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底辺からもう一度

 6月6日(月)

 放課後/教室前廊下


「椎名くん」


 役無き黒子としてやり過ごした体育祭の興奮冷めきった翌週、教室を出た俺は誰かに背中を叩かれた。

 イヤホンを外して振り返るとそこには、イエロー色の強い茶髪にスパイラルパーマをかけたショートヘアを可憐に揺らす小柄な女生徒がちょこんと立っていた。


「帰ろうとしてるとこごめんね。ちょっとだけ時間いい?」


 彼女は我がクラスの学級委員長を務めている者で確か名は……日向(ひなた)だったか。

 健康的で爛漫な佇まいと子犬の如き愛らしさ、初対面の男に気後れしない溌剌とした元気っ子ぶりは、学年いちの人気者(アイドル)に相応しいキャラクターを備えている。


「"にのさん"用に集合写真撮りたいんだぁ。木曜の放課後とかどう?」


 抜群の愛嬌とともに差し出された謎ワードに困惑していると、日向もつられて困惑顔を見せた。


「どしたの?」

「いや、"にのさん"ってのの意味がわからなくて」

「ええええええええっ⁉」


 なんか驚かれた。


「メッセアプリで作った二年三組(うちのクラス)のトークルームだよ!」


 初めて知った。要するにトークルームの背景画を集合写真で飾りたいってことか。


「おかしいなぁ、体育祭の打ち上げの時に全員登録できたって聞いてたのに。誰からも招待回ってこなかったの?」

「そもそも誰とも連絡先を交換してない」

「おぅふ、ザ・ぼっちかぁ。ドンギバドンギバ」


 嘆息されながら肩をぽむぽむと叩かれた。

 甘い香りが鼻孔をくすぐる。人懐こい子だ。


「ちなみに今からでも参加する気は?」

「ない」

「てことは集合写真も」

「遠慮する」

「それってぼっちの意地的問題?」


 ぼっちが意地を張ったところで。




   ◆ 




 6月7日(火)

 昼休み/教室前廊下


「し・い・な・くんっ」


 翌日の昼休み、何故かまた日向は声をかけてきた。

 しかも隣にはもう一人女生徒がいる。彼女も日向同様、クラスメイトでもあり学年の有名人でもある。


「集合写真の件でリベンジ! あ、この子は友達の由美ちょびんね」

「薫、その紹介やめて」


 日向を薫と呼ぶ由美ちょびんとやらは、ハイウエストミニスカートにルーズソックス、開け気味の胸元に緩められたネクタイ、黒髪ロングヘアにグレー系カラコンと派手なネイルに化粧、といった要素で立ち姿を飾るバキバキのギャルだ。

 175センチの俺と7~8センチしか変わらない長身でいてグラマラスな彼女は、俺と20センチ以上離れている小柄で可愛らしい日向とよく行動を共にしており、そのデコボコ感から名コンビとして名を馳せている。


月代(つきしろ)だから」


 由美ちょびん改め、月代は俺を射殺さんばかりに睨んできた。

 てめーは間違っても名前で呼ぶな、の暗喩はしっかり受け取っておこう。


 ちなみに、何故俺が彼女たちのことを把握しているかというと、聴こえてくる周囲の会話がこの二人に関することで結構な比率を占めているからだ。

 あくまで俺の主観にはなるが、今のところ彼女らに対する陰口や妬みの言葉は聞いたことがない。女子からは友愛と憧れが、男子からは懸想と情欲と好意が漏れなく注がれている。

 彼女らは紛れもなく我が校におけるフェイマスタレントであり、アイドルであり、セックスシンボルであり、ファッションリーダーであり、インフルエンサーであり、トップランナーだ。


