あまりにもバカげた寸劇の為、裁判をすることにしました
数か月前、ルシールとレティシアの三人で学園内の中庭を歩いていると男女が揉みあっているのが目に入った。
「私には婚約者がいるのであなた様とはお付き合いできません。どうかご理解ください」
「何度も言わせるな。おまえが気に入ったと僕が言っているのだから婚約破棄して僕の元に来るんだ!」
少女の方はバイヤース男爵家のフルールだ。フルールは同じクラスで何度も話したことがあるし、お茶会に呼ばれて参加したこともある。新興貴族で実家は商家だ。領地はないが国内外に手広く店を出していてかなりの資産家である。
王都に本邸を構え、本店も王都にある。先代当主が国王に贈った品を大層気に入り男爵位を賜ったそうだ。愛らしい顔でころころよく笑う可愛らしい性格だから、話していてとても楽しい令嬢なのだ。ちなみに別荘はメルディレン侯爵領にある。
一年生の時に親しくなってお茶会に呼ばれた際、別荘を建てたいと両親が話しているというのを聞き、メルディレン侯爵領のおススメ地域を紹介したら気に入ってくれたようで、白亜の別荘が出来上がったのは今年の夏前だ。
ちなみに支店は何年も前からメルディレン侯爵領にありとても人気がある。
一方フルールの手首を握って放そうとしないのがエタンだ。三代前の当主は子爵家ながら王国騎士団副団長に選ばれるほどの実力者で、当時隣国ザッパータが侵略してきた際に前線で大活躍をした上に、騎士団長だった王弟を庇って腕1本を無くした。大陸中が平和に満ちていた時に起こった侵略戦争だった。
そもそもザッパータはフランディー王国の王都3個分くらいの国土しかない国で資源も乏しかった。ザッパータとの国境にあったのは王家の所領でサファイアの鉱山を発見したばかり。
大陸の国家間で決められたルールでは鉱山は先に発見した国のもので、もし国境付近で発見された場合、先に採掘を始め、採掘を進めていき国境を越えた場合は利益の2割を相手側の国に渡す、となっている。
あくまでも権利は採掘を先に始めた国にあるのだ。だが、資源のなかったザッパータはいつになるかわからない2割の利益より鉱山欲しさに愚かにも戦争を仕掛けて来たのだ。奇襲であったこともあり、始めの頃は劣勢だったフランディー王国だったが直ぐに形勢は逆転し、逆にザッパータの全てを掌握したのだ。
大国フランディー王国に攻め入った報いは、戦争に関わった幹部たちの処刑と王家の幽閉だった。現在は騎士団長だった王弟の子孫が元ザッパータの領土と王家所領の分を合わせて大公領として治めている。大公領民はザッパータの時より裕福になり、また、幽閉された王家の血筋は途絶えた。ということだ。
バルビエ子爵は王弟を身を挺して守ったと武勲を上げ、勲章とともに王家の所領のうち王都に近い領地に転領した。
片腕では騎士は務められないので領地経営で多くの収益を得て欲しいという王家の願いだ。よって元の子爵領は狭かったがこの転領で子爵家の収益はかなり増えたのだ。
しかし、祖先は祖先、子孫は子孫。副団長の息子は片腕になった父親のようになりたくないと騎士団に入ることなく、領地経営のみで生計を立て、それなりに上手く利益を生み出している。
そして祖先の名誉などなかったかのような暴挙を行っているエタンには婚約者がいる。フォール伯爵家長女のシルヴィだ。シルヴィもまたソフィーリアと同じクラスだ。
フォール伯爵家は由緒正しい古くからの伯爵家で広大な領地を抱えている。
しかしその領地を流れる川が曲がりくねっている為毎年氾濫していたのだ。そのため代々の当主は治水工事を進めていた。
まず氾濫地域は全て伯爵家の運営する公園として治水工事が終わるまで領民が住むことを禁止にした。もちろん領民の命を守るためで転居する領民たちには別の場所を同じ広さで分け与え、少しずつ治水工事も進め、被害地域がほとんどなくなっていた先代の時代、歴史的な豪雨に見舞われたのだ。
一部まだ治水工事が完了していない地域での川の氾濫は大規模で、公園に留まらず溢れ出した濁流に、家が流されたり農地が荒地と化したり、その上死者も出してしまった。そのため領地再建と治水工事を急ぎ完了するために伯爵は借金をした。
