チェックイン、ソウキュウ亭!
「――いんやあ、災難だったな」
彼は裏路地の幅ギリギリだ。身長だって2mくらいあるし、見た感じ100kgはあるだろう。
兵士を追い返し、俺を匿ってくれたマッチョマンはジェントルマンでもあった。とても心強い。もしここでライドに見つかっても、彼がどうにかしてくれるだろう、とすら思える。
彼はバーサーカーを大事そうに抱えて、俺を先導してくれていた。
2人は体格差が甚だしく、彼女はそのぶっとい腕の中で心地よさそうにしている。
「一体全体、俺たちはどこへ行くんですか?」
「宿屋組合の総本山だ。そこでなら治療が受けられるし、ぐっすり休めるからな」
「ばう、はうす……?」
どこかで見かけたような単語だ。思い返してみるも、どこで見たのか覚えていない。
「宿屋組合はその名の通り、全国にある宿屋さ。兄ちゃん、その勲章があるってこたァ勇者なんだろ」
「あ、はい。そうです」
「勇者なら、バウハウスのトップのことは知っておいたほうがいいぜ」
助けになる、と、そう言いたいのだろう。彼はどこまで親切なのだろうか。やっぱりマッチョマンは良いキャラしてるのが相場だ。
――暗い暗い裏路地を抜けたそこは、大きな建物の前。煌々と光る装飾が威圧的である。現実のラブホを思わせる。
「ここが、世界で一番の宿屋。“薔宮亭”、バウハウスの理事宿だ」
(これがソウキュウ亭!? ……わーお、ここもでっかくなりましたね)
「知っているのか天の声」
(ええ、先代勇者の元仲間であった商人が始めた宿屋です。最近、風の噂でレーベットのギルドを取り込んだと聞きました)
「ぎ、ギルド?」
(ご存知、ないのですか!? ファンタジー世界でお決まりの制度じゃないですか。職業ごとに集まったグループのことです)
「い、いや、それは知ってる。けど、この世界にもあったんだなギルドって。王国で戦ったの俺と騎士団だけだったから、つい無いものかと」
(ギルドがあるのはここ、レーベットだけですよ。ここは異質なんです)
「な、なるほど……?」
俺はソウキュウ亭を見上げた。
こちら側に倒れてくるんじゃないかと思うほど反り立っている。継ぎ接ぎで頭でっかちの建物だ。遠近法がおかしい。
リアルでもこんな建物の写真を見たことがある。大陸の違法建築とかこんな感じだったような。
「さあ入った入った。俺が幅を利かせてやっから」
幅を利かすとは言うが、彼にそんなことができるのか少し疑問だ。見かけによらず、実はお偉いさんなのか?
俺は彼に言われるがまま大きな戸を開け、ソウキュウ亭に入った。
中は木造。外とは違い質素な造りである。
エントランス正面のフロントで、黒い盛り髪の女性が頬杖をついていた。赤い髪飾りとヒラヒラした洋服がエレガント。
「いらっしゃい、待ってたわよ。あなたが救世主エックスで間違いないわね」
じっと見据えるような赤い目を寄越してきた。
「あ、はい。あの、治療を……お願いします」
どうして名乗る前から俺の名前を知っているんだろうか。
「それと部屋を出してやってくれ」
ターバンを巻いた元気な看板娘、みたいな宿屋の女将のイメージとは程遠い。彼女は台帳にさらさらとペンを走らせる。
「ねぇ、ダンテさん。その子、もしかしてなんだけど……」
「その通りだ。世話になる」
マッチョマン――もといダンテさんの言葉に彼女は何も返さず、こちらに鍵を投げてきた。
「10万Gよ。王様に大金貰ってるんでしょ? 袋ごと出しなさいよ」
「おいおい、冗談キツいぜアオ。こいつは手負いなんだ。先に治してやってくれよ」
フン、と鼻を鳴らして彼女はパンパンと手を叩いた。
奥の扉を開いてやってきたのは、十字が入った長い帽子を被った女の人。
