9 お隣のレイカちゃん
タカカズには思いを寄せている人がいた。それが隣の家に住んでいるレイカちゃんだ。
丁寧に毛づくろいされた長い髪を持つ美人さんで、タカカズとは同い年の幼なじみである。
どうして吾輩が飼育係の恋心に気づいているかというと、本人による独り言を聞いているからだ。
「レイカちゃん、好きだよ」
お聞きの通り、なぜかそれを吾輩に向かって言うので、受けるストレスが尋常じゃなかった。
「会いたいよ」
同じ三階建ての一軒家なのだが、ちょうど吾輩の部屋の向こうにレイカちゃんの部屋があり、それでタカカズが無駄に入り浸り、あわよくば窓越しに会話をしようとしているのである。
しかし最近はカーテンが閉じられていることが多く、顔を合わせる機会がめっきり減っていた。
「レイカちゃん」
そう言って、窓辺で吾輩の身体をモフモフしながら呟くのだった。
「呼んだ?」
カーテンが開く音がした。
どうやらレイカちゃんが姿を見せたようだ。
窓が開いていたのでタカカズの独り言が聞こえたのだろう。
「あっ、レイカちゃん」
「なにか用?」
タカカズの手がブルブルと震えている。
「え?」
「名前を呼ばれた気がしたけど、気のせいかな?」
タカカズの手汗で、吾輩までびしょ濡れだ。
「いや、気のせいじゃないよ」
「どうしたの?」
その問いに、タカカズが答えられずにいる。
用など無かったのだから当たり前だ。
「タカカズ君?」
身体を押さえつけられているのでレイカちゃんの表情は見えないが、ひどく心配している声色だ。
「ああ、いや、その、高校に入ってから、ずっとカーテンが閉じっ放しで、それで、大丈夫かなぁって思って、それで、声を掛けてみたんだけど、大丈夫なら、それでいいんだ」
と、一人で会話を終わらせるのだった。
案の定、レイカちゃんからの返事がない。
タカカズの顔が心配そうだ。
「レイカちゃん?」
どうしたのだろう?
「私が、カーテンを閉めるようになったのは……」
そこで言い淀んでしまった。
タカカズが深刻な表情を見せる。
吾輩も心配になったので、レイカちゃんの様子を見ることにした。
すると目が合うなり、顔が恐怖で強張るのだった。
「ごめんなさい! わたし猫が嫌いなの!」
そう言って、窓を閉めて、勢いよくカーテンを閉じるのだった。
ショックだった。
この世に猫嫌いがいるとは思わなかったからだ。
未だに信じられないでいる。
傷ついた。
メシも喉を通らない。
いや、食べたけど。
つまり、味気なかったという意味だ。
いや、もともと薄味だけど。
そんなことはどうでもいい。
段々と腹が立ってきた。
猫で一括りにされたことに腹が立つのだ。
全否定は堪える。
寝る。
寝て、忘れることにした。
ふて寝だ。
目を覚ますと、キャリーバッグの中にいた。
しかも外に連れ出されている最中だ。
夜の散歩は初めてである。
バッグを持っているのは、タカカズ。
無言で夜道を彷徨っている。
辿り着いた先は、人のいない公園だった。
吾輩をベンチに置いて、見下ろすのだった。
「トラ、すまないな」
意味が分からなかった。
「こうするしかないんだ」
やはり意味が分からなかった。
「いい人に拾ってもらえよ」
ああああああ!
捨てる気だ。
吾輩を捨てるようである。
猫嫌いのレイカちゃんのためか?
だとしたらサイテーだ。
「じゃあな」
行ってしまった。
吾輩に野良の生活は不可能である。
もうすでにペットフード以外は受け付けない身体になっているからだ。
それで、どう生きろと?
それ以前に、殺処分されるのではないだろうか。
これは殺しだ。
刑事事件である。
そこへ拾う神が現れるのだった。
泣いている。
ぽろぽろと泣いている。
「ごめんよ」
タカカズであった。
泣きながら戻ってきたわけだ。
きっと良心が痛んだのだろう。
ママさんの子供だから、簡単にペットを捨てられるはずがないのだ。
タカカズには、思いとどまる力がある。
吾輩の相棒は未熟だから道を踏み外しそうになるけど、一線を越えない心があるのだ。