もちろん国からも援助金が出されたが、領民の為にもっと早く進めたいと更に借金を重ねたのだ。その借金の返済の為、裕福なバルビエ子爵家から縁談の話がきた時に悩んだ末に了承したそうだ。
バルビエ子爵家の今の当主は上位爵位の家門と縁を結ぶことで自身の発言力を上げたい思惑があると聞いている。
英雄だった祖先より自分が後世に語り継がれる世代であると。そしてフォール伯爵家は子爵家の後ろ盾になることで金銭的援助を受け借金の返済に当てる。そんな縁組だったはず。
「あなたはフォール伯爵家のシルヴィさんの婚約者だったと思うのですが、そちらを解消してフルールさんを新たに婚約者にされるおつもりですか?」
ソフィーリアが疑わし気に聞くと
「それとこれは別問題ですよ、第二王子の婚約者殿」
何とも嫌な言い回しである。
「ではフルールさんの手をお放しなさい。家族でも婚約者でもない女性の腕にそのように触れるのは貴族家の子息たるものの所業としていかがなものでしょうか?」
「おっと、誤解しないでくださいよ。ご令嬢方。彼女を婚約者にするわけではありませんが、気に入ったので妾になるように言っていたのですよ。男爵家の娘ごときが子爵家嫡男の妾になれるなど光栄なことでしょう?」
「「「え?」」」
本気でそんなことを言っているのか?いや、世の中にはそのような女性がいるのは間違いないが、フルールとシルヴィは親友と言っても良い程仲が良いのだ。そんな二人を妻と妾にするなど良識はないのだろうか?
「フルールさんとシルヴィさんの関係を御存じで?」
「ええもちろん!シルヴィに友人として紹介されたのですよ。その時にフルールの愛らしい瞳に出会いましてね、シルヴィも美しく妻として申し分ないが、フルールのことも捨てがたい。
二人が友人なら同じ屋敷に住んでも問題はないだろうし、王家からの覚えもめでたい我バルビエ家と縁続きになるなど二人には光栄なことでしょう。言わば親切心から言っているのもあるのですよ。ご令嬢方には少し難しい話でしょうか」
「「「え?」」」
何とも失礼極まりない発言にソフィーリアは二人に近づくと習得していた護身術を使ってフルールの腕を取り返した。その反動でエタンは尻もちをついてしまったがそんなことは知ったことではない。
「フルールさんには婚約者がいらっしゃいます。それにあなたはシルヴィさんの婚約者です。結婚していても妾など喜ぶ妻はいないというのに、まだ婚約の状態で妾などと、よく言えましたね!」
フルールを後ろに控えていたレティシアたちに渡すと最後通牒を言い渡した。
「このようなことをこれからも続けられるようでしたら、私からバルビエ子爵にご連絡いたしましょう。ご子息の言動に私の友人が困っていると」
さすがに第二王子の婚約者であることを差し引いても侯爵家から苦言を呈されるなど他家に知られれば恥となると思ったのか、エタンは素早く起き上がると走ってその場を後にした。
「フルールさん大丈夫ですか?お怪我は?」
「私は大丈夫です。ソフィーリア様たちに助けていただけたので。でも、このことをシルヴィに何て言えばいいのか・・・。黙っているわけにはいきません。いくら家の為とは言え、あんな男、シルヴィには相応しくないわ!」
「そうですね。でも、シルヴィさんの家にも事情がありますし、結婚までに何か対策を一緒に考えましょう」
そう言ってその場は散会になった。
ということがあったので知っていたのだ。無礼で、女性の尊厳を踏みにじる最低男である。そんな男にまんまと丸め込まれたのか側近候補にしているなど、クラディオンの底が知れるというものだ。
「殿下。ではご友人との交流を優先する為に公務などにご参加にならなかったということでしょうか?」
「そうだ!何よりも優先させるべきことだからな!おまえと違って僕は何を最優先するかちゃんと理解しているんだ。おまえのしていることは僕を愛するあまり逆に僕の足を引っ張ることだ。その結果がどうだ?か弱く可憐なカロンに嫉妬して嫌がらせをするようになるとは!恥を知れ!!」
あなたが恥を知りなさい。婚約者のいる身で別の女性の肩を抱くなど王子としての品性の欠片もない。
「では私はどうすれば良かったとお考えですか?」