「椎名くんって購買派だよね? 今日はわたしたちもそうだから、どっか落ち着ける場所でしっぽりと昨日の話の続きがしたいなぁ、なんて」


 説得作業か。結論は変わらないのだが、頑なだと逆にこじれるか。


「バイトでPCをいじる必要があるから、それやりながらでいいなら」

「おなしゃすっ」

「…………」


   ◇


 業者用搬入口


 学内において作業に集中できる粛然さを持つ空間の一つ、業者用搬入口へと二人を誘う。

 ここは校舎裏のくぼみ部分に設けられていることもあって人目につきにくい。


「ここって入っていいわけ?」


 スロープ付き階段に腰を下ろす俺へそう問う月代の懸念は正しい。一応ここは生徒の立ち入りを禁止しているのだ。


「教師や業者が来たら退散する」

「見つかった時点で怒られんじゃん」

「ああ」

「ああて。椎名くんってルールとかあんま気にしない系?」

「程度によっては」


 パンを頬張りながらノートPCを取り出し、テザリングでネットにつないでクラウド上のテキストデータを呼び出し、執筆作業に入る。

 俺の隣に座った日向はメロンパンをかじり以て牛乳を飲み、その隣に座った月代は不貞腐れたように明後日の方向を見つめながらクロワッサンをコーヒー牛乳で流し込んでいる。


「お願いっ! 写真だけでも撮らせてくんろぉ~!」

「村人その一みたいなこと言うなし」


 テンションの寒暖差に惑わされぬよう丁重にお断りするが、日向はなかなか引き下がらない。


「まぁそう言わずに。今なら我がクラスのエロテロリストからムフフ♡なノベルティがあったりなかったりするかもんっったたたたたたたたッ!」

「なんであたしを連れてきたかの説明ありがと。耳、削いでいい?」

「ダメ~! 大学生になったらピアス開けるって決めてるんだからぁ~!」

「どこの馬の骨かもわかんない陰キャに親友の貞操売んなし。てか、なんでそこまで集合写真にこだわってんの?」

「ふふん、これも学級委員長のプライドなのだよハーマイオニーくん」

「そもそも学級委員長やり始めた意味もわかんないし」

「流すっっ。まぁ学生なんだから一度はやってみたいじゃん。さんねーんべーぐめー、やっぱ憧れるし」

「好きだねあんた……小学校の頃から何回観させられて寝落ちしたことか」

「コンプリートBOX買ってくれるステキなおじさま現れないかなぁ」

「んなパパ活聞いたことないし。てかやろうとしたら引っぱたくから」

「ジョーダンなのにぃ。由美ちょびんてば硬派なんだからぁ」


 日向は月代に甘えるよう寄りかかり、月代は嘆息しながらも日向を受け入れている。子犬に懐かれている大猫のようだ。

 そして意味不明なやり取りでも通じているあたり、昨日今日の付き合いでない年季のある関係性なのが伺える。


「やっぱし似合ってない? わたしが学級委員長なんて」

「向いてるとは思うよ。集合写真の件にしたって、陰陽男女問わずクラス全員から合意を得るなんてあんたくらいにしかできないだろうし」


 それは大したものだ。持ち前の愛嬌は伊達じゃないらしい。


「こいつ以外は、だけど」

「そう! あとは椎名くんだけなんだよ~! だからお願いっ!」


 ――ろうそくの灯が揺れる。


「参加してない俺が映るのはおかしいと思う」

「むしろユー参加しちゃいなよ~」

「しない」

「即答! ちなみにどーして?」

「プライベートデバイスが不特定多数の人間と常につながってると思うだけで嫌なんだ。だからメッセアプリやSNSの類は利用してないし参加もしない」

「あー、ネットに写真とかあげるの嫌がる人たまにいるね。そんな感じ?」

「ああ。だから学校側にも写真や動画の撮影許可は出してない」

「要するに情報潔癖症ってわけだ」


 その表現、採用。精神疾患感があって説得力が増す。


「う~ん、なら無理強いはできないかぁ。ごめんね、ワガママ言って」

「こちらこそ」

「キモ……結論出たならもういいね。あたし教室帰る」

「も~、由美ったらブアイソ。じゃね椎名くん、また」


 嘆息しながら去っていく月代を追うように日向も去っていった。

 言葉と態度に出していた月代みたく気味悪がられるかと思ったが、日向からは全く嫌悪感が伺えなかった。根が善人なんだろう。


「ふぅ」


 久しぶりに会話したから気疲れした。

 高校生活開始から一年以上も経てばこんな珍事も稀にある、か。

 しかしこんな突発的なイベントはこれにて終了だ。


 あとはいつも通り、平穏をやっつけていけばいい。


   ◇


 放課後/下駄箱


「サダオ」


 人にはふとした時、靴がくたびれて見える瞬間がある。今がそれだ。

 靴箱から取り出したスニーカーはお気に入りの一品で人気作の復刻もの。故に少し履き過ぎてしまった。


「サダオ」


 リペアできるかどうか駅前の靴屋に持って行ってみよう。

 単車のメンテが終わったばかりだというのに、どうやら今月のテーマは"修復"らしい。


「無視すんなし」


 突然ぐいっと鞄を引っ張られた。眼前に立っていたのは……先の月代某。

 改めて近くで見ると鼻筋が通っていて唇も瑞々しい。スペイン系の血が入っているとの噂は本当らしく、すこぶるエキゾチックだ。女子から読者モデルばりの尊敬を集めているのも納得できる。


