対峙
『北の森』と書かれた矢印は地面のほうを向いていた。
代わりに、森の入り口に新しめの立て札がある。
『この先キケン。月に一度の山菜採りへのご参加は主催の宿屋組合までお申し付けください』
「……扱われ方が熊だな」
(バーサーカー、クマったやつです全く)
「いやダジャレかよ! 下手なのに無理すんなよ!」
――なんて茶番で誤魔化しているが、実際コワイ。バーサーカーもそうなんだけど、この暗さだとお化けとかが出てきそうで……
「っていうか、明かりはどうしよう?」
(《晴無》で松明が呼びだせますよ)
「ほー、《晴無》」
黄色だか金色だかに光る魔法陣。今回のは小さめも小さめで、手のひらサイズだ。
(いくつか項目がありますが、その中から松明のシンボルに手をかざしてください)
「んーと、これかな?」
何となくの勘でポチッと押したら、魔法陣が変形する。
車輪のような、暖色の輪っかだ。
他の魔法と同じように、無を掴んで引き抜いた。
「うおっ、眩し!」
(よくできました。便利な道具は他にもこの魔法で呼び出せますので)
俺が照らしているのは鬱蒼とした木々。上の方まで葉が茂っていて、夜空の星ひとつさえ見えない。
道の傍らにはきのこが生えていて、いかにもRPGのダンジョンだ。
ある一点を除いて。
不思議なことに、魔物にエンカウントしないのだ。1分歩いても、5分歩いても、10分歩いても。
だが、代わりに不気味なすすり泣く声を聞いた。
「うっそじゃん……ねぇ、ここ、いわくつきの場所だったりしない?」
(なんだよエックス、ビビってんのか?)
「ち、ちげーし」
(はぁ……ここにはそういう噂はありません。どういうわけか子供が迷い込んだのでしょう)
「――ってことは、大変だ! 助けにいかなきゃ!」
俺は声のするほうに走った。茂みを掻き分け、夜露を振り払う。
やがて崖を前に、開けた場所に出た。月明かりもちゃんとある。
俺が目にしたもの、それは首輪の着けられた少女。
崖面の洞窟から伸びる鎖が、その首輪に繋がれている。
ところどころが擦り切れた布一枚、みすぼらしい格好だった。白い肌の色が見える。
靴も履いていない裸足で、擦り傷のようなものも見えた。
「待ってろ! 今助ける!」
気付けば、松明を放り捨てて剣を片手に突っ込んでいた。
彼女は驚いた様子でこちらを見る。
「勢いよくやれば切れるかな?」
(トライですよ)
女の子の横に駆け寄り、俺はブロードソードを握り締める。
「ちょっと踏ん張ってくれ」
彼女は白い髪を揺らした。月光で艷めく長い髪。
俺は頭の上に掲げた剣を、瞬きよりも速く振り下ろした。
「でぇやあッ!」
キン、という小さい音とともに鎖が砕けた。
(やればできるじゃないですか)
「ああ、よかった。これで彼女は無事……ん?」
(唸り声、ですか?)
声が響いてくる洞窟からはコウモリが飛んできて、崖から石ころたちが転げ落ちる。
構える俺の背中に、何かがぶつかった。
「うぅ……」
少女はボソボソと何かを呟いているが、聞き取れない。ていうかそれどころじゃない。
相手はバーサーカーだ。
ハンマーと飛び道具、身に纏うは黒の鎧。
気を引き締め、洞窟に潜むヤツを待った。
「おぉまぁえぇ……そいつを放したなぁ!?」
間延びした声。
暗がりから現れた彼は体長3m級の大男だった。ただ、黒い鎧なんてしていない。
「ああ! お前をぶっ倒しにきたぜ、バーサーカー!!」
「ばかやろうぅがぁ!」
ヤツはトゲだらけの棍棒を手に取り、こちらに向かってきた。
「《血絲》!」
盾を生成した。2秒。女の子を後ろに突き飛ばす。
ヤツの一撃!
その鋼にはヤツの体重も込められている。怪物のときを考えても、これは十分に重い一撃。
だが、持ち堪えた。持ち堪えられた。俺の本気。
「うオオオオ!!」
瞬間的に全身全霊の力を込め、跳ねっ返した。
ドン、と衝撃が空気を伝い、その巨体をも岩盤にぶっ飛ばした。クレーターができる。
彼は力無く落下し、ピクリとも動かなくなった。
「はぁ……うっし!」
(バーサーカー、討伐完了ですね! 街に戻って乾杯でもしましょう!)
ダランと垂れる左腕は、ずっとビリビリ痺れて感覚がない。
「はぁ……はぁ……やべ、左腕やっちまったかも」
(ありゃ、身体に負荷をかけすぎましたか。まあいいでしょう、これも学習です)
一瞬の戦いだったのに、こんなに疲れるとは思わなかった。
(さて、あの女の子は無事ですか?)
――そう、咄嗟に俺が突き飛ばした女の子。
振り向くと、彼女は泣いていた。
「ごめん! どこか擦りむいちゃった?」
慌てて駆け寄った。女子に泣かれるとドキッとしてしまう。それが故意でも故意でなくても。
「――違う……どうして、どうして私に……どうして意地悪するの……?」
「へ? 『意地悪』?」
一瞬、自分の耳を疑った。だけど疑いようもなく、ハッキリとそう聞こえた。
彼女の声はよく通る。水のように透き通った声。
こんな不穏な内容を、こんな綺麗な声で聞いてしまったがために、背筋がゾクッとする。
「もう、お父さんも殺されちゃう……どうして……」
思わず後ずさりしてしまった。何を言っているのかサッパリ分からない。
『意地悪』? 『殺される』?
俺は何か間違えたのか?
(――マズい! 来ますッ!!)
「はぁっ!?」
彼女のシルエットは黒い靄に包まれた。それはどこから発生したかも分からない。
もう一歩後ずさった。
次に覚えたのは強烈な殺気。
――殺される、不意にそんな風に思った。まさか、そんなわけ…………
「――アハハっ! 殺すゥー! アハハハハ!!」
闇の中に浮かび上がった、緋色の瞳。
……そんなわけ、ありました。