「そんなもの決まっているだろう。僕に意見することなく第二王子妃になる為の教育だけを受け、公務も兄上たちに任せ出しゃばらず、領地経営も専門の文官に任せて自邸にいれば良かったのだ。
淑女の見本となるべく日々過ごしていれば僕だっておまえを好きになったかもしれない。しかしおまえはその逆ばかりだ」
誰も好きになって欲しいなんてオモッテナイデスケドー。出しゃばる、ねぇ・・・。口を閉ざすソフィーリアに更にクラディオンは続ける。
「僕は愛というものを知った。カロンだ。僕を支え、影になり日向になりと、彼女は素晴らしい。明るく僕を照らしてくれる。おまえが嫉妬する気持ちは理解するよ。
おまえはカロンと違って気位ばかり高く、これ見よがしに王妃からもらったティアラを僕に自慢する。私は頭が良いんだ、とな。おまえの学ぶべきことは王子である僕を立てることと支えることだ。おまえはどれ一つとしてできていない!」
クラディオンの横で震えているように見えるカロンの口角が上がったのは気のせいではないだろう。
はぁ、全てがクラディオンを支える為にやってきたことなのだけれど。クラディオンの代わりに公務に出向くのも、領地経営するのも、クラディオンがしようと思ったときに困らないようにする為にやってきたことで、それはクラディオンを支えることと同じではないだろうか?
そんなことも理解しようともせずソフィーリアのしてきたこと全てを否定され、横にいた二人も一緒に信じられないとクラディオンを見上げた。これに気分を良くしたのかクラディオンはカロンを抱く手に力を込めるともう一度私を指差した。
「いいか、よく聞け!僕は今をもってソフィーリアとの婚約を破棄し、新たにカロンと婚約する!ソフィーリアはカロンにしていた数々の嫌がらせの責任を取って、賠償金20万バロンを払うこと!もちろん侯爵家に頼って払うことは許可してやろう。せめてもの僕の優しさだ」
はあ?
である。何故してもいなことに対して賠償金を払わなければならないのか?20万バロンと言えば、かなり良い馬車を2台は買える金額だがお金の問題ではない。払えば罪を認めたことになるのだ。
冗談ではない。だが婚約者から脱却できるチャンスでもある。上手く問題を解決しなければならないと意志を固めた。
「殿下との婚約問題につきましては殿下のお気持ちを受け入れます。しかしながら、破棄ではなく、婚約の白紙、または解消が正しい言い方でしょう。
カロンさんへの賠償金につきましては払うつもりはございません。私はカロンさんに何もしておりませんので」
「まだ、そんなことを言うのか?おまえはバカなのか?カロンがされたと言えばそれは真実なんだ。おまえが否定しても覆らない。さっき色々言っていたが、それはただのカロンの記憶違いだ。それにわざわざ掃除をした人間を探す必要もない。
カロンの証言が全てだ。それが真実なんだ。何故それがおまえにはわからないんだ」
「殿下。あくまでも私がしたことにしたいようですが、していないものはしておりません、としか言いようがありません。カロンさんの証言のみでそのように言われましても到底受け入れるわけにはまいりません。もちろん殿下との婚約は解消していただいて構いませんが」
「往生際の悪い奴だな!カロンの言うことが全てなんだ。おまえがカロンに嫉妬して嫌がらせをした。それが真実だ。何を言っても無駄だ。諦めて20万バロンを払うように!素直に受け入れないと大臣が可哀想だろう?」
父は黙って受け入れる方が悲しむだろうけれど。はぁ、しょうがない。
「そのようにおっしゃるのであれば、裁判を致しましょう。私はカロンさんに嫌がらせなどしておりません。ましてやお話したことさえありません。裁判できちんと証言証拠証人を出し合い正しい判決をしてもらいましょう」
「裁判など必要ない!!そんなことをすればおまえに有利な弁護士が出てくるであろう。その弁護士は嘘の証人や証拠を出してくるかもしれない。それに引きかえカロンは子爵家なのだから弁護士費用を出すのも大変なのだ。
おまえは金で問題を解決しようという傲慢な態度をとるのか!同じ金を出すなら、賠償金としてカロンに払えと言っているであろう!第一、被害者はカロンだぞ!何故加害者であるおまえが裁判などと口にするのだ!
