ノーレイン
次第に雨音が暗闇に響き始めた。石畳で跳ね返る雨が冷たい。
「《鏡像》」
「ありがとう」
俺たちを包み込む泡が雨避けとなる。ラブは依然として起きてくれないから、雨をどうしようか考えていたところだった。
俺たちは台地を下り、獣道を通って街道まで出た。俺たちの他にも通行人がいる。これまでずっと無言だったが、ここで初めてアシュリーのほうから話しかけてきた。
「雨の国に着いて、あなたたちはどうするの?」
「宿屋に行こうと思ってる」
「なるほど。でも、新主義には気を付けてよ」
「新主義?」
(それは私も知らない言葉ですね)
「最近になって台頭してきた集団よ。『世界の外が~』とかヤバい思想持ってるから、絡まれて足止めされないようにね」
「ああ、忠告ありがとう」
雨をうるさく感じ始めた頃に、目の前に橋が現れた。下を流れるは激流だ。
(これは水路。そして、対岸の壁が雨の国です)
緑色の絶壁と堀の構図。暗さも相まって鬱蒼とした印象を受ける。
橋は金属製の吊橋だ。きっと橋桁を立てることができないほど水流が強いのだろう。
カンカンと足音を鳴らしながら、門の前の衛兵まで近づいた。
王国からの情報がここまで広まっているかどうか、それが心配だ。身を隠すためのローブはレーベットの教団に置いてきてしまったし、他の通行人に紛れてやり過ごすしかない。
「そんなに心配することないよ。シャボン玉は光を屈折させるから」
そう言うと、アシュリーの姿が消えた。なるほど、光学迷彩といったところか。
彼女の言う通り、何も心配することはなかった。何人か検問に引っかかっていたが、傍から透明の俺たちはその横を通り過ぎることができた。
「私の後ろを付いてきて」
通行人にぶつからないようにアシュリーが姿を見せた。
そして、雨の国に入った。
まず目に飛び込んできたのが縦横無尽に走る金属製のパイプ、建物に取り付けられた水車。街全体が圧巻のからくりだった。
「な、なんだこれ」
「雨水が管の中を通って水車を回してる。それが排水とか諸々の動力源になってる。付いてきて、宿まで案内するから」
アシュリーはいちいち動じることもなく、ずんずんと進んでいく。彼女はこの光景に慣れているようだった。
雨の国だというのに誰も傘をさしていない。多分、邪魔なんだろう。
(どうです? この街も薄暗いだけじゃないでしょう?)
天の声の言う通り、街の明かりで雨粒が照らし出されている。無骨な街の様相と、夜空から降り注ぐ雨粒のコントラストが美しかった。
「ああ、綺麗だ」
なんて言いながらキョロキョロしていると、不意に何かを見つけた。建物の壁を走る蜘蛛のようなもの。
「え、何あれ。モンスター? 街中なのに?」
(いえ、あれは……モンスターではないと思うのですが……)
その黒い影は角を曲がり、視界の外に消えてしまった。
「エックス、どうしたの?」
先を行くアシュリーが振り返って尋ねてきた。
「いや、蜘蛛みたいな何かを見つけてさ」
「くも? 雨雲? あんた早く休みなさいよ」
アシュリーは足を早める。あれが何なのか疑問を抱きつつも、俺もそれに続いて行った。
「一部屋出して」
そう言うアシュリーは宿屋のカウンターに背が届いていない。
「えぇっと、失礼しますが『救世主のエックスさん』でお間違い無いですね?」
受付のお姉さんはアシュリーの背後、つまり俺の方を見てそう言った。
「え!? 見えてるの?」
「そんなワケない。“感じた”とでも言うべきでしょうね、暗殺者さん?」
お姉さんは金色の髪をかきあげ、微笑んだ。
「ふふっ、それは昔のことでしょアシュリーちゃん。背、伸びたんじゃない?」
「当然よ。将来は大きくなるんだから」
そう語るアシュリーは何だか嬉しそうだった。彼女曰く、このお姉さんは裏のレーベットでは名の通った暗殺ギルドの人間だったらしい。
「……つまり、ここはバウハウスの宿か」
「ええ、アオさんから話は伺っています。ご安心くださって結構ですよ」
つくづくバウハウスが恐ろしく感じた。これでも三大勢力ですらないのだから、教団や連盟、海賊はどれほどの力を有しているのか想像もつかない。
隣にいる女の子が教団のトップだというのも信じられない。
「じゃ、元気でね。ラブのことよろしく」
「ああ、メルキアさんにはよろしく言っておいてくれ」
別れの挨拶を済ませ、彼女はその足で宿を出ていった。
「お部屋は2階になります。お疲れのことでしょうから、手伝わせていただきます」
これまでずっと背負っていたラブの身体をお姉さんに渡し、肩を回した。
「あぁー、こっちの世界に来てだいぶ筋力ついたんだな」
(もちろんです。救世主ですから)
部屋はかなり狭く、2段ベッドになっていた。石造りの壁と小さな窓、窓に面する机。落ち着く空間だ。
下の段にラブを寝かせてもらい、鍵を渡してもらった。
「外出の際には、机の上に置いてあります外套をお召しください」
「何から何までありがとう。少し休んだら、夕飯を食べに行くよ」
「かしこまりました」
お姉さんは部屋を出て業務に戻っていった。
――やっと休めるようになった。今日も一日、運動してばっかりだったような気がする。
椅子に腰かけ、ラブの寝顔を眺めた。
「まさかラブが勇者の仲間だったなんてな」
(いえ、ただの女の子ですよ)
天の声の言うことも分かる。ラブはこうして寝てたり、笑ってたりするのが一番似合う。俺の願いだ。
「……あと5日か。間に合うかな」
(間に合わせましょう。何だったら、これから雨の国の長老に会いに行きますか?)
「会えるのか? こんな遅くに」
(どっちにしたって忍び込むことになるんですから、いつ行ったって同じです)
「確かにな」
一応、ラブのためにそのことを紙に書き記す。
「じゃ、行ってくるよ」
俺はそっとドアを閉めた。




