砂釜
香出は立ち止まり、来た道を振り返って見た。後方に見えていたはずの草原は消え、茫漠たる砂漠が広がっているだけ。
「やっぱり、そうだわ。ここ一帯は栗の産地で、『砂釜』とは栗の収穫時期にだけ出る、焼き栗が大好きな妖怪。毎日毎日、栗を拾い、たくさんの砂の入った大釜で栗を炒る。どうやら・・・その釜の中にいるようですね」
遠くから、ザッシュザッシュ・・・と砂をかき混ぜるような音が響き、バラバラと生栗が上から降ってきた。
「ああ、兄上、香出、危ない。あちち・・・」
「どうにかならんのか?桂の妖怪さんよ」
「そうね・・・話してみるわ」
香出は身体をぐんぐんと伸ばし、空高く突き進んでいった。彼女の顔は遥か遠くに見える。
・・・と、突然むちむちっとした腕と手が、国王と阿王に迫ってきた。パッと開かれた手のひらが、彼らにそこへ乗るようにと促しているようだった。二人は顔を見合わせて、手の平に乗った。ぐーっと持ち上げられて、大きな大福もちのような顔の前で止まった。大きな目でぎょろりと睨まれると、弱肉強食という言葉が思い浮かぶ。妖怪の身体は丸々として、でっぷりと前に突き出たお腹が印象的だ。
「ごきげんよう。わしは新種の栗かと思ったわい」
低い声が聞こえてきた。
「違うのよ、砂釜さん。私たち新しく出来た熊蘇を目指しているの。だけど、ここへ迷い込んじゃったみたいなの」
「ああ、噂で聞いたよ。新しい地神の兄弟がやってきて、統治するんだってね」
「そうそう、それがあなたの手の平に乗っている二人よ。兄が阿王さんで、弟が国王さん」
砂釜はそう聞いて、二人の顔をまじまじと見つめた。
「ふーん、ひとりはガチガチで、もうひとりはナヨナヨ。美味しくなさそうだねえ」
「そそそうよ・・・栗が一番美味しいわよ。とりあえず、あなたの釜から出して欲しいのだけど・・・」
「君は桂の木だよね。わしの釜の薪になってくれるならさ、助けてやってもいいよ。すんごく香りのよい焼き栗ができそうだ。ジュルル・・・なんか涎がでてきちゃうなあ・・・」
阿王が国王に耳打ちした。
「俺がやっつけようか?」
「待ってくれ、それはちょっとまずい気がする。ここが栗の名産地になっているのは、砂釜が栗の木を増やし育て、循環させているからなんじゃないかな」
「じゃあ、どうする?」
「今、考えているよ・・・」
さっきからずっと・・・砂釜が香出に返事を催促している声が聞こえている。香出は困って、固まっている。
「ねえ、砂釜さん。薪の他に何か欲しいものはないの?」
国王が尋ねた。
「欲しいもの?そうだなあ・・・君のその白い髪いいねえ。光に当たるとキラキラと銀色に輝く。わしの家の暖簾にしたら、きっと素敵だろうなあ」
「いいよ、この髪をあげるから、私たちを逃がしてくれないかな?」
そう言って国王は、首の辺りから、阿王の大剣で髪を切り落としてもらい、長く美しい髪の束を砂釜の目の前に捧げた。さらさらと風に靡くその白銀の髪は、砂釜の目を釘付けにした。
「分かった。わしは、この新しい暖簾を家に飾りたくてたまらん。今日の仕事はお終いじゃ」
左手で国王の髪を握り、右手のひらに香出と国王、阿王を乗せ、砂釜は動き出した。
ズシッツ、ズシッツと重い足音が静かな森にこだましていた。
仄暗く濃霧に覆われた沼地に辿り着くと、砂釜は彼らを地面に降ろした。
「ここまでじゃ、あとは知らん。この沼地の先がお前達が言う熊蘇じゃて、気をつけなされ、すり鉢状になっておるからのう・・・」
砂釜は自分の家に帰って行った。
「すり鉢状になっているって言ったよね?ということは、この沼地は底だね。どこからか上る道があるはず・・・それを探さないと」
「霧がひどくて、何にも見えないけどね・・・霧が晴れるのを待った方が良くないか?」
「阿王の言う通りかもしれない。下手に動いて、同じ所をグルグルしたら、私たちの身体ももたないわ」
沼地のそこら中に生える葦を刈り取り、それを地面に敷き詰めて、三人は肩を寄せ合うようにして眠りについた。
ピチュピチュ・・・小鳥のさえずりと、朝日の眩しさで、彼らは目を覚ました。起き上がってみると、濃い霧はなくなり、葦の原が姿を現した。
「葦原の中つ国だ。父君の弟『鹿王』が住んでいるはず」
髪の短くなった国王は、顔回りがすっきりとし、容姿の良さが際立った。さらに微笑めば、だれが見ても美男子に違いなかった。
「しかし、鹿王は気難しくて、天の神との婚姻も上手くいかなかったと聞いている。果たして俺らを歓迎してくれるかどうか・・・」
「引き返せないのなら、進むしかないじゃない?わらわの枝に乗っていれば、沼が深くなっても大丈夫だから、行きましょう」
香出はだだっ広い葦の原をかき分けて、鹿王の住まう宮へと向かった。出発してから・・・何時間経ったのだろうか・・・。
「夕方になって暗くなり、霧で満たされる前に着かないと大変なことになるわ」
「疲れたら休んでいいよ。君が参ってしまったら、それこそもっと大変だ」
「よし、剣を櫂にして進もう。俺が漕ぐからさ、香出休みなよ」
香出は歩を止めて横になり、阿王が力強く漕ぎ始めると、その流れに身を任せた。
暫くして阿王が目を凝らしてみると、前方にうっすらと宮殿のようなものが見えてきた。
「あれが、鹿王の宮じゃないかな?きっとそうだよ、もうすぐだ」
阿王は勢いづき、一気に進んだ。