終わりの始まりとネックレス
『これはエックスが16歳の誕生日を迎えた朝のこと――』
ベッドの上。天井で交差する木製の梁が視界に飛び込む。
「――――ッ!!」
そう。そこは、またもや見知らぬ部屋。見知らぬ服の俺はベッドから飛び起きた。
「始まっちまったよ……異世界生活」
鳥肌が止まらない。マジかよ、マジかよ。マジで言ってんのかよ……
息が荒い。動悸がする。苦しい。
しかし、間髪入れずに、ドアの向こうからコツコツと足音が聞こえてきた。誰かが入ってくるのだ。
ノックを2回。そして徐々に開くドア。そこにいたのは――
「おはようエックス。もうあさですよ」
――風変わりな格好をした美人だった。
言動からするに“このゲームの主人公の母親”。リアルすぎる3Dグラフィックは、俺の目を奪うのに十分すぎる。
その格好も、ファンタジー世界の母親だと思えば何の違和感もない。
少し安心した。
緊張から解き放たれた俺は、無意識のうちに彼女を現実のオカンと比べてしまった。こんな美人さんが母親になるなんて、まるで夢でも見ているようだった。
……ごめんよオカン。だけど、俺はこの人が母親でも一向に構わんッッ!
「今日はとても大切な日。エックスが王様に旅立ちの許しをいただく日だったでしょ」
「えっ? あ、え?」
思わず見蕩れていたが、彼女の一言で我に返る。
セリフも“あのゲーム”と全く同じ。てことは、これからお城へ行って、王様に旅立ちの挨拶をするのだろうか。
「――あなたは勇敢なる先代勇者の息子、そして勇者の弟です」
「ふぇえ? 勇者の弟?」
かなり間延びした声で聞き返してしまった。勇者は俺のはずだ。それなのに“勇者の息子”で“勇者の弟”だって?
「そう。あなたの姉、“ああああ”は魔王との決戦で…………そう、遠くへと行ってしまいました」
彼女は俯きながらも力強く言葉を紡ぎ出す。
シリアスな雰囲気だけど、姉ちゃんの名前ひどくないか。“ああああ”て……
「でも、あなたはここにいる。それが旅立つための準備期間だったとしても、お母さんは幸せでした……」
「待って。なんで今生の別れみたいになってるの?」
「48人」
彼女は謎の数字を示した。
え、と困惑する俺に彼女は語りかける。
「48人の勇者が旅路の果てに、死にました」
――俺は言葉を失った。この世界では「勇者の旅立ち」は死刑宣告に等しいのだと、そう悟った。
俺が49代目の勇者だとすると、それは…………
「エックス、あなたはきっと……いえ、必ず生きて帰ってきます。そのときはあなたの大好物のドクターチリペッパーで乾杯しましょうね」
「ブッ、それ死亡フラグゥッ!! ってかこの世界にもドクターチリペッパーあるのかよ!」
思わず吹き出した。世界観にそぐわなさすぎる清涼飲料水がどうして存在するのだろう。謎だ……
「それじゃあ、ちょっとこっちに寄ってください」
母さんは俺の渾身のツッコミをガン無視。
仕方なく、俺は言われた通りにベッドの端っこに座って首を差し出した。
耳元でジャラジャラという音が聞こえる。首にひんやりとした感覚がやってきた。
俺の首にかけられたのはネックレス。人の目の大きさくらいの赤い宝石が付いている。
「母さんはあなたを愛しています」
(……もしもーし)
そんなことを言われると、相手はつい1分前に出会った“ゲーム内での母親”なのに、本気で目頭が熱くなってくる。何か聞こえた気がするけど。
「エックスが本物の勇者であるならば、このネックレスによって声が聞こえるはずです」
(もすもす、ファミ〇キください)
――うん。今度はハッキリと聞こえた、雰囲気ぶち壊しの天の声が。ここまで露骨にボケられると、流石に痛快すぎてスッキリする。
「なんだよ天の声、まだ話せたのか」
(このネックレスがあればいつでも話せますよ)
「ふーん。じゃあ取っとくわ」
(ちょ、おま――)
外した瞬間に天の声は聞こえなくなった。
赤い宝石のついた綺麗なネックレス。ポケットにしまっておこう。
「あら? ひょっとして……気に入りませんでしたか?」
顔を上げればそこには眉を八の字にした母親。少し悲しそうな表情が俺の胸に突き刺さった。
「い、いやそうじゃなくって!! えっと…………そう、痒くてさ!」
「ふふ、なぁんだ。よかったです」
彼女は胸を撫で下ろし、俺も安堵の息を吐いた。
不本意とはいえ好意を踏みにじるような行為をしてしまったことを、反省する。
――――そのときだった。
突然ギシギシと激しい家鳴りがして、外から犬の鳴き声が聞こえた。尋常じゃない吠え方をしている。
むき出しの天井からは埃が降ってきた。
「地震!? めちゃくちゃデカいじゃん!!」
体感、それは震度5以上。立っていられないくらいの揺れだ。
花瓶がひとりでに動き、棚の上をうろちょろしている。部屋全体がトントン相撲の土俵と化した。
母さんはおもむろに呟く。
「まさか……魔王の襲撃ッ?」
――『魔王』だって? そんな……オープニングが魔王襲撃系の世界かここは! 故郷が焼き払われちまう!