傲慢にも程がある!そうだ、会場内の学友たちよ!そなたたちの中にも同じようにソフィーリアに傷つけられたものはいないか?この傲慢な性悪女にわからせようではないか!」
ここまでバカだったのか。名誉棄損、で充分裁判で勝てる自信があるのだ、こちらには。それにカロンが弁護士費用を出せないのであればクラディオンが出してあげればいい。愛し合っているのでしょ?
第二王子が月に自由に使える金額全額を費やしてもお釣りがくるほどの金額が支給されているのを知っている。それに勝てば裁判費用は相手持ちなのだから自信があるなら裁判をすればいいだけである。
「誰かいないか!傷ついた心や悔しい気持ちは直ぐには癒せないが賠償金を払わせてソフィーリアを悔い改めさせることはできるであろう!侯爵家に楯突くのは怖いかもしれないが、大丈夫だ。
第二王子である僕がついている。もう誰もソフィーリアに傷つけさせない!これはソフィーリアを救うことにも繋がるのだ!さあ、正直に名乗り出てくれ!」
もはや演説である。ノリノリで意気揚々と私を口汚く罵る姿には怒りを通り越して呆れを感じさせる。こんな第二王子でいいのだろうか?この国は。エタンの方を見ればチラチラと誰かを見ているようだ。しばし黙って見ているとそろそろと数人の令嬢がカロンの側に寄っていくのが目に入った。お互いが知り合いというわけでもなさそうだ。
「わ、私も我慢しておりましたがソフィーリア様から爵位が低いといじめられました」
そう言ったのは男爵家令嬢の確か、アメリーだったか。学年は一つ上。話したことは当然ながら一度もない。更に、
「私も殿下と親しげに話をするな、とソフィーリア様に水をかけられました」
と今度も男爵家のオレリーという名前だったかな、である。言われてクラディオンの方が「あ、ああ」と動揺しながらうなずいているのは、クラディオンにその令嬢の記憶がないのであろう。オレリーは一年生だ。接点は自分から近づかない限りゼロ。見た目もこう言っては何だがいい意味で独特のオレリーがそんな大胆な行動をとったなら、どんなにおバカでも記憶に少しは残るであろう。
ん??そういえばこの令嬢には見覚えが。そうだ、あの時の・・・。
第二王子の婚約者選びは王宮庭園ではなく、完成したばかりの王立公園に隣接された温室庭園で行われた。いつでも花を鑑賞しながらお茶会やパーティーを行うことが可能な施設で、第二王子の母であり側妃でもあるカリーヌの肝入りで作られたものだ。
その宣伝も兼ねていたのだろう。お金を出せば誰でも使える施設だが、今では割高なので実際にお茶会などで使用しているのはカリーヌと親しいご婦人たちだけのようだが。
その日はもちろん招待状がなければ温室庭園の入口の門に近づくことさえできない程厳重に警備されていた。親子揃っての参加をさせられ、第二王子の母カリーヌへの挨拶と挨拶の品を持参しなければならなかったのを覚えている。そんな中、ちょうどソフィーリア一家が門で招待状を見せている時に門付近で騒ぎが起こったのだ。
見てみると中に入れるように警備兵に詰め寄っている親子がいたのだ。その時誰かはわからなかったが後からエモニエ男爵家ご一行だと知らされた。どうやら自分たちも中に入れてくれ、第二王子の婚約者選びに参加させろと言っていたようだ。
しかしながら、侯爵家伯爵家のみの参加だったので当然参加はできないのだが。あの時の少女の面影が残っている。自分が参加できなかった候補者選びで選ばれたソフィーリアが妬ましかったのか、それとも、こんな場所で嘘の発言をして後からどうなるかもわからない程クラディオンに入れ込んでいるのか?何にしても知ったことではない。
