11-ⅲ)芽生えの時〜師匠の足跡
夜、ルークは支店にある自室の寝台の上で仰向けになり、カフェでサクと話した昼間の事を思い出していた。
「わたしはきっと応援するから」
と、微笑むサクが忘れられない。
『なんだか、心の中が ぽかぽかする……』
ルークは思わず、自分の胸に手を当てていた。それは今までにない感覚とでもいうのか、感触とでもいうのか、かなり実感のあるものだった。
年下のサクに諭されたルークは自分から美夜に会いに行く事がなくなった。しばらくは距離を置いて、自らの事も冷静に見つめ直すつもりでいたようだ。その表れなのか、
『最近、筋トレをしなくなったな』
と、ルークの変化に気付いていた兄のローゼン。筋トレの時間を仕事に割くようになっていたのだ。
『女にモテたいからって、見た目だけの使い物にならない筋肉を作っていたあいつが、どういう風の吹き回しだ』
ただ、ローゼンには理由までは分からなかったが、
『成長したのかな』
と、単純に喜んでいた。
帳簿や報告書のチェックなどのデスクワークの最中であっても、ローゼンの姿勢は猫背ではない。それでも、同じ姿勢が続くと体が硬くなるので、一息つき立ち上がって背伸びをしていると、伝票の整理の手伝いが一区切り着いたルークが訊いてきた。
「そうだ。兄さんはいつ筋トレしてるの?」
「え?」
「だってさ、それだけのガタイ維持するには、武術の稽古以外にも、普段から何かやってないと無理だろ。でも、仕事ばかりして、鍛えてるトコあまり見た事ないからさ」
ルークの疑問に答えるべく、ローゼンが
「ちょっと来い」
と、支店の裏の倉庫へ連れ出す。
「おーい! 手伝おうか」
ローゼンは右手を挙げて、荷馬車に倉庫の品を積む人足たちに声をかける。ローゼンたちのように多方面からあちこちのカラヤ商店に運んで来た品々を、彼らは取引先となる街の商店に配達する為の荷作りをしていたのだ。
「まぁた、来た」
「勘弁してくれよ、若旦那」
「あんたが手伝った分、給金減らすとか言われちゃかなわん」
と、人足たちが口々に文句を言うのは、お偉いさんを働かせる事への気兼ねからだ。
「まぁ、そう言うな。俺が手伝ったからって、お前たちの給金を減らした覚えはないぞ? 手伝ってもらえてラッキーだとぐらいに思えばいいじゃないか。俺もそろそろ体を動かさないと鈍っちゃうからさ」
ローゼンはそう言うと、「どれを運べばいい?」と、周りの者に訊いて、小麦粉の麻袋を右肩に担ぎ、側につけた荷馬車に積む。
「なるほど。人足の力仕事を手伝うのが筋トレなのか。ちゃっかりしてるなぁ、兄さんは」
感心するルークに、次の積み荷を運ぼうとするローゼンが言う。
「もちろん、ただ力仕事をしてるだけじゃない。体の使い方にも気を付けている」
と、ローゼン、「よっ!」と掛け声を出して、麻袋を左肩に担いだ。
「右で担いだら、次は左だ」
「体の左右のバランスを取るのか」
「そうだ。長く人足をやってる奴の中には、背骨の曲がってる者もいてな。そいつはいつも右で担いでいたんだ」
「……細かいとこ、よく見てるなぁ」
「お前も手伝え」と、ローゼンに促されて、ルークも運ぶのを手伝う。
「荷を下ろす時は出来るだけ、ゆっくりな」
と、兄にアドバイスされる。
「お前の筋トレと基本同じだ。ゆっくりとキツイ負荷をかけるやつだ」
「おまけに品物を傷付けずに済むって事かい?」
と、ルークは笑って、兄の言いたそうな事を先回りして言う。それにローゼンが笑って答えた。
「ハハハ。そういう事だ。それに、俺は実用的な筋肉に仕上げたいからさ、こうやって日常の中に鍛練を取り入れてるんだよ」
力仕事を終えて、木箱に腰掛けて水を一杯飲んでいると、ローゼンが
「ルーク。あの先生の事、覚えてないか?」
と、訊く。
「ん?」
「ほら、俺たちが子供の頃に護身術とかを教えてくれた初老の先生だよ」
ローゼンが7歳、ルークが5歳の頃から長く武術を教えてくれた先生の事だ。
