5-ⅳ)渇望〜ローゼンからの贈り物
レイたちは中部の西側の街に来ていた。
この日、レイたち兄妹とモーが早めに夕食を終えて宿に戻ると、ローゼンの言い付けで来た番頭のトリンタニーが宿の前で待っていた。一緒にいたモーは気を利かせて、飲みに出かけた。
部屋に通されたトリンタニーはレイたち兄妹に贈り物を渡した。華夜と美夜に指輪や首飾り、耳飾りの宝飾品を、輝夜には細身の宝剣を。
「すごーい! いいのかしら、こんな高い物ぉ〜」「まばゆ〜!!」と、喜ぶ華夜美夜。輝夜は剣を抜き刀身を眺めて無言だが、ご満悦の様子。
『よく人を見てるな、あいつ……。誰が何に喜ぶか、よく見抜いている』
と、妹たちのリアクションを見て、舌を巻いているレイにトリンタニーが渡したのは最高級の大粒の宝石だった。
「こ、これは……!」
絶句するレイにトリンタニーが言う。
「こちらは『女神の涙』でございます。レイ様はご兄妹の大黒柱ですから、万一の時に生活に困らないようにとの、ローゼン様のご配慮です」
サクに手渡された枕も、とても安物とは思えない代物で、渡された瞬間の軽さに驚く。
「とても軽いですね」
「枕は軽うございますが、ローゼン様のお気持ちは山脈よりも重うございます」
と、トリンタニーはローゼンの為にフォローするが、サクは
『意味がよく分かんないけどぉ、大袈裟……』
と、内心では引いている。
「ちなみに、絹地の中は羽毛でございます」
「いいんですか? こんな高い物」と、戸惑うサク。
「ご遠慮なさらずに。これはレイ様への友情の証であって、それゆえにレイ様のお身内にも差し上げたいというローゼン様の心遣い。受け取って頂けなくては、このトリンタニーがお叱りを受けます。お納めを」
そう言ったトリンタニーはローゼンから
「サクは遠慮するような子だから、気兼ねさせないように留意してくれ。兄妹全員分の贈り物を用意したのも、その為だ」
と言われていた。
トリンタニーに懇願され、『どうしよう?』という面持ちでレイの顔を見るサク。
「トリンタニーさん。サクとの話は当人同士の気持ちの問題もあるので、約束できませんけど、それでもいいんですか?」
レイはトリンタニーに耳打ちして念を押す。
「もちろんです。それとは、別の話でございます」
「分かりました。それなら贈り物は頂戴します。ローゼンによろしくお伝え下さい」
レイが承諾し、トリンタニーは宿を去った。
華夜美夜はさっそく宝飾品を身に付けて街へ繰り出しに行く。輝夜も剣を持って「素振り、してくる」と、どこかへ出かけた。
レイはサクと同じ部屋にいて、机に向かい、帳面を付けている。
『まぁ、よく考えたら、あんまり気にしなくていいのかも。みんなのよりは高い物じゃなさそうだしぃ』
と、思い、サクが横になってみると、枕にクシャッと音がしたので、
『何だろう? 何か入ってるぅ』
不思議に思い、枕本体とカバーの間に手を入れてみた。
手紙を手に持ったサクがレイの所へ来る。
「お兄ちゃん、これ、なんて書いてあるのぉ?」
「これ、どうした?」
「枕カバーに挟んであったの。わたし、こっちの文字は読めないからぁ、お兄ちゃん、読んでくれるぅ?」
『嫌な予感しかしないな』とか思いつつも、手紙を開けて読むレイ。
サクへ
君は体が弱いので、この枕でゆっくり休んで下さい。
あと、夜は冷えるので、体を冷やさないように。
君は人並みにしようと無理に頑張らないように。
残してはいけないからと無理に完食せず、
疲れたら「疲れた」と言って 周りに遠慮せずに休むように。
その文面はサクへの優しい気遣いで あふれていた。
『腹立つのう、こいつ! サクヤとの街歩き、何遍か許可してやっただけで、これか! サクヤと何年も一緒におって知っとるげな的確な助言……余計に腹立つわァ……!』
と、嫉妬するレイの心の声が思わず訛る。続きを読む。
休む時はこの枕で良い夢を見て下さい。
と、ほぼ最後まで読み終えたところで、レイの麗しい顔が引きつり、手紙を持つ手にグシャッと力が入り、体をわなわなと震わせた。
「お兄ちゃん、どうしたのぉ?」
「な、なんでも…、ない」
