俺の名はエックス
ジャーキングという現象。
それは寝ている最中に、突如として“落ちる感覚”を覚える現象だ。
生物の先生がドヤ顔でこの知識をひけらかしていたため、その憎たらしい顔と共によく覚えている。
アイツの顔は思い出したくもないので、ジャーキングは嫌いだ。
――いや、そんなことはどうでもいい。とにかく、ジャーキングによって目を覚ました俺がいたのは森の中だった。爽やかな風を肌で感じる。
「ここは、一体……俺は確か、死んだ……?」
これは夢か? 何も分からない。ただひとつ言えるのは、トラックに撥ねられたことが夢であってほしいということ。
とりあえず、辺りを見渡してみた。
植生が日本のそれじゃない。アフリカや東南アジアの熱帯雨林のような、蔦のはった樹木たちである。
しかし、この光景にどこか懐かしさを感じた。理由は分からない。
もし、ここが日本であると仮定するなら――
「――群馬か?」
(いいえ、違います)
どこからともなく聞こえたのは、女性の透き通った声。声の持ち主の所在を確かめようと、辺りを眺めてみた。
そこで俺は光を見る。一筋の光芒が木の間から射し込んでいたのだ。
俺は無心で、その光に導かれるように茂みを掻き分けた。そこは大きな空間。
キョロキョロと辺りを見渡すが人影はなく、ポッカリと空いた大穴と、ただ木と滝があるだけ。
根っからの高所恐怖症ゆえ崖下は見れないが、その声は下から聞こえるものではなさそうだ。
(はじめまして。私の声が聞こえますね……)
やはりその声はどこからともなく聞こえる。声は方向を持っていない。まるで俺自身が発している音かのように、自然に聞こえるのである。
「――もしや……ッ! こいつ直接脳内に……ッ!!」
(その通り。そしてここは光あふれる地。ようこそ新たなる世界へ……)
そうか、思い出した。既視感の正体を。
この状況、どこからどう見ても“あのゲーム”のオープニングじゃないか。ドラ○○クエ○○っていう国民的RPGゲームの第3作目。
「俺はゲームの中に? 夢だな、夢なんだなこれは」
これが夢であると思い込んでみる。しかし、それと同時に“夢だと知覚した夢”を見たことがないという事実も思い出された。
(混乱しているようですね。あなたは死にましたよ)
そう…………そうか。
いや、薄々、感じていた。何も分からないわけがなかった。俺はもう、死んでいる。
何を今更後悔しているのか。俺の人生に、これからも生きたいと思えることが少しでもあっただろうか。なかったはずだ。
じゃあなんで、こんなにも悲しいのか、悔しいのか。わからない。これは胸にポッカリと穴が空く感覚じゃない、失う感覚じゃない、喪失感ではない。むしろ、負の感情が噴き出してくるようだった。
俺は深呼吸を挟んだ。
もう、どうでもいい。俺の脳が、死んだことの記憶の処理をしたがらない。本能的に。現実を受け止めることは俺にはできなかった。
「…………てことは、これって異世界転生? ゲーム転生だよな、これ…………」
やっとこさ状況の理解が進んできた。俺は転生したんだ、この世界に。
“地獄で仏”ならぬ、“不思議空間で女神”。これは異世界転生のテンプレだ。
俺は、文字通り生まれ変われるというのか。
ついでに言うと、今のこの状況は、3人称視点か1人称視点かの違いだけで、あとは全部“あのゲーム”の通り。
RPGゲームにハマっていた在りし日の記憶が眼裏に蘇ってくる。
(私はすべてをつかさどる者。まずはあなたの名をおしえてください)
「……俺は有栖九次郎。先に言っておくと、9月2日生まれのO型で16歳。9月2日生まれだから九次郎」
この質問にも慣れたものだ。それだけやったことのあるゲームだから。
勿論、次の質問だって分かる。次は性格診断。
しかし、その予想に反して返事はこうだった。
(名前が長すぎます。4文字で)
「ええェーーっ!?」
マス〇さんか?って思うくらいに素っ頓狂な声が出た。
「……いや、まあそうか。仕方ないよな、ドラク――」
(――それ以上いけない、いいね?)
「アッハイ」
(あなたの名はアッハイ。それでいいですね?)
「ブッ! 待て待てちがーう!! 俺の名前は、そうだな…………エックス、“エックス”だよ。“アッハイ”でも“えにくす”でもなくてさ」
吹き出した鼻水をすすりながら名乗った。
口をついて出てきたエックスという名前――これは俺のハンドルネームだ。昔から気に入っていて、様々なゲームでこう名乗ってる。
ちょっとイタいのは、これを考えたときはまだ小学生だったから。今ならもっとセンスの良い名前が出てくるかもしれない……いや、出てこなかったから“エックス”と名乗ったのだが。
(なるほど……ドーモ、エックス=サン。天の声です)
「あっドーモ、天の声=サン。エックスです」
今更ながらに俺たちはアイサツを済ませた。
あいさつするたび ともだちふえるね、古事記にもそう書かれて――ない。
ていうかネットミームに詳しいなこの“天の声”。オタクなのか? ノッてる俺も俺だけどさ。
(こうやって人とお話しするのは久々なので、つい……話の通じる方だと安心しますね)
「お、おう。そうなのか」
『久々』ということは、俺以外にも天の声として啓示か何かを与えたりしてるのだろうか。
「こほん……それじゃあ気を取り直して、次は俺の質問に答えてくれ。単刀直入に言って、俺は死んだんだろ?」
(……その通りです。そして、この私があなたの魂をここに引き止めた)
天の声は、はっちゃけた声から真剣なトーンに変わる。俺もつられて真面目モードに入った。
「……つまりどういうことだってばよ?」
(あなたに、この世界を救ってほしいのです。そのためにあなたをここに留めました)
「うん……は? えっ?」
――予想だにしない一言。『世界を救え』だと? この俺に?
