◆160話◆看板馬車の模倣犯
時は少し遡る。
8の月も2/3程が過ぎた頃、王都にある豪華な館の一角、女神を模った壮美な冷風機が鎮座する応接室に、2人の貴族の姿があった。
「マグヌス様、こちらが“絵馬車”の開始5日間の売り上げとなります」
「ふん、睨んだ通り完売したか」
差し出された紙に目を通すと、マグヌスと呼ばれた男は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
マグヌス・アルグレーン。王国でも有数の名家、アルグレーン公爵家の当主その人で、この館の主だ。
王国東方に大きな影響力を持つ東方派閥の長も務める、押しも押されぬ大貴族である。
「流石はマグヌス様。機を見るに敏でございます」
「ふっ、チェリオよ。世辞も度が過ぎると嫌味になるぞ?
元々人気な“看板馬車”と同じものを、少し価格を下げて売っているのだ。
こんなもの誰がやったとて結果は同じだろうよ」
「そうではございません。誰がやったのかが重要なのでございます。
私のような者だけで同じことをやっても、信用が無いため売れぬでしょう」
「どうだかな・・・」
苦笑交じりにマグヌスから窘められるが、チェリオと呼ばれた男は悪びれもせず言葉を返した。
チェリオ・レンホルム。マグヌス率いる東方派閥の重鎮で、レンホルム伯爵家の当主だ。
王都の東側に広がる穀倉地帯の半分ほどを治める領主貴族で、王都の食糧事情の中核をなす有力な貴族家の1つと言える。
また、その特性を活かして、食料品を扱う大きな商会を王都に構えている。
今日は、その商会で6日前から始めた“絵馬車”事業の初動報告を行うため、マグヌスの屋敷を訪れていた。
事の発端は、太一達が看板馬車事業を本格的に開始した8の月の上旬だ。
看板馬車の盛況ぶりは、王都に商会を構えるチェリオの耳にも当然入ってくる。
自分にも出来ないか、ノウハウ偵察のため自身の商会とは関係ない商会を買収して看板を出してみた。
ガチガチに秘匿事項があるかと思いきや、価格帯を始め馬車の運行場所等かなりの情報がオープンとなっており逆に拍子抜けしてしまった。
また、辻馬車や乗合馬車は、運輸ギルド経由での専売契約が結ばれており手が出せなかったが、それ以外はトミー商会を含めたいくつかの商会以外は手付かずだった。
それを知ったチェリオは、自身にも商機ありと踏んで、寄り親であるマグヌスの名を借りて“絵馬車”という名前の看板馬車に酷似した商売を始めたのだ。
大きな違いは、自社で馬車を購入して運用している点で、利益率が高いところだろう。
それを活かして太一達より2割程度安い料金設定をし、価格メリットを前面に押し出すことで、好調な滑り出しとなっていた。
「現在、10台の馬車で運用していますが、これを3倍に増やそうと思っています」
「3倍か・・・大丈夫なのか?」
「はい。既に枠が無くて、多数の依頼をお断りしている状況なので、問題ございません。
それに看板馬車より価格を抑えていますので、今後も客は増えていくと予測されます」
「そうか・・・。まぁ私は名前を貸しているだけだからな。好きにするのが良かろう」
「はっ、ありがとうございます」
「しかしあの商会、ケットシーの鞄、だったか?
自前では一台も馬車を持っていないらしいな。明らかに利益が減ると思うのだが、何故だ?」
「私もそこには疑問を持っていましたが、おそらくは初期投資と運用する資金が無かったのかと・・・
貴族に叙爵されたとは言えごく最近のこと故、商会としても立ち上げたばかり。
ダレッキオ卿がバックについているとは言え、商売の大きな実績も信用もありませんからな。
借り入れることも出来ず、苦肉の策として今のような形になったのかと」
「ふぅむ。みすみす大きな利益を逃しているのだから、そのあたりか・・・。
まぁ、何にせよ其方にとっては追い風か。引き続き励んでくれ」
「畏まりました。次回は9の月の初めに、また収支のご報告に参ります」
こうしてチェリオは、本格的に“絵馬車”事業に乗り出すのだった。
時は戻り9の月の1日。
こうした一連のチェリオの動きは、当然太一の耳にも入っていた。
しかし、馬車の台数と目撃場所、主な広告主がどこなのかの調査はしたものの、何の対抗措置も取っていなかったのだ。
太一は大丈夫と言っているが、その自信がどこから来るか全く理解できないフィオレンティーナは気が気ではない。
「タイチ様、すでに手は打ってあるとのことですが、どういうことなのでしょうか?
ここ最近、レンホルム卿の“絵馬車”でしたか?の知名度が上がって来たのか、我々の看板に対して値引き交渉をされる方が増えて来ています。
と言うか、すでに何軒かは向こうへ鞍替えをした広告主の方も出てまいりました。
そのまま放置しておいてよいのでしょうか??」
「うん、それも想定内だ。だから値下げする必要も無い。
そうだなぁ、早ければ10日くらい、遅くとも20日もしたら向こうは苦しくなってくると思うよ」
「・・・そうですか。我々よりも高い利益を上げられる“絵馬車”の方が、なぜ苦しくなるのでしょうか?」
太一の説明に尚も疑問が消えないフィオレンティーナが尋ねる。
「んーー、答えを全部教えると勉強にならないから、ヒントだけ。
看板馬車の一番重要な部分は何なのか?を考えてみるといいよ」
「一番重要な部分ですか・・・分かりました、少し考えてみます」
同じ日のアルグレーン邸には、再びチェリオの姿があった。
馬車増加後の収支報告に来ているのだ。
「ふむ。至って順調、というところか」
大枠の説明を受け、資料に目を通しながらマグヌスが呟く。
「お陰様で。増加した馬車の分も順調に完売しております。
そして何より朗報なのは、“看板馬車”の顧客がこちらへ流れ始めている点です」
「ほぅ・・・」
嬉しそうに報告するチェリオの言葉に、マグヌスがすぅっと目を細める。
「当然向こうも把握しているだろうが・・・。
何の対抗策も無し、か」
「はい。対抗して値下げをしてくるものと思っておりましたが、そのような素振りもありません」
「自前で馬車を構えていない以上、金額を下げるということは利益を減らすだけだからな。
馬車主の取り分を減らす訳にも行かぬだろうから、当然と言えば当然だが・・・」
「仰る通りでございます。
件の商会長、イトー宮廷爵でしたか?良き案を出しこそすれ、商売に関しては素人としか言いようがありません」
「確かに、そう言わざるを得んな。
ロマーノの肝入り。話題の一人娘の婿候補筆頭と言う噂もあったからどんなモノかと思っていたが・・・。
この程度であれば、神経質になる必要も無いか・・・」
「この勢いのままさらに馬車を増やして、完全に向こうの顧客を取り込もうと思っております。
つきましては・・・」
チェリオは一旦そこで言葉を区切りマグヌスを見やる。
「ふむ・・・何台だ?」
左手で頬杖を突いたマグヌスが聞き返す。
「向こうの総数が60台ですので、半分の30台ほど追加させていただきたく・・・」
「30か・・・まぁ良かろう」
マグヌスは頬杖を突いたまま右手で書類にサインをすると、それをチェリオに渡した。
新たに30台の馬車を、投資という形でマグヌスが提供するという趣旨の覚書だ。
「ありがとうございます」
それを受け取ったチェリオが深々とお辞儀をする。
「また来月頭には、良いご報告が出来ると思います」
「ああ、楽しみにしている」
「それでは、失礼いたします」
(チェリオは商売の素人だと言っていたが、果たして本当にそうなのか?
これまでの商いは規模が小さかったから、と言ってしまえばそれまでだが、仮にもこれまで手掛けた商い全てで結果を出している人物だ。
素人ということなどあるまいよ・・・
まぁ良い。私の出資は馬車30台分だけだ。最悪チェリオが失敗しても少々高い勉強料程度だ。
それでチェリオに大きな貸しを作れるのならば、悪い話ではない。
イトー宮廷爵の実力が本物かどうか、確かめさせてもらうとしよう)
もう一度深々と礼をして部屋を出ていくチェリオの後姿を眺めながら、マグヌスはそんなことを考えていた。




