アルバイト、異世界にて
満席御礼のテラス席の合間を駆けるのは俺こと救世主エックス。
圧倒的バランス感覚のお盆には「チーズ煮込みチーズインハンバーグのチーズ乗せ」。
バカみたいなメニューだけど、お得意さんへの特別メニューらしいから慎重にかつ冷まさないように運ばなくてはならない。
「両方」やらなくっちゃあならないってのが、「給仕」のつらいところだな。
――なーんて内心ボヤきながら俺は働いている。異世界バイトだ。
「これ、救世主活動か?」
(まずはハンバーグ運びな)
血で汚れた服で働く、などという選択肢はなかった。着ていた服は洗濯、今は制服。
どうしてこんなことになっているのか。
話は遡ること数時間――――
ひっそりとした長い長い廊下を越えかと思えば、何回も階段を上ったり下ったりした先に、その部屋はあった。アオ曰く、一番のスイートルーム。
近くに他の客室はない。ここだけが孤立していることからも、この部屋が特別であることが分かる。
ん、とアオが顎を使って俺に鍵を開けさせた。
「さっさと、その子を寝かせてあげて。騎士団だってここまで来やしないわ」
「え、そこまで知ってるんですか」
彼女は目元を綻ばせ、自慢気にフンと鼻を鳴らした。恐るべし宿屋組合。
色々と気を取られながらも扉を開けると、中から明るさが溢れだしてきた。
ほんのりと赤みがかった木材の床が明るい。壁は白い漆喰で、焦げ茶の木枠がアクセントになっている。
「……ずいぶんと可愛らしい部屋だな」
言うなれば、「ファンタジー版女の子のお部屋」。家具もちっこくて、そんな感じ。
豪華な部屋を予想して身構えていたが、これはこれで身構えてしまう。こんな部屋に足を踏み入れたのは生まれてはじめてのことだった。
バーサーカーを横たえようとしたら、先にベッドの中で誰かが寝ていることに気が付いた。
「ん……これは?」
ご丁寧に布団をかけられた人形と“こんにちは”した。青を基調としたサークレットを被った人形。
(これは先代の勇者ですね)
「へえ、本当にこんな見た目だったの? 先代って」
(ええ、傾城の女勇者だったってもっぱらの噂で。それはもうそれはそれは……)
バーサーカーを勇者のお人形の隣に寝かしつけ振り返ると、アオが髪をいじっていた。
「――か、可愛らしくて悪かったわね!」
「いや、全然大丈夫ですよ」
「くッ、煽ってるの? ここはアタシの部屋なのよ!!」
心做しか耳が赤くなっているような気がするのだが……それよりも――
「――『アタシの部屋』?」
「そうよ。王国の被災者サンたちのために部屋を空けなきゃ」
さも当たり前かのように答えたが、俺からしたらかなり飛躍のある回答だ。
「あー、え? アオさん、ここに住んでるんですか?」
「住み込みで働いてるわ」
(バウハウスのトップなのに、働き者ですね)
「いやいや、そうじゃなくって! なんでアオさんのお部屋に!?」
「期待した回答と違った? あなた、アタシに変な気を起こしているんじゃないでしょうね」
アオは詰め寄ってきた、その香りが分かる距離まで。
「んなななんなバカなっ! からかわないでくださいよ!」
自分でも顔が赤くなっているんだろうなと分かった。めちゃくちゃ暑い。
「ま、いいわ……あなた、ここで働きなさい」
「ん、は、え!? どうしてそんなまた急に?」
「ダンテさんは『俺のツケだ』とか言ってたけど、そういうわけにもいかないのよ?」
「いや、俺は救世主で、世界を救わないと――」
ギロリと向けられた目には迫力が宿っている。それ以上のことを言わせない、という目。
「あなた、この世界を支配しているのは何かご存知?」
冷たい声が俺の背筋を指でなぞった。俺は何も言えない。
こういうときに限って天の声は黙りを決め込みやがる。茶化してくれよ。
「――それはね、“欲”よ」
固唾を呑む音が沈黙を際立たせる。床の軋む音が近寄り、今度は本当に俺の顎に手を当てたアオ。
妖美な香りが死の甘さを想起させた。
「アタシの“欲”はとびきり強いわ。あなたの“正義欲”よりもね」
目尻を浮かせて余裕を示してきた。対する俺はへなへなと座り込む。
正直、ゾッとした。バーサーカーといい、この世界の女性はこういうのばっかりなのか?
(んなわけないでしょうが。勇者なんだから、シャキッとしなさい)
今になって出てきよったわコイツ。
「あなたの正義欲が私の金欲を越えられたらいいわね。それまでは働きなさい。分かった?」
凄みが引いて、すっかり“ただの美人”に成り下がった彼女は俺に哀れみの目を向けた。
「……はい」
「ふふっ、やっぱりあなた猫ね」
アオは手を顔に近づけ、上品そうに笑うのだった。
――――俺が猫とは…………俺、無自覚だけどホントに猫っぽいのかな? にゃにゃ?
(ウゲッブエッホ!! キモいです……! ヴェホッゲホッ!)