「ああ! 10年ぐらい教えてもらってたっけ。確か名前は ──」
「イグナスだ」
その名を耳にして、人足頭でもある警備隊長が
「懐かしい名前だなぁ」
と、話に入って来た。
「あの頃はガナンも俺たちの師匠の一人だったね」
ルークが警備隊長の事を言う。すると、警備隊長のガナンが
「そうそう。あの頃は若もビビリでさ。俺がちょっとシゴいたくらいで ──」
「痛いのは嫌だ! もう、やりたくない」
「── とぉか言って、泣いて駄々をこねてたなぁ」
と、笑って、子供時代のローゼンとの思い出を懐かしむ。
「え? そうだったの?」と、言ったのはルークだ。
「なんだ、ボンは覚えてないのか」と、ガナン。
「あの時、ルークは5歳だ。お前は横でお遊戯みたいな稽古だったしな」
ローゼン、弟ルークを見て恨めしげに言う。
ガナンが話を戻す。
「で、イグナス先生がどうかしたのか。若」
「ああ。どうやら、三年ほど前に『央華』にいたようなんだ」
「先生、元気なの?」と、ルーク。
「まだ、元気に生きていると思うよ? 話ではかなり達者なようで、筋肉質であまり老人らしくない風貌だったと言うから」
「あの変人先生。今、生きていたら、70近いんじゃないか?」と、ガナン。
「長生きだなぁ」と、ルーク。
「ちなみに、この話、誰から聞いたと思う?」
ローゼンの問いかけに、二人とも想像が付かず、「はて?」という顔をする。
「サクだよ」の答えに、ルークとガナンは驚く。
「えっ!?」
「おいおい、どういう繫がりだ? 全く想像が付かねーな」
「キッカケはサクとの街歩きの時だ。前から気にはなっていたんだ ──」
街歩きでカフェや食堂に立ち寄った際、サクが座る時の動作がなんとなく気になっていたローゼン。
『いつも、ゆっくりと座るな』
『あまり肘を突かない』
『あ! 背筋を直した。かなり姿勢を気にしているようだな』
そんなサクの普段の様子を見て、
『彼女の親の躾が厳しいのかもしれない』
そう思っていたローゼンだったので、最近まで この事は話題にはならなかった。
ある時、食堂で注文した料理を待っていると、隣のテーブルの席に老婆とその孫娘らしき二人が座るところを目にしたサクが声を潜めてローゼンに言った。
「今の見た? あの座り方、腰に良くないらしいよ」
ローゼンも老婆と娘が最後のところで急に力を抜いて、「ドシン!」と椅子に腰掛けた様子を見ていたので、感心して言う。
「へー。君、よく知ってるね」
「『央華』にいた時、人から聞いたの」
「お医者さんかい?」
「ううん。旅のおじいさん。でもぉ、おじいさんにしては腕が太くて、ガッチリした体型でぇ、若い感じの人だった」
「ふ〜ん」
サクは兄レイと双子の姉カグと食堂に入って、注文した料理を待っていた時の事を思い出しながら話す。当時、カグはまだ踊り子の仕事をしておらず、華夜美夜は踊り子の仕事で同じ時間に食事を取れない事もあった。
「たまたま入った食堂でぇ、そのおじいさんに会ったんだけどぉ、前は わたしもああゆう座り方をしててぇ、それで声をかけられたの。その人ね、親切な人で、わざわざ体にいい座り方を教えてくれたんだー」
「へー。普通なら知らない人に、そんなお節介言うのは気が引けるものだけど、相手が君だったから、言いやすかったのかもな」
「そうかなぁ?」
と、小首を傾げるサクにローゼンは「そうだよ」と、微笑んで答える。サクは誰の目から見ても、おとなしく善良そうな人間だ。だが、隣のテーブルの席の老婆と孫娘らしき二人はふくよかで一見すると優しげだが、どこか険のある顔付きだ。
『あの二人は無理だな。上から目線で世話を焼いてくるタイプだ。素直に人の話を聞き入れまい』
と、察するローゼン。サクもそう思うのか、彼女たちには声をかけず、“旅のおじいさん” の話を続けた。
「それでね、そのおじいさん、わたしみたいな華奢な人はハードな筋トレだと体を壊すから、所作とか姿勢を気を付けるといいって、ゆってくれて」
