真龍4
いつの間にか眠っていた。
それもせっかく真梶が敷いてくれた布団の上ではなく文机に突っ伏して。
胤国は極夜、つまりは夜が永遠と続く国であった。だから朝になって真梶が起こしてくれてもにわかに自分が眠っていたとは信じられなかった。
よくこの国では死に際に「一度は日が昇るさまを見たかった」という人がいるけれど揲はそう思ったことなどない。
夜は優しかった。今がもう亡い人との日々を昔のことだと感じないからだ。
文机を寝床にしながら揲は夢を見ていた。
夢だとはじめはわからなかった。むしろ夕雩の城に連れていかれ武官になれと言われた今の状況が夢なのではと思うほどにその夢はあたたかい空間で当たり前の日常だった。
兄の満風と共に中庭で剣術を習って、兵法の講義はわけがわからないから先生のふかふかの座布団に針をしかけてそのい悪戯にひっかかるさまを木の上から見て笑う。
そんな揲を困ったように見るあの方——鐐様も何もかもあの頃と同じだった。
鐐は揲のふるさと天梛の領主の嫡男だった。厦称は稀珀なかでも「宗稀珀」と名乗ることが許された身分だった。
揲の実家の厦称は御潴であったがその時は宗稀珀の屋敷に人質として身を寄せていたため、厦称は一時的に稀珀となっていた。揲から見れば鐐は未来の主君だったのだ。
同じ年ごろなのに妙に大人びていて鐐の父……稀珀の当主に使えていた父は「お前ろは正反対のお方だ」と揲にもらした。やわらかい物腰でいつも笑顔を絶やさない彼であったがその反面、野心家という一面も持っていた。
(「いつかこの国の全部をわが手におさめたい。そうすれば戦はなくなって民が笑顔で暮らせる」)
いつも彼は地図を眺めながらどこか嬉しそうにそう語っていた。その様子から彼にはすでにそんな世界が見えているのだな、と羨ましく思った。
他の人間は領土をどう広げるかではなく、どう守るかばかりに気をもんでいたからそんな突飛なことを考えもしなかったのだ。
わくわくしていた、彼が思い描く世の中をこの目で見たいと思った。
(「まずは火曛の夕雩だな」)
稀珀家の所領・天梛の南西に広がる大国火曛。そこを領する夕雩家はここ十数年の間に勢力をのばしてきたいわば成り上がりの者であった。
もともと綷丙という名であった厦称をなくし、夕雩城を中心部に築き火曛を平定。今にも天梛を食わんとする勢いである。
そのせいか鐐の視線もどこか険しかった。
(「満風お前だったらお前だったらどう攻める?」)
急に名指しをされた揲の兄・満風はうろたえもせず「恐れながら」と地図の傍に膝をすすめた。そして天梛の北西の国——王宮がおかれている絮璆を指さした。
(「王宮と手を組むのが得策かと」)
(「しかし王宮は先の内乱で腐敗している。王座すら空位なんだぞ、なぜ沈みゆく船に我らが乗らねばならんのだ?」)
そう一人の男が異議を唱えた。しかし満風は眉ひとつ動かさずにジッと地図を見つめた。
(「火曛に隣り合っている国をご存じか?」)
(「馬鹿にしているのか、満風?樺琴と絮璆、そして我が天梛だ」)
(「地図をよくご覧ください」)
部屋にいた十人ほどの男がいっせいに地図をのぞきこむ。押されるようにして揲もそれを見ると確かに火曛はその三国と隣り合っているように見えた。他の皆も同じだったのだろうしばらくは誰も一言も発しなかった。
しばらく地図を眺めたのち突然誰かが「あッ」と小さく呟いた。
(「違う、樺琴は違う!」)
もう一度よく地図を見てみると本当だ、微妙に樺琴とはつながっていない。
しばらくたって「食料か?」と尋ねる鐐に微笑んでうなずく満風。
(「さすが若宗主、火曛は実りが良い国ではありません。市中に出回る食料の大半は絮璆、そして我が天梛の由来」)
(「物の出入りを禁ずるのか」)
はい、と満風は頭を垂れた。
兄は頭の回転が速く揲にはわけのわからない兵法書を片手にいつも鐐の傍で使えている。将来は一番の側近になるだろうと噂されていた。そのため周囲からのやっかみが多く、実際妹の揲でさえも羨ましいと思うことがある。
(「面白いが……王宮が力を失っているのは変わらないぞ。さらに物の出入りを禁じるとなると塀や砦を築くことになる。我らにも王宮にもそんな富はない」)
「そうですね……」と少しの間満風は考え込む素振りをみせた。