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死んでから四ヶ月後。僕は元気に生きていた。
矛盾しているが、これが事実なのだから仕方ない。生きるって素晴らしい。
病院の敷地内に用意されたトラックを五周走り、額に滲んだ汗を拭う。今日の分はこれで終わりだ。三ヶ月歩くこともできない状態が続けば、昔はあれほど嫌いだったマラソンも少しは好きになれた。
自分の足で歩いて、走って、どこにでも行ける。たったこれだけのことも出来ない不自由から解放された僕は、さながら水を得た魚のようだった。元々インドア派だったので活動量はそこまで多くはないが、そんな比喩表現を使いたくなるほどの自由を味わっていたのだった。
「さみゅえるさーん! はしりおわったら、どくたーがこいっていってた! いそがなくていいって!」
「オッケー! すぐ行くよ」
トラックを見下ろせる二階の窓からアランが顔を出した。手を振って出入口に向かう。
自由に歩けるようになってから、この「ロイク生命院」の構造も分かってきた。
今僕がいるトラックを囲むようなコの字型になっており、くぼんでいるところに正面玄関とトラックへの出入り口を兼ねた下駄箱が並んでいる。正面から見て右がリハビリ棟、左が治療棟になっている。僕が出入りを許されているのはリハビリ棟で、治療棟に立ち入ればただではおかないとドクターに厳命されている。
リハビリ棟一階の更衣室に戻り、そこに備え付けられている個室のシャワーで軽く身を清める。タオルで体を拭いているときに、鏡で自分の姿を見た。
元の世界の自分の顔、体格と何も変わらない。髪は少し伸びて、最近は後ろでちょんと結っている。しかし、何も変わらないかと言われればそんなことはなかった。
「やっぱ白いな……」
水気を取りながら、すっかり脱色してしまった髪の先をいじる。何の色味も無くなってしまった髪はもう見慣れてしまったが、やはりまだ違和感は少し残る。
さらに言うなら、僕は元々色白気味ではあったが、明らかに肌が白くなった。天使と同じ真っ白生命体になっていたのである。
真っ白脱色現象についてドクターに説明を求めると、
「そういうものだとしか言えない。ちなみに日に当たっても焼けることはないぞ。髪を染めたり、入れ墨を入れることはできるから好きにするといい」
とのことだ。
いっそ黒髪にしてやろうかとも思ったが、生え際が真っ白になり、しらが染めをしているように見えるのでやめておいた。確かに白髪ではあるのだろうが、なんとなく嫌だった。
「まあ、別に白くなった以外何も変わってないし何でもいいんだけどね。身長はもっと伸びても良かったけど……」
成長期真っ只中に死んでしまった自分を恨む。170センチ台になることを夢を見ながら、着替えを済ませてドクターの部屋がある二階に向かった。
他の部屋とは違い、装飾が凝られた扉の前で止まる。ドアノッカーを三回叩いて、ドクターからの返事を待ってから入室した。
「失礼します、お待たせしました」
「いいや、もう少し待つつもりでいた。急がせてしまったか?」
「そんなことないですよ、たまたま走り終わったタイミングだったので」
「そうか、なら良かった」
相も変わらずニコリとも笑わないドクターだったが、数ヶ月の付き合いでなんとなく感情の機微に気付けるようになった。終始不機嫌そうに見えるドクターも、気付けばしっかり喜んだり、悲しんだりしていることが分かる。
今のドクターは、僕を急かした申し訳なさが少し和らいで少し安堵している……気がする。
ドクターの趣味なのか、部屋の中はアンティーク調で揃えられていた。世界が違うのだから、奇天烈なデザインのものばかりなのだろうと思っていたが、案外そんなこともないらしい。病院内も僕が思うような雰囲気だし。
ドクターはその身長に合わない、立派な椅子に座って出迎えてくれた。机に向かうには座高が足りず、分厚く大きな本を何冊かお尻の下に敷いている。ドクターの部屋なのだから、チャイルドシートくらい用意すれば良いと思ったが、ついぞ言いそびれている。
