セックス・アンド・ザ・スナック ~前編~
7月2日(金)
放課後/教室内
「じゃあ面接行ってくるね」
デート明けの週末、明後日には日向のメットが出来上がる金曜日。
ここ数日吟味して決めたバイトの面接に赴くべく、日向は早々に駆けて行った。
彼女の健闘を祈りつつ鞄を背負い、俺も帰路に着――、
「待てしサダオ」
けなかった。この世で最も可愛い彼女を見送った矢先、この世で最も可愛くない女に呼び止められた。
「ツラ貸しな」
◇
放課後/路上
ずんずんと前を歩く連行者、月代は一度も振り返ることなく早めの歩調を刻んでいる。
曰く、黙ってついてこい。曰く、並んで歩くな。曰く、話しかけんな。とのことだ。
「アンタが薫にバイトをそそのかしたわけ?」
月代ルールでは自分から話しかける分には問題ないらしい。
「日向の発案だ」
「理由は?」
「俺とのデート代を稼――」
「死ね」
それが言いたかっただけか。
「手ぇ出してないだろうね?」
信号待ちで立ち止まった月代はギロリと睨みつけてくる。
「キスはした」
「――ッ」
月代から噴出した怒りは視線に乗り、我が双眸を射抜く。
信号は変わる。ヒトは流れる。しかし月代は動かない。
「ぜってー別れさせてやる」
日向が面接中の今ならば前みたいに頼れない、そう踏んでのことか。
ならば今回は独力で切り抜けないといけないな。どうしたものか。
そう考えながら鞄の中に手を伸ばし、月代の背を追う。
◇
雑居ビル/スナック
「「「いらっしゃ~い」」」
月代に連れてこられたのは小さな雑居ビルの奥にあるスナックだった。
平成生まれの俺が昭和レトロな内装と雰囲気にノスタルジーを感じるのは、日本人のDNAがそうさせるのだろうか。
それはさておき、月代と俺を出迎えたのはこの店で働いているという三人の若く、美しい女性たちだった。
行なわれている会話から察するに、彼女らは月代の通っているダンススタジオの先輩らしい。
「私アゲハ、よろしく」
「わたしはミホね」
「あーしヨーコ」
源氏名なのか本名なのかもわからない名を名乗る二十代前半の見目麗しいお嬢たちは、既にメイクもドレスアップもばっちりだ。
しかし腑に落ちない。ビルの出入り口には『ビル全体が水道設備の改修工事中につき、今週いっぱい全店
休業』という旨の張り紙があったはず。
「今日はトクベツ。わたしらの貸し切り」
「ビル全部誰もいないから好きにできるよ」
「由美が連れてくる男ってどんなんかと思ってたら……ま、まぁ個性的、だね」
勝手に想像して勝手に引かれても。
「じゃああそこの席にどうぞ」
アゲハさんとやらが指差した先にはU字のソファーと、飲み物と少々の菓子を乗せたテーブルがある。
見たところアルコールの類はなく、数本のマイクと選曲用のモニターもある。――あそこがパーティー席というわけか。
「荷物はテキトーに置いといて」
入口傍の空いてるテーブルの上に鞄を置き、招かれるままU字ソファーの中央に腰かける。
俺の左隣にミホさんとやらとヨーコさんとやらが腰かけ、右隣にアゲハさんと月代が着座した。
「すいません目暮警部先輩、チカラ貸してもらって」
「可愛い後輩のためならね。てか本名じゃなくてアゲハって芸名で呼んでっていつも言ってるじゃん」
「目暮警部」
目暮警部。目暮警部ってあの目暮警部か。ありえない。絶対ありえない。
「なんでプルプルしてるのキミ。もしかしてキンチョーしちゃってる~?」
「いえ、珍しい、名前だなと、思って」
「え~全然そんなことなくな~い?」
「童貞くんはかわいーねー、耐性無くて」
この土地の奴らは頭がおかしいのか。それとも俺の常識がおかしいのか。
「由美も着替えてきなよ」
「いやあたしは」
「制服でいられてもシラケるっての」
「ほら、こっちおいで」
仕方ないなと言った風に月代はミホさんと一緒に奥へと引っ込んだ。
「椎名くんはなに飲む?」
「2,000円しか持ち合わせがありません」
「今日はタダだよ。なにがいい?」
「ではコーラを」
「はいはい」
ヨーコさんは飲み物を取りにカウンターの中へと入った。
「……ねぇ椎名くん」
目暮警部、もといアゲハさんは耳元に唇を近づけ、囁きかける。
「私さ、キミみたいなかわいい子好きなんだ」
嘘つけ。
「今日は楽しく遊ぼ。もし椎名くんが私を気に入ってくれたら」
なるほど月代よ、今回の策は巷で言うところの――、
「奥に部屋、あるから。んぅ」
色仕掛けか。
「あ、チューしてるし」
