第五話 〜マウシィside〜
「ア、アンジュさん⁉ どうしたんデスか⁉ し、しっかりして下さい、アンジュさんってばっ!」
マウシィの声が響いている。
「……」
だが、その声はアンジュには届かない。
どれだけ話しかけても彼女は返事をしない。宝石のように美しかった碧眼は、今は濁ったビー玉のよう。まるで出来損ないの人形にでもなってしまったかのように、感情が分からない表情だ。
周囲には、アンジュと同じように虚ろな目をした人が何人もいる。みんな、「神隠し」にあったと言われている人たちだ。
そこは、彼女たちが滞在していたホテルからそれほど遠くないところにある、大きな大学の一角。今は使われていない校舎の、教室の一つだった。
朝になり、部屋にアンジュがいないことに気づいたマウシィ。だが、昨日のことがあるのでそれも無理はないと思い、一人で当初の予定の「神隠し」調査を始めた。
その途中、偶然この大学の近くを通りかかったときに、アンジュがその中に入っていく姿を見かけたのだが……そのときの彼女の様子が不自然で異様だったために、心配になって追いかけてきたところだった。
「……。……」
「ア、アンジュさん?」
アンジュは、まるで誰かに促されるようにその教室にあった席に座り、机の上に両手をおいて、指を動かしたり何もない空間を注視したりしている。それはまるで、「コンピュータールームでキーボードを叩いたり、ディスプレイを見たりしている」ような動作だったが……それらが存在しないこの世界のマウシィには分かるはずもない。
そんな中……。
唯一この状況を理解しているらしい人物が、マウシィに話しかけてきた。
「あ、ごっめーん! その子……アンジュちゃんだっけー? その子の意識は今、あーしちゃんのスキルで『楽しいことだけの世界』にいるんだー! だから、どれだけ声をかけても届かないし、あーしちゃんが解除するまで、その状態から戻って来ることは出来ないんだわー」
「あ、あなたが……!」
マウシィは、その声の主に顔を向ける。これまでの彼女にしては少し珍しいような、厳しい表情だった。
「やーん、怖い顔しないでー?」
一方、ひょうひょうとした様子の相手。
肩まである少しウエーブのかかった茶髪。格好は、この世界の一般的な学生が着ている布の服を、継ぎ接ぎしたり組み合わせたりして再現された「普通の女子高生」のブレザー制服――もちろんそれは「その少女の世界の普通」であって、この世界のマウシィにとっては、見たことのない不思議な服装だ。
そんな彼女が「みんな、こっちおいでー」と言うと、光に惹きつけられる虫のように、アンジュたちがフラフラとその少女に向かっていった。さっきまでマウシィがどれだけ話しかけても何の反応もなかったのに、彼女の声には従ったのだ。
それだけでも、その少女の正体は明らかだった。
「あーしちゃんはラブリ……島津愛里。ラブリン、って呼んでもいいよー?」
「ち、血異人さん……デスよね?」
「……え? あっ、そうそうそう! 確か、チートってゆーんだよね⁉ あーしらのこと! あんまその呼び方可愛くないから、使ってなかったんだけどー……そーでーす! あーしは、チートのラブリンでーっす! うっぇーい!」
「ア、アンジュさんに、何をしたんデスかっ!」
マウシィの厳しい声。昨日、あれだけ気まずいやり取りがあったとはいえ……。ここまで一緒に旅をしてきたアンジュが『あやつり人形』のようになっている今の状況では、それも無理はない。
「ちょ……え、なになに? なんか……ノリ悪くない?」
その態度は、どこまでも緊張感のない血異人ラブリとは対照的だった。
「あ、分かったー! たぶん何か勘違いしちゃってるんだ、あーしちゃんのこと⁉ あのね、あーしちゃん、別にあなたの敵じゃないからねー? アンジュちゃんだって、傷つけるつもりはないし! むしろ、逆、逆! だから、さっき言ったっしょー? あーしちゃんは今、アンジュちゃんたちに『楽しいことだけの世界』を見せてるんだって。だってあーしちゃんのスキルは、他のチートたちみたいなヤバいのじゃなくってさ……『この世界のみんなと友だちになれる』ってヤツなんだから!」