努めて平静を装い、手紙をサクに返すと、「ちょっと飲んでくる」と言って、出て行った。
レイと行き違いで、遅い夕飯を終わらせて帰って来たヒカルとカヲルが、扉から顔を覗かせるサクに声をかける。
「あ? どうした、サク。レイの奴、機嫌悪そうに出て行ったな」
「うん。この手紙、読んでもらったんだけど、怒るような内容とは思えないんだけど……」
「どれどれ、あー、こっちの文字か。俺も読めねーや」
「僕は読めるよ。貸して」
と、手紙を読み始めて、レイと同じ所で読むのをやめたカヲルは
「レイさん、なんで怒ったのかな?」
と、微苦笑し、サクに返すと、
「サクは部屋で早く休んだ方がいいよ。良い夢を ──」
と挨拶し、ヒカルの背を押して、そそくさと自分たちも部屋へ戻ろうとする。
自分たちの部屋に入ったヒカルはカヲルに訊く。
「ホントはなんて書いてあったんだよ?」
「何、そのまま読んだだけだよ。ただ ──」
「ただって、なんだよ」
「レイさんは最後の一文だけ、読まなかったんだと思うよ」
「なんだよ、その最後の一文って!」
カヲルの肩に腕を回すヒカル。
では、夢の中で逢いましょう。
ローゼンより
という一文を聞いて、ヒカルもムッとする。
「ああッ!? しつッこい奴だな、あいつはァ! 夢の中まで追っかける気か!」
中部の西側の支店から北部への行商に出ているローゼンとルーク。大口契約の為、長い隊列を組んでいる。今回は砂漠越えになるので、ラクダでの移動だ。中央地域ではラクダの種類はヒトコブラクダとフタコブラクダの両方いるが、荷運びにはタフなフタコブラクダが使われ、ローゼンやルークと警備の役割を主に担当する者は足の早いヒトコブラクダに乗っている。
「しばらく、サクに会えないから、トリンタニーに贈り物を届けるように頼んでおいた」
と、言うローゼンに、ラクダを並べたルークが
「兄さん、あの娘に何を贈ったの?」
と、訊くと、ローゼンは「枕」と答えた。
「枕 !? 金銀宝飾や絹の服じゃないのか?」
「華夜美夜なら金目の物で大喜びだろうけど、サクは欲がないからな。今、必要な実用的な物にした」
『実用品で喜ぶ女がいるのかねぇ。俺にはこの人の考えはよく分からん』
実の兄とは言え、理解に苦しむルーク。すると、ローゼンが思わぬ事を言う。
「それに、枕カバーに恋文を忍ばせておいた」
「いや、抜け目がないなぁ……」
「でも、サクはこっちの文字はまだ読めないから、代わりに読んだレイか、ヒカルあたりが今頃、相当 頭に来ている事だろうよ」
と言うと、「ハッハッハッ」と明るい屈託のない笑い声を立てて、ローゼンが少しラクダを早めた。
「兄さん、人が悪いなぁ……」
と、苦笑しつつ、ルークも後を追った。
方々のカラヤ商店中に、とんでもない噂が広がった。真実にたくさんの “ひれ” が付いてしまい、事態は深刻になる。
いつぞや、ローゼンが言った話が
「それから、皆にちょっと話がある。先々の事についてだが ──」
事の発端であった。
「俺は跡は継がない。これまでどおり仕事は続けるが、跡継ぎにはなれない。俺は体の弱い人を好きになってしまったから、おそらく子孫繁栄は望めないだろう。子孫繁栄はルークに任せる」
と、ルークや番頭トリンタニーらの前で宣言したのだった。
ついには、カラヤの親戚たちが馬を飛ばして番頭トリンタニーが現在とどまっている中部の西側の支店に集まり、詰め寄った。
「ローゼンが跡を継がないとは どういう事だ !?」
「悪い女に誑かされていると聞いたぞ!」
「女に骨抜きにされて大金を貢いでいるとか」
「とにかく、とんでもない悪女で、真面目なローゼンを色気で誑し込んでるそうだな」
「跡を継ぎたくないというのも、その女のせいだと聞いたぞ」
「そんな女とはさっさと別れさせろ!」
「どうしても別れたくないと言うのなら、その女を殺してしまえ!」
様々な憶測や物騒な発言が飛び交う中、トリンタニーは集まって来たカラヤ家の面々を冷静に眺める。
『旦那様はお見えでないな』
ローゼンとルークの父である当主が来ていないところを見ると、静観する気のようだ。
ドンッ!