そうやって続くこと計6名。全員、実家の爵位と名前と学年だけ知識として知っているだけの令嬢たちだ。しかし、周囲もあんなにいるのならもしかして、などと言い出したのである。腐っても王子であるクラディオンの演説紛いの妄言でも恐ろしいことに信じる者が出てきたのだ。
友人であるルシールとレティシアならクラディオンとソフィーリアの正確な関係を理解しているが、その他は、幸運にも第二王子の婚約者に選ばれた侯爵家令嬢という認識なのだろう。
いくら普段学園で生活しているソフィーリアを知っていたとしても、真実はこうだとあのように訴えかける自国の王子を見るとそちらが正しいのでは?などと思う人たちが出てきてもおかしくはない。信じるのはクラディオン同様の頭の人間だろうが。
それに、聡明で優しい侯爵家令嬢、よりも、爵位の低い令嬢たちをいじめ、王子から婚約破棄された侯爵家令嬢、の方が娯楽的に面白味を感じるのだろう。まるで物語の世界のようだと。
そして令嬢たちの中には賠償金がもらえる、ということに惹かれた者もいるのだろう。ほとんどの令嬢の実家は爵位はあるが裕福とはとても言えない下位貴族だ。
会場は涙を流す令嬢に震える令嬢もいてもはや異様としか言いようがなかった。オレリーはソフィーリアに対しての妬みでもあるのかいじめられた、と言っている方が勝ち誇ったように腕を組んで見下ろしてくる。
いじめられたか弱い令嬢を最低限演じなさいよと教えてあげたいくらいである。例え、ソフィーリアが婚約者でなくなっても、カロンがいるからオレリーにその席が回ってくるわけでもないのだけれど。
「ほら見ろ!こんないるぞ!!やはり醜悪で性悪な女であったな!婚約白紙?おまえはバカか!破棄に決まっているだろう!これでおまえの顔を見なくてよくなると思えばこんなに嬉しいことはない!
さっさとカロンと勇気をもって証言してくれた彼女たちに賠償金を払え!腐っても侯爵家令嬢なのだから父親に泣いて頼めば払ってくれるであろう。まあこんな娘を持った外務大臣が可哀想な気もするが、ちゃんと教育できなかった自分たちが悪いのだから受け入れるしかあるまい。さっさと払うと言わなければ増額するぞ!」
後ろの側近候補とされる子息たちがニヤニヤと笑っている。だがその中にエタンが含まれていない。エタンは苛立たしそうにチラチラと誰かを見ているようだ。その視線の先を追うとシルヴィとフルールだった。
もしかしたら、この茶番劇は初めから決まっていたことかもしれない。ソフィーリアを糾弾し、カロンと同じ目にあった令嬢はいないかと呼びかける。そして賠償金目的の令嬢が出てくるのは予想ができたのであろう。あのおバカ王子と側近候補たちでも。
そして話に真実味を持たせるためにソフィーリアのクラスメイトであるシルヴィに前に出てくるようにエタンは指示していたのかもしれない。しかし良識のあるシルヴィはそれに応えなかったのだろう。彼女を助けなければならない。
「殿下、何度も申し上げますが、私はそのようなことをしたことはございません。ですから裁判をしましょう。私は名誉棄損で殿下を訴えます!」
これしかないだろう。
「な、なんだと!王族である僕を訴えるだと!!バカかおまえは!勝てるわけないであろうが!」
「でも、カロンさんでは弁護士費用が問題になるのでしょう?その点殿下であれば問題ないかと」
「そういうことではない!侯爵家のおまえが王家を訴えるなど、どの裁判官が請け負うというのだ!王家に逆らうことを意味するのだぞ!」
「殿下はご存じないのですか?裁判は身分に限らず平等に裁かれるのですよ。この国の法律で決まっています。王家だから、貴族だからと優遇するような裁判官がいれば即刻クビ、投獄ですよ」
「ええい!うるさい!訴えたければ訴えれば良いだろう!僕の勝ちが決まっている裁判なんぞ面白味もないが、カロンを含め苦しんだ女性たちが救われるなら受けて立とう!
