する。これから対決が始まる。
「フンッ。どこかのヘッポコ兵士と違って手強いから、みんなァ、本気で行けよ?」
と、ローゼン、鼻息つきつつ前髪を指先で払うと、暗に南東部の事を引き合いに出す。
「上等だァ!」拳を勢い良く突き上げるヒカル。
「玉の肌に傷が付かないかしら?」頬と胸元に手を当て心配するフリをする華夜。
「フンッ! 傷付けられたら傷付けられた分だけ、倍返しするまでよ!」髪を手でパサッと払う美夜。
「日頃の鬱憤、晴らァーす……」不気味にボキボキ指の関節を鳴らす輝夜。と、張り切る面々の中、ローゼンとレイは
「とりあえず俺は軽く10人。早く終われば、残りを手伝おう」
「俺もそれで行こう」
冷静に目標設定する。
「二人とも余裕ですねぇ〜……」と、カヲル。
「ところで、お前と同じ『イグナスの弟子』っていうのは、どいつだ?」
と、訊くレイに、
「さぁて、誰だろうなぁ。会った事もない弟子もいるから、まぁ、当たれば分かるだろう。混戦だから、誰に当たるかは分からない。当たった奴は運が悪かったと思うしかないな」
あっけらかんと言うローゼン。そんな彼を
『なぁんか、鬼に見えるぅ……』
と、思うレイたちだった。
片や近衛兵らは「優男と目付きの悪いガキと女だろ? 楽勝だぁ!」と、余裕の笑みを浮かべている。
「みんな、大丈夫かなぁ……」
不安そうに あごの下で右拳を左手で包み込むサクに、ルークが「心配ないよ」と、笑顔で答える。
近衛隊長が「始め!」と合図を出すと、大勢に囲まれる前に「先手必勝!」と切り崩しにかかるローゼンたち。
ローゼンはイグナス仕込みの体術で、いつものようにすぐに懐に飛び込み一撃で仕留めては、一所にとどまらぬように次々と倒していく ──。
ヒカルとカヲルの天堂兄弟は痩せ型なので、体術では不利に思われたが、最近ではローゼンやレイにコツを教わって上達していたし、何よりサクの身に心配がない分、思い切り闘えた。
華夜はまるで舞い踊るように柔らかな肢体で相手の攻撃を躱し、美夜は自慢の脚力で蹴り倒す。美夜が羽交い締めされると、華夜が背後から敵の首を絞めて助ける。輝夜は大の男も恐れる怪力でぶちのめしていく。彼女たちを女と思って侮っていた隊員たちは相当に痛い目を見た。
ローゼンに負けず劣らず順調に9人を倒したレイだったが、10人目でてこずる。
「チッ!」
一撃で倒せず、思わず舌打ちしたレイ。対峙しているところへ、別の奴が打ち込んでくるので、二対一に持ち込まれて苦戦する。そこへローゼンが参戦した。
ローゼンが先に、後から加わった奴を一蹴で仕留めた。
「こいつ、強いぞ。さっき、一撃喰らった」
腹を押さえるレイ。
「俺が代わる。お前は邪魔が入らないように他を食い止めてくれ」
「分かった」
手短に話すと、ローゼンが強敵と対峙し、ローゼンの背後をレイが守る。
強敵がローゼンを挑発する。
「おおッ! ベッピンさんの次は色男か。しかも、どっかで見たような生意気そうなツラだな。叩き甲斐があるぜ!」
「お前こそ、どこかで見たような玉葱頭だな。胸糞悪いぜ!」
ローゼンと非難の応酬をする強敵・玉葱頭の男を見て、ルークが頭に手を当てた。
「なんだぁ、『イグナスの弟子』って、あいつかぁ」
「お知り合いなんで?」と、モー。
「まぁね」
傍らではライラー、ナビーラ、ワヒーダと その侍女らが
「うわっ!? 誰? あの綺麗な人!」
「キャーッ! レイ様がァ〜!!」
「なんなの !? あの玉葱男! 後で手討ちよ! 手討ち!」
「そうですわ! 許せませんわ !!」
と叫んで騒がしい。それを呆れ顔で見るマフディー王子たち。
「お兄ちゃん、お腹なぐられたぁ……」
心配して泣きそうなサクをルークが
「大丈夫だよ。レイさんもいいガタイしてるから、あれぐらい平気だよ。それに、みぞおちじゃなかったし」