トリンタニーが拳で机を叩いて
「お静かに!」
と、声を張り上げた。静まり返った一同を前にトリンタニーが発言する。
「皆様、落ち着いて下さい。よく考えてごらんなさい。あのローゼン様ですぞ。悪い女を選ぶとお思いですか?」
トリンタニーに諭され、「た、確かに…」と納得し始める面々。
「それから、無理に別れさせようとすれば、『絶対に跡を継がない』と言って、ますます頑なになる事もあり得るでしょう」
「それも困るな……」と言う声が出る。
「もし、相手の女を殺せば、あのローゼン様の事です。黙って大人しくしているわけなどないでしょう。必ず復讐されますぞ。逃げても地の果てまで追いかけるでしょうな」
トリンタニーの言葉に一同、背筋が凍る思いをして、「ゾッ……!」とする。
「ま、まぁ、確かに、ローゼンの性格を考えれば、トリンタニーの言う事も もっともだな」
と、親戚の一人が納得の言葉を出すと、他の親戚たちも口々に背景を語る。
「それに、今の『カラヤ隊』を組織したのもローゼンだしな。元軍人や傭兵の腕利きを集めて来てさ」
「そいつらを人足頭に据えて、他の人足たちを訓練して盗賊退治できるようにしたからなぁ」
「おまけに、ローゼンに忠実だからなぁ、あいつら」
「しかも、軍隊並みに強いからなぁ、カラヤ隊……」
トリンタニーの説得が効いて、カラヤの親戚連中が鎮まった。
「ここは一つ、事の成り行きを冷静に見守るべきでしょう」
トリンタニーがそう言ったところへ、店の者から来客の知らせが入った。トリンタニーが店の表に出ると、サクが天堂兄弟と共に来ていた。
「この間は、ありがとうございました」
と、贈り物の礼を言うサク。
「いえいえ。ローゼン様はまだ、北部から お戻りではありませんよ?」
「ああ、いえ。今日はちょっと、トリンタニーさんにお訊きしたい事があって……」
「なんでございましょう?」
「ローゼンにはいつもお世話になっているので、何かお返しをしたいんですけど、どういう物だと喜んでもらえるのか分からなくて」
何不自由ない生活をするローゼンゆえに見当が付かないのだ。
「まぁ、ローゼン様はサク様との『街歩き』をいつも楽しみにしておいでですから、それで充分かと思いますが」
まだ微妙な関係だと聞かされているので、『街歩き』と言って、あえて『デート』とは言わないトリンタニー。
「でもぉ、それだと、いつも こちらがご馳走になってばかりだし、兄の方から何かしら お返しはしてくれてるようなんですけど、やっぱり、わたしからも何か出来ないかと思って……」
「ふむ……」と、トリンタニーが顎をつかんで、しばし考え込む。
「では、栞などいかがでしょう? ローゼン様はよく本をお読みになりますし、きっと、お喜びになると思います」
と、言うトリンタニーの頭の中では主の為に
『栞なら軽いから肌身離さず持ち運べると大喜びしそうだな、ローゼン様』
という計算も働いている。そんな事も知らず、サクは「ああ……」とトリンタニーの妙案に素直に感心して、
「いいアイデアですね。ありがとうございます、トリンタニーさん」
と、礼を言うと、天堂兄弟と共にさっそく文具店へ向かった。
店の中から、こっそり一部始終を見ていたカラヤの親戚たち。
「あれがローゼンの女か」
「清純な乙女だな……」
「眺めてるだけで幸せな気持ちになる……」
「噂と実物とじゃエライ違いだな」
「誰だ? とんでもない悪女とか言った奴は」
「さっさと別れさせろと言った奴もいたな」
「殺せとか言ったの、誰だッ!?」
などと、責任の擦り合いを始めた。
咳払いしたトリンタニーに
「いかがですかな? ご納得いただけましたかな、皆様」
と、言われて、バツが悪げなカラヤの親戚たち。
親戚の一人がトリンタニーに訊ねる。
「ところで、トリンタニー。あれはどこの娘だ?」
「宝石商のレイ様の妹のサク様です」
「なに? レイとは、あの美貌の鑑定士か」
と、親戚の中から、そんな声が上がった。最近ではレイの鑑識眼は有名になっていた。
親戚たちがトリンタニーに質問を続ける。
「さっき、一緒にいた目付きの悪い二人は?」
「あれはレイ様が雇った護衛の者です」
「で、ローゼンとあの娘はいつ結婚するんだ?」
「……まだ、先でしょうな。今のところ、ローゼン様の片想いなので」
トリンタニーの言葉にカラヤ家の面々が口々に言う。
「なぬ !? そんな段階で跡を継がないとか、ずっと先々の事を言っているのか。何を考えているんだ、あいつは」
「いや、何か それなりの考えはあるかもな。あのローゼンの事だし。それに、案外、恋を成就させるかもよ?」
「弓矢でも狙った獲物は外さないからなぁ」
「商売においてもローゼンはチャンスを嗅ぎ分ける嗅覚が妙に鋭いからなぁ」
「そうだよなぁ。ダメなものには さっさと見切りを付けるが、ここぞという時には並外れた集中力と粘りを発揮して成功させるからなぁ」
「つまりは、結婚してくれるまで、しつッこく付きまとうつもりか」
「ありえるな」
「呆れた奴だ」
「あー、それにしても、バカバカしい。心配して損をした。もう帰るか」
「仕事ほっぽってまで来る事なかったな」
「帰ろ、帰ろ」
こうして、騒動は終結した。
後日、ローゼンはサクから銀色の羽根の形をした栞をプレゼントされた。彼が殊の外、喜んだ事は言うまでもない。