必ずおまえに罰がくだり賠償金の額も増やしてやるからな!いや、もう遅い!金額の増やすだけではない!おまえの家の鉱山の権利を僕に渡してもらおう!」
「いいえ、渡しません。そして賠償金も払いません。殿下は何故勝てると思ってらっしゃるのですか?私には毎日、」
二人の言い争いになっているところに
「はい、そこまで。ちょっと良い?」
と割って入る声が。しかもソフィーリアが聞きなれた声だ。
声のした方を見てみると、第三王子アレンディードがソフィーリアの側まで来ていた。
アレンディードはソフィーリアの一歳下の一年生で、側妃ジゼットを母に持つ。母と同じローズピンクの髪で国王陛下と同じ金の目をしている。王宮で何度もお会いしたことがあるのでよく知っている。
婚約者はまだ決まっておらず、伸び伸びとジゼットが育てた甲斐が合って、明るく気さくな性格の為か、ソフィーリアと王宮で会うと気軽に声をかけてくれる。
武術に秀でていて卒業後は騎士団に入るだろうと言われているが、本人の口から聞いたことはない。全学年出席の授業としての舞踏会なのだからアレンディードがいてもおかしくはない。アレンディードが兄の暴走を止めようと出来てくれたのだろうか。
「兄上!ソフィーリア嬢と別れてそちらのカロン嬢と婚約するというのは父上の了承を得ていますか?」
もっともな意見だ。
「ち、父上にはまだだが、必ず聞き入れてもらえる!ソフィーリアの腐った性根を知れば反対する必要はないであろう?その代わりカロンというこんなに可憐な義理の娘ができるのだから文句も言うまい」
もう結婚する気満々である。母親であるカリーヌが子爵家の令嬢を受け入れるか、そちらの方が怪しいだろうに。
「では、後からやっぱりソフィーリア嬢と婚約し直すとか、考え直したりはしないですよね?」
「当たり前だろう!そんな女どんな大きな宝石を持ってこようが断じて婚約破棄の撤回などありえない!」
満面の笑みを浮かべたアレンディードが再度クラディオンに問いかける。
「では、この場で兄上とカロン嬢が新たに婚約し、ソフィーリア嬢との婚約はなかったことにということですね?」
「なかったことに、ではない!婚約破棄だ!」
「さすが兄上!賢明なご判断をされましたね。兄上にソフィーリア嬢は相応しくない」
「アレンディード、そなたもそう思うか!」
まさか、アレンディードにまで嫌われていたとは・・・。いつも話しかけてくれて嬉しかったのに。あれは異母兄の婚約者への社交辞令だったのだろうか?クラディオンには何を言われても悲しくなかったが、アレンディードの言葉に傷ついている自分がいることにソフィーリアは俯き驚いていた。
「兄上とカロン嬢には新たな光が射すでしょう!」
アレンディードが周りを促すように拍手をする。パラパラとだが会場では拍手が広がった。
「弟よ!そなたも良き伴侶を見つけるのだぞ!」
「はい!では、兄上、感謝申し上げる!」
そう言ってくるりと振り返りソフィーリアの前で片膝をつくアレンディード。え?と驚くソフィーリアにアレンディードはサッと右手を差し出した。
「ソフィーリア嬢、急なことで何も用意することができず申し訳ありません。しかし今を逃したくないのです。あなた以上の女性にこの先出会うことはないと自信をもって言えます。僕の婚約者になってほしい」
「「「えーーーーーーーーーーーーーー!」」」
あちらこちらで声が上がる。ソフィーリアも何を言われているのか一瞬理解ができなかった。
「アレンディード殿下、な、何を・・・。本気でおっしゃっているのですか?」
戸惑うソフィーリアを真摯に見つめながらアレンディードが言葉を紡ぎ出す。
「もちろん本気だ。ソフィーリア嬢は素晴らしい女性だ。兄上の婚約者だとこれまで諦めていたが、もうソフィーリア嬢は兄上の婚約者ではないのだから僕がその座に立候補する千載一遇のチャンスだと思ったんだ。
早いもの勝ちではないが、誰よりも先にアピールさせて欲しい。真剣に僕との婚約を考えてくれないか?父上の了承も必ず得るし、母上も必ず喜んでくれる。後は、ソフィーリア嬢とそのご家族に了承を得るだけだ」