彼女は戸を開けに駆け出すが、足がもつれて転けてしまった。
「ちょ、大丈夫!?」
「あはは、足首を挫いちゃいました」
「笑い事じゃないよ!」
慌ててベッドから飛び降りた俺は、この母親の手を掴んで引っ張り上げる。ちょっと強引だけど、それで肩を貸した。
「さ、逃げよう! ……って、どこに逃げればいいんだよ!?」
「外に広場があります! そこに!!」
揺れは大きくなっている。
現世でも大きめの地震を体験したことがあった。そのときとは少し違って、周期的に強い揺れがどーんどーんと押し寄せてくる。まるで大地が脈打つかのようだ。
母さんとともに部屋を出ると、廊下の窓が真っ黒だった。さっきまで外は明るかったのに、今では夜のような暗さ。
「マズい! 《防壁》!!」
轟く足音の中、母さんは叫ぶ。半透膜のボールが俺と母さん自身を囲んだ。
それとほぼ同時に、何か黒い物体が家の屋根を破ってきた。間一髪の目の前に、真っ黒な柱が大地に突き刺さったのである。
バリアに守られた俺は落ちてくる瓦礫を気にせず、上を仰ぎ見た。
――なんということでしょう。ファンタジーな邸宅は屋根を取り払われ、開放的な空間に。これには匠もにっこり。
そして露わになった魔物の姿は、この大空を完全に覆うほど大きい。
「デカァァァァァいッ説明不要!!」
具体的に言えば、東京ドーム1個分の大きな影……いや、もっと大きい? とにかくデカい!!
「逃げますよ!」
放心状態で見上げていた俺の手を掴み、母さんは怪物の足とは反対の階段を駆け下りた。
怪物の足が上空に戻っていったのか、家が自重に耐えられなくなる。
「やばいやばい傾いてる!」
床ごと傾く家。
俺も全速力で正面玄関まで走った。まっしぐらに走る俺が母さんを追い抜かし、逆に手を引っ張る。
勢いに任せてドアを蹴破り、2人で外の道路に転がった。
「はぁ……はぁ、なんとか助かった、のか」
不協和音を発する家は半分がぺしゃんこ。そして、もう半分は――たった今崩れた。
風圧で瓦礫と埃が巻き上げられる。
「い、家が……」
母さんは今にも泣き出しそうだった。しかし、地面の揺れは収まらない。彼女の肩の震えも……
「母さん、大丈夫だよ。とにかく今は広場に」
「……はい」
徐々に、家の倒壊によって発生した煙は晴れてくる。それでも、この空は晴れない。あちこちで火の手が上がり、怪物のシルエットをぼかしている。
逃げ惑う人々は一方向へ走っている。怪我人も多い。肩を貸す人の腕は血で真っ赤。子供は泣きながら歩いていた。
怪物は依然とこの街を闊歩している。我が物顔で街の行く末を欲しいままにしている。
「こんな……こんなこと……許せねぇ」
どうしてそんなことを口走ったのか分からない。だが、許せなかった、魔王のことを。
俺も母さんに肩を貸し、人々と同じ流れに乗って広場を目指した。