と、慰めると、片手の5本の指を開いて見せて、こうも言った。
「それに、レイさんは向こうに5発は喰らわせてるよ?」
「え? そうなの? 分かんなかった」
サクには早くて見えなかった。
「わたしら素人には早過ぎて当たってるのかどうか分かりづらいからね」
と言うモーにもハッキリとは見えなかったようだ。
玉葱頭と格闘するローゼンを他から守るつもりのレイだったが、周囲を見回すと、踊り子の妹たちや天堂兄弟もほぼ片が付いた。骨を折られた隊員もいるようだ。仲間に肩を貸してもらう者、担架で運ばれて行く者もいる。近衛隊の中でも選りすぐりと言われる者たちが一般庶民7人に散々な目に遭わされて、面目も何もあったものではない。
「これは鍛え直しですなぁ……」
と、近衛隊長。マフディー王子がローゼンと玉葱頭の打ち合いを観ながら言う。
「ならば、イグナス先生を招きたいものだ」
出番無しと見たレイたちが観戦するサクたちの所へ来た。
「みんなぁ、大丈夫ぅ〜?」
サクが兄姉や天堂兄弟を心配して声をかけたが、杞憂だった。ケロッとした返事しか来ない。
「心配ないわよ〜。女と思って油断してくれた分、やりやすかったわぁ〜」と、頬に人差し指を当てる華夜。
「こっちはあんたと違って頑丈なんだから、死にゃあしないわよ。特に怪我はないけど、汗と砂埃でひどいわ!」と、汚れを払う美夜。
「うむ」と、無表情で うなずく輝夜。
「何発か喰らったけど、倍返ししてやったぜ!」と、得意げにVサインをするヒカル。
「ま、どうにか、こうにか?」と、肩をすくめて、おどけて見せるカヲル。
ナビーラ、ワヒーダ、ライラーと彼女たちの侍女らは間近で見るレイの美貌に「ぽや〜ん…」と見とれて言葉を失っている。
「あの玉葱頭、凄いな。あいつだろ、『イグナスの弟子』は」
と、確認するレイにルークが答える。
「そうさ。彼はイグナス先生の直弟子で、名前はハッサン。俺たちの兄弟子に当たる人さ。ちなみに、年齢は兄さんより5つ上だ。昔、先生が家に住み込みで教える事になって、その頃、彼も一緒に住んで稽古を受けていたんだ」
「へー、兄弟子か。しかし、動きの良し悪し以上に、打撃が重いし、打たれ強いし、骨が折れる相手だな。5発喰らわしたが、全然ビクともしない」
レイがそう言うので、カヲルが心配する。
「じゃあ、ローゼンさんもマズイじゃないですか」
「力で敵わねぇんなら、急所を付けばいいだろ」と、簡単に言うヒカルだが、
「向こうも巧いから、なかなか急所を突かせてもらえてないんじゃない?」と、華夜が指摘する。
「ローゼンも腕で防御したり、躱したりしてるから、玉葱頭も決着付けられないで焦れてるって感じね」
と、美夜が言うように、ローゼンとハッサンは何度も拳と蹴りの応酬を繰り返すが、決着が付く気配がない。
「クソッ! 相ッ変わらず、しつッこいなァ……」と、ハッサン。
「どっちがだァ……!」と、ローゼン。
二人とも息を切らせている。
「レイさんなら、こういう時、どうする?」
「まぁ、相手のスタミナが切れて動きが鈍ってきた今がチャンスだな。俺なら、やっぱり、アレだな!」
ルークに訊かれたレイが人差し指を上に向けて言うが、周りは皆、「アレって?」と顔を見合わせたり、首を傾げたり、思い付かない様子。
「なにが武闘派商人だ! 商人なら商人らしく、算盤だけ弾いてろ !! 」
ハッサンが渾身の一撃を放った。その繰り出された腕をローゼンがつかんだ瞬間、ルークが拳を握って叫んだ。
「出た! 兄さんお得意の ──」
ローゼン、相手の腕をねじった拍子に体勢を崩させ倒れ込ませたところへ、すかさず地面に押さえ込んだ。
「崩しからの関節技だッ!」
と、同じく拳を握るレイの声がルークの声にかぶさる。観戦者、皆、思わず力が入った。
