本1冊を、天秤に
街には影ができている。
壁に囲まれたこの街は、建物を長くするという方法で成長を続けた。そして高い建物が陽を遮ったため、その街には影ができるようになった……らしい。
それが今の俺たちにとってはありがたい。
(まるでアサシンみたいですね)
「ああ、少なくとも“正義の味方”には見えないな」
俺とラブはナゴミから貸してもらった“教団”のローブを着ていた。彼女自身は“教団”に属しているわけではないが、何かと便利なのでローブを持っているらしい。
それを着ている理由はもちろん、俺たちの正体を隠すため。そのために通りの端っこの影を歩くのだ。
俺はちゃんと顔を覆い隠すように深く被っているのだが、ラブはそんなことには気を配らず目をキラキラさせている。
「わあーっ! あのお人形さんかわいい! 寄っていっちゃダメ?」
ラブは、雑貨屋の窓に飾られていた人形に目を奪われていた。少女らしい反応、と言うべきだろうか。
「え……? あ、すみません――」
「――ダーメ。今は遊んでいい時間じゃないからさ。いつかまた来たときに、だよ」
戸惑ってしまうナゴミに代わって俺が断った。でも、あんなに純真なラブの顔を見たら断るのも悪い気がしてしまう。
「うーん、そうだね。分かった! 約束だよ!」
「ん? え、俺も一緒になの?」
「もちろん。だってエックス、大変でしょ? 息抜きは大事、って私の尊敬する人も言ってたから」
俺は彼女の笑顔にあてられた。布切れ1枚じゃ隠しきれないほどの眩さに。
一瞬、目元が緩みそうになったけどなんとか耐えた。
「い、いや、大変なんかじゃないよ。それにまだまだこれからだからさ」
言ってて不安になってくる。
世界を救う1週間だというのに、まだ全然その実感がない。思えば魔王がどんな存在なのかも知らないし、この世界の情勢も分からないままだ。
(不安ですか、エックス)
「俺は平気だけど……もっと急いだほうがいいんじゃないか?」
(ええ、結構な足止めを食らいましたからね。ですがその分、前にも進みましたから)
「そっか。そうだといいんだけどな……」
俺が世界を救う、救世主――勇者の理想像にはまだ遠い。
何か小さなことからでも、誰かを救わなきゃいけないな。
どうすれば……と頭を悩ませたが、誰かの大声が耳をつんざき我に返った。
「――うあっ! おい、アイツ盗みやがったぞ!!」
通りの馬車で何か起きたようだ。見ると荷台がビリビリに引き裂かれ、そこから逃げるように紫色の男が走っていた。
少しばかりデジャブを感じる。
見過ごすわけにはいかない。勇者だからとかじゃない。これは俺にとってやらなければならないことなのだ。
「あ……エックスさん、待ってください!」
ナゴミの静止を振り切った俺は駆け出し、群衆の隙間を縫いながら紫色の男を追った。
彼は本を抱えている。
「止まれ! それを置いてけ!」
「クソッ! 教団のヤツか……!!」
紫色の男は振り返り、焦った様子で足を早める。
しかし俺は救世主。昨日から走りっぱなしの俺に敵う相手じゃない。
俺は勢いを乗せ、男の背中に飛び蹴りを食らわせる。その衝撃で男は倒れ、本が投げ出された。
あとはあの本を元あった場所に戻すだけ……
そうして手を伸ばしたとき、他の誰かがその本を拾い上げる。
「ご協力感謝します。よろしければお名前をお聞かせくださいませんか」
それはレーベット自警団だった。
「やべっ」
反射的に顔を背けたが、かえって怪しませてしまった。俺がエックスだとバレたらまずい。
「どうされました?」
ヤバい。逃げ出そうとしたが、肩を掴まれてしまう。
ヤバいヤバい。最早これまでか、この自警団員をのすしか方法はないのか。