ヨーコさんがトレイにコーラとグラスを乗せて戻ってきた。おお、瓶だ。
「あんたソッコーにもほどがあるっしょw」
「だってかわいーんだもん」
「おまたせ~」
ミホさんはドレスアップした月代を連れて戻ってきた。
まるでこの店のナンバーワンはあたしだと言わんばかりの色気を、胸、太もも、へそ周りが刺繍で透けているブラックドレスから振り撒いている。
「あんたマジで足長いね。ムカつくわ~」
「クォーターなんだっけ。色々もったいないねぇ」
「こりゃ椎名くんもぴんこ勃ちだわ」
「やめてくださいよ気持ち悪い。こっち見んなサダオ」
メイクは来た時そのままではあるが、どかりと端に座る月代の存在感はつくづく高校生離れしている。
「てか早速アゲハってば椎名くんとチューしてたよ」
「ウケるw 早ww」
「……クソ野郎が」
させてるのは月代だろうに。
「じゃあうら若き男女の未来に」
「「「「かんぱ~い」」」」
「って椎名くん言うんだ⁉」
「礼儀かと」
「ふん」
◇
一時間後。
「あ、ワインなくなった」
「あーし焼酎飲も。誰か飲む?」
「由美と椎名くんも飲めばいいのに~」
「「お構いなく」」
場は気がつけば場はすっかり飲み会のそれとなっていた。
俺と月代以外はアルコールブーストを受けて更に舌を回している。
それだけに飽き足らず、お嬢たちは俺へのボディタッチを過度に敢行してくるようにもなった。
肩を組んだり腕を組んだりポニテにされたり頬と頬をくっつけたり首や太ももや脇や胸を撫でたり、とてもセクシャルに迫ってくる。
片や月代はその光景を全て写真に収めていた。
たまに着々と脅迫材料が集まっていく順調さにニチャァってるのは少しキモイ。
とりあえず気にしてもしょうがないので俺は俺なりにこの時間を楽しもうと試みていた。
未成年の身では味わえない大人のスナック遊びとはなんたるか、とても興味深い。
「愛というのに照れてただけだよ――♪」
「あっはっはっはっ!」
「今時の男子高校生がジュリーとかww」
「しかも上手いしw 椎名くんかっこいい~」
「なにマンキンで歌ってんのコイツッ」
なるほど、スナックでのカラオケと通常のカラオケボックスとでは楽しみ方が、声の出し方すらも全然違うな。
スナックは既知でない不特定多数の人間に歌を聴かせるのが当然の環境、故に不文律が存在する。
奇を衒った選曲は店全体の空気を壊しかねない。かと言って耳タコメドレーは退屈。奥が深い。とりあえずジュリーは鉄板だということはわかった。
「てか椎名くんってなんでそんなもっさい感じにしてんの? ちゃんと髪にも気ぃ使ってるならもったいなくない?」
「ふつー校則って縛りがあるとおしゃれに燃えるものだけど、変わってるねキミ。私服はどんな感じなん由美」
「フツーです」
「ダサくはないわけだ。それにコミュ障って感じもしなくない? 話やすいっちゃ話やすいし」
「てか押し付けやすいって感じじゃん? 感情にあんま抑揚無いからワガママ言いやすい」
「言えてる。ねー椎名くん、なんか面白い話してよ」
「先日とある女性に面と向かってこう言われました」
「ためらわないなぁこの子w」
「『私はずっとお前を敵として見ていた。お前の存在は害にしかならない。絶対的な悪、それがお前だ。大切な友人を守るため、使える力の全てを駆使し、一切の手加減をせず、必ずお前を排除する。破滅させる。駆逐する。明日を楽しみにしながら震えて眠れ』と」
「なんか穏やかじゃないね……」
「超恨まれてんじゃん……」
「なにしたの椎名くん……」
「ん? それって……」
「そして戦々恐々としながら迎えた次の日、なんとそいつは」
「「「うんうん」」」「ちょっ」
「インフルエンザで一週間学校を休みました。いやお前が駆逐された挙句震えて寝てんじゃねーかバカ。ケツにネギずっと刺してろボケ」
「「「ぎゃっっははははははははははははははははwww」」」
「っっ~~~~殺す‼」
爆笑するお嬢たちを尻目に真っ赤になった月代は俺の胸倉を掴んでフォークを振りかざしてきた。
頼むから振り下ろしてくれるな。頑張れ月代の理性。
「てかやっぱ由美のことなんだw あっははははww」
「あんたこの前インフルで寝込んでたもんねww マジ草だわこの子ww」
「言ってませんっ! そこまでは言ってないですから! 脚色してんじゃねーよてめー!」
「あははは、は……由美?」
ふと、笑い声の中に混じったアゲハさんの声のトーンが何故か少し下がった。
