落ちて上がれ
「そういう余計なところ、似なくていいから!!」
アシュリーの声が聞こえた気がする。気が付くと俺はナゴミのほうに飛び込んでいた。
「ひゃああああああ!!」
叫ぶナゴミはうつ伏せの体勢で落下している。トレードマークとも言える彼女の帽子がどこかに飛んでなくなっていた。
「ナゴミいいいいいいッッ!!」
まともに呼吸ができない。肺にあった空気を全部出し切って息が詰まる。
俺の決死の呼び声が届いてくれたようで、ナゴミはひっくり返って仰向けになった。しかし、空気の抵抗で思うように近づけない。
(《憑依》しますか?)
「いや、俺がやってみせる!」
と、心の中で天の声に言った。俺がやってやる。
ナゴミに肉薄したい一心で両手を伸ばすと、上手い具合に落下速度が上がった。
(その調子です!)
ほぼ無呼吸の中、俺とナゴミは目で通じ合った。互いに手を差し出し、何回か手と手がすれ違った末に、ナゴミをキャッチした。
「……っ《血絲》!!」
限界を超え、かすれ声で呪文を唱える。盾を召喚し、それをパラシュート代わりに落下速度を緩めた。もはやこの対処法に慣れつつある。
右手にはナゴミ、左手には盾。俺の身体は左右に引き裂かれそうだった。
瞼をギュッと閉じ、歯も食いしばる。耐えろ、俺。耐えてくれ!
その瞬間、必死にナゴミの手を握っていた右手が、急に楽になった。
「——――ッッ!!」
心臓が止まりそうな衝撃のあまり、俺は目を開ける。
——そこにはシャボン玉に乗ったナゴミがいた。さらに、俺の足元にもシャボン玉が見える。
「アシュリーさん!」
ナゴミは浮き島を仰ぎ見ている、目をきらめかせながら。助かった、のか。
(アシュリーの泡魔法ですね。どうやら落ちずに済みそうですよ)
シャボン玉が器用に俺の足に潜り込み、俺を座らせる。そこでやっと一息ついたのと同時に、高所恐怖症が戻ってきた。
宙ぶらりんの足が震えて止まらない。
(紐なしバンジーは楽しかったですか?)
「ああ、逝っちまいそうなほどに」
かっこよく決めてみたかったが、残念ながら声も震えていた。
俺は目を瞑って、シャボン玉にしがみつく。こんな球体なら、体勢を崩してしまっただけで真っ逆さまに昇天してしまいそうだった。
シャボン玉は俺たちを乗せて、ゆっくりと、ふわふわと上昇していく。浮き島の、あの穴に吸い込まれるようにして。
落ちる落ちないの話は置いておくとして、少し疑問が残る。
「あの揺れは……なんだったんだ?」
ナゴミを振り落としたあの揺れだ。まさか浮き島特有の地震でもないだろう。
そのとき、ひとつの泡が降下してきて、俺の耳元で割れた。そこからアシュリーの声が聞こえる。
「封印してた龍が結界を破ったわ、魔王の手下と一緒にね」
「ヴぇっ!?」
衝撃的な内容とは裏腹に、アシュリーは落ち着き払っているようだった。無神経なのか肝が座っているのか。
(多分、両方です)
慌てて浮き島を見上げてみると、赤い光を発する何か。それと、その光を遮る細長い影があった。
「龍と……魔王の手下……」
思わず息を呑んだ。“魔物”と呼ばず、わざわざ“魔王の手下”と呼ぶということは、それなりの強敵だと考えられる。
(良い勘してますね。でもちょっと惜しいです。あれは言わば“副王”……魔王の次の存在です)
「『副王』!? なんだってこんな序盤にそんなヤツが!」
こっちはまだ2日目である。魔王はそんなこともお構い無しか。
「すごい魔力……ここからでも存在が分かるなんて……!」
ポツリとナゴミが呟く。彼女の首元から顔を出す師匠も赤色に照らされていた。
眩い煌めきが昼の空を照らしたかと思うと、その次の瞬間、轟音と爆風が空気を揺らした。危うく落ちかける。
「クソッ! 早くしてくれ!」
俺は泡に訴えかける。上はどうなっているのか、気が気でない。泡の上昇速度が上がらないのがもどかしく思える。
隣のナゴミも険しい顔をしていた。
(こんなとき、メルキアさんがいれば……!)
天の声は口惜しげに言う。それは諦めの言葉。
俺は反射的に唇を噛んだ。
「メルキアさんがいたら何なんだよ……俺にはどうもできねぇのかよ!!」
(どうにかできますか?)
俺はもう耐えきれなかった。
「やってやらァッ!!」
俺は勢いよくナゴミに向き直って、手を伸ばした。ナゴミは鳩が豆鉄砲を食ったような顔を見せる。
「掴まれ! 忙しい人のための浮き島直行便だ!」
泡の上に《血絲》で大きめの盾を生成し、ナゴミをその上に乗せる。俺の立てた仮説が正しければ……
「《亜空魔法》には“質量”がある」
(――! ええ、確かに。《亜空魔法》は“ゲームとしてのこの世界のデータ”に干渉して、無から有を作り出す魔法です)
「じゃあ、《那浪》もそうだよな?」
(はい。あれもれっきとした物質です)
「出力を上げることはできるのか?」
(できますよ。少しだけならば、込める力の量で調節可能です…………でも、まさか)
「それを聞いて安心した。今から上がる。ナゴミも姿勢を低くしてくれるか?」
彼女は戸惑いつつもしゃがむ。よし、これで大丈夫だ。
俺は盾を支える手に力を込める、これから発生するであろう圧力に負けないために。
「《那浪》!」
その声を置き去りにして、盾は跳ねるように高く飛んだ。
ほんの一瞬、とてつもない衝撃が俺たちを襲った。でもそれは、ほんの一瞬。まるで静電気のパチっという痛みが全身に駆け巡ったかのようだった。
盾の端っこから浮き島が見えた。想定以上の高度までやってきてしまった。
「できるじゃねえか、俺にもさ。飛びすぎたけど」
(あは、あはは……飛んだ無茶をしますね、全く)
これでなんとか浮き島には辿り着ける。しかし、少し遅かったのかもしれない。
「見てください! 島が!!」
ナゴミは声を上げる。そんなことを言われるまでもなく、俺は気づいていた。
見るに耐えない光景。俺たちが今さっきまでいた遺跡は崩壊していた。炎の赤と、焦げた瓦礫の黒。
そして、副王の魔法陣からダメ押しの魔法が放たれた。