「と、『友だち』⁉ こ、この状況の、どこが『友だち』なんデスかっ⁉」
またラブリをにらみつけるマウシィ。両手で血がにじむほど強く首筋をかいているのは、苛立たしさの現れだろうか。
「アンジュさんは、意識をなくしてこんなところに監禁されてて……みんなが『神隠し』って言って困ってたのも、全部あなたのせいってことじゃないデスかっ⁉」
「えー、監禁? 違う違うー。だってー……」
ラブリはそこで、ニンマリ笑顔を作り、
「あーしちゃんのスキルは、『テイム』なんだもーん!」
と言って、隣りに呼び寄せていたアンジュに抱きついた。
「ほらー、『ナントカモンスター』とか、そーゆー有名なゲームあるじゃん? あれとおんなじ! 誰かをテイムすると、その人があーしちゃんの『友だち』になってくれて、言うことをなんでも聞いてくれるようになんの。しかもしかもー、さらにあーしちゃんのスキルのいいところはね……そうやってテイムして『友だち』になってる間、その人は『楽しいことだけの世界』の幻覚を見ることが出来るんよ。あーしちゃんは、『友だち』が出来てハッピー! テイムされた人も、現実を忘れて幸せな世界にひたっていられて、やっぱりハッピー! まさに、お互いウィン・ウィンで平和なスキル……それがあーし、異世界転生ギャルJKテイマーのラブリちゃんの、テイムスキルなのでーす!」
「…………はい?」
そこで、それまで厳しい目つきだったマウシィの表情が、少し崩れた。
「え? いや……だから、テイムテイム。こっちの世界だと、テイマーってゆーんでしょ? こうゆーの」
「テイム……調教師、って……」
マウシィは、ラブリに言われた言葉の意味が分からなかったわけでない。この世界にも調教や調教師という言葉はある。ラブリが今、それのことを言っているのだということも分かる。だが……。
「私の知ってる調教師とは……ちょっと、イメージ違うようなぁ……」
「え? そうなの?」
「だ、だって……調教師って言えば……動物とか魔物と心を通わせて、意思疎通できるようになる職種でぇ……」
「でしょ? だから今、あーしちゃんのスキルでアンジュちゃんたちと『友だち』になってんじゃん? これが、その『心を通わせる』的なやつっしょ?」
ラブリはそれを証明するためか、隣のアンジュと握手、ハイタッチ、ピシガシグッグッ――よく、陽キャの運動部員などが意気投合したときに、腕や手をリズムよくぶつけ合ったりする行為――をした。
しかし、やはりそれをしているアンジュは無表情だ。
「い、いや……テイマーなら人間を対象にしてるのがまずおかしいデスけどぉ……。そもそも、今のアンジュさんは『心を通わせる』どころか……心がなくなっちゃってるみたいでぇ……。むしろこれって、テイムじゃなくて違うやつのようなぁ……」
「えー、おっかしーなー? この世界に来たとき、こうゆーのに詳しそうなオタクくんに聞いたら、『そ、それ、テ、テテテ、テイマーですよっ……ぶひっ』って言ってたんだけどなー?」
「そ、それは多分……その人が気を遣っただけじゃないかとぉ……」
そこでラブリは頭をかしげながら、懐から、小さな長方形の金属板のようなものを取り出す。
「ちなみに、あーしちゃんがスキルで誰かをテイムするにはね? この、『スマホ』を使うんだけどさー」
「すまほ……?」
「そ。スマホにいつの間にか勝手に入ってたアプリを起動して、この『ぐるぐる回る画面』を見せると、相手をテイム出来るんだけどー……」
「いやいやいや! それ、絶対テイムじゃないデスよっ⁉ ただの催眠術デスよっ⁉」
「え? そうなの?」
「あぁー……もう……」
緊張感ある態度を崩して、うっかりツッコミしてしまったマウシィ。
そのくらい、相手のラブリは適当で天然な、どこか抜けた血異人のようだった。