「あ、あの……お呼び、でしょうか?」
「あの子の背中、それと“サービス”で白い子もやっちゃって」
見るからに聖職者だ。もっと言うと《おんなそうりょ》。治癒魔法の使い手なのだと分かる。
「は、はい。《超苦》、《超苦》、えいっ!」
絞り出したかのように震える声が小動物みたいに思えた。
両手を俺に向けて魔法陣を出したかと思えば、魔法陣自体が液体のように溶け出して俺を包み込む。
バチくそ熱い。全身大火傷レベルの熱さ、痛みが俺を襲った。
「アッ、アツゥイ! ――あ、あれ?」
一瞬の痛みが過ぎると、どこも痛くないし、身体が軽く感じられる。疲れが抜け落ちたようだった。
背中も痛くない。もしかして、と半信半疑で服の下から背中を探ってみると、傷がなくなっていた。
(まるで温泉ですね)
「どんな効能だよっ!」
――とは言うものの、確かに温泉というのは言い得て妙である。身体の内側がポカポカあったかい気もする。
「もうそろそろ王国から避難してきた人たちが来るからスタンバイしといてね。頼むわよ」
「わ、分かりました……」
アオの脇を通って女僧侶ちゃんは、逃げるように奥に戻っていった。
(――っと、あの方、確かヒーラーギルドのサブマスターですね。ギルドの重役がいるということは、あの噂は本当だった、と)
俺はピョンピョン跳ねながら、治癒魔法ってすごいんだなーと思った。とかなんとかやっていると、ダンテさんが俺の肩を抑えてきた。
「――兄ちゃん、コイツのこと頼んだぜ」
彼は俺にバーサーカーの体を渡してきた、真剣な面持ちで。
「え? ええ。分かりました……?」
どうしてダンテさんがそんなことを言うのか。さっき出会ったバーサーカーを「頼んだぜ」というのはどういうことだろうか。俺が首を傾げつつ彼女を背負うと、彼は扉のほうに向かった。
「あら? その子、置いて帰っちゃうの?」
呼び止めるアオの声。彼は扉を開けて、振り返った。
「ああ。もう俺の出る幕じゃないからな。アオ、俺のツケで頼んだぜ」
「そう、後悔しないことね。スイートルームで入れといたから」
はは、と苦笑いを浮かべながらその紳士は優しく扉を閉めた。
「――さあて、救世主サン。まずはお部屋まで案内するわね」
カウンターから出てきた彼女は、カッカッと厚底の靴で足音を刻んだ。背伸びをしてスラッとした佇まい。
勝ち気、高飛車といったような威圧感を発している。
近くで見て初めて、右に泣きぼくろがあるのに気付いた。彼女の印象を一言で言うと美魔女。
俺に向けられた流し目は、ギラギラと赤い。
瞳の奥底で真っ赤な炎が渦巻いている。その炎に似つかわしい髪飾りも俺の目を引いた。
「アタシはアオ、イメージカラーは赤だけど名前は“アオ”。聞いたかもしれないけど、私は宿屋組合の元締めをやっているの。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします……それで、あの、なんで僕の名前を知っていたんですか?」
先程の疑問をぶつけた。
「宿屋組合を舐めないことね。死ぬわよ」
「えっ……?」
俺の聞き間違いじゃなければ、すっげえ物騒なこと言ったぞこの人。宿屋なのにそんなに危ないのか?
「――ところで救世主サン。あなたとは長い付き合いになりそうだから、今夜は“サービス”してあげるわ」
「さ、さーびす?」
目のやり場に困る。目を逸らせば、隅々まで清掃が行き渡った廊下。
「そう、“サービス”。ふふっ、照れちゃって可愛いわね。まるで猫みたい」
ゴクっ、と俺の唾を飲み込む音がした。それは期待か憂慮か。
――このときの俺は知らなかった。アオの人使いの荒さを。