攻守逆転のムード
地面を揺らす衝撃、その震源は目の前の彼女だ。
「――っ! アハハ! すごいマジックだね。アハハハハ!!」
俺が抜け出したと悟るやいなや、瞳孔が開ききった目をこちらに向けた。
完全にキマってる目。絶対に殺す、という目。今の彼女は殺意と殺意だけが友達なのだろう。
「手応えなくて申し訳ないね。俺の負けだよ」
両手を上げて降参を示したけど、まあ彼女は仕掛けてくるだろう。
「アハっ! じゃあ殺しちゃってもいいの!?」
「やれるもんなら、やってみな」
彼女は俺を殺すことなんてできない。できやしない。俺だってできない。
「《美恋》」
――なのに、それを知らないバーサーカーは嬉しそうに体をくねらせている。よほど俺を殺したいらしい。
「ボクのために死んでね!!」
発射された釘は俺の胸に突き立てられ、飛び込んだバーサーカーが釘を打ち込んだ。
――痛くも痒くもない。当たり前だ。今の俺と彼女はパーティーの仲間だから。
俺はその場から動かず、片手で胸に立つ釘を抑えた。
「君じゃ俺を殺せないよ」
「え…………?」
俺は釘を放り捨て、驚きのあまりに固まってしまったバーサーカーに歩み寄った。
すると、彼女が纏っていた黒い鎧は煙となって消えていく。中からは青ざめた少女が姿を現した。
「――嫌っ! 来ないで! 待って、お願いだから!!」
俺が一歩近づくと、彼女は一歩遠ざかる。それまで狩る側だった彼女は、今となっては狩られる側。
無論、今の状況はどっちが有利でどっちが不利というわけでもない。俺だって彼女に危害を加えることはできない。
でも、彼女はそれに気づいていない様子だった。
大丈夫か、というのは愚問だ。彼女は大丈夫じゃない。俺から見てもわかる。
彼女は恐怖に歪んだ顔で必死に叫んだ。
「やめて! ねェ、許してよ!! ボクが悪かったから!!」
手を前に突き出して俺を止めようとする。
「あ……お、お願い、助けて!!」
彼女の背後には崖面。後ろに下がろうにも、そんなスペースはどこにもない。
彼女は危機迫った顔で俺を凝視した。
「ごめんなさい! やめてぇッ!!」
絶叫するバーサーカー。裏返った声が夜空に反響する。
――俺は彼女の肩を掴んだ。
「ッ!!」
目を見開いた彼女。真っ赤な瞳に俺が映っている。頬を走る涙がきらりと月光を反射した。
俺は何も言わずに、ただ、彼女を抱きしめる。
(ヒューッ!)
「えっ!? な、何を……?」
「俺にできるのは、これくらいだから」
――なんでだろう。どうして俺はこんな事案じみたことをしたんだろう。今となっては分からない。
理由よりも先に動いていた。俺の中の何かが、俺を突き動かしていた。
もう、後戻りはできない。この瞬間、俺は王様を裏切った。
彼女の身体は冷え切っている。まるで、夜風に晒されていた少女みたいな体温。
「うぅっあっ……ダ、ダメ」
バーサーカーの身体は小刻みに揺れ始めた。発作のような動き方だ。
「へ?」
ガクン、と一際大きく揺れた彼女は俺の腕から抜け落ちる。
「ちょちょおま!!」
咄嗟ながらにナイスキャッチをした俺は、彼女を地面に寝かせた。
力の抜け落ちた彼女を揺すってみても、全く反応がない。
(落ちたな……)
「どういうことだってばよ!!」
頭を抱え、状況が飲み込めず慌てふためいていると、ある変化に気付いた。
「あ、髪の色が……」
この夜空よりも暗かった黒髪が、月より明るい白色に変わっていたのだ。
この世の全ての色を混ぜたかのような黒から、全ての色を抜き取れば、こんな白が残ってくるだろう。
ただ、わけがわからない。
「ど、どういうことだってばよ!?」
タコとか、カメレオンみたいな擬態に近いものを感じる。擬態をしているわけではないのだが。
(私にも分かりませんが、失神してますね)
静かに眠りについた彼女は、人形かなにかに見えた。少なくともハンマーを振り回して人を襲うバーサーカーに見えない。
「街に戻ろう。この子がバーサーカーだって誰も知らないはずだから、そこで休も――」
(――いえ、街は無理でしょう。彼女を連れていくのはとても危険です)
天の声はやや被せ気味に口を挟んだ。
「じゃあどこに行けばいいんだッ!?」
(落ち着いてください。隣町のレーベットならば安全なはずです)
『レーベット』――それは街の人々の避難先でもある。
「なんでレーベットなら安全なんだ? 王国の兵士だっているんじゃないのか!?」
自分でも無意識に声を荒らげてしまった。
それでも天の声は動じることなく、淡々と理由を述べる。
(木を隠すなら森の中、ですよ。街の栄え度合いが違いますから)
人を隠すなら人混みの中、とでも言いたいのだろうか。確かにその通りだ。
「…………そうか、分かった。レーベットに行こう」
天の声がそう言うのだ。今は信じるしかないだろう。
俺はまだ名の知らぬ彼女を抱っこし、隣町レーベットを目指した。