相手を下したローゼン、口を衝いて出た言葉が
「フンッ! 商人、舐めんなよ !? 」
である。つい調子に乗ったのか、素が出ると言うより、ずっと奥底の根本にある地が出た。所詮は『武闘派商人・ローゼン』と言ったところか。おまけに、目立たぬようにどころか、最後に一番目立ってしまう。
「ま、参ったァ……!」
うつ伏せに倒れたハッサンが負けを認めた。
「アレは屈強な男でも痛くて敵わんぞォ」
「地味な技だけど、効果はあるよねぇ〜」
顎に親指と人差し指のUの字を当てて笑うレイに、頭に手を当てて苦笑いするルークが応じる。
「母さんもアレ、よくやるわぁ〜」「そうそう! 腕を取って ひねる技」「恐るべし」と、美夜、華夜、輝夜。
「どんな母さんだよ…」「強そうだなぁ…」と、ヒカル、カヲル。
「サクちゃんに手を出すと、やられるんだな、きっと」と、モーがヒカルに嫌味を言うが、ヒカルは気付いてない。
ぽつりとサクが言った。
「ろ、ローゼンと結婚する人って、た、大変だ……。夫婦喧嘩になった時、こ、怖ぁ……」
その言葉に姫たちの顔からサーッと血の気が引いた。
「れ、例の件は辞退をしようかしら」
「わ、わたくしも辞退するわ」
ひそひそとナビーラとワヒーダが話し合う。夜這いはなくなりそうだ。彼女たちは侍女らと共に潮が引くように静かに退散した。
『うち、偽物の恋人で本真に良かったァ〜』
と、心底で安堵しているサクに、ルークは慌てて
「だ、大丈夫だよ! サクには乱暴な事はしないよ、兄さんは」
兄の為に否定するが、レイが嬉しげに別れを勧める。
「サク、無理をするなァ? すゥぐに別れたっていいんだぞォ?」
「レイさん、余計なコト言わないでくれよ!」
レイとルークがサクを挟んで揉める。
『な、なんで、喧嘩するん〜!?』
サクは「おろおろ」とするばかりで、どうしたらいいか分からず、言葉も出せずにいる。
そこへ、ローゼンとハッサンがマフディー王子たちの前に歩み寄る。
「お見事でした! ローゼン殿」
「ハッサンも大したものだ」
マフディー王子と近衛隊長が二人を称えた。が、
「ハハハ……」
ローゼン、頭をかきつつ苦笑いするしかない。後ろで悔しがるハッサンをチラリと睨む。
『クソッ。こいつのお蔭で計画が狂った!』
そこへマフディー王子がとんでもない事を言い出した。
「羨ましい。わたしもイグナス先生に師事したい」
「しかし、イグナス先生は今はどこにいるかは分かりませんよ? わたしも5年前に独立してから会ってませんから」
と、ハッサンが答える。彼はローゼンと育ちが違うので、王子の前でイグナスに敬称を付ける。
「たとえ、イグナスを捜し当てたとしても、そもそも弟子入りするのは難しいでしょう」
と、入門を止めるローゼン。
「難しいとは?」
「彼は王侯貴族や金持ちを嫌うので、弟子入りを志願したところで、すぐに断られます。それに、彼は自分の弟子を何人も殺しておりますから、弟子入りはおやめになった方がいい」
と、物騒な話まで出し、首を横に振るローゼンに、マフディー王子が問う。
「しかし、あなたは大富豪カラヤ家の長男ではないですか。どうして弟子になれたのです?」
「それは父の説得があったからです」
「あなたの父上はどのように説得なさったのですか?」
「最初は父も門前払いを受けていました。しかし、何度も訪問するので、イグナスも根負けし、話を聞く事にしました ──」
イグナスの当時の住まいを訪れたローゼンとルークの父。イグナスは60前後の初老で白髪が少し交じり始めていたが、筋骨逞しい体付きをしている。
イグナスは不機嫌そうな顔で彼に向かって言う。
「わしが弟子を何人も殺しておるのを知らんのか?」
目の前のローゼンの父は当時35歳と中年ではあったが、まだ若々しく20代の青年のようにも見えた。