「悪かったな!」
いや確かにキモいけどさ、自分でも。だけど、そうストレートに言われるとしょんぼりしちゃう。
――なんて冗談は置いておいて、バイトを進める。
「お待たせしました。チーズ煮込みチーズインハンバーグのチーズ乗せです……って、にゃにゃ!?」
俺が驚いたのは、その客に既視感を覚えたからだった。
フォークとナイフをグーで握ってヨダレを垂らすおじいちゃん。
「むほほーっ! 久しぶりじゃのうチーズハンバーグたん!!」
その小さなメガネはハンバーグの蒸気で曇っている。その下の晴れた表情はあのおじいちゃん。
彼こそ王国にて消火をしてみせた“教団”その人である。
「む、また会ったのう」
俺のことがバレてる。肩が跳ねてしまった。
彼は王国と繋がってるはずだから、バーサーカーの件で捕まってしまう可能性がある。
あくまでも平静を装って、返事をした。
「は、はじめまして……あはは」
「はじめまして、じゃの。ワシはメルキア・スタークルーズ。おぬしとは“長い付き合い”になりそうじゃわい」
「……え、えっと、『長い付き合い』って悪い意味じゃなくて、ですよね?」
「安心せい、ワシは王国の回し者でないからの。もちろん、君を捕まえるような真似はせんよ」
まるで心が読まれているかのような受け答えだった。聞きたいことを聞くまでもなく先回りして答えてくれた、そんな感じ。
ともあれ安心した。彼は敵ではないのだ。
しかし、天の声は安心しなかったようだった。
(ふうむ、教団と王国との繋がりが薄くなっている……?)
何かもっと大きなことを案じていた。
「どういうこと?」
(ええ、つまり――)
「――いたぞッ!!」
突如として外から聞こえた声に背筋を正された。授業中の指名と似たような衝撃。
本当に俺が猫ならぴょーんって飛んでたところだろう。
「おやおや、めっかったのう……」
ヤツらは柵を越え、テラス席に上がり込んできていた。4人の中にはにっくき金髪ライドも含まれている。
俺は逃げた。背を向けて、テーブルの隙間を縫うように。ああ、確かに俺は猫だ。
「待てッ! 今度は逃がさ――」
俺を捕えんと追う彼らの目の前に、スっと綺麗な脚が現れた。
「――あっらぁ!! いらっしゃーい!!!!」
彼らの行く手を阻んだのはアオ。わざとらしい大声で追っ手を歓迎している。
「む、貴様は“青薔薇の宿王”か。そこをどいて貰えないか」
「1杯いかがですか!? ええもちろんサービスしますとも!!」
ひとりで話を進めるアオと、先に進めず立ち往生する騎士たち。
「どけ! 俺様は裏切り者に制裁を下さねばならんのだ!!」
ライドも痺れを切らし、アオの肩を掴む。
「アオさん、危ない!」
俺はアオさんのほうに駆け出した。
しかし、彼女は俺を止める。
「……エックス、あなたは猫なのよ。ご主人様をお守りするのは猫の役目じゃないわ」
そう言うとアオは、肩に乗せられたライドの手を握り返し、どこからか取り出したメニュー表を持たせた。
「なっ、ふざけるな!」
「これは大変失礼しましたお客様。ええどうぞ、サービスでございます」
メニュー表を介して、2人の力比べが始まった。
「いいぞー!」「押せ押せー!」「うちらのチャンピオン舐めんなー!!」
周りからはヤジも飛んできた。
今は酒を飲むような客しかいない深夜。顔の赤い客どもは皆一様に楽しんでいるようだ。
「頑張れー! アオさーん!!」
俺も手でメガホンを作って応援した。
「あら? 頑張っていいの?」
彼女は俺のほうを向いて尋ねてきた。
「え? 何言ってるんですか、頑張ってくださいよ」
そう、とだけ言ってアオは向き直り、ライドに向かって微笑む。
「……口程にもなかったわね」
「――なッ!?」
次の瞬間、信じられない光景が繰り広げられる。
彼女はライドを押し返し、どんどん前進したのだ。
他の騎士たちもライドの身体を支えるが、アオのことを止められる者はいない。
「うおおおお! 耐えろ騎士団!!」
「はーいお疲れ様」
アオは突然手を離し、支えを失った騎士団4人組は前にぶっ倒れる。
パンパンとアオが手を鳴らすと、4人はテーブルに座った。
「なッ!? 身体が勝手にィッ!!」
アオは何をやったのだろう。彼らを意のままに操り、座らせた。それにあの馬鹿力があんなか細い腕に眠ってるとは到底考えられない。
「では、“おもてなしフルコース”をお召し上がりください」
アオのその姿を見て俺の涙腺は刺激される。出会って1時間弱、こんな俺のために……
「ちょっとエックス、なにサボってんのよ! “おもてなしフルコース”よッ!」
棒立ちの俺をはっ倒す声量で、アオが喝を飛ばしてきた。
そう、彼女が彼らを迎え入れたのは俺のためではない。彼女自身のため、宿のためだった。そして金のため。
そこまできてようやく気付いた。俺は“まねき猫”であり、騎士団という客を4人呼び込んだのだと。最初っからアオはそのつもりだったのかもしれない。
「は、はぃいっ!!」
俺は仕事の鬼から逃げるように中に戻って、既に料理の上がっている卓に身を委ねた。