「無視もなにも呼ばれてない」

「貞子みたいなボサボサロン毛の超絶陰キャ、つまりサダオ」


 ただネーミングセンスはない、と。


「話あんの。ちょっと顔貸して」


   ◇


 業者用搬入口


 スケ番の如き文句と有無も言わさぬ眼力は再び俺を業者用搬入口へと連れてきた。

 なんだかお気に入りの場所にケチがついたようで気分が悪い。


「俺は日向に絡む気なんてない」


 呼び出された用件に当てずっぽうの察しをつけてみたところ、月代の目は僅かな驚きを映した。


「なんで、薫に関してあたしがそう言うって」

「明らか関わってほしくなさそうだったから」


 ずっとご機嫌斜めな仏頂面で時折横目に睨まれりゃ馬鹿でも気づく……警戒されている、と。


「は、陰キャの分際で人並みに空気は読めるわけだ」

「むしろ本人に釘を刺すべきだと思う」

「関わんない方がいいっつってもイメージや噂で決めつけちゃダメだって聞かないんだよ。人当たりいいから男にもよく勘違いされて、毎回超めんどくさいことになるってのに懲りないんだから……」


 だから露払いをしていると。


「とにかく、ちょっと絡みあったからって勘違いすんな。のぼせあがんなってこと。あの子はああいう子だからもっと仲良い男子なんて腐るほどいるわけ。もし今後薫に絡んだらアンタに襲われたって周囲に言いふらすから」


 犯罪者を見る目つきで脅迫してきた。俺からすれば逆に見え、なくはない。


「去年あんなこと(・・・・・)しでかしたんだから、誰もがソッコーで信じるでしょ」


 同感。


「約束しな」

「わかった」




   ◆




 6月8日(水)