俺が振り返りざまに殴りかかろうとしたら、俺の足に正体不明の感触が走った。
腰を、背中を駆け上がった“それ”は自警団員に向かって飛ぶ。
彼の顔に1匹のネズミが降りかかった。
「うわっなんだこれ!」
「――今だ!」
肩に置かれた手が離れた隙を見て、俺は道を引き返す。顔が見えないようにローブを抑えながら。
「エックス! こっち!」
元の場所に戻ると、裏路地のほうから声がした。真っ白な手が見える。
そちらに駆け込んで、俺はようやく一息ついたのだった。
「……ふぅ、危なかったですね」
帽子を手に持ったナゴミが治癒魔法をかけてくれた。
「ああ、ありがとう。ナゴミ」
すると俺の脇を通ってネズミが戻ってきた。そう、“師匠”である。
「“師匠”も。ありがとう」
チュ、と元気よく鳴いた彼女は帽子の中に入っていった。
その知能はナゴミの師匠だった頃から変わっていないのだろうか。
(――どうです? エックス、私はあなたに何も不安を感じていません。あなたならば世界を救えます。それだけの“勇敢さ”を持ってますから)
「うん……ありがとう。頑張るよ、俺」
何だかんだ言って、天の声にはいつも支えられている気がする。
そうだ、俺は救世主だ。世界を救うんだ。できる。何故なら俺は正しいことを為せる勇者だから。
「いけないですね……自警団が集まってきています。仕方ないので裏から回っていきましょう」
「助かるよ」
俺たちは更に街の暗がりへと歩き出した。
時折、何者かからの視線を感じつつ、迷路のような入り組んだ裏路地を行くこと十数分。“教団”の集会所の裏口に着いた。
集会所の見た目は普通の石造りの建物のようだった。尖塔がある訳でもなし、協会っぽさは全く無い。
むしろ、堅牢な金属製の扉が不自然なほどだ。
ナゴミが戸を2回叩くと、扉の窓が開いた。中からガラ声の低音が聞こえる。
「合言葉だ。アシュリー様は――」
「――大人のオンナ」
「ブッ! なんだよそれ……」
そのバカな合言葉で扉は開いた。
「あ、ナゴミさんでしたか。メルキア様よりお伺いしております。中へどうぞ」
低音は驚くべきほどに愛想が良くなり、門番はにこやかに俺たちを中に通した。
「え……?」
外装は普通の民家。内装もなんだかんだ普通なんじゃないかと思っていたが、全然そんなことはなかった。
そこにあったのは下に続く階段。松明がかかっているが、薄暗さは半端じゃない。
いきなり背後から大きな音がした。
「――ヒッ!」
振り返ると、扉が閉まっていた。ただそれだけである。
「エックスさん……? どうかされましたか?」
「あ、いや。だいじょぶ。うん」
先頭をナゴミ、その次にラブ、最後が俺になって階段を下る。
コツコツという足音が深部まで響いて帰ってこない。
どんどん肌寒く、空気が湿っぽくなってくる。
とうとう階段を降りきった。そこはやや広めの空間。俺たち以外に誰もいない。
石造りのこの空間はやけに重たかった。
「本当にここが集会所? 浮き島に行くのに地下に来ちゃったけど、間違ってないよね?」
「ええ。ここは地下墓地に隣接している集会所です」
「え、墓地……?」
これはヤバい。幽霊とか、スケルトンとか出てくるんじゃないか……?
「はい。ここの司教さんがネクロマンサーで――」
「――ばぁっ!」
「ひえぇえッ!!」
突然の大声に俺は腰を抜かした。今まで息を潜めていたラブが、ローブで顔を隠して脅かしたのだ。
「マジで……やめて……」
息も絶え絶えである。
「あれ? 本当に驚いてる……?」
ラブのほうも想像以上のリアクションに戸惑っていた。
(情けないですね。それでこの先生きのこれるんですか?)