「ほ、ほら落ち着いて由美、座って……あ」
わちゃわちゃとした喧噪の中、アゲハさんのスマホがピロリンと高音を奏でる。
「……もうすぐ八時になるね」
アゲハさんのこの一声で湧いていた笑気は不自然にクールダウン。月代を含めた皆が居住まいを正した。
――ろうそくの灯が揺れる。
「このハードル超えるなんてやるねぇ」
「身内ネタ放り込んでくるあたり、わかってんじゃん」
「でもクールに振舞うのも痛し痒しだよ。やっぱ肝心な時に男らしいとこ見せてくれないと女は冷めるもん」
「んじゃ試してみよっか、椎名くんの男度」
また何をやらされるんだ。
「さっき椎名くんアゲハからチューされてたじゃん? 今度は椎名くんがあーしらに自分流のチューすんの。一人持ち点100で三人合計200点超えれなかったら罰ゲーム」
どう考えても罰ゲームってオチしか見えない。
「いーじゃん面白そう。最初誰いく?」
実にスピーディーに事は進んでいく。
なんの異も挟ませない、そんな暗喩の込められた連携だ。
「じゃあわたしからね」
初手はミホさんか。
「立ってする? 座ってする?」
「じゃあ座って」
「ほ、ほんとためらわないねこの子」
「うん……」
「…………」
訝しむ他の視線をいなしながらミホさんの隣に座り、見つめ合う。
「目を瞑ってください」
「うん(由美のためとはいえ、なんだってこんな陰キャと)」
目を閉じたミホさんにそっと唇を寄せ、合わせる。
無論その光景はしっかりと激写されている。
(――え?)
約10秒ほどで唇を離し、ヨーコさんに向く。
「ヨーコさんとは立ってしましょう」
「ばっちおいで(がっついてんじゃねーよ童貞)」
立ち上がってヨーコさんと見つめ合い、腰に手を回し、口吻を行なう
(ッ、コイツ……)
「アゲハさんとも立ってします」
「……うん」
何故か真顔のアゲハさんの肩に手を置き、接吻を交わすが――。
「んん、う」
アゲハさんはぐいと俺の頭を引き寄せ、思いきり舌をねじ込んできた。
あまつさえ豊かな胸を体ごと俺に寄せ、我が逸物をなぞるように太ももと腰を摺り寄せてくる。
これは完全にアゲハさん流のディープキスであって俺流ではない。レギュレーションに即していないのは明らかだ。
「……はぁ」
艶のある吐息を残してアゲハさんは俺から離れた。
「「「…………」」」
場には奇妙な空気が流れている。先ほどまでの軽薄なムードはどこにもない。
「せ、先輩? どうしたんですか?」
「……せーので点数言おうか」
「うん」
「せーの」
「「「0点」」」
やっぱり。
「……アンタってさ、ゲイなん?」
少し棘のある物言いでヨーコさんは俺にそう問うた。
「いえ、ドノーマルです」
「エロDVDとか観る? 好きなAV女優とかいる? オナニーとかする?」
今度はミホさんからそう問われた。
「少し前まではナンパもの、最近は痴女ものが好きで週五回は――」
「掘り下げなくていいから気持ち悪い。……じゃあなんで全くドキドキしないで勃ちもしないの?」
アゲハさんの声には訝しみ、いや明確な不快感が映っている。
「遊びですし」
さらりと真実を答えると、ミシ、と部屋が哭いた。そんな気がした。
「……なんか、ムカつくねアンタ」
「あーしらも遊びや流れでつまんねー男とキスしたりヤったりしたこともあるけどさ、言ったって男女なんだよ」
「薄かろうが濃かろうが異性は異性。それをゲームだからって理由でここまでシカトされるとか」
何を言いたいのかいまいちわからないが、言い出しっぺはそっちだろうに。
「女とディープキスしてるのにびくとも心拍数変えないで勃起もしない男、高校の時いた?」
「いるわけないじゃん。先っぽ湿ってる奴ばっかだったし。てかキスしてる時のこいつの眼見た?」
「見た。こんなガキにあんな眼で見られるとか、マジ気分悪い」
もう猫を被るのはやめたらしく、お嬢たちは嫌悪感と共に素を見せ始めた。
「確かにあんたの言う通りだわ由美。コイツまともじゃねー」
「いわゆるサイコパスってやつだ。こりゃ女襲って脅迫するぐらいのことやるでしょ」
「じゃあもう……お開きね」
バタンッと入口のドアが突然激しく開かれた。
「オレの店でなにしてんだ」
入ってきたのは編み込みドレッドにデカいサングラスをかけた強面の男だった。
これにて宴は終わり、場は佳境を迎えることになる。
明後日のタンデムデートに支障が無いといいのだが。――俺はそれだけを考えていた。