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たどり着いたモーテル ~前編~

 2100時/雑居ビル外


 外はいつの間にか豪雨だった。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 雑居ビルを出た瞬間、俺の視界と意識は色覚も立体感も失くして高速で回転を開始。

 ひと区切りをつけた事実にゆるんだ緊張の糸は亀裂となり、怒涛の狂乱として噴出し、身体と精神を一瞬で汚染した。


「サダオ!? ねぇサダオ!」


 近くの遠くから聞こえてきた声の主は俺の体を支えるキャバドレス姿の月代だった。

 本気で心配そうに聴こえるあたり、聴覚もまともに機能していないらしい。


 あ、月代の制服持ってくるの忘れた。頭が回ってない。失敗した。隠さないと。店に戻る。嫌だ。家に帰りたい。バス。無理。秒で吐く。通報される。タクシー。無理。秒で吐く。通報される。避難。何処に。ビジネスホテル。通報される。ネットカフェ。通報される。路上。補導される。どこかないか。身分証が不要で人に接触せず安全が確保できる場所。どこかないかどこかないかどこかないかどこかないかどこかないかどこかないかどこかないかどこかないかどこかないかどこかないかどこかないか――、


「ラブホ」

「え?」

「ラブホに、避難。急げ、捕ま、る」

「う、うん!」


 全身を打ちつける土砂降りの中、俺は月代に引っ張られるままドコカへと(いざな)われていく。

 ぐわんぐわんと距離も方角もわからない。歩いてるのか立っているのかもわからない。


 感じるのはただ、聴こえるのはただ――、


「ゔうっ、ふぅっ、うううっっ」


 月代から零れる涙を取り込んだ冷たい雨粒と、ざぁざぁと哭く悲しそうな声だけだった。


   ◇


 2120時/ラブホテル


「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」


 あたしは馬鹿だ


「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」


 なにをやってもうまくいかない


「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」


 親友を守ることもできず


「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」


 自分の身すら守れない


「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」


 一番助けたくない奴すらも


「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」

 

 助けられない


「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」


 雨に打たれてずぶ濡れのサダオは、まるで地下水を汲み上げるポンプの如く浴槽にどす黒い液体を吐き続けていた。口はおろか目と鼻からもだくだくと水分の漏出は止めどない。

 常軌を逸した酒量の全てを吐き出さんと、地獄の奥底でのたうち回る餓鬼となったサダオの顔や首、肘の先からすらも汗はにじんでいる。全細胞がとにかく水分を排出しようと暴走し続けているんだ。


