17 猫に小判
未来へ帰る日が延期されたわけだが、実のところ喜んでいる自分がいる。記憶を失くした吾輩にとって、近藤家のお家が故郷だからである。
それに何より、お世話になった近藤家へのご恩返しができていないのが心残りであった。
メディアでは忠犬ばかりが取り上げられるが、猫にも忠義があることを、あまり知られていないことを残念に思う。
ただし、すべての猫に義があるとは限らない。
これは人間と同じで、受けた恩を忘れない人と、受けた恩を仇で返す人がいるという、個人差が存在しているのと同じだ。
とはいえ、人間は自分たちのことを棚に上げて、猫を薄情者だと決めつけるのだから、よっぽど性質が悪いように感じる。
身勝手な飼い主は別として、恩を受けたら返すのが当たり前で、それが猫の道でもあるのだ。
朝晩の冷え込みが厳しくなってきたので、だからこうして吾輩は今晩も、ママさんの布団に潜り込んで、温めてあげているというわけである。
ある日の夕方、タカカズが吾輩の部屋にノートパソコンを持ち込んで猫動画を観ていたので、吾輩も一緒に拝見した。
人気ユーチューバーぷにまる動画の最新話では、なんと、メーカーから2メートルのキャットタワーをプレゼントしてもらっていた。
いわゆる企業案件というヤツだ。
ぷにまるは組み立て作業に興味津々といった感じで、作業中にちょっかいを出すのだが、それが本当に無邪気で、同業者の吾輩が見ても可愛らしく感じられるのである。
何もかもが羨ましかった。
昔から「猫に小判」という諺があるが、今やユーチューブに進出した吾輩ら猫にとってその言葉は、もはや死語であった。
動画の世界で凌ぎを削る吾輩らにとって、広告の価値は、自分の価値として、嫌というほど思い知らされているからである。
当たり前だが、企業は吾輩よりも、ぷにまる先輩に価値があると判断したというわけだ。
正直、吾輩も企業案件が欲しい。
テレビで活動する芸能人だと、堂々と宣伝しているにも拘らず、「ステマ」と忌み嫌われるところ、ユーチューブでは「企業案件」として、ステータスのように扱われるから、理想的な宣伝環境になっている。
しかも視聴者は配信者を好んで観てくれている人が圧倒的ということで、広告を打つ側にとってもターゲットを絞りやすい状況になっているという、仕組みが出来上がっているわけだ。
食事中にタカカズが、動画の報酬が下がった話をしていたが、それでも今さらテレビに広告費が戻る逆流はないと考えるのが自然である。年寄り向けの通販番組は増えるだろうが。
報酬が下がるのは、客寄せの段階からステージが移行したからだと考えられる。つまり初期投資の時期が完全に終わったということだ。
これから個人報酬が増えることはあっても、全体が元の水準に戻ることはないだろう。つまり、吾輩は完全に乗り遅れたということだ。
ポチれ。
そんなことはどうでもいいくらい、キャットタワーが欲しくなった。単純に、ぷにまる先輩と同じ物が欲しいと思った。
もちろん商品の購入が、ぷにまる動画への応援にも繋がると知った上での願いでもある。
ポチれ。
「よしっ、決めた」
吾輩の願いが通じたのか、タカカズが決心したようである。
「トラ、俺がキャットタワーを作ってやるからな」
そう言って、週末の三日間で本当に作り上げてしまうのだった。
「ビビってますね」
新作の撮影中である。
「心なしか、震えているような」
当たり前だ。素人が手作りした2メートルもあるキャットタワーなど信用できるはずがない。
「おっ、足を掛けました」
怖くても、カメラが回ってるのでチャレンジするしかなかった。
「トラが頑張ってます」
視聴者のためである。
「おや、最上階で寛いでますよ」
思った以上に快適であった。
「気に入ったみたいですね」
うん、足場がグラつくこともなかったからな。
「地震対策も万全ですからね」
忘れていた、タカカズが工作を得意としていることを。
こうして普通に凄いのに、特に何のアクシデントも起こらない動画が出来上がるのだった。