「その噂は聞いています。だが、それは皆、殺されてもおかしくないような極悪人ばかりだ」
「フーン……」
と、鼻息を吐くイグナス。脅せば すぐ帰るかと思ったが、深い事情を知られていた。カラヤの情報網は侮れない。
「お願いします。うちの子供たちを鍛えて下さい」
「わしはカネで弟子は取らない」
そう答えるイグナスには
『腕力や権力やカネで何でも思い通りに出来ると勘違いしている根性の悪い連中に、武術なんぞ、二度と教えてやるものか』
という思いがある。若い頃は人を見る目がなかったり、食べていくのに苦労して不本意な相手に指導をしたりと、苦い失敗を経験していたからだ。
「分かっています。だからこそ、あなたにお願いしたい。もし、わたしの子供たちが悪事を働くようなら、あなたの手で殺してもらっても構わない」
「本気か ──」
イグナスの射抜くような鋭い眼光に動じる事なく、ローゼンの父は言う。
「本気だ。なんなら、この首を賭けてもいい」
彼は静かな口調ながら、芯のある物言いをする。
イグナスは一度、まぶたを閉じ鼻息を吐くと、再び目を開き、
「分かった」
と、一言、答えたのだった。
「つまり、わたくしもイグナスに破門される時は、彼の手によって命を絶たれる約束なのです」
ローゼンは覚悟の眼で答える。子供時分はそんな事情は知らされていなかったが、大人になってから聞かされた時に、彼はイグナスの思いを受け止めていたのだ。
「そうは言っても、彼も今や70そこらの年齢です。わたくしがイグナスの手で殺される事はないでしょうが、『天網恢々疎にして漏らさず』とも言います。もし、イグナスの教えに背くような事をすれば、生き残っている別の弟子に殺されるか、もしくは天罰を受ける事でしょう」
ローゼンの後にハッサンが言う。
「まぁ、こいつはイグナス先生の “愛弟子” ですからね、かなり特殊ですよ。なにせ、変人の師匠に、変人の弟子ですから。マジで殺されるのを覚悟してるような奴なもんで」
などと、師匠と弟弟子を変人呼ばわりしたハッサンだったが、
「とは言え、俺もローゼンの事は言えなくて、俺も先生から ──」
「悪事に己の力を使うな。約束を破れば破門だ。それは、すなわち、お前が死ぬ時だ」
腕組みして仁王立ちする師匠・イグナスの姿が今も彼の脳裏に焼き付いている。
「── って言われてて、死ぬの怖いんで約束を破るに破れないんですよ。仮に死んでても、どっかで見てんじゃないかと思わせるような師匠なんで」
ハッサンは首を横に振りながら視線をキョロキョロとさせて、思わず師匠の姿を探すほど、相当ビビっていた。
話を聞いたレイたちもマフディー王子の傍らにいる者たちも
『そんな約束、本気で守る気か ── !! 』
と驚き呆れ、サクだけは
『なぁんか、ローゼンらしい♡』
と、自然に受け止めていた。同じくイグナスの弟子であるルークはと言うと、
『そんな約束、忘れてた……なぁ〜んて、この空気じゃ言えないなぁ』
と、冷や汗をかいていた。
ローゼンの真っ直ぐな言葉と、ハッサンの正直な言葉を聞いたマフディー王子は「ハァ……」と、溜め息つきながら、深刻な顔で深くうなずいた。
「相当の深い覚悟が要るのですね。わたしに資格があるとは思えない。やめておきます」
「それが賢明かと存じます」
ローゼン、恭しく一礼すると、願いを申し出る。
「ところで、皆、汗と埃でまみれておりますので、お風呂をお借りしても よろしいでしょうか」
マフディー王子が侍従に指示し、ローゼンたちは浴場へ案内された。
ローゼンの後ろ姿を見て思うマフディー王子。
『わたしの父にはローゼン殿の父上のような正々堂々とした潔さは無い』
彼にはローゼンの背中がまぶしく見えて、思わず、その視線を下に落としていた。