「ふっ、ふっ、ふぅっ」


 あたしは泣きながらサダオの背中をさすった。

 鼻と目をつんざく激臭も無視し、只々背をさすり続けた。

 それだけしか、できなかった。


「えええっええっえっええっっええっえええっええっっえっっっえっえ」


 ふと、吐き続けているサダオに反応があった。

 ガタガタと震えながら腕を掲げ、己の頭を指差し以て下方向へなにかを落とすようなジェスチャーしている。

 水が欲しいんだと思い至ったあたしはシャワーから冷水を出し、サダオの頭にぶっかけた。


「ぜッぜッぜッぜッぜッぜッぜッぜッぜッぜッぜッぜッ」


 サダオは荒い息をそのままに頭を垂れてくる水で喉を潤している。

 もっと飲みたいかもしれないと思ったあたしはシャワーヘッドをサダオの口に当てた。


「んぐんぐんぐ、っええええええ、んぐんぐんぐんぐ、っえええええええ、んぐんぐんぐんぐ、っえええええええ」


 飲んでは吐き、飲んでは吐きをサダオは繰り返す。偶に長髪の隙間から除く表情はとても、とても辛そうだ。

 涙も鼻水も涎も出ていて、空嘔吐きしている時なんて死んだ方がマシだと感じているほど苦しんでいるのがひしひしと伝わってくる。とてもじゃないけど見ていられない。


「えええっええっえっええっっええっえええっええっっえっっっえっえ」


 あ、臭い。どんどんパンツが濡れていく。おしっこが出てる。

 あ、臭い。ぶりぶりと音がする。漏らしてる。


「ぐすっ、えうっ、誰かっ、誰かっっ」


 まるで人間を辞めてしまったかのようなサダオが怖かった。

 そんなサダオにあたしはなにもできない。

 いつもなにもできないで――、泣くだけだ。


「――♪」


 少し前からずっと鳴っていた我がスマホへ縋るように震える手を伸ばす。

 表示されている発信元は……ミホ先輩だった。


『由美! やっとつながった!』

「ふぅっ、ミ、ミホ先輩っ、サダオがっ、サダオがっっ」

『……アイツも一緒なの?』

「サダオが死んじゃうッ、助けてくださいっ、あたしじゃ、あたしじゃなにもっ」

『やっぱやせ我慢してたんだあのガキッ、今どこ⁉』


 この問いにあたしは即答できなかった。理由を察したミホ先輩の声色は曇る。


『わたしを信じ……違うか。ごめん由美、先輩としてわたしらが間違ってた』

『聴こえる由美? あーしらはあんたの味方。ケンさんでもそのガキでもなく、あんたの味方だから』


 ヨーコ先輩、ミホ先輩……助けて。


   ◇


 2140時/ラブホテル


「うわ、酷いねコレ」


 ミホ先輩とヨーコ先輩はあまり時間をかけず、すぐに駆けつけてくれた。二人とも私服に着替え、あたしの制服と鞄も持ってきてくれている。

 聞けば、救急車に担ぎ込まれたケンさんとカゲさんにアゲハ先輩は同乗して付き添い、ミホ先輩とヨーコ先輩は店の惨状をなんとか取り繕おうと後片付けのために残っていたらしい。


「救急車呼んだ方が……ん?」


 コンコン、とサダオは浴槽を叩いた。そして掲げた手で自分を指差した後、グッドマークよろしく親指を立てた。

 俺は大丈夫なんで救急車はいりません、そう言っているようだ。


「このガキ、どこもまでもキモイ」

「ならなにされても文句言うなって話でしょ。ヨーコ、コイツ風呂に入れよう。体が冷え切ってる」


 そう言うや、ミホ先輩は服を脱ぎ始めた。

 ショーツのみを残してブラすらも取っ払い、髪を守るため頭にタオルを巻いた。


「由美は今日あーしんちに泊まるって言って外泊許可は貰ってんだよね? 怪しまれないよう一応家には電話入れときな。あと汚れたドレスは捨てちゃっていいから着替えておいで」


 そう指示しながらヨーコ先輩も服を脱いでショーツのみになった。

 二人はすぐにサダオの身ぐるみを剥がしにかかり、浴槽を洗い、ためらいなく汚物も拾ってくれている。

 冷静に対処する献身的な姿を見て生まれた安心を礼として言葉にするも、お二人の表情は――、


「……御礼なんて」

「…………」


 やり切れなさそうに悲し気だった。




   ◆




 7月3日(土)

 0000時/ラブホテル


「ふぅ……」 


 サダオの介抱を務めてくれている疲れを電子タバコの煙と共に吐き出すミホ先輩は、未だ首にタオルをかけただけの半裸状態で椅子に腰かけ、スマホをいじっている。

 浴室にいるヨーコ先輩は、意識を完全に失ったサダオを浴槽の中に半身浴で座らせ、温かいシャワーを浴びせながら水分を摂らせ続けているらしく、10分置きにミホ先輩と交代するのだそうだ。

 あたしも代わる旨を伝えたけれど、あんた椎名くんの全裸見れんの? チン〇や膀胱を刺激してション便も出してやんなきゃいけないし、うんちしたらお湯張り替えて固形だったら排水溝に詰まらないよう掬い取ってあげなきゃなんだよ? と言われて引き下がるしかなかった。お水って強い。