 早朝/教室内


「おっはよん。雨うざいねー」


 翌朝、教室に入るや否や、日向は快活に挨拶してきた。

 僅かばかりの時間を共有した親近感からなのか、アサガオの如き爽やかで屈託のない笑顔を向けてきている。


「ヘアセットにてこずる季節が来たよ。トップぺたんてなってない?」


 己の頭をくしくしとしながら問うてくる彼女はひとつひとつの所作が本当に愛らしい。

 嫌味なく誰しもが愛でられるこの愛嬌は天性のものだ。故意に造れるものじゃない。


「少しなってるけど、この湿気ならある程度はしょうがないと思う」

「だよねー。雨の日だけパーマ解除できる技術発明されないかなぁ」


 相槌程度の返答をしつつ、自席に腰を下ろす。

 教室後方からどす黒い殺気を感じるが、意に介さず荷物を机に移し、前を向く。


   ◇


 小休止/教室内


「ねーねー椎名くん」


 二限と三限の狭間の小休止でまたも日向は話しかけてきた。

 やはり教室の後方から濃い殺気が――、以下略。


「ワンチャン"にのさん"入ってみない? 登録だけでもしといた方がクラスの内情把握したい時なんかは便利だと思うなぁ~」

「入らない」

「即答が清々しいっ。でもわたし、負けないっ!」


 どうやら日向の中にあるナニカに火が点いたようだ。


   ◇


 昼休み/学食


「あや、椎名くんだ」


 昼休みの学食。遠くから殺気が――、略。


「学食利用することもあるんだ? なら(・・)"にのさん"入っとく?」

「雨の日は。なら(・・)入らない」

「わたしは由美と食べるんだぁ。椎名くんも一緒に――」

「けぉるあ‼」

「遠慮しとく」


   ◇


 終礼後/教室内


「三度目の正直っ!」


 帰り際、しゅばっと日向は我が眼前に躍り出た。殺略。


「椎名くんがトークルームに~?」

「来るぅぉぁない」

「ノリかけた! 今ノリかけた!」

「どっか行け」

「似てるっっ!」


   ◇


 放課後/業者用搬入口


「いや普通に仲良ししてんじゃねーよっっ‼」


 キレた月代からいきなり胸ぐらを掴まれた。解せない。


「アンタ嘘八百じゃん! 関わる気満々じゃん! 着実に距離詰めてんじゃん!」

「俺からは一度も接触してない」

「あたしは関わんなって意味で言ったの! 話しかけられてもシカトしろし!」

「シカトなんてしたら波風が立つ。程度をわきまえながら当たり障りなく接するのがお互い一番ラクだと思うけど」

「は、それっぽいこと言って結局薫と絡みたいだけかよキモオタが。マジでアンタに襲われたって言いふらされたいの?」


 ――ろうそくの灯が揺れる。


「それは好きにしてくれていい」

「……は?」

「月代に悪評を広められることと、人気者の日向を無視することで生まれる悪感情はほぼほぼイコールだ。どう転んでも結果が同じなら、俺は俺の好きにやる。だから月代も好きにやればいい」

「マジで何言ってんのアンタ。クラスからハブられるのと学校中から犯罪者扱いされるのとじゃ違うでしょ」

「いや、同じだ」


 月代は忌々し気に俺から手を離し、踵を返す。

 横目に俺を睨みつけてくる彼女の視線は――、


「後悔しなクソ陰キャ」


 憤怒に染まっていた。




   ◆




 6月9日(木)

 昼休み/学校内


 昨日に引き続き、今日も天気は雨だった。


「椎名、ちょっと来い」


 ひそひそざわざわとした冷やかな空気と視線を一身に浴び続けた後の昼休み、俺は生活指導の中年男性教諭に呼び出された。

 担任を始めとした複数人の教師たちから指導室にて問われたのは『二年三組の椎名は、とある女生徒を暴行し、脅迫し、口封じしている』という噂の真偽についてだった。


 クレームが入れば対応せざるを得ないサラリーマンの苦労を憂いつつ、事実無根、物証無し、この二点のみを淡々と主張した。

 しかし結果はよろしくなく、カルシウムが足りずヒートアップしていく生活指導の教諭に俺の主張はあまり届かない。

 時間の無駄と判断した俺は意識のシャッターを下ろし、エコモードに入ろうとしたが――、


「何を寝ているんだお前‼」


 殴られた。これはまぁ解せる。

 体罰等はやり玉に挙げられるのが今どきの流行であるが、俺にはあまり当てはまらない。

 俺は前科一犯の札付き。しかも体罰に対するクレームをつける者などいないので、教師も比較的手を出しやすいのだ。


 結局解放されたのは昼休み終了のチャイムが鳴った時だった。

 俺を含め、みんな昼飯を食べ損ねている。事の真偽は判明せず、進展せず、時間と労力を浪費しただけだ。見事に全員が損しかしていない。


 学校が人間を育てられるようになるのはいつになるのだろう。 


   ◇


 五限/教室内


 午後の授業開始直前に教室へ帰ると、湿気と共にもわりとした重い空気がまとわりついてきた。

 まるでこの100㎡にも満たない空間すべてが、生活指導に呼び出されて口の端を青くしている俺という異物を嘔吐きながら排出しようとしているかのように感じられる。


「椎名くん……」


 しかしどのみち、俺が人気者でクラスの中心人物でもある日向をシカトしてもこの空気は出来上がっていた。だからどう転んでもこうはなっていたのだ。

 そういえば、今日は例の集合写真が撮られる予定の日だったか。でもこの天候と空気じゃ厳しいだろうな。学級委員長、ドンギバ。


「薫、やめな」


 ニヤついた面を俺に向けてくる事の首謀者である月代は言った。

 クラス内でハブられるのと学校側から犯罪者扱いされるのとでは違うと。悪評の範囲、悪意の規模、それらの桁が違うと。

 一般的にはそうなのかもしれないが、やはりそれは間違いと言える。


 何故なら俺はここに居るし、ここにしか居られないのだから。


 とりあえずただいま――、底辺生活。

 そして17歳の誕生日おめでとう――、椎名みづき。


【人物】

椎名(しいな)みづき(男)

日向(ひなた)(かおる)(女)

月代(つきしろ)由美(ゆみ)(女)



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