「へー」と、『どこかで聞いたような話だな』と思うローゼン。
「それで、この三年ぐらい実践してるの。例えば、いつもお腹に力を入れて凹ますだけとか。お蔭で歩きやすくなったよ?」
と言って、サクは自分のお腹を両手で押さえると、今度は右腕を背骨に見立てて前後に振りながら、こう言った。
「この筋トレをする前は腹筋が弱かったから、体がぐにゃぐにゃして歩きにくい感じだったから」
それを聞いたローゼンは『筋力で背骨を支えられるようになったんだな』と、理解した。
「それは良かったね」
「うん」
「それにしても、君、よく真に受けて実践したものだな。普通はそんなの言われたからって、誰もやらないよ」
「そぉお?」
と、答えるサクは、やはり真に受ける お人好しだ。そして、イグナスからゆっくりと座る筋トレを子供の頃に教わって実践し続けているローゼンも似たようなものである。
そんな雑談をしていると、料理が運ばれて来た。ご飯に混ざっているサフランのいい香りがした。
「それで、サクの口から “旅のおじいさん” の素性が分かるような情報を得た」
と、ローゼンがルークやガナンに話す。
「わしは『ファルシアス』から来たんだ」
「若い頃に武者修行で『和の国』にも行ったことがある」
「世界各地で弟子も取ったが、中でも一番面白かったのは ファルシアスの大金持ちの長男だ。あれは教え甲斐があったな」
それらの言葉を聞いて、
「そりゃもう、間違いねーな。“変人先生” だな。弟子を優秀と言わずに、『面白い』なんて表現すんのは、あの人ぐらいだ」
と、腕組みしてガナンも確証を得た顔をする。
「それにしても、ひどいなぁ。次男の俺じゃないのか」
「仕方ないだろ、ボン。あんたはカッコばっか気にして、真面目にやってねーんだから」
ガッカリするルークにガナンがそう指摘すると、ローゼンが励ます。
「今からでも遅くはないぞ、ルーク。お前も時間が空いたらレイと手合わせしてもらえよ。いい勉強になるぞ」
「うん」
「あいつは凄いぞォ? はっきり言って、バケモンだ! なんたって、あいつの凄い所は ──」
少年のように瞳をキラキラさせて、レイの凄さについて語り尽くすローゼンを見て、ガナンがドン引きして思う。
『それを嬉しそうに語る若も相当ヤバイ奴だけどな。やっぱ、変人イグナスの愛弟子だな……』
一通り喋り終えて、コップに残った水を飲み切ると、ローゼンが話を変えた。
「ところで、今後の予定だが、川を下って西南を目指す」
ローゼンは一度、西部の領主のもとへ登城し、挨拶を済ませてから西部を発った。
登城の道すがら、馬上でローゼンはギリギリまで迷っていた。
『西部の第一王子のルスランは15歳。俺が本格的に家業に携わり始めた年齢と同じか……』
そう思うと、思わず「はぁ……」と、溜め息を吐いていた。ルスラン王子に感情移入していた為に迷いが生じていた。
ふと、青い天を仰いだ。その瞬間、少し冷静になる。
『しかし、彼は俺とは違う。俺はいつも自分から正しい事は何かを求めて生きてきた。大人たちが良い悪いと言っている事を「なぜ、それが良いのか、悪いのか」と、理由を探したり、考えたりした。それは子供の頃から変わってはいない』
彼の鞍の後ろには括り付けた本がある。
『片や、彼は自分から求めてはいない。今も、こうして人から与えられようとしている』
そう分かると、首を横に振った。
『やはり、やめておこう。王子たちの側仕えを身内から紹介しようとも思ったが、権力者には深入りしない方がいい』
そう決めた。
『それに、大概 “蛙の子は蛙” だ。俺も父さんに似てきたと言われるし、ルスランも西部の領主に似てくるのだろうな』
自嘲の笑みを浮かべていた。
こうして、王子たちには約束の医学書だけが渡されたが、まともな大人になるかどうか、あとは彼ら次第である。
「良い大人になって下さい」
それがローゼンから手渡された時の言葉だった。