「由美、アゲハさんがケンさんの入院手続き済んだからこっち来たいって。いい?」

「でも、ケンさんには……」

「椎名くんみたく病院で昏睡中だから大丈夫。アゲハさんも教える気ないって」

「……はい」


   ◇


「由美っ」


 しばらくもしないうちにアゲハ先輩はやって来た。

 ずっと着替える間もなく忙しなかったんだろう、キャバドレスのままだった。


「ごめんね由美」

「謝るのはあたしです。あたし、先輩方に、たくさん嘘を……!」

「……怒らないから聞かせて。由美と椎名くんの間になにがあったのか」


 あたしはアゲハ先輩とヨーコ先輩に、その後介抱作業を代わったミホ先輩に懺悔した――。


 暴力事件を起こしたこともある得体の知れない陰キャを親友から遠ざけるため、サダオに婦女暴行犯のレッテルを貼ったこと。

 生徒指導に事情聴取され、クラスメイトからハブられるくらいの悪評を学校中に流布し、時には男子すらもそそのかして排除しようとしたこと。

 そのことごとくが失敗に終わり、仲を深めていく二人をなんとか引き裂こうと今回の強硬策に至ったこと。

 その片棒を、いや実行犯を、悪の所業を、親愛なる先輩方に頼る形で押しつけてしまったこと。


 先輩方は怒らずにずっと聞いてくれていた。

 あたしはそんな先輩方へ心情的にも物理的にも顔向けできなかった。

 だってあたしは、肝心なことが語れていないのだから。


 あたしが椎名みづきを敵視する理由。

 忌避する理由。拒絶する理由。

 そして……恐怖する理由を。


   ◇


 0100時/ラブホテル


「……バカだね、あんた」


 あたしの話を聞き終わったヨーコ先輩の第一声はそれだった。次いでアゲハ先輩が続く。


「それだけ椎名くんのことが、いや……"男"が怖いんだよ、由美は」


 "男性恐怖症(アンドロフォビア)"――、それが月代由美(あたし)


「そんな由美にケンくんを当てがったのはやっぱり間違いだった。本当にごめんね由美」

「てか便乗したあーしらが言えることじゃねーけどさ、アゲハから話通ってたんじゃなかったん? なんか色々違くない?」


 その場にいるあたしには話しかけず、なるべく暴力は見せず、数にも頼らず、サダオ(あたしにまとわりつく女性への暴行や脅迫を嬉々として行なう変態)を追い詰め、二度とあたしに歯向かえないようにする。――アゲハ先輩たちは男性恐怖症のあたしへの心労や負担をなるべくかけないよう、以上のように計画していた。


 でも実際は違った。暴力もあったし、第三者の男も連れてきたし、大金を要求もしたし、お酒まで強要した。

 あまつさえその猛威は、こともあろうに恋人であるアゲハ先輩にも、その友達であり店のスタッフであるミホ先輩とヨーコ先輩にも、そしてあたしに対しても向けられた。


「もちろん説明してたし、ケンくんだって納得してたんだよ。でも多分、綺麗な由美見て気が変わったんだと思う。椎名くんだけでなく由美にも大きな貸し作って、自分の物にしようって……」

「そのついでにあーしらまで型にハメようとか、クズいわ……ケンさんマジ厳ちー」


 血が凍る。震えが噴出する。歯がカチカチと鳴る。

 もしサダオがケンさんを潰さなければ、あたしは今頃どうなっていたんだろう。

 薄暗い重低音の密集空間で数多の酒や薬に酔った男たちが朦朧としたあたしを……。

 考えただけで泣きそうになる。考えたくない。怖い。怖い。怖い。


「落ち着いて由美。大丈夫、大丈夫だから」


 アゲハ先輩の抱擁を受けても、あたしの下がった体温は上がってこない。

 当然だ。比喩でもなく間接的にでもなく、あたしはサダオに窮地を救われているんだから。

 その事実に、衝撃に、淀みに、重みに、罪深さに、情けなさに、頭は押さえつけられてしまう。


「……あーし隣の部屋も借りてくるわ。由美はその部屋でシャワーでも浴びてきな」

「じゃあ私は深夜でも空いてる量販店行って、由美と椎名くんの服とか下着買ってくるよ」


 裸身の上からバスローブを羽織ったヨーコ先輩と、財布を持ったアゲハ先輩はすくと立ち上がった。

 あたしもなにか、と主張しようとしたけれど、やはり二人は優しく却下する。


「とにかく由美は着替え受け取ったら寝ること。由美には明日もある。そっちはそっちでしんどいんだから、ちゃんと心と体を労わってあげて」

「まだまだあのガキから目は離せないんだし、後輩が気ぃ使うなっつーの。ミホー! あーしちょっとフロント行ってくる! アゲハも買い出し行くってさー!」

「はいは~いこっちはおまかせ~!」


 いくら粋がってもあたしは所詮ガキだ。

 誰かに守られないと、息もできない。

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