第五話
「ぎゅふふ」
「は?」
「ぎゅふふふふふふふ……」
「な、何……で……?」
無数の剣に心臓を突かれたマウシィ。さっきまでは、貧相な胸元から滝のように血が流れ出していたが、今ではそれも出尽くしてしまったようだ。黒ずんでいた肌は血の気を失い、いまや美白肌のアンジュよりも真っ白になっている。
誰がどう見ても。何がどう転んでも。天地がひっくり返っても。マウシィは死んだ、はずだったのだ。
それなのに。
「な、何で……何で動けるんだよ、お前ぇぇーっ⁉」
「足りない……。これじゃ、全然足りないのデスぅぅぅ……」
心臓に突き刺さる武器もそのままに。ふらふらとミナトの方へと歩みを進めていくマウシィ。それはもはや、ゾンビでさえもあり得ないような……まるで、彼女自身が呪いそのものになってしまったかのような、異様な状況だった。
「く、来るな……こ、こっち来るんじゃねえよーっ!」
もう抵抗する気力さえなくして、尻もちをついたまま、ただただ悲鳴を上げているミナト。
そんな惨めな彼の姿とは対象的に、マウシィは、喜びに満ちた表情で語り始めた。
「わ、私……昔から、こういう性格で……そのせいで周囲の人から……それどころか、両親やお姉ちゃんからも、気持ち悪がられて、避けられたり、無視されたりしてきました……。でもある日、私たちが住んでいた村を魔物の大群が襲って……。私はそのとき、たまたま押し付けられた雑用をこなすために外に出ていて、助かったんデスけど……。わ、私が村に帰ったときには、もう、みんな手遅れな状態で……」
内容は暗く重い。しかし、彼女は相変わらず不気味な笑顔だ。
「かろうじて、かすかに意識が残っていたお父さんとお母さんが、駆け寄った私を見て……なんて言ったと思いますぅ……? 死にゆく二人は私に、どんな最期の言葉を送ってくれたと思いますぅ……? 二人は、こう言ってくれたんデスよぉぉ…………『どうしてお前が生きていて、私たちが死ななくちゃいけないんだ』、『お前が死ねばよかったのに』……って」
「そ、そんな……」
絶句するアンジュ。
優しい親の寵愛を受けて育った彼女からしてみれば、マウシィの話は想像も出来ない悲劇だったからだ。しかしマウシィは、自分の身に起きた悲劇を語って同情を誘っているわけではないようだ。
「そ、それを聞いたとき……わ、私、私……」
笑顔を、徐々に歪めていく。それも、悲しみや怒りではなく、
「こ、こ、こ、興奮しちゃいましたぁぁぁぁーっ!」
快感が頂点に達したときの悦楽顔に、だ。
「今までずっと無視して、私を避けてきたお父さんお母さんが……私の死を願ってくれたっ! 私に対して、今まで見たこともないような強く激しい想いを……憎しみや恨みの感情を、向けてくれた! それが、最高に気持ちよくて、嬉しくて……こ、こ、こ、興奮が、止まらなくてぇぇぇっ!」
マウシィの体から、ほとんどなくなっていたはずの血が、雑巾を絞るようににじみ出てくる。その凝縮された血の猛毒で、心臓に突き刺さっていた無数の刃も溶けて蒸発してしまった。
「た、例えば優しさとか好意って……なんとも思ってない相手にも、出来ますよねぇぇ? 笑顔で『あなたが好き』なんて言いながら、心の中ではその人のことをバカにしてる……そういうのって、普通にありえますよねぇぇ? ……でも! 呪いは、違うんデスぅぅぅ! 相手を呪うには、その相手に対して『本当の感情』がなくちゃだめなんデスぅぅ! 『振り』や『見せかけ』で、相手を呪うことなんて出来ない。ただの人形を、鋼鉄の盾に変えてしまうほど……。どんな薬も効かないくらいの、猛毒を生み出せるほど……。そして……心臓が止まっても死ねなくなるほど……強い呪いをかけるにはぁ……」
「え……」
「そんな呪いを相手にかけるには、相手のことを本気で想わなくちゃだめなんデスぅ! 強い呪いは、愛と同じ……いいえ! 愛なんて曖昧なものよりもずっと確かで、信頼できるものなんデスぅぅ! だ、だから、それをあのお父さんとお母さんが私に向けてくれたことが、本当に嬉しくて……二人が私のことを呪ってくれたことが、最高に興奮して…………げへっ、ぐへへっ……で、でへへへへぇぇぇぇーっ!」
ゆら……ゆら……ゆらり……。
体を揺らしながら、マウシィはさらにミナトのもとへと近づいていく。
「お父さんたちが、死の間際に私にかけてくれた呪い……それは……『人生の絶頂のときに、最も惨めで最悪なかたちで死ね』……。その呪いは、私が一番最初にかけてもらった呪いで……同時に、私が今かかっているどんな呪いよりも強力なものデスぅ……。そのせいで私、死にたくても死ねないんデスぅ……。猛毒が全身に回っても、人形に首を絞められても、心臓を串刺しにされても……。それが『人生の絶頂』のときで、『惨めで最悪』じゃないと、私は死ぬことが出来ないんデスぅぅぅ…………」
そしてようやく彼女は、ミナトの目の前にまで到達した。
「や、やめ……やめろ……。お、俺に……触るな……」
「うひゅっ……うひゅひゅっ……。わ、私が、怖いデスかぁ……? 憎いデスかぁ……? こ、こ、こ、殺したいデスかあぁ……? 血異人のあなたが、私が経験したことのないくらいに強く深く、私のことを呪ってくれたならぁ……嬉しすぎて私……『人生の絶頂』に、なっちゃうかもしれませんよぉ……? し、し、死んじゃうかも、しれませんよぉ……? だ、だから、だから……私を殺したいなら、私のことをもっと……もっと……もっと……もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっとぉぉぉぉ…………想ってくださぁぁい!」
右手を伸ばし、そっとミナトの頬にあてる。手のひらにベットリとついていたドス黒い彼女の血が、煙とともにミナトの肌を焼く。
ジュウウゥゥゥ……。
「う、あ、ああぁ……」
それが、最後のひと押しとなったようだ。
恐怖に耐えきれなくなった血異人のミナトは、気絶してしまった。口元から泡をふき、失禁して周囲の地面にシミをつくっていた。