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山手線の財布の行方

作者: 比我 鏡太朗

 

 人を不愉快にすることを目的とした酔っぱらいの悲しいダル絡みというより、酔害ならぬなんたらです。


 財布を落とした個人が、駅員の言うことを聞かずに非常停止ボタンを押して、山手線の運行を停止させ、財布を拾おうとした。

 その際の駅員とのやり取りをえすえぬえすにUPして、ネットニュースになり、ユーチューブのテレビ局の動画投稿により、その事実に触れた関わりのない私個人の意見としては、この投稿者が叩かれ非難されている事の是非よりも、駅員の言葉遣いと態度、そして何よりも気になったのは、駅員の言った一言、「山手線止めてんだぞ!」という強い怒りに満ちた相手を威圧する言葉、この言葉に正しく、投稿者が非難されている要因というより、由縁と言うべき物に近いのだろうが、私個人として思った第一感情としての発露としての言語した意思表明は、「知らんがな」。


 この一言に尽き、山手線止めてんだぞ。は、相手側の事情を違う立場の相手への配慮のない押し付けであり、山手線を運行を妨げた投稿者と同じように、自分勝手な一言であると思う。本来人間など自分勝手な生き物であり、法律なり規則によりその勝手さを自制するように出来ている。それは、何かしらの罰則なり負担により成立している。此の場合、投稿者に責任と罰則が課せられるのは、妥当な事だろうが、私が言いたいのは、所詮この駅員は、自己に課せられた責務から、あのような発言をしたに過ぎず、その責任を課せられていない一般市民に対してあのような発言をするのは、如何なものかという事であり、正しく「知らんがな」なのである。


 あの界隈で生活している者にとって、其れが以下に迷惑な事であるか、庶民一人一人にとって、つまり一個人にとって群衆の中の、社会経済的に於いて、このような事が頻発すれば日常が混乱をきたして経済がなりたたないかもしれない、牽いては国が成り立たなくなるかもしれない、しかし、「知らんがな」である。


 此れが、問題なのは個人に対して目に見えない漠然とした推量や期待や当然という言葉の中でベールに包んだ平等の価値観の共有ないし、社会通念を当然とする、宗教的な狂信性に基づいたイデオロギーである。イデオロギーが定着し、其処に安堵する人間達のバーチャルソサエティーの布教的SNSであり、デモクラシーなのである。


 用は、てめぇの当たり前を押し付けるなということであり、非常停止ボタンを誰もが押せる状態で設置し、其処になにがしらの許可を有しないのであれば、その行為の権限を全市民に押し付けるのであれば、そういった事例が起こり得て当然であり、まともな理性的判断を誰もが履行出来うる訳ではないのであり、其れを監督ないし見守る努めを果たすべきであり、この投稿者とひと悶着先にあったのであれば、そういった注意を払うことも出来たであろうし、例えばなしは思い付かないし、面倒だが、この件で言えば、財布に入っていたお金の額と、その行為に於ける社会的損失額というものが、決してイコールで計るべきものではなく、其処を=で計るのであれば、其れは共産主義的国家ということにならないだろうか。


 その個人の財産の価値は、社会的に見れば一様に推し量れても、其れはその個人の所有物である限り、その価値はその個人の置く処であり、他人がその価値を図るのであれば、其れは司法ないし、法に基付くところではないのだろうか。

 

 財布もまた線路に落ちたぐらいで、非常停止させるというのも頂けない気がするが、まともな判断を何処まで個人に負わすかということにもなり、その財布が線路の何処に落ちたかということにも関わりがあり、当然ルールとして、Ⅰ個人の判断として、勝手に線路に入って良いものでは当然なく、やはり今回の件で言えば投稿者の判断は、決して正しい訳でも見逃されて良い物でもないのだと思うが、何故投稿者を納得させられなかったのか、其れは投稿者にやはり問題があるようではあるのだけど、


 仮にもし、駅員が率先して非常停止を押したとしたらどうだろう。

其れを投稿者が投稿していたとしたら。投稿者の人間性は一旦置いといて。

 そしたら、どうだろうか。美談ではなかろうか。真逆の反応を世間は示すとまではいかないが、社会の反応は当然違って来るのではないなだろうか。

事実は、一個人より社会の利益を優先し、当然そうあるべきだという社会的正義に於いて物事が進み其れを押し付けた。


 だが、仮にその逆の行動を取った場合も、彼らがあらゆる責務と戦いながら導き出した必死の答えは、同じく正しかったのではなかろうか。


 この一つの思考実験となった題材の実際にあった直近のニュースの中の誰一人として私は非難するつもりも非難出来る人間だとも思っていない。

 非難される側の人間であると自覚しているつもりである。


 でも、「何だかな」というのが、只コメントすることなく世間の声を聞く身として時たま思わされ、憤ってしまう。


 私は、大衆感情が嫌いなのだろう。つくづくそう思う。

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