「……それはそうと、早速本題に入ろう。君の退院の日程が決まった」
「本当ですか?! 良かった~!」
「ちょうど一週間後だ。何も無ければ、その日に君を育成所に送迎しよう」
「ドクターともそこでお別れですか……?」
退院すれば、患者と医者という関係は終わってしまうことに気が付いて気落ちしてしまった。
この世界に来てからドクターとアランにしか会ったことがない。かなり広めのこの病院には、なんと従業員がドクターとアランしかいないようなのだ。他の患者にも会ったことがない。
自分が生まれ育った文化圏とは違う場所に、知り合いのいない状態でひとりで行くのは寂しかった。
「そんな顔をするな。今生の別れと決まったわけではない。それに、たかが天使にそこまで思い入れる神など稀だ」
「……?」
「言っただろう、天使は神の小間使いなのだと。神にとって、天使は使い捨ての消耗品でしかないのだよ」
はっとして、ドクターの顔を見た。
ドクターも本人が言うような「使い捨ての消耗品」の天使なのに、ゴッソリと表情が抜け落ちていて、自虐するわけでもなくただそういう事実なのだということを思い知らされた。
ドクターだって、今をしっかり生きているというのに。アランだって、あんなにたくさん笑って幸せそうなのに。
「……そんな悲しいこと、言わないでくださいよ」
やるせない気持ちになって、ドクターからしてみればただの僕のエゴでしかないだろう言葉をぽつりと漏らした。
「……驚いた、まさか我々にそこまで同情してくれるとはな。君はきっと良い神になるだろう」
「神とか天使とか、正直まだよく分かんないですけど、あなたのこともアランのことも好きですから」
率直な想いを述べる。たった四ヶ月の付き合いではあるが、付きっきりで面倒を見てくれたアラン、表には出さないが僕を気遣ってくれたドクターのことを、どうして悪く思えるだろうか。
「……そうか。私は天使の立場に対して何か不満があるわけではないが、君のその気持ちはとても嬉しい。これなら、安心してアランを預けられる」
「へ?」
「今君に天使が『使い捨ての消耗品』だという話をしたのは、育成所でもアランを付き添わせるためだ」
「え?! アランも一緒?!」
予想外のドクターの言葉に驚く。そして、ひとりにならないことに心の底から喜んだ。アランが一緒なら寂しくないし、心強い。
アランは確かに舌足らずなところがあったり、純粋な感情を表わしたりと、実にその幼い見た目らしい振る舞いこそするものの、案外しっかりしている子なのだ。今でこそ四六時中付き添われる必要はなくなったが、少し前までは僕のリハビリを適切なアドバイスや励ましでずっとサポートしてくれていた。それに加え、アランは僕よりもずっとこの世界に詳しい。受け答えもしっかりしていて不安を感じさせない。
要はアランもスーパー幼児なのであった。ドクターのインパクトが強すぎて隠れてしまっているだけなのである。
「君はまだこの世界の常識や価値観を知らない。アランがいれば、分からないことがあっても教えてくれるだろう。経過観察もしばらく必要だしな」
「いいんですか?! 病院的にも?!」
この病院にはアランとドクターしかいないのだ。そんな中、従業員の二分の一にあたるアランを連れて行ってしまっても良いのだろうか。
「再三言うが天使は使い捨ての消耗品だ。アランとて例外ではない。なんなら……」
「なんなら……?」
何でもきっぱりと言い切るドクターが珍しく言い淀んだ。僕から目をそらし、一瞬苦悶の表情を浮かべたドクターだったが、何やら決心するかのように再び視線が合った。
「他でもない君にこの事実を忌憚なく伝えるのは少し酷かもしれないが、向こうに行ったときに知る方がより酷だろう。だからこそ、今ここではっきり伝えるのだが……」
明確に能面を崩して、眉を顰めたドクターの言葉に僕は衝撃を受けざる負えなかった
「アランは本来、廃棄対象の欠陥品なのだよ」
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