「……ごめん。こればっかりはムリ。だから肝試しは嫌いなんだよ……」
はぁ、と溜め息をついたとき、耳元で声がした。
「では、立ち去りなさい」
「いや――ってうわぁッ!」
更に転がった俺。そこにいたのは髪の長い女だった。白い布を纏う彼女からは生気を感じられない。
怪異の類いだと思った俺は、思わずラブにしがみつく。ラブはここぞとばかりに俺の頭を撫でる。
「フン、それで救世主ごっこですか」
「ヴェノ様……」
ナゴミは彼女に向かって頭を下げた。
「えっ?」
この女、実は偉い人なのだろうか。ヴェノ様とか言ったが……
「あら、貴女もいたのですね。気付きませんでした」
明らかに内気なナゴミに対しての嫌味である。対面して数秒、ヴェノには嫌な印象を受けた。
「ふぉっふぉっふぉっ。すまないのう、気にしないでくれ。こやつは口に問題があってな……」
奥からは不敵な笑い声とともにメルキアが出てきた。
「老いぼれが、黙りなさい。これが救世主を名乗った程度で肩入れするとは、もはや貴様には信用の欠片もない」
彼女はメルキアを相手取って、押している。言葉のひとつひとつに重みがあるのだ。
「ちょ、ちょっと待ってください! 確かに俺はまだまだ救世主と呼べないかもしれないですけど、だからってメルキアさんにまでそんなことを――」
「――人を擁護できる立場にいると思っているのか。身の程も知らないとは……いよいよもって取るに足らない」
「くッ!」
何だ、一体何なんだコイツは。俺は今までこれほどまでに傲慢な物言いをする人間を見たことがない。
(彼女はヴェノ。教団レーベット支部の司教であり、ご覧の通りの人物です)
天の声はやれやれ、といった様子だった。
その黒い髪はバーサーカーのものを思わせるほどにドス黒い。同じように上から物を言うアオとはベクトルが違う。
その威圧感はこの空間を占めている。
「フン、“魔導書”を守ったくらいで喜ぶとは……その程度の自己認識なのでしょうね」
「“魔導書”……?」
俺が何かしたのか、思い当たる節がない。考えていると、ナゴミが俺の袖を引っ張った。
「さきほど、エックスさんが取り返した本じゃないですか?」
あ、ああ。あれのことだったか。
「自らを本1冊ほどの価値だと思っているのですか? その程度の価値だとして、世界を救えるとでも? 愚か者が」
彼女の罵倒は留まるところを知らない。
すべての言葉が俺に刺さる。何故なら心当たりがあるし、俺自身もそう思っていたからだ。
こっちの世界に来て、少しは変われたものと思ったが、実はそうでもないらしい。
(耳を貸してはいけません、エックス。その者の話は全部デタラメです)
「いや、確かにそうだよ……ちょっとのことで、俺はいい気になってたんだ」
(――エックス! 自分を信じられなくなっても、私はあなたを信じています! だから私を信じてください!!)
俺の脳内で天の声が叫んだ。そして、ラブも俺の手を握ってくれていた。眉を八の字に曲げ、不安そうな顔をして。
俺は彼女たちの支えに応えなければならなかったのかもしれない。だけど、俺には顔を俯かせることしかできなかった。
「フン。しかし、存在意義を疑うその姿勢は決して悪くはない。見ていて滑稽だ」
それまで頭を抱えていたメルキアは顔を上げた。
「む? えらく“新主義”じみておるのう。まさかとは思うが……この世界を疑ってはおるまいな?」
「フン、戯言はやめろ。私は常に真実と向き合うだけでしかない。貴様も場に戻れ」
「やれやれ、言われなくともそうするわい」
メルキアの足元が消えた、というより雲と化した。
「ワシは少しばかり忙しくての。これも分身なのじゃ」
雲で分身……だから消えることができたのか。でも、だったら本体はどこにいるのだろう。
「後は頼むぞい」
「うん! じゃあね、くもじい!」
「先生、ありがとうございました」
ラブは元気よく手を振り、ナゴミは静かに頭を下げる。そしてメルキアは雲になって消えた。
雲が晴れるとそこにはヴェノがいる。彼女は無愛想に言い放った。
「浮き島に行く魔法陣はその小部屋にある。早く失せなさい」
「……分かりました」
言われた通りに小部屋に入った俺たち。
魔法陣の上に立って上を仰ぐと空が見えた。まさか。
「では、行きますよ。気をしっかりしてくださいね」
「ちょ、待てよ――」
「――《非召》!」
ナゴミの合図で、俺たちは空に向かって飛び立った。
「ああああああああああああああああああ!!!!」
――俺の叫び声を響かせながら。