(勿論、お礼も弾みます。あなたを“彼女”と“偏差値”つきで現世に生き返らせます。なので、お願いします)
俺の理解を差し置いて、彼女は懇願に必死だった。
あの世界に生き返れるのか。しかもそれどころじゃない。リア充スターターセットみたいなオマケがついてくるときた。それならあの世界も悪くないかもしれない。
「でも待ってくれ、ひとつずつ確認しよう。まず、ここはどこだ?」
(お察しの通り、RPGゲームの中です。○○ゴン○○ストではないですが)
「ふむふむ。てことは俺はゲームのプレイヤーか?」
(はい。あなたはプレイヤーです。ゲームの中では勇者になってもらいます)
「世界を救えってのは、すなわち魔王だかを倒せってことだよな」
(はい。残りゲーム内時間の1週間で世界は破壊されます)
「うんうん……って、え、1週間ッ!?」
あまりにも短すぎる。ゲーム内時間1週間となったら、宿屋にも泊まれないじゃないか。そんな縛りプレイは初見でやるものじゃない気がする。
(驚かれるのも無理はありませんが、私の出せる力を最大限にまで出してあなたを強化しました。1週間は十分に現実的と言えます)
「そうなのか……?」
俗に言うチートスキルでも与えられているのだろう。もしくはパラメータチートか。
じゃなきゃ鬼畜ゲーだ。鬼畜ゲー転生もそれはそれで面白そうだけど、失踪不可避だわそんなの。
(あ、付け足すと“死亡”も縛ってもらいます。絶対に死なないように。ある死因以外はループしないので)
「残機制じゃないってことか」
(はい。そういうことです)
……不可能だと分かってはいるが、やってみる価値はあるかもしれない。生まれ変われる二度とないチャンスだ。
でも、世界を救うだなんて途方もなく話が大きすぎる、荷が重すぎる、何より怖すぎる。
「やっぱり、無理だ……できないのに挑戦なんて…………」
(やってみなければ分かりませんよ)
「うっ」
俺によく突き刺さる一言だ。迂闊にも声が出た。
その言葉は、何事からも逃げてばかりだった俺に特効がついている。
「やってみても、できないものはできないでしょ。無理だよ……もしかしたら本当に“死ぬ”かも…………」
どうしても渋る俺に、天の声は「はぁ」と重い腰をあげた。
もっと直接的な言葉を投げかけてくる。
(先に言っておきましょう。私はあなたの“勇敢さ”を知っています。あなたであれば必ず目標を達成します)
「本当かよ……」
勇気づけの言葉にしか聞こえなかった。気休め、言えば済むもんだと思ってんのか。
(あなたの手で“本当”にしてください)
しかし、その言葉は力強く聞こえた。そんなクソほどくだらない言葉で、俺の背中を押そうとしてくれている。
「……でも、俺なんかに――」
その後に言葉が続かない。
それを口にしたら、彼女――天の声に失礼だと思った。だから、黙るしかない。
そうやって俺は押し留まったのだが、彼女を落胆させるには十分だったのだろう。
またもや「はぁ」と溜め息を吐く。
(もっと気楽に考えましょう? 異世界転生してもなお、そこまで自信のない人なんて……悲観的に考えすぎです)
「…………」
自分が間違えていることくらい心得ている。悲観していることを悲観しないわけがない。自信を持っていないからこそ自信を持つことができないのだ。
(あなたは……自信の根拠を求めているのですか?)
俺はその言葉に反応して、顔を上げた。
「根拠のない自信なんて、あるわけないじゃないか」
彼女はフッと笑って続ける。
(ここからは個人的な話です。“あの子”を救ってくれてありがとうございました。身代わりで死んだあなたに言うには少し失礼な気もしますけど)
「え? 『あの子』って……?」
俺が助けた子のことか? だとしたら、なんで天の声が感謝しているんだ?
いや、あの子は無事なのか。それならいいんだが……
俺があーだこーだ考えている一方で、天の声はアトラクションのお姉さんみたいな事務的な送迎の言葉をよこした。
(――では、行ってらっしゃーい!)
「え、ちょ、待てよ!」
まだやるって言ってないのに、まだ心の準備ができてないのに。
彼女は有無を言わせない。俺は再びとしてジャーキングに襲われ、光あふれる地を後にしたのだった。
『これはエックスが16歳の誕生日を迎えた朝のこと――』