とても嘘を言っているような目ではない。しかし、
「アレンディード殿下。私は今悪女として婚約破棄を言い渡された女です。これから裁判も控えています。アレンディード殿下にふさわしい立場ではないと思うのですが」
「そ、そうだぞ、アレンディード!!そんな性悪を婚約者になど、誰が認めるのだ!狂ったのか!」
「兄上は静かにしてください。これは僕とソフィーリア嬢との問題です。それに、ソフィーリア嬢の素晴らしさは僕が知っている。兄上が知らなくともね。それだけで良いのです。
私の妃になるのはソフィーリア嬢以外考えられないんだ。兄上より早く生まれていればと何度も思ったよ。でも僕に奇跡的にチャンスが訪れたんだ。今を逃せない!」
アレンディードがまさかソフィーリアにプロポーズするなど誰が思っていただろうか。壇上のクラディオンだけではなく、カロンや後ろの子息たちや訴え出た令嬢たちが呆然と見下ろしてくる。そして何故かオレリーが悔しそうな顔をしている。
「わ、私・・・・」
この国では、アレンディードが差し出した右手にソフィーリアが左手を乗せればこの婚約を受け入れる意思を表明することになる。
私が、アレンディード殿下の婚約者?そんな都合の良いことあるだろうか?たった今、悪女としてクラディオンに婚約破棄を言い渡され、直ぐに第三王子であるアレンディードからの婚約の申し込み。
眩暈がしそうだ。けれどソフィーリアはそのことに少なくとも嫌な感情はどこにも見つけられなかった。
アレンディードとは婚約者であったクラディオンよりも会話をしたり公務をしたことがあるのではないか?と思うほどで、明るい性格のアレンディードには好感を持っていたからだ。もちろん、そこに恋愛感情があったわけでは決してない。弟、友人または同士とも言えるそんな関係だと思っていた。
それがまさかの婚約の申し込み。このまま受け入れて良いのだろうか?今ある感情が何から来るものなのかわからない。わかるのは嫌ではない、ということだけ。
ただ、何故嫌ではないのか。アレンディードへの敬意はある。王族だからだけではなく、一緒に公務をしたことが何度かあり、人として尊敬できることが多々あったのだ。ただ喜びがあるかと言えばそれもどうだろうか。心の底から嬉しいという感情も湧いてこない。
こんな大勢の学友や教員の前で、第二王子に婚約破棄を言い渡された自分が、さっさと第三王子に乗り換える、なんて卒倒しそうな出来事だ。これでは男を惑わす悪女の方になってしまう。
理性では受けてはいけないと思っている。心のどこかに、アレンディードは窮地に立たされているソフィーリアに同情してこのようなことを言っているのかもしれない、と思う自分がいるし、今この状況で自分が答えを出しても良いものだろうか?とも思う。
それに、今ソフィーリアが一番に考えることは、結婚ではない。裁判で勝つことだ。裁判に勝って、婚約破棄ではなく白紙または解消をつかみ取り、嘘の証言によって悪女と汚名を着せられたことに対して、クラディオンに責任を負わせたいのだ。それが終わればゆっくり次の婚約者を決めることができると考えていた。
なのに、今、一体何が起こってこうなった?私はこの手を取るべきなのか、否か。自分の心に問いかける。しかし、答えは直ぐに出てこない。嬉しいような、それでいて泣きたくなるような。
気丈に振る舞っていても正直辛かったのだと今気づいた。クラディオンに婚約破棄を言い渡されたことは別に良い。ソフィーリアが願っていたことだから。
けれど、謂れのない非難と向けられる疑惑の目に本当は怖かったのだ。嘘の証言によって嘘が事実として固められていくようで。
動けなくなっていたソフィーリアの左手を握っていたレティシアがギュッと手を握ってきた。ふとレティシアを見ると笑いかけてくる。
そして、そっと握っていたソフィーリアの左手をアレンディードの右手に乗せたのだ。
えっ!と思って反射的に引こうとした左手をアレンディードにそっと握られた。戸惑うソフィーリアをアレンディードが見つめてくる。
「ソフィーリア嬢。今直ぐに答えを出さなくてもいいんだ。僕が一人目の立候補者で本気でソフィーリア嬢のことを思っているということを信じて欲しい。必ず幸せにすると誓う。だから、ぼくとのことを真剣に考えて欲しい」
その目には嘘や同情が感じられなかった。それでも、
「アレンディード殿下。少し考えさせてください。家族にも相談しなければなりません。それにもう第二王子殿下の婚約者ではなくなったので公務などはなくなりますが、それでもこれから裁判に備え忙しくなります」
「もちろんそれで構わないよ。返事を急かしたりしない。僕は僕のチャンスを逃したくないだけなんだ。今こうやって誰よりも早くソフィーリア嬢の婚約者に第三王子である僕が立候補しておけば、新たに立候補しようなどと思う不届き者をけん制できるからな」
そう言ったアレンディードの笑みは春風のように爽やかだった。
けん制・・・。たった今悪女にされたソフィーリアに直ぐに婚約を申し込んでくるものなどいないであろうに。第二王子を敵に回すようなものだから。でもいち段落すればわんさか来るだろうが。
「良いじゃない。とりあえずお聞きしておけば」
とルシール。
「そうですわ。アレンディード殿下はソフィーリア様に相応しいお方だと私は思いますわ」
とレティシア。なんと大胆にもソフィーリアに相応しいなどと言ってのける。
「そうだよ。ソフィーリア嬢。とりあえず、考えてみて。答えは裁判が終わってからで構わないから」
そう言ってからそっとソフィーリアの手を握ったままアレンディードが立ち上がる。
「兄上!裁判では学園内で起こったこととして、双方本職の弁護士を立てずに行いましょう!そうすれば兄上が言ったように、侯爵家の優秀な弁護士が法廷に出てくることもないでしょうし。弁護人はお互いの友人、ということにしましょう。兄上には優秀な友人がたくさんおられるようですし」
「アレンディード本気か!まあ僕が勝つ裁判だから僕の優秀な友人たちが見事弁護人を務めるであろう!好きにするがよい!泣きを見るのはソフィーリアだ!」
「ではそういうことで。先生方もよろしいですね?」
アレンディードが周囲の大人たちに確認をするとうなずいた学園長が閉会を宣言した。
「ご令嬢方、ソフィーリア嬢をお願いします」
アレンディードがソフィーリアの手をレティシアに戻すと舞踏会場中心から三人をエスコートするように促し歩き始めた。ソフィーリアたち三人はそれに従って付いて行くしかない。
周囲の騒めきもなんのその。アレンディードは何食わぬ顔で開け放たれた扉から出て行く。ソフィーリアもこの先の不安と急な婚約の申し込みに戸惑いを感じるも、毅然とした態度を示すことでこの先の未来も見えてくる。疚しいことは一つもない。明るい未来を信じるしかないのだ。
「ソフィーリア、私にまかせといて!」
「そうよ、ソフィーリア。もうソフィーリアだけの問題じゃないの。私たち三人の問題だわ」
力強い言葉にソフィーリアは二人の手を再度ぎゅっと握り返し深くうなずいた。
アレンディードはレティシアとルシールをそれぞれの迎えの馬車に乗せた後、沈黙していたソフィーリアに話しかけてきた。
「驚かせてごめん。でも、僕は本気で婚約を申し込んだんだ。これから困ったことがあったら兄上ではなく僕を頼ってほしい」
「今直ぐにお答えできませんが、私の気持ちに整理がつきましたら、必ずお返事いたします。それまでお待ちいただけますか?」
「もちろんだ。でも、僕は黙って待つだけなんてしないよ。今は急なことで難しいかもしれないけど、僕に振り向いてもらえるように最大限努力する。まずは兄上より先に帰って父上にご報告するよ。婚約したい令嬢がいるって。だからソフィーリア嬢は安心して僕に惚れられて」
「―――――っ!」
生まれて初めて言われた甘い言葉にとっさに反応できないでいるソフィーリアの手を取ると、アレンディードはメルディレン侯爵家の馬車へとエスコートしてくれた。
「またね」
そう言って手を振るアレンディードは、ソフィーリアの目に今までで一番